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2017/09/24  「ウーパールーパーに関する考察」感想
久しぶりすぎて震えるぜ。読書なんてしてなさすぎてやばいぜ。
本当は感想をメールで送ってもいいなと思っていたのですが、久しぶりだし取り留めなくなりそうだったからあえてこっちに書くぜ。

◆「ウーパールーパーに関する考察」伴美砂都著/上下巻500円◆
高校生のゆきは、図書館の薄暗い待合室にいるウーパールーパーを心の支えにしていた。
ある日、図書館の職員、麻生さんに駅で具合が悪くなったところを助けられてから、ゆきの日々に少しずつ変化が訪れ始める。
戸惑いながらゆっくりと自分自身や周囲を見つめていく、少女の成長物語。―「つばめ綺譚社」HPより。

ひょんなことでいただいた作品です。私はPDF版でいただきましたが、冊子版の装丁とてもかわいらしいです。作品にもあっているなあと思いました。実物は残念ながら見ていませんが、かわいらしいに決まっています。
高校一年生のゆきちゃんは、内向的で、物事を行うことや飲み込みの速さはふつうの人に比べると少し遅い(この「ふつう」というのがどういうことなのかが、また、語られないテーマともいえるかなあ)。お母さんはそんなゆきちゃんに割と冷たく当たります。
そんななので、ゆきちゃんは自分には何もできることがなくて居場所がない、という生きづらさを抱えている。でも、よくいく図書館の職員・麻生さんとの出会いによって、障がい者支援のホームでバイトをしたり、友人ができたりと、ゆきちゃんにとっての「居場所」が増えていく。

物語の要所要所、ゆきちゃんにとってキーポイントになる場所というか話で、ウーパールーパーが出てきます。これは、作中でも語られますが、幼いまま成熟したということの象徴のようです。
ゆきちゃんがバイトを始める障がい者施設の人については、先天的なものとして「幼いままの成熟」を遂げてしまう。でも、その人たちだけではなく、ゆきちゃんも、ゆきちゃんのお母さんも、白馬の王子様である麻生さんも、みな、幼いまま成熟した人たち。
いくつかの章に分かれており、それぞれの章で、麻生さん、友人、お母さんとの関係性の変化が描かれています。それは、ゆきちゃんにとっても相手にとっても成長を促すものになった。その辺、すごくわかりやすく描かれています。
現実の中でも、そういうことはあると思う。人と折り合いをつけていく中で、適度な距離を取るようになるし、自分にとっての気づきや相手も何かに気づくというか。
後日談「ウパルパ」では、ゆきちゃんが大学生になっています。ウーパールーパーより胴が短いからウパルパという生き物がいるということを初めて知りました。この「ウパルパ」の筆致は、これまでの筆致と違い、かなり凝縮されている感じがしました。本編よりは最近書かれたからでしょうか。後日談の方が個人的には読みやすく感じます。

全体的に柔らかい筆致で、読みやすいです。伴さんの人柄なのだろうと思います。そういうのってやっぱりありますよね。内容や筆致から行けば、中高生向けの文学という感じでしょうか。高校生には少し子供っぽく感じてしまうかなあ。
柔らかい分、私のようなクソ大人には少し物足りなく感じる部分もしばしば。
特に麻生さん、ゆきちゃんからみた「白馬の王子様」なんですが、すいません、私は登場したときから「なんか信用ならねえやつだなあ」と思いました。結果として、ゆきちゃんと麻生さんはいい感じになることはないのですが、そこも、伴さんの筆致では優しくほどけていく感じですね。そういうところ、私が汚いのかな、もう少し麻生さんを悪い男にしてほしかったです。いやでも、白馬の王子様だから仕方ないのかな。
そして、印象的だったのは咲子ちゃん。生きづらいゆきちゃんにできた素敵な友人です。メーンのキャラクターが割と幼いのに比べ、私は咲子ちゃんはとても大人で、ゆきちゃんはこれまで人とのかかわりを避けてきた分、彼女との出会いはゆきちゃんに大きな影響をもたらす。麻生さんとのことも、咲子ちゃんとであったことで、ゆきちゃんには過去のこと(ちゃんと「好きだ」と自覚できたことは過去になったことだと私は解釈します)になったのかなあと。
物足りないと思ったのは、とてもリアルなのにあまりリアルな感じがしないこと。主人公のゆきちゃんと麻生さんが、おそらく私の周りにあまりいないタイプだからか、どうしても「ああー、こういう人いるいる」となかなかなれませんでした。
そして、柔らかく読みやすい筆致だからこそ、少し平坦気味だったかも。人の成長というのは、内面で起こることなので、表に出てこないものではあるのだけどゆえにもっとドラマチックでもいいのかなあと。最後の、お母さんとお話が、一番盛り上がってもよかったのではと思いました。ゆきちゃんはお母さんと、お母さんはお母さんのお母さん(ゆきちゃんの祖母)との一番の山場かなあと。まあ、実際はあんな感じでしょうね。へんに盛り上げてもしらけるし、難しいとこですね。

全体を通して、素直な筆致と素直な内容で、優しい人になれた気がするお話でした。

*****

感想書くとか息巻いておきながらこのざまでした。すいません。

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2016/12/07  追憶
今、どうしても話したい人がいる。
なんでもいい。話したい。何を話すかは知らない。目の前にしたら、きっと話せない。
話す当てはない。その人、その人たち、彼らを見ていると、泡のような言葉が浮かんで消えていくのだ。どうしようもない、気持ちが、言葉が出てくる。
非難でも慈愛でも、なんだか違う。形容できない。でも、おそらく、どうにか名づけるとしたら、既視感。私はきっと、彼らと、食い違う既視感を、共有したい。でもきっと、食い違うから共有にはならない。むしろどんどん乖離するはずだ。でも、聞きたい。話したい。何か、言葉にならない、過呼吸の二酸化炭素みたいなもの。
でも、彼らは私のことなぞつゆほども知らないで、つゆほども、思い当たらないで、その人たちの生を歩んでいる。私はいつも、そのことが悲しくて、うらやましくて、悔しくて、そうしてまあ、そのうち忘れる。言葉も。でも、ずっと既視感を持ち続ける。ああ、話したい。何を話そうか、考えても何も言葉は出てこない。言葉にした瞬間に、ただの痴話になる。
でも、私は、彼らを目の前にしたら、きっと何も面白いことなどいえないのだ。いつも、友人や後輩や恋人にたたく軽口も、どこかに消え去って、私はただ立ちつくし、その人たちの絶望をかみしめるだけだ。意味のわからない絶望。本当は、彼らのいうことなんか一つもわからない。でも、わからないことが私を安心させる。
わからないことが既視感なんだろうか。根本のところがわからないけれど、おおよそ似ているからこその既視感なんだろうか。
本当は話がしたい。いくらでも、うなずきたい。いくらでも、意味のわかない暗闇を紡ぐ言葉も、意味をなさないただ無機質な言葉も、温かな蔑みも、いくらでも聞きたい。
それはきっと、永遠にかなわないので、私がただ焦がれて消えるだけだ。そのうち、この気持ちも消える。知らない。それは別に、どうでもいい。
ああでも、話がしたい。

***

私はどこの世界にも所属したくないのだなと思う。
というか、所属できなかったのでこういう負け惜しみをいうようになったのだと思う。仕事の世界も、趣味の世界も、どこかに所属する、ことができるほどは、何も好きじゃないのだ。好きだとしても、世界の住人たちに比べればカスみたいなその熱量で、世界で生きていくにはひどくしんどいので、まあ適当な言い訳とかこだわりとか並べてみているだけだ。適当というか、やけくそな。でも、そんなもの並べるぐらいだったら、もう何も言わなきゃいいのに。というのは、いつも自分自身に思い続けている。
どれだけ、誰が、何を言おうと、私は私で、私が私のことを一番知っていると思う。思い上がりというのはまた語弊があるけれども、でも、まあそういうことなので、自分では自分をどうすることもできないし、自分がどうすることもできないので、自分以外誰もどうすることができないから、たぶん一生このまま、どこの世界にも属せないとか、許せないとか、死ねばいいとか、でも死なないとか、そういう風なことを巡って、まあ、でも、最終的には死ぬ。だからいいよね。

***

そういうところは生活の端々に出ていて、ああ私がいないときに誰かが私のことを悪く言いませんように、と、こわごわと祈って生きている。無意味なことだ。私の生きざまも性格も、誰の何にも影響しない。ということはわかっていつつも、祈らずにはいられない。
何のためかはよくわからない。でも、そうだな、誰も、私がいないところで私の話はしないでほしい。

***

何かが書きたかった。何かを描きたい。
誰かと一緒に、一人でも、誰か、読んでほしい。
私が書き記すものごと、私が思う日々のこと、私のことを、誰か、話してくれないか。聞いてくれるだけでかまわない。私のこと、何もない私のこと。
たぶん、これが一番なのかな。

そういうことをしていたら年の瀬がきた。うそだ。いや、本当。

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2016/08/17  いとおしくたたきつけて
気づけばもう8月も終わりです。あっという間だったような、そうでもないような。
業務時間が終わると弱冷房になって、というかほぼ切れているようなものなので、職場の男性陣が窓を開けたりすると、湿度の高い空気の奥底から、秋の始まりのにおいがしました。1年はこうやってめぐるのだなあと思い、仕事を切り上げてのんびりと帰ってきました。

ここ数日、恋人と喧嘩をすることが増えていて、どうにもままならないような気が。
実は少し前に、まあ1年か2年後には結婚していたいね、なんて話がでていた矢先のことなので、何をどうしたらこんな現状になるのか私が聞きたい。
というか、そんな話が出たのも、喧嘩が原因だったのだけども。

自分とは違う人を愛する、というのは、案外簡単だし、難しい。私は、どちらかというと肯定的で正しい自己愛が低い人なので、他人を大切にする方がいかんせん容易な気がしている。というか、人を大切にできる自分に酔うタイプなので、私に愛される人は結構大変だと思う。
と、ここまで書いておいて、結局そういうことなのかもしれない。私の愛は押し付けなのですね。
恋人と喧嘩するときは、たいてい、恋人のだらしなさ(私の基準なのだけど)が目に余って私が怒り、恋人がすねる、という構図。すねる、というよりも、怒られたことに不服はあるが、大筋が正論なので「いいよ、おれが悪いんでしょ」というスタンスで、すねる、のだけど、彼的には納得いかないから私が怒ることも受け入れられない、という感じ。
私は、恋人を叱ることで相手への愛を表現していると思っているし、そういう自分への愛がまた高まったりするので、すねる相手に対して「いとおしい」という気持ちがわいてくるけど、恋人にとってみれば「なんだよそれ」っていう感じだから、タイミング悪いんだな。
私が腹立たしいのは、できないことを軽々しく「変わる」とか「直す」とかいうことで、そこをわかってほしいのだけど、恋人は「できない」と決めつけられることがいやだそうだ。
と、言って、「変わる」とか「直す」って言わなくなったらもう人間としてダメでしょっていう感じなので、できなくても、そのときだけでも気があるならまだマシなのだろうか。
しかし、私も乙女なので、そんなことを言われたら期待はしてしまう。あくまで大事な人なので。でも、彼はわからないので、毎回同じことの繰り返しなのだ。

ということは、恋人が「変わる」ことも「直す」こともできない人だということはわかっているので、そこはもう私が飲み込むしかないのだろうか。というか、飲み込みしかないのだろう。たぶん。おそらく。あまりにも限度を超えなければ。いや、おかしいな、ある程度我慢してきて、限度を超えたと思ったから言って、喧嘩になって、というのを何度繰り返しているんだ?と思うと、私ってあまり忍耐強くないのか、恋人がもう全然だらしないのか…。

やはり、相手を変える前に自分が変わるしかないのかもしれない。成長、になるのかな。優しくなでられたとおもったら、強く地面にたたきつけられたりもする。
人とかかわることが、どんどん億劫になっていて、だけど、恋人のことはもっとちゃんと大事にしたい。大事にしたいのにね。

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2016/04/24  50日
父が触るなと言い続けていた開かずの間も主人がなければただのふすま1枚隔てた押入れである。長兄は躊躇なく和紙に手を突っ込むようにして強引にふすまを開けた。あっ、と思うが、父の怒声は飛んで来るわけがなく、そこで父の不在を実感する。長兄はきっと、私の実感など思いもよらない、というか、思いがけない、というか、思い至らないというのか、もし長兄が私の気持ちに気づいたとしても、言葉をうだうだと選んでいるからとろいんだと言うのがしっくりきたので、無遠慮に文句を言う長兄の背中と、特に言葉を発せずに押し入れを物色する次兄の背中を交互に盗み見た。中には几帳面な父らしく、押し入れの上段にも下段にも黒い硬質な木目の物入れが数段重ねてあった。丈夫そうな金庫が下段にどんと鎮座していたし、おそらく相続云々の関係で中身もそのうち御開帳するのだろうが、私たちの意識は上段の物入れのさらに上にある、黒いプラスチック製の深さのある籠に注がれた。かなり高い位置にあり、暗くもあるので特に私の位置からでは中身が何かはよく見えない。ただあんなに整理整頓に厳しかった父に似つかわしくなく、雑多なものがひとまとめにしてあるようだった。金庫よりもそういうものの方に目が行くところが兄妹そろっていて、金に固執をするものは醜いという父の教育の賜物なのか、そもそもそんなことを言える程度には裕福な家系だったからかは、自分ではわからない。
次兄は無言のまま、勝手知ったる様子で押し入れの下段の奥にある小さな脚立を取り出した。
「気をつけろよ」
長兄の言い方は兄たちに接するときの父によく似ていた。次兄も感じとったからか普段のマイペースからか、返事はしなかった。
次兄は一度もふらつくことなく黒い籠を下ろしてみせた。長兄が受け取る。安い洗濯籠のようなものだった。間に合わせで買ったのか、よくわからない、やはり父には似つかわしくない柔らかいビニル製だった。
「ポスターかな」
次兄が籠の中身を見て言う。丸めてある画用紙やスケッチブックが乱雑に入れてあった。どれもかなり年季が入っていて、古い傷んだ紙のかさついた匂いと押し入れの木の匂いなのか父の匂いなのかわからないが、得も言われぬ懐かしさが引き起こされる匂いが部屋に溶けて行った。西日が強くなってきており、籠から舞う埃が白く光る。床に置かれた籠に誰も手を伸ばさないので、呼吸を二度し、取りやすいいちにあったスケッチブックを手にとった。裏返すと油性ペンで名前が書いてある。
「ほんませいいちろう、って清兄のだ、これ」
長兄は黙って私の手元に目を落としている。家族のひいき目を差し引いても、長兄も次兄も顔立ちは整っており、それはつまり父親譲りの峻厳さだった。長兄はとみに父に似ており、子どもは異性の親に似るというのは本間家には通用しない。凛々しく険しく緩みはない。長兄の眉間のしわも、次兄の真一文字の口元も、すべて父だった。
「覚えてるか」
次兄が問う。長兄は私の手からスケッチブックを受け取り、開いた。A4サイズ横開きのスケッチブックには、いかにも子どもが描きそうな色鉛筆のいくつもの線と、無造作な顔のつくりをした人物が数ページにわたって描かれている。それぞれには母の綺麗な字で、「かぞく」「おとうさん」「おかあさん」「おとうと」が添えられている。どこまでが人でどこまでが背景なのか、線が繋がりつづけているその中にも区別があるらしかった。「いもうと」がでてこなかったのは私が生まれる前のものだからだろう。長兄は何度かページを前後して、無言で見続けている。次兄が手を伸ばし、丸めた画用紙を手に取る。がさがさと言う音とともに、嗅いだことのある少しもたついた油の匂いがふわりと漂った。明るい社会、という粗末なレタリングとともに、むっちりとしたクレヨンで塗りつぶされた子供の笑顔が現れる。下の方に画用紙とはまた別の紙が貼り付いており、名前が書いてあった。
「俺のだ」
「私覚えてる、この絵で英兄、賞とってた」
「だったっけ。これ、三真子のだろ」
次兄のポスターとともに丸めてあったのは私が描いた「家庭の日」のポスターだった。黒いサインペンで輪郭を描いているから、家族の笑顔がどこか黒く滲んで悲壮感がある。水性のペンと水彩絵の具を併用したらにじむことを、そんなことを、幼い私はわかっていなかったのだった。父は怒らなかったのだろうか。正しさと美しさを重んじていた父は、薄汚れた家族の絵を見て何も言わなかっただろうか。かたく押さえ込んだ父との思い出は、なかなか起き上がってくることがない。
籠の中には、兄妹が夏休みで描いたポスターや授業で使っていたスケッチブックや習字教室で書いた作品などが保存してあった。保存、というには少し乱雑ではあったが、子煩悩な姿を少しも見せなかった父の秘密を知ったような気分になる。心の隙間ができたようで、悲しい薄ら寒さを感じた。次兄は籠の中身それぞれを手に取り、面白げに感想を加えるので気は紛れたが、やはり見てはならないものを見てしまったようで気持ち悪く感じる。次兄はこの、大したことのない、それでも私にとっては酷く心に影を落とす父の秘密を、どう感じているのだろう。
「もしもし」
長兄が唐突に話し出した。電話片手に小脇にはスケッチブックを抱えている。西日は陰り、薄暗くなった部屋は現実だった。思い出を楽しみに来たのではない。父の四十九日が終わったから、母の命により遺産分配前に別宅にある父の書斎を片付けに来ただけなのである。
「ええ――はい、俺と英二郎と三真子の古い絵なんかがありましたけど――母さんじゃないんですか――ええ、そうですか――今日は英二郎も三真子本宅の方に泊まると言っていましたから――ええ」
長兄の硬い声はやはり父そっくりだった。次兄はいつの間にか手に取っていたものを籠に戻して、ゆったりあくびをする。私はまだ、家庭の日の、あの滲んだ家族の絵を持っている。なぜか長兄には見られたくないと思う。
「父さんがとってたみたいだな。母さんは知らないそうだ」
電話を切り、長兄は誰かに言う。自分に言われたようには思えなかった。次兄も返事はしない。私と同じ気持ちだったに違いない。しばらく沈黙が流れていく。急に脇に抱えていたスケッチブックを床に放り、長兄が廊下に出る。そしてがさがさと音をさせながら戻ってきた。次兄が持ってきていたゴミ袋である。長兄は何も言わず、床に放ったスケッチブックをまた持ち上げ、今度はゴミ袋に放った。そして、かごに入っていた習字の作品を、自分の名前のものも次兄や私のものも、機械的に放り込んでいく。中身が増えるたびに喜ぶようにゴミ袋ががさりと音を立てる。
「捨てるのか」
嘆いて出た言葉ではなかった。次兄はただ、長兄がこれらをどうするつもりなのかと問うているだけだった。感傷はない。あっという間に薄暗くなった部屋の中でも、長兄の毛羽立った心持が肌を伝わる。
「いるのか? いらんだろう、こんなもの。わかりきったことを聞くな」
答えがわかっていることを、問うてくるなと父は言った。答えがわかっているのに問うてくるのは、心が弱いからだと父は言った。長兄は私たちに問わなかった。いるのかいらないのか。本当に答えがわかっていたからか。心が強いからか。
「父さんにそっくりだな」
次兄は呆れながらも、さきほどまで見ていた自分の「明るい社会」のポスターをゴミ袋に入れる。籠の中身はあっというまにさらわれて、あとは私が持つポスターだけになった。古い画材と墨の匂いがふわふわと体にまとわりついている。
「三真子」
長兄も次兄も問うてこない。私は二人よりはそっと、ゴミ袋にポスターを入れた。感傷はない。ただ、さっきの心苦しさというか隙間ができてしまったような気持ち悪さは幾分か消えた。私たちは押し入れに空になった籠を戻し、ゴミ袋もそのままにし、本宅へと戻った。

次兄の部屋も私の部屋も今は長兄家族の部屋になっているので、私たち二人は客間に敷かれた布団に転がった。仕舞われていたからか、木の香りを吸った布団の匂いが心地よい。まだ夜は冷える春先に、まっさらなシーツの感触がこそばゆかった。
「寝たか」
次兄が問う。
「いいえ」
答える。
「三十路を過ぎて妹と並んで寝るとは思わなかった。お前、明日は」
「私だって予想してなかったよ。明日は朝一番には帰る。午後から彼の家に行くから」
「迎えにくるのか」
「うん、十時頃には」
「ふうん。俺は明日は清一郎兄と蔵の整理だ」
「男手が必要なことは大変ね。今日の書斎の掃除だって、むしろ清兄だけで済んだんじゃないかって思うよ」
暗闇に目が慣れてきて、低い天井の木目がよく見える。昔は木目がそれぞれ恐ろしい顔に見えたものだが、今はその感性もなくただの木目にしか見えない。小学校低学年までは、兄妹みな同じ部屋に寝ていたため、顔に見えて怖くなると長兄や次兄を起こして二人に挟まれて寝たものだ。あの頃はまだ、私たちは同じように同じものを持っていたに違いない。
「清一郎兄は怖かったんだろう」
「何が」
「父さんが。俺も怖かったし、お前も怖かったろ」
「うん」
「でも、清一郎兄が一番怖がってたはずだ。あんな、子煩悩見せつけられると、余計に怖いと思わんか。だから、清一郎兄は聞いてこなかったろ、あれら、俺たちの描いた絵がいるかどうかなんて。俺はいらなかった。三真子もいらなかったろ。清一郎兄は、きっと、捨てたくなかったはずだ」
「でも、あんなに率先して捨てたのに」
次兄の方から衣擦れの音がし、私もそちらの方に寝返りを打つとやはり彼もこちらを見ていた。幼いころに戻ったときのように思える。風呂に入ったからだろうか、幾分か口元が緩んだ次兄は少年に見える。
「問うてこないのが強いってのは、違う。弱いから問えないことも多々ある」
「清兄は弱いってことになるね」
「あの人は弱いぞ」
次兄は興が冷めたのか急に尻すぼみになって、不意に眠ってしまったようだ。私はまた向きをかえ、木目を見つめる。やはり顔には見えない。きっと次兄も木目が顔には見えないはずだ。でも、もし長兄に尋ねたらなんというだろう。答えがわかることを聞くなと言うかもしれない。でも、その場合の答えとは。
テレビドラマのように、威厳ある父の子煩悩な一面を見たと、私たち兄妹三人ともが感傷に浸れたらよかったのだ。感慨深くスケッチブックの一ページ一ページに微笑むことができたらよかったのだ。だけども、長兄は感傷の情に耐えられなくなり、次兄と私は感傷を心地悪く感じてしまった。
クレヨンのみっちりした匂いが鼻先をかすめたように思ったが、眠りに落ちてしまったため夢だったのかもしれない。

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2016/03/21  「帰ってきた青い花」「霜に咲く青い花」感想
いつ買ったのか、申し訳なるぐらい前に買ったのに、最近やっと読むことができたので感想をこっそり記させていただきます。

◆「帰ってきた青い花」青い花OldGirls著/A6判/64頁/200円◆
帰ってきた青い花第一弾です。最初の短編集です。
・「いばら姫」…灯子
・「愛の風景」…篠洲ルスル
・「八時半から五時半」…詩子――――文学フリマウェブカタログより。

◆「霜に咲く青い花」青い花OldGirld著/A6判/82頁/200円◆
帰ってきた青い花第二弾です。
・「花と世界」…灯子
・「ペンギン・ザ・ストライカー/亀の記憶」…詩子
・「宇宙と君とアウトサイダー」…小菅麻美
・「青いアップルパイ甘し、いまさら私の人生など」…篠洲ルスル
・「無題」…相楽直 ――――――文学フリマウェブカタログより。

ブログやツイッターでたびたび触れさせていただいています、文芸サークル「青い花」さんの第一弾と二弾の文庫本になります。
「霜に咲く青い花」を読み終わったときにツイッターで少し触れたのだけど、本当に、いい意味で可もなく不可もなく完成された本です。良質な小説だなあ、と、改めて思いました。それぞれの小説がすべて同一のレベル(しかも水準が高い)で収録されているっていうのはすごいこと。アンソロジーというか、著者が違う短編集っていうのは、そういうばらつきやそれぞれの個性を楽しむものなのかもしれないけど、私はこういう均質な方が好きかな。
テーマも普遍的でありながら、著者の書きたいことが明確でシンプルで、ゆえに受け入れやすく読みやすい。奇をてらうことがすなわち良作であることではない証明になる、いい作品群だなあと。いつも褒めちぎってばかりで逆に申し訳ない気持ちになりながら。
青い花さんの本は何冊か持っていて、今回第一弾第二弾と読むと、最新(本当は「最後の一人」が最新だけど、私は「三十歳」しかもっていないのでそれと比べると)作との、差がまた面白い。なんというか、やっぱり、書くほどに文章っていうのは磨かれるし面白いのだな、と。篠洲さんはそれが顕著のようにも思うし、文体があえて違うのもあるのだろうけれど、話が一つ一つ繋がっていくと、後半の物語がより光って見えるなと。他の方は基本的に完結型の掌編が多いけれども、やっぱり最新作になるにつれて磨かれた感が強く感じました。

うーん。久しぶりに感想書くとどういう風に書いていいのかわからんくなるな…。

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