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どこをみているの
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2016/12/07  追憶
今、どうしても話したい人がいる。
なんでもいい。話したい。何を話すかは知らない。目の前にしたら、きっと話せない。
話す当てはない。その人、その人たち、彼らを見ていると、泡のような言葉が浮かんで消えていくのだ。どうしようもない、気持ちが、言葉が出てくる。
非難でも慈愛でも、なんだか違う。形容できない。でも、おそらく、どうにか名づけるとしたら、既視感。私はきっと、彼らと、食い違う既視感を、共有したい。でもきっと、食い違うから共有にはならない。むしろどんどん乖離するはずだ。でも、聞きたい。話したい。何か、言葉にならない、過呼吸の二酸化炭素みたいなもの。
でも、彼らは私のことなぞつゆほども知らないで、つゆほども、思い当たらないで、その人たちの生を歩んでいる。私はいつも、そのことが悲しくて、うらやましくて、悔しくて、そうしてまあ、そのうち忘れる。言葉も。でも、ずっと既視感を持ち続ける。ああ、話したい。何を話そうか、考えても何も言葉は出てこない。言葉にした瞬間に、ただの痴話になる。
でも、私は、彼らを目の前にしたら、きっと何も面白いことなどいえないのだ。いつも、友人や後輩や恋人にたたく軽口も、どこかに消え去って、私はただ立ちつくし、その人たちの絶望をかみしめるだけだ。意味のわからない絶望。本当は、彼らのいうことなんか一つもわからない。でも、わからないことが私を安心させる。
わからないことが既視感なんだろうか。根本のところがわからないけれど、おおよそ似ているからこその既視感なんだろうか。
本当は話がしたい。いくらでも、うなずきたい。いくらでも、意味のわかない暗闇を紡ぐ言葉も、意味をなさないただ無機質な言葉も、温かな蔑みも、いくらでも聞きたい。
それはきっと、永遠にかなわないので、私がただ焦がれて消えるだけだ。そのうち、この気持ちも消える。知らない。それは別に、どうでもいい。
ああでも、話がしたい。

***

私はどこの世界にも所属したくないのだなと思う。
というか、所属できなかったのでこういう負け惜しみをいうようになったのだと思う。仕事の世界も、趣味の世界も、どこかに所属する、ことができるほどは、何も好きじゃないのだ。好きだとしても、世界の住人たちに比べればカスみたいなその熱量で、世界で生きていくにはひどくしんどいので、まあ適当な言い訳とかこだわりとか並べてみているだけだ。適当というか、やけくそな。でも、そんなもの並べるぐらいだったら、もう何も言わなきゃいいのに。というのは、いつも自分自身に思い続けている。
どれだけ、誰が、何を言おうと、私は私で、私が私のことを一番知っていると思う。思い上がりというのはまた語弊があるけれども、でも、まあそういうことなので、自分では自分をどうすることもできないし、自分がどうすることもできないので、自分以外誰もどうすることができないから、たぶん一生このまま、どこの世界にも属せないとか、許せないとか、死ねばいいとか、でも死なないとか、そういう風なことを巡って、まあ、でも、最終的には死ぬ。だからいいよね。

***

そういうところは生活の端々に出ていて、ああ私がいないときに誰かが私のことを悪く言いませんように、と、こわごわと祈って生きている。無意味なことだ。私の生きざまも性格も、誰の何にも影響しない。ということはわかっていつつも、祈らずにはいられない。
何のためかはよくわからない。でも、そうだな、誰も、私がいないところで私の話はしないでほしい。

***

何かが書きたかった。何かを描きたい。
誰かと一緒に、一人でも、誰か、読んでほしい。
私が書き記すものごと、私が思う日々のこと、私のことを、誰か、話してくれないか。聞いてくれるだけでかまわない。私のこと、何もない私のこと。
たぶん、これが一番なのかな。

そういうことをしていたら年の瀬がきた。うそだ。いや、本当。

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2016/08/17  いとおしくたたきつけて
気づけばもう8月も終わりです。あっという間だったような、そうでもないような。
業務時間が終わると弱冷房になって、というかほぼ切れているようなものなので、職場の男性陣が窓を開けたりすると、湿度の高い空気の奥底から、秋の始まりのにおいがしました。1年はこうやってめぐるのだなあと思い、仕事を切り上げてのんびりと帰ってきました。

ここ数日、恋人と喧嘩をすることが増えていて、どうにもままならないような気が。
実は少し前に、まあ1年か2年後には結婚していたいね、なんて話がでていた矢先のことなので、何をどうしたらこんな現状になるのか私が聞きたい。
というか、そんな話が出たのも、喧嘩が原因だったのだけども。

自分とは違う人を愛する、というのは、案外簡単だし、難しい。私は、どちらかというと肯定的で正しい自己愛が低い人なので、他人を大切にする方がいかんせん容易な気がしている。というか、人を大切にできる自分に酔うタイプなので、私に愛される人は結構大変だと思う。
と、ここまで書いておいて、結局そういうことなのかもしれない。私の愛は押し付けなのですね。
恋人と喧嘩するときは、たいてい、恋人のだらしなさ(私の基準なのだけど)が目に余って私が怒り、恋人がすねる、という構図。すねる、というよりも、怒られたことに不服はあるが、大筋が正論なので「いいよ、おれが悪いんでしょ」というスタンスで、すねる、のだけど、彼的には納得いかないから私が怒ることも受け入れられない、という感じ。
私は、恋人を叱ることで相手への愛を表現していると思っているし、そういう自分への愛がまた高まったりするので、すねる相手に対して「いとおしい」という気持ちがわいてくるけど、恋人にとってみれば「なんだよそれ」っていう感じだから、タイミング悪いんだな。
私が腹立たしいのは、できないことを軽々しく「変わる」とか「直す」とかいうことで、そこをわかってほしいのだけど、恋人は「できない」と決めつけられることがいやだそうだ。
と、言って、「変わる」とか「直す」って言わなくなったらもう人間としてダメでしょっていう感じなので、できなくても、そのときだけでも気があるならまだマシなのだろうか。
しかし、私も乙女なので、そんなことを言われたら期待はしてしまう。あくまで大事な人なので。でも、彼はわからないので、毎回同じことの繰り返しなのだ。

ということは、恋人が「変わる」ことも「直す」こともできない人だということはわかっているので、そこはもう私が飲み込むしかないのだろうか。というか、飲み込みしかないのだろう。たぶん。おそらく。あまりにも限度を超えなければ。いや、おかしいな、ある程度我慢してきて、限度を超えたと思ったから言って、喧嘩になって、というのを何度繰り返しているんだ?と思うと、私ってあまり忍耐強くないのか、恋人がもう全然だらしないのか…。

やはり、相手を変える前に自分が変わるしかないのかもしれない。成長、になるのかな。優しくなでられたとおもったら、強く地面にたたきつけられたりもする。
人とかかわることが、どんどん億劫になっていて、だけど、恋人のことはもっとちゃんと大事にしたい。大事にしたいのにね。

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2016/01/09  I need you more than DOPE
いまさらですがあけましておめでとうございます。
新年あけてもう10日も経つなんて私は信じていません。いつもこうやって時間が無駄に過ぎていくと思いながらも、じゃあどんなのだったら無駄じゃないんだろうと考えつつ、そんなのはわからないので私はいくつになっても無駄だと嘆きながら暮らしていくんでしょう。

昨日ぐらいからめっきり寒くなって、とはいえ全然寒くないなと思いつつ、しょんぼり暮らしています。もっと寒くならないかな。
大体一日のうち3/4を職場で過ごしているゆえに、仕事で何かを引きずるとすごくしんどい。これはどうして仕事ってあんなに引きずるんだか。
自分のやっていることがどれだけ意味のあるものかどうかは、あんまり考えない性質、というか意味がないってことを知っているので考えても仕様がないと思っているのだけど、しんどいとそっちに意識が寄っていって、わかりきってるはずなのに「私がやっていることには意味がない」という悲しい結果に打ちのめされます。自分が楽しければいいけどそういう楽しみもないから余計に悲しい結果です。
「仕事は楽しいわけがない。楽しくなくて当然だから」という、以前人事課の課長が言っていたけれど、まあ、仕事は楽しくなくても楽しめるようにあればいいなあとは思う。思うけども。
私はできそこないの社会人なので、会社に勤めている以上はいつもこういう気持ちなんだろう。

考えても仕様がないから考えない、って、嫌だなと思うが、最近はとみにこういう兆候が見られる。自分に。人の所為にするわけじゃないけど、私が苦手とする先輩がこういう感じで影響されてるのかもしれない。先輩の考え方はすごくシンプルで効率の良さを求めるゆえに無駄なことは考えないタイプ、で、ポジティブなんだけども、私の場合はそれが私持前のいびつさからネガティブな方にひっくり返っている。意味がない。
脳みそは使わないとどんどん腐っていくから使わないといけないし、私みたいなのは考えてなんぼだと思うのだけど。言葉にも見放されて自分の思考にも見放されたら、もうどうやって生きていくのかっていう話だ。生きてるけども。別に。

誰かに寄りかかれたら今はどこまでもずぶずぶと寄りかかってしまう。寄りかかってしまうけれど、そのまま通りぬけて地面にたたきつけられる。自分の質量分の衝撃が自分を襲う。のが怖いから必死で寄りかかる寸前まで体を傾けてとどまっている。今が一番、辛いのかもしれない。

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2015/12/28  「nnmliner5」感想&2015年振り返って
◆nnmliner5/斜線著/B5両面1枚/白黒40円◆
ツイッターでよくお話ししていただく斜線さんのフリーペーパーです。ネットプリントってすごくいいなって思います。今までは冊子型のフリーペーパーだったそうですが、最近はかなりシンプルなものにしたそう。前回も「MILK」というフリーぺーパーを入手させていただきましたが、今回のものはそのときよりも読み物感が強く、とてもよかったので感想を(といいつつもそんな大仰なものにならないでしょうが)。
片面は斜線さんの近況やら、ハマりごとについて。私はこういう文章が好きで垂涎。その人が普段どんなことをしていてどんなものが好きなのかっていうこと、どうしてそれが好きなのかを、丁寧に文章に起こされることに目がない。しかも、それが当たり前のこと、たとえば今回は斜線さんの好きな音楽やアニメについてだったけど、そういうことっていうのがいい。なんか変なアクティブな趣味とか変わり種とかだったらつまらない。説明口調ほどつまらないものはない。斜線さんの、物質を物質として表現する言葉がまた、日常を語るのにちょうどいいと言うのでしょうかね。
もう片面は短編「UNICORN」が掲載されています。「彼女」はいつも、自分をさらってくれる何かを夢想している。日常に降り立つ非日常がまた、斜線さんの硬質な文章で描かれることに意味がある。普段の、情景描写だけでなく、少しファンタジーな感じが絶妙でした。何回も読み直してしまった。お話、というのは、描写だけでは成り立たないのではないかと思うときもあるんだけど、やっぱり力量なのかなあ。特に、
「毎晩剃刀を当てなければ清潔を保てない脇や手足、下卑た視線を集めるだけのやや大きめな胸、大人に見咎められない程度に薄い化粧を施した平均値の顔、全て気に入らなくて今すぐ捨て去ってしまいたかった」
の一節がめちゃくちゃぐいぐいきました。こういう文章を一節でも作り出せたのなら勝ちですね。
斜線さんがハマっているという「アドベンチャータイム」も気になったし、「ハッピーツリーフレンズ」とか「サウスパーク」見たくなってきました。

****

はい、そういうことで2015年の読み納めに斜線さんの文章が読めて幸せだなということと、振り返ってみようと思ったけどこの一年は小説書いたりをほとんどしなかったのであんまり振り返ることがないんじゃないかということに今気付きました。やられた。毎年言っているのですが、仕事の関係で年度が終らないと一年経ったという気がしないから道半ばみたいな気もするんだけど。
◆書くことについて◆
1年振り返ってみてそういえば私、2015年に「みなもとはなえ」に改名したのでした。そうだった。今年は仕事の関係でイベントに出るっていうことはしなかったけれど、noteで短編を書いたり名もなき掌編を書いたりして、好きなように書くっていうことができたなと思います。
そして商業でもアマチュアでも、本をちまちま読むこともできて色んな人の文章に触れられたのだと思います。もちろん、たくさん読んでいた時期には劣りますが、それでも、色んな人の文章に触れたことで、自分の文章を書きたいなと思うようにもなれたから、まあよかったのかなと思う。色々な人がやっていたので、書いたものの振り返りをやってみると
・ふるえてなんかない https://note.mu/losmrn/n/nd30358cc51dc?magazine_key=mfffb319e7299
・思い出の思い出 https://note.mu/losmrn/n/n20d59ef8d476?magazine_key=mfffb319e7299
・さくらのよる https://note.mu/losmrn/n/n1bc20168a873?magazine_key=mfffb319e7299
・短歌に寄せる三つの掌編 https://note.mu/losmrn/n/n6d6122f0c051?magazine_key=mfffb319e7299
・マチルダのこと https://note.mu/losmrn/n/n170c97ebbb8f?magazine_key=mfffb319e7299
・untitled https://note.mu/losmrn/n/nc3b8e24eb528?magazine_key=mfffb319e7299
・海の恋人 https://note.mu/losmrn/n/n650816d1fece?magazine_key=mfffb319e7299
・どうでもよくない人たちへ https://note.mu/losmrn/n/ne56654da16d3?magazine_key=mfffb319e7299
・あの夜 https://note.mu/losmrn/n/n83f9da8ba400?magazine_key=mfffb319e7299
以上8作でした。あとはちょこちょこブログで切れ端みたいなのは書いたり書かなかったりしてたかな。全て短編です。あとは、上記で感想を書いている斜線さんと始めた不定期連載の「monstersh」という企画もぼちぼち書いたりできて、なんだかんだ、書くっていうことができてよかったと思います。
そしてお声かけをいただいて拙作「さよなら」より「CHILDREN」をコピー本として委託してもらって読んでいただけたのも大変嬉しかったです。
ある方が、イベント合わせで書くっていうのはしんどくて、書いている自分と、そうでない自分とのかい離が疲労となる(と私は読み取ったけど)、とおっしゃってて、本当にその通りで、私がこの一年休んだのはそういう理由だったから気持ちは痛いほどわかる。わかるが、しかし、やっぱり好きだろうから離れはできないのでしょうし、真摯に向き合っている故に、そういう気持ちになるのだとも思う。
書くことや、趣味で何かをするということについては、人それぞれの考え方があるだろうからなんでもいい。趣味のままでいいという人もいるし、その道を極めたいと思う人もいるでしょうし、本当にさまざま。私はそういう人たちを見て辟易もするし軽蔑もするけど、やっぱり最終的には、その人の納得のいくまでその人ののぞむようにどうにかなればいいなと思うし、楽しんでほしいと思う。結局、あなたはあなたであり、あなたでしかなしえない、あなたのための何かがあるのだろうから。私も、そうだから、そうするし、あなたもそうだから、そうしてほしい。とかいう脈絡もないことを思います。どうでもいいんだけども。
趣味で苦しむってやっぱおかしいと思う。それを快楽的に思うのもおかしいと思う。これは半分、自分への戒めだけど。ただ、やっぱり、愛してほしいし、愛されてほしい。色んなものに。よくわからなくなってまいりました。
2016年は、名古屋コミティアにエッセイを持っていけるようにします。あとはサイトの再開も。これからはオフライン中心にしていきたいなと思ってます。毎日の、当たり前のことを、当たり前のように描けたらいいな。
◆私生活について◆
小説を書くとかいうことについてはかなり落ち着いていたつもりなんだけど、私生活がバタバタで、ほんとうに自分の感情に振り回されっぱなしでどうにかなっちゃうんじゃないかと思っていたらもう12月になっていた。あっという間だったな。あっという間でした。4月から11月ぐらいまで全く記憶がない。6月ぐらいからずっと情緒不安定で泣いてばっかりだったのが嘘のようですが、朝起きるとき夜寝るとき生きてるなあってなんとなく思ったりしていました。とりあえずって感じで。
人を嫌いになって憎んで引き裂きたくなって、同じぐらい自分のことが嫌いで嫌いだって言われたくて死ねって言われたくてどうしようもなくて、もがいてももがいても何も楽にならなかった。ならなかったのに、呼吸は続けて生きていた。不思議な生き物でした。我ながら。
自分は本当に潔癖症だし、変なところで真面目だからそういうことが生きづらいなと思っていて、だけどいい加減にも慣れないもんだから困りました。現在進行形です。
ただ、自分で何かをなそうとしなくなったようにも思います。良いのか悪いのか、バランスを見なきゃというまた呪いのような言葉を感じながら、また呼吸をつづけます。

どういう振り返りやねん、とおもいつつ。
みなさんにとってこの一年はどんな年でしたでしょう。
来年がみなさんにとって実り多き年になりますように、ご祈念いたします。
良いお年を。

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2015/12/15  わたしのはなしをきいてください
11月は一回も立ち寄ることなく終わってしまいました。お元気ですか。誰にあてているのかわからない、私の時候の挨拶です。

11月は屍のようでした。と言って、10月も9月も8月も屍でした。私が生きていたのは4月まででしたというのは嘘ですが、そういうのすらもうよくわからなくなる一年でした。
12月に入り、今年もあと15日ちょっとになっていることに驚いてながらも、驚いているという体なのでなんとも言えません。あんまり驚いていません。どうせだらだらしていたら一年が終わってしまうのです。そういうものなのです。今年は特に。
ストレスで呼吸が浅くなっていて、苦しいので、深呼吸をする癖がつきました。肺の中を空っぽにするまで吐きだして、できるだけ腹式呼吸をするようにします。少しだけ、お腹が筋肉痛です。

10月の終わりに恋人ができました。とっても好きです。愛らしいなと思って、色んな人に彼の話を聞いてほしいと思ってしまいます。素朴な人です。服がとてもダサいです。かわいいです。優しいです。ご飯を驕るのが男の甲斐性だと思っているみたいで、私がお金を出すと怒りますが最後にはありがとうと笑ってくれます。全然かっこよくないけれど、横顔がとっても好きです。
そういうことがあったので、仕事をしててもふわふわして前ほど嫌だと思う気持ちがなくなってきました。
あんなにも誰かを好きになることが怖いとか、できないとか、自分が愛されるわけなんてないと思ってたのに、あんなにも孤独を謳っていたのに。今はもう、恋人のことばかり考えている。
私は都合がいいなといつも思う。彼氏がいれば嫌なことも軽減される。逃げる場所がある。都合よく、自分に合わせてくれる人にいてほしい。寂しいから。悲しいから。幸せで、いたいから。

もっと大事なことを考えないといけないような気がしています。気がしているだけで、目の前のことも大切にできないのならもっと大事なことなんてない気もしています。
私は毎日生きているのです。たぶん、生きているのです。浅い呼吸でも。

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