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2017/09/24  「ウーパールーパーに関する考察」感想
久しぶりすぎて震えるぜ。読書なんてしてなさすぎてやばいぜ。
本当は感想をメールで送ってもいいなと思っていたのですが、久しぶりだし取り留めなくなりそうだったからあえてこっちに書くぜ。

◆「ウーパールーパーに関する考察」伴美砂都著/上下巻500円◆
高校生のゆきは、図書館の薄暗い待合室にいるウーパールーパーを心の支えにしていた。
ある日、図書館の職員、麻生さんに駅で具合が悪くなったところを助けられてから、ゆきの日々に少しずつ変化が訪れ始める。
戸惑いながらゆっくりと自分自身や周囲を見つめていく、少女の成長物語。―「つばめ綺譚社」HPより。

ひょんなことでいただいた作品です。私はPDF版でいただきましたが、冊子版の装丁とてもかわいらしいです。作品にもあっているなあと思いました。実物は残念ながら見ていませんが、かわいらしいに決まっています。
高校一年生のゆきちゃんは、内向的で、物事を行うことや飲み込みの速さはふつうの人に比べると少し遅い(この「ふつう」というのがどういうことなのかが、また、語られないテーマともいえるかなあ)。お母さんはそんなゆきちゃんに割と冷たく当たります。
そんななので、ゆきちゃんは自分には何もできることがなくて居場所がない、という生きづらさを抱えている。でも、よくいく図書館の職員・麻生さんとの出会いによって、障がい者支援のホームでバイトをしたり、友人ができたりと、ゆきちゃんにとっての「居場所」が増えていく。

物語の要所要所、ゆきちゃんにとってキーポイントになる場所というか話で、ウーパールーパーが出てきます。これは、作中でも語られますが、幼いまま成熟したということの象徴のようです。
ゆきちゃんがバイトを始める障がい者施設の人については、先天的なものとして「幼いままの成熟」を遂げてしまう。でも、その人たちだけではなく、ゆきちゃんも、ゆきちゃんのお母さんも、白馬の王子様である麻生さんも、みな、幼いまま成熟した人たち。
いくつかの章に分かれており、それぞれの章で、麻生さん、友人、お母さんとの関係性の変化が描かれています。それは、ゆきちゃんにとっても相手にとっても成長を促すものになった。その辺、すごくわかりやすく描かれています。
現実の中でも、そういうことはあると思う。人と折り合いをつけていく中で、適度な距離を取るようになるし、自分にとっての気づきや相手も何かに気づくというか。
後日談「ウパルパ」では、ゆきちゃんが大学生になっています。ウーパールーパーより胴が短いからウパルパという生き物がいるということを初めて知りました。この「ウパルパ」の筆致は、これまでの筆致と違い、かなり凝縮されている感じがしました。本編よりは最近書かれたからでしょうか。後日談の方が個人的には読みやすく感じます。

全体的に柔らかい筆致で、読みやすいです。伴さんの人柄なのだろうと思います。そういうのってやっぱりありますよね。内容や筆致から行けば、中高生向けの文学という感じでしょうか。高校生には少し子供っぽく感じてしまうかなあ。
柔らかい分、私のようなクソ大人には少し物足りなく感じる部分もしばしば。
特に麻生さん、ゆきちゃんからみた「白馬の王子様」なんですが、すいません、私は登場したときから「なんか信用ならねえやつだなあ」と思いました。結果として、ゆきちゃんと麻生さんはいい感じになることはないのですが、そこも、伴さんの筆致では優しくほどけていく感じですね。そういうところ、私が汚いのかな、もう少し麻生さんを悪い男にしてほしかったです。いやでも、白馬の王子様だから仕方ないのかな。
そして、印象的だったのは咲子ちゃん。生きづらいゆきちゃんにできた素敵な友人です。メーンのキャラクターが割と幼いのに比べ、私は咲子ちゃんはとても大人で、ゆきちゃんはこれまで人とのかかわりを避けてきた分、彼女との出会いはゆきちゃんに大きな影響をもたらす。麻生さんとのことも、咲子ちゃんとであったことで、ゆきちゃんには過去のこと(ちゃんと「好きだ」と自覚できたことは過去になったことだと私は解釈します)になったのかなあと。
物足りないと思ったのは、とてもリアルなのにあまりリアルな感じがしないこと。主人公のゆきちゃんと麻生さんが、おそらく私の周りにあまりいないタイプだからか、どうしても「ああー、こういう人いるいる」となかなかなれませんでした。
そして、柔らかく読みやすい筆致だからこそ、少し平坦気味だったかも。人の成長というのは、内面で起こることなので、表に出てこないものではあるのだけどゆえにもっとドラマチックでもいいのかなあと。最後の、お母さんとお話が、一番盛り上がってもよかったのではと思いました。ゆきちゃんはお母さんと、お母さんはお母さんのお母さん(ゆきちゃんの祖母)との一番の山場かなあと。まあ、実際はあんな感じでしょうね。へんに盛り上げてもしらけるし、難しいとこですね。

全体を通して、素直な筆致と素直な内容で、優しい人になれた気がするお話でした。

*****

感想書くとか息巻いておきながらこのざまでした。すいません。

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2016/03/21  「帰ってきた青い花」「霜に咲く青い花」感想
いつ買ったのか、申し訳なるぐらい前に買ったのに、最近やっと読むことができたので感想をこっそり記させていただきます。

◆「帰ってきた青い花」青い花OldGirls著/A6判/64頁/200円◆
帰ってきた青い花第一弾です。最初の短編集です。
・「いばら姫」…灯子
・「愛の風景」…篠洲ルスル
・「八時半から五時半」…詩子――――文学フリマウェブカタログより。

◆「霜に咲く青い花」青い花OldGirld著/A6判/82頁/200円◆
帰ってきた青い花第二弾です。
・「花と世界」…灯子
・「ペンギン・ザ・ストライカー/亀の記憶」…詩子
・「宇宙と君とアウトサイダー」…小菅麻美
・「青いアップルパイ甘し、いまさら私の人生など」…篠洲ルスル
・「無題」…相楽直 ――――――文学フリマウェブカタログより。

ブログやツイッターでたびたび触れさせていただいています、文芸サークル「青い花」さんの第一弾と二弾の文庫本になります。
「霜に咲く青い花」を読み終わったときにツイッターで少し触れたのだけど、本当に、いい意味で可もなく不可もなく完成された本です。良質な小説だなあ、と、改めて思いました。それぞれの小説がすべて同一のレベル(しかも水準が高い)で収録されているっていうのはすごいこと。アンソロジーというか、著者が違う短編集っていうのは、そういうばらつきやそれぞれの個性を楽しむものなのかもしれないけど、私はこういう均質な方が好きかな。
テーマも普遍的でありながら、著者の書きたいことが明確でシンプルで、ゆえに受け入れやすく読みやすい。奇をてらうことがすなわち良作であることではない証明になる、いい作品群だなあと。いつも褒めちぎってばかりで逆に申し訳ない気持ちになりながら。
青い花さんの本は何冊か持っていて、今回第一弾第二弾と読むと、最新(本当は「最後の一人」が最新だけど、私は「三十歳」しかもっていないのでそれと比べると)作との、差がまた面白い。なんというか、やっぱり、書くほどに文章っていうのは磨かれるし面白いのだな、と。篠洲さんはそれが顕著のようにも思うし、文体があえて違うのもあるのだろうけれど、話が一つ一つ繋がっていくと、後半の物語がより光って見えるなと。他の方は基本的に完結型の掌編が多いけれども、やっぱり最新作になるにつれて磨かれた感が強く感じました。

うーん。久しぶりに感想書くとどういう風に書いていいのかわからんくなるな…。

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2015/10/02  「文藝誌オートカクテル特集耽美」感想
◆「文藝誌オートカクテル 特集耽美」/白昼社/B6/1,000円◆
文藝誌オートカクテル執筆陣(掲載順)
伊藤なむあひ
にゃんしー
赤木杏
ひのはらみめい(そにっくなーす)
山本清風
牟礼鯨
霜月ミツカ
恣意セシル
ちょまっこりーな
馬場めぐみ
水銀
eb
泉由良

「耽美」という単語をそれぞれが咀嚼し、組み上げ直し、「うつくしいとは」ということを全員が丁寧に求め続けて仕上げたアンソロジーです。どうぞ、ご覧下さい。装丁画はなかの真実氏。巻末に耽美をテーマにした映画コラムのおまけ付きです。――文学フリマウェブカタログより。
今年の大阪文フリ行けなかったのですが、にゃんしーさんのご厚意で送っていただきました。ありがたや~
装丁がとっても幻想的で綺麗です。点描画って苦手なんだけど惹かれるものがあるよなあ。
上記執筆陣がそれぞれの「耽美」や「うつくしい」というものを、想うままに書いているようです。私の中で「耽美」っていうと完全に「谷崎潤一郎」だったから、そういうある意味で歪んだ性嗜好の話ばかりなんだろうなと思ってて(笑)、大変短絡的でしたどうもすみませんでした。
みなさん、それぞれの表現を大切にしているのだろうな、と思う反面、耽美という言葉、その意味するもの、が、よくわかんなくなったりもしました。
文章っていうのは、必ずしもわかりやすくないといけないとか、一から十まで語らなければならないとか、そういうのはないと思いつつも、アホなのでやはり小難しいのは苦手なのでした。それは普段読んでいるものの違いや、当たり前に、思うことの違いとか、そういうさまざまなことなんだろうけれど。色んな人が書いているものを読むと、頭がついていかない自分のキャパシティーを憎めということだろうか…おおう…
私が一番、耽美的でありわかりやすくてエロいなと思ったのは水銀さんの「秘密」かな。よくあるといえばよくあるんだけど、このこそばゆくてエロくて美しい感じっていうのは、同じ言葉を使っても同じ場面を表現しても、その人でなければ醸せない空気みたいなものがあると思うので、好もしかったです。ちなみにジョージ朝倉だったか「水蜜桃の夜」という漫画が、確かとても似てるんだけど、やっぱり違うから、そういう意味で文章は面白いなと思う。
雰囲気で言えば山本清風さんのとかも好きだった。点滴が金魚鉢とか、意味不明な登場人物とか病院の設定とかも。赤木杏さんの「シンデレラ」も好きで、お姉さま二人の描写がよかったな。醜いものを美しく描くことを得意とされているのだろうか。
それぞれが好きだと思うものと美しいと思うもの、それは逆説的に醜いもの、危ういもの、恐ろしいもの、奇妙なもの、ナンセンスなもの、自虐的なもの、グロテスクなものを描いているのだろう。完全に好みだから、そういうわけで、私はわかりやすいのが好きだなと思います。あほだな~文学的になれそうもない。

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2015/09/21  「スクラップ・アンド・ビルド」感想
◆「スクラップ・アンド・ビルド」羽田圭介/文藝春秋◆
「早う死にたか」
毎日のようにぼやく祖父の願いをかなえてあげようと、ともに暮らす孫の健斗は、ある計画を思いつく。日々の筋トレ、転職活動。肉体も生活も再構築中の青年の心は、衰えゆく生の隣で次第に変化して…。閉塞感の中に可笑しみ漂う、新しい家族小説の誕生!第153回芥川賞受賞作。――アマゾンより
又吉直樹の芥川賞受賞が同時だったためなんとなく影に隠れている…と私は思っていたし、結構そう思ってた人もいるんじゃなかろうか。でも、私は読むなら絶対こっちだなと思っていて。これはまあどうでもいいプライドと、ずっと昔、羽田圭介のデビュー作「黒冷水」を読んだのを思い出して、「あ、羽田圭介が芥川賞とってる!!!」っていう驚きと、なんだかんだ、十数年も作家を続けて頂点とも言われる芥川賞をとったんだなこいつ(というなぜか上から目線)という感慨深さに惹かれたのもあり、久しぶりに、芥川賞に選ばれたということはおそらくがっつりの純文学読みたいなと思って手にとってみました。
あらすじは完全に上のとおり。しかしまあ文章、というか、なんだろうか言葉の運びがいいな。男のシンプルなよさをいかした文章、というか、必要最低限のことしか書いていないのに、読むことのできる文章というのかなあ。ストーリーについては、私は大して考察しなかったしめちゃくちゃ面白かったかというと別にそうでもないし、捨て置く人は捨て置くだろうし、っていうもので、だけど、文章の美しさ、飾らないその言葉が私はとても好感が持てたなあというか。まあプロだからだけど。とはいえ、これが芥川賞か、というと、密度が低いような気もしたけども、いいな、と思った。スクラップアンドビルド、は、老いていく祖父ともう一度歩き出そうとする青年のことでもあるのだろうし、アマゾンのレビュー見てたら結構面白く考察してる人もいてなるほど~ともなったんだけど、私は読んでいて、羽田圭介自身の崩壊と再構築なのかなと思っていた。
完全に個人的な妄想でしかないし、羽田圭介の作品はデビュー作の「黒冷水」とこの「スクラップ~」だけなんだけど、この差が歴然としていて、この十数年の間で彼に何が起こったのか、というか、文章を書くこと、壊れること、生きること、もう一度再構築して生きること、なんかが、全部、詰まっているような気がした。主人公の健斗のうだつの上がらないぐらいがすごいリアルで、これはきっと本人なんだなと思って。純文学ってそういうところがいいなと改めて思う。
最後の方で、実はじじいはボケ老人じゃねえんじゃねえか?!と思うところもあったりして、だけど、あんまり健斗はわかってなくて、もう自分のことをじっと考えてしまうんだよね。それぐらい、今まで、自分と向き合ってなかったんだろうなって思った。私は。最後の一節で、
「どちらにも振り切ることのできない辛い状況の中でも、闘い続けるしかないのだ」
っていうのがあって、ああきっとここが書きたかったんだなと、なぜか感動しました。

私もなんか書こうかな~

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2015/08/02  「今日もごちそうさまでした」・「ともだちは海のにおい」感想
◆「今日もごちそうさまでした」角田光代著/新潮文庫◆
料理番組とか料理本がとても大好きです。どうしてだかよくわからないんだけど、食べ物が調理されて色を与えられるところとか、まあ、おいしそうに見えるもの全般好きだし、あとは料理する手もとても好きだ。水に濡れて、水滴がついた手、と、料理人の手はすべからく健康的で赤みを帯びていて美しいと思う。
で、そんな私も今更ながら「そういえば食エッセイって気になっていたけど読んだことなかったわ」と最近気付き、高山なおみさんとか土井善治さんの本をぱらぱら見ては「あああ~これはハマるかもしれないけど~~~今は読めるかわかんないから~~~」と思って買わないばっかり。
先日、一時間ほど新幹線に乗る機会があり、つまらんから暇つぶしになんか本でも買おうとコンコースの本屋にふらっと入ったら目に入った「今日もごちそうさまでした」。本当は高山なおみさんの本を買えばよかったのだろうが、しかし、なかったのだ。そういうときに限って!で、直木賞作家だし面白いかな、と、最初の方がちょっと面白げな香りがしたので買ってみました。で、感想としては、別にそんなにおいしそうじゃない、ということ。どうしてだろうか。面白いかというと、そりゃまあ、文章上手だし、目のつけどころ面白いし、そういう意味で「面白い」んだろうけど、食材や料理の「良さ」がなんか感じられないというか、食エッセイの醍醐味である「おいしさ」が全然伝わってこない(醍醐味とか言って食エッセイ読んだことないのに)。まあ、きっと勝手に料理本みたいなのを求めていたのかもしれませんけども。
文章を書く人の、可哀想なところって、文体、だと思う。今回読んでいて思ったのは、食エッセイで料理のお話とか食材のお話がメインなんだけど、どうしたって角田光代の文章になっちゃってて、なんだろうなあ、食や料理が浮き立ってこないというか。面白おかしく(本人は意図していないにしても)かけてしまうから、その分、おいしそうじゃない。そう思うと、文体って、こういう、エッセイには邪魔なんじゃないかと思うわけです。
しかもテーマが料理、だからかも。まずそうでもおいしそうでも、ある程度の興味をそそられるはずなのに、なのに、まったくそそられない。なんでだろう。なんでだろうか。難しい。これが、料理をテーマにした小説なら、全然違うんだろうな。あくまでエッセイだから。面白おかしさとかいらないんですよね。哀愁とか、いらないんですよね。難しいな~
私も、何か小説を書くときに、料理の描写をするときは、できるだけおいしそうにしたいなと思うんだけど、無理だな!と思って大体料理名を出すだけにしてしまう。料理って難しい。

◆「ともだちは海のにおい」工藤直子著/理論社◆
先日、名古屋の古本屋さんで見つけた、大好きな児童書(?)。
昔アマゾンで買おうと思ったらなんでだったかかえなくてものすごいショックを受け、それから探す気もなくしていたのに、見つけた瞬間に問答無用で買うと決めました。同じシリーズの「ともだちは緑のにおい」も好きだったけど、こっちの「海」の方が私は好きだなあ~。
お話は、海に住むいるかとくじらのある日あるときのお話。いるかとくじらが出会って、友人になって、一緒にお茶を飲んだりビールを飲んだりする。いるかの得意な回転やわくぐりをしたり、聡明なくじらが宇宙や真理の話をする。怖い夢を見ると、いるかはくじらの家に行って頭をなでてもらう。二人で人魚にファンレターを書いたりする。
めちゃくちゃかわいい。そして、言葉のぬくもりや切なさに、なんか涙がでてくる。寂しいお話なんて一つもなくて、くじらといるかのかわいらしくておだやかな友情が素敵で、なのになぜか、とても涙が出てくる。耐え切れなくて、何度も何度も、いるかとくじらのセリフを読みかえす。いい。すごくいい。
なんにも難しいことはない。誰かと一緒に想うことを話し、共有して、好きでいる。
そういうこと、全然、できてないな、と、自分に思う。だから泣けてくるのかもしてない。心えぐる。えぐってくるわ…とってもいい本です。

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