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2013/05/29  眠れない夜のこと
仕事で物事を考える、というよりは、相変わらず先輩との関係性を考えることが多くて、
こんな性格だからこそ、人と働く上で相手の性格が足かせになるというか、
よけいに自分の仕事の出来なさが目立ってしまうというか、そういう、こと。
こんな、誰が見ているかもわからないブログでさえ、少し気を使ってしまって
先輩に対する疑問や怒りなんかを、素直に、自分の思うままに吐き出すのはどうも気が引ける。
馬鹿な奴には思われたくなくて。
実際、馬鹿なのだけど、プライドが高いのでどうも捨てきれません。馬鹿には、なりきれない。

先輩は仕事ができて、よく気も回って、何事も先回りでやるけれど
私は自分のリズムを作りたいし、期日があればそれに間に合うようにはやるけれど
先輩ほとのモチベーションもないし、そんなに早くできないし、何より頭が回らない。
けれど、少しは任せてもらわないと、私のためには全然ならないって、私が思っている。おかしい。
馬鹿だけど、期日があればそれに間に合うようにやるし、そういうところで馬鹿ではないと思うし、
何度も何度も聞いて、覚えが悪いから先輩ももう自分でやった方が早いと思うのかもしれないけど
そこはちょっと、もう少し、手を出さないで待っていてもらえませんか。
とは、言えないのが「後輩の分際」なところ。

もう、どうしていいのかわかんないんですよ。何をどう動いたらよいのやら…
先輩早すぎるけれど、先輩よりも先にやろうとするのはまた先輩に火をつけてしまいかねないし
なんかそれも不毛すぎるし、最近では、
まあ、私には任せられませんよね。そりゃあね。
という気持ちになるので、もう何もしません。何もかんも面倒くさくなってしまいました。
こういう気持ちがまた、悪循環を生んでいるのだと思いつつも、
どこから断ち切れるのかわからなくて、そもそも私に断ち切る力はあるのだろうか、というか
そんなに前向きな人間ではないので、もう、力は残っていないわけでして
とどのつまり、あんな人間とは仕事したくないと、ちょっと本気で、日々、思ってしまうときがあること。
顔にも出てるだろうと思いながら、向こうに非があるわけではないので、なんか釈然としないわけで、
でも、釈然としない部分が私にはあるから、もうずっと、これ、この気持ちのままなのだろうか、と、
しかし、先輩もずっと今の課で私の先輩でいるわけでもないだろうから、
仕事はきっちり教えてほしいけれど、なんか、そんな態度とられましてもなあ、という、そんな…
熱意の違いなのでしょう。
私は本当に、ほとほと、熱意はないといっていいです。見せかけの熱意はいくらでも出せるけれど、
本当の熱意がなければ何事も上達しないし慣れもしない。

写真を撮ることの多い課ですが、写真の撮り方も今一つで、でも、撮ってるときは精いっぱいなんだけど
課で確認してみると、どうも、駄目だね、みたいな感じで、ああ、駄目なのか、ってなって、
じゃあどうしたらいいのかってその時は思うけれど、勉強はしないし、そして上達はしないし、
覚えようと何かをメモしても、メモしたことも忘れる始末。あほか、と、思いつつ、
そういうのをそばで見ている先輩としてはもう勘弁してよ、状態なのでしょう。私も勘弁してほしい。自分よ。
学生時分からそうでした。勉強しても、全然頭入らないというか、全然やる気ないんですよね。
頑張ることの意味がわからん、というのは、まったくもってガキの言うことですが
頑張ることの行為ってどうしたらいいの?って感じ。その心持がさっぱりわからない。

世の社会人の方々には本当に頭が上がりません。
社会を、動かしてくれている。そう思うだけで、すごい、気概がいる。
私はその歯車から、もちろん外れています。熱意がないし、仕事をしなければ生きていけないことにもピンとこない。
きっと、先輩がいなかったとしても、私は何も上達しないし仕事はできないと思う。
結局、私の問題なんだろうなあ、と、思うけど。
隣に、ある意味で怖い人が座っていると、本当に、どんよりしてしまうもの。

自分との距離も大切だとも思ったりして。
自分と、自分の距離。0距離だと、もう、誰が誰だかわかんなくなるんですよね。
他人と顔を近づけすぎると、誰かわかんなくなるみたいに、まったくもって、わかんなくなる。
それと一緒で、鏡に近づきすぎると自分がわかんなくなる。輪郭ブレブレ、誰、これ、って。
そういうの、ここ一か月ぐらいずっと。いやもう、ずっと。
それが悪いとかいいとか、自分が特別とかじゃなくって、なんだろう、とにかくブレブレで、誰かわかんなくなっている。

あー。何でもいいから、病気ですよって言ってしまわれたい。
そうしたら、また、病気を言い訳に、明日からを生きていける。
悪循環から、少しは別の、階段を、登れたらって、思うのに。

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2013/05/25  もういいかい、と、言えないままで
気付いたら読み切りを、「Marry the Night」以来アップしてない!と思ってびっくりしました。
BLもずいぶん長いこと書いてない。
以前、書いていた「夏の終わり」をまた書き直していて、そうしたらちょっとは形になるBLかけそうだが…
あ、でも読み切り自体は
「ビオトープ」で「モーリー」「おやますわり」「日付変更線」を書いているのでそうでもないか。
「モーリー」を書いていて思ったけれど、女の子のあれやこれやを書くのはとても楽しい。
「わがままな爪と爪の間にあるのはたぶん、」というお話もサイトにアップしていますがあれも楽しかった。
百合が好きってわけではないんですが、やっぱり自分が女だからかなあ。
結局、女の子のあれやこれやっていうのは、自分の実体験というかもっというと自分ですからね、
そりゃ書きやすいし楽しいなあって思うし、ウケがよいのも確かかな、というこのしたたかな…
今も、ちょっと女の子のあれやこれやを書こうというか、
最近思うこと書いてやろうと思っていたけれど、あんまりにも自分すぎてどうしようか迷いつつ、
でもたぶん、自分の好きな感じにかけそうなんで、やっぱり書きたいと思います。
自分のことを書いているにすぎないのだけれど、それは他者を理解することと同じだと思う。
もちろん、自分のことを書いているのだけれど、自分だけで物語は動かないので、
自分の知らない他者を出演させねばならなくなって、そうすると当然他者の立場に立たねば
その人の動きや気持ちやセリフなんていうのは、わかんない。
自分の、身近なことを書いていても、やっぱりそこに出演者は、いて、それは家族だったり友人だったり恋人だったりするけれど、その、人が言った言葉を書いていても、その心境はなんだろうと思うと、少し、その言葉発した自分ではない他者を理解できるような、そうでもないような。
結局まあ、それは自分の解釈だから。
でも、わかんないと思ったら、その人を主役にした物語を書くのもありかなと思っているし、今書いているのはそういう話です。まあ、全員が全員、私なんだけど。

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2013/05/20  真っ白の花は今年も咲いてた
眠れない夜が、どうしてこんなにも心許ないのか、よくわからないまま日付を跨ぐ。
お気に入りのブログやサイトが更新されていると嬉々として見に行っては、すぐに飽きてしまう。
もっと、毎日、更新してよ、って思いながら、自分にもそんな人がいてくれたらいいな、なんていう羨望を持ってみたり憧れをもってみたり。
黙って、ぽんぽんと作品を紡いでアップロードするのも好きだし、一人で創作するのはそうであるべきだとも思いながら、他の人のように誰かと語らうこともとてもしたい気持ちもあるので、それが自分の面倒なところなのかもしれない。天邪鬼?

夜、眠れないときは、大抵、昼まで寝ていた日だ。そして日中あまり動かない日。
今日は、昨日髪の毛を切ってくれた美容師さん(そのお店のトップスタイリストだと昨日ホットペッパーで知った)の影響でDVDを見てた。
今敏のパプリカと、クエンティン・タランティーノのパルプフィクション。
どちらも、つまらなくはなかったけれど、面白いというとまた、なんとも言えない作品。
いろんな人の解釈が聞きたくなる映画だった。どちらも、前に付き合っていた殿方からもらったDVDでした。付き合っていた頃に見ていたら、もう少し会話も弾んだだろうか。今更だね。

あと、夏目友人帳も読んだ。ブームになっていた頃に読むのは癪だったので今読む。
ブームのときに読んでいたら、もう少し面白く読めたか?という感じ。
ここ数日、シュールなギャグ漫画かBL漫画ばかり読んでいたので、少女漫画寄りのものを読んだのは久しぶりだった。
自分が思ってたよりも温かくて、思ってたよりも悲しい感じの話だった。アニメも見てみようかな。

本当は、綿矢りさのひらいて、か、江國香織のつめたい夜に?だかを読もうと思っていたけど、小説を敬遠してしまうのがまだ続いている。
当たり前だけど、素敵なものを読むと打ちひしがれてしまうので、あまり気が進まない。面白いこともわかっているのだけど。
そんで、この、寂寞感も、本を読むことで満たされるような感じもするのにどうしても手が出せないのは、それが満たされてしまうと自分の凹みが満たされて、自分の形が保てない気がする。
我ながら気持ち悪いことを、と、思うけれど、形が保てないことって多々あると思う。
個人的にはそういう、自分にびたりとハマるものを見つけた時に、動悸が止まなくなる、んだけど、上手く伝えられない。
しばらくするとその病気は直るけど。
体の凹凸がその人たらしめるように、心の凹凸もその人たらしめる一つの要素なんじゃないかって、なんとなく勝手に。

毎回、私は、こうやって自分が歪であることの言い訳を見つけて守ろうとするけど、どっちがいいんだろう。
心が歪で、バランスが悪いからって、誰かを責めることが許されるわけではない。
歪であるのは私だけではないから、お互いがお互いをうけいれるべきなのか。
歪でないのがいいのか、歪であることを是とするか。よくわからんけど。

器が大きくなりたいって言うけど、それは歪でないこととは別なのかな?
自分でもよくわからないけど、私が思う器が大きな人は、完璧な人だから、少なくとも歪ではないのかもしれない。
歪でも、それを覆える度量があるのだとも思う。それはもう、歪では、ない。
わからんね。わからん。
毎日、生きるだけじゃ、ダメなんだな。

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2013/05/07  散らばった文房具
昨日はなんでか寂しさで死にそうになってろくに眠れなかったけれど
一転して今日は何も思わないです。なんででしょう。躁と欝をずっと繰り返している。
でも、みんな人生そんなもんなんだなって思ったりして、なので、
私がこんな風なのも、結局世の中の理、周りがそうであるのも世の中の理。
理由がない、ことも、世の理なのかもしれません。どうでもいいな。それが、真実?

あと、人間案外、強くもないけどさして弱くもないんだなって思って、
なんでそう思ったのか、さっぱり忘れてしまったけれど、なんかそんなことを思った。
なんでそう思ったのか、を、しるせないと、なんかもったいない感じするんだけど、
たしか、自分ではなく、他の人がね、自分ではない他の人が、
言われたことに傷ついてもすぐにあっけらかんとしていたので、なんか、うーんと、
弱い人なのかもしれないけれど、決して崩れ去ったりはしないんだなっていう、なんか
あー、うまく言えない。
結局、自分にかける呪文が一番きくしタチが悪いんじゃないかっていう話で、
もっと、素直に、見えるものだけを見るようにしないとなって、
自分の呪文という醜いかすんだフィルターをとおしてしか、
最近はものを見ていなかったのかもしれなくて、
それは、もう、自分の都合の良いようにねじ曲がって、自分だけに厳しくて、自分だけに冷たくて
私だけが寂しい時間を過ごす、無意味な世界で、でも、それは居心地がよくて、
だけど、本当は、世界は、私の外の世界は誰のものでもないのだから、
フィルターなんてものはなくて、ただ、粛々と続いているものなので、
なんか、そういう、ニュートラルな目を、目をだな、忘れてはいかんのではないかという、
まったくわからん感じですね(完)ま、こんなこと言ってるのも今だけなんだろうなーという、なう。
結局、今、いいと思った結論なんかは、明日にはころっと変わるかもしれないものなので
その日暮らしで十分です。思考なんていうのは。
と思って、考えなくなるのもよくないし、どんなふうに考えたって自分と自分の間の軋轢は消えないだよね。

創作の話をしよう。そうしよう。でも、別に話すことないけど。

友達と話していて、自分は彼女の害悪にしかならないのではないか?と思う。
少し前まで、職場を休んでいた子なのだけど、本当にふつうで(それが怪しいのか?)、
そんなことがあったなんて全く思えないような子だけど。
心が優しいのか、気が弱いのか、なんともいえぬところだけど、もろもろの事情もあってお休みしていて、
その子が休んでいる間、私はその子と仲良くしていたのもあっていろんな人に
「なんで?」「どうして?」と聞かれながらも、まあよくわからんことも多々あったので
「わかりませーん」とかわしているうちに復帰という運びになったわけだけど、
今や、自分のことに精いっぱいだし、年下の彼女にしょうもない愚痴を聞かせるのもなんか馬鹿らしいし、
彼女自身が、私が職場の話をしていたときに、
「職場のこと、どうでもいいんだよねー。なんかもう、興味もなくなっちゃった」と言っていて
なんか、なんともいえない衝撃的な一言だったような、そんなような。
私も、たまに「どうでもいいわ!」と思うことはあるけど、そんなこといいつつも気になるもんは気になるわけで
そんな風に、本当に投げやりには言えないぜ、という衝撃と、
まだ若い、彼女には、苦痛かもしれないけれど、もっと自分で考えて自分で答えを見つけてほしかったというか
まだ投げるには早いだろうという、ちょっとした、すごいお節介的な憤りもありつつ、
こういのが世代格差というのだろうか、と思いながら、だらだらと一緒に過ごしたりしている。
たぶん、自分は、変なところで几帳面だししょうもないところで神経質で、
ある程度自覚もしているし改善もしたいと思っているわけですが、
そういうのと正反対の彼女を見ていると、どうしても、合わないな、と、思うところが多くて、
どうしようもなく、一緒にいたくないときがあって、なので、距離を測りかねていたりするのだけれど。
彼女の復帰後、人事課の人が私を見つけて「彼女、どう?」と聞いてきたけれど、
正直なところ私はそのときに、自分のことで精いっぱいで、彼女とはあんまり話してもいないときだったけれど
そういう、自分のことに精いっぱいなのを責められた気がして、
彼女ともっと対話をしなければいけないのではないか、という気になってきて、
そうしてGWどっか行こうかってなって、職場どうでもいいという話になった。
彼女なりに考えて、納得しての、投げやりな回答だったらいいし、
私のように苦行に耐えるようなことを強要しても、彼女は絶対に折れてしまうだろうし(馬鹿にしてるわけじゃなくて、私が多分異常なんだと思う)
だけど、考えることを放棄することに戸惑いがない(ように見える)のが、ちょっと、嫌だったんだな。
ただ単に、私がのエゴがこんにちは。
こういうの、やめたいんだけどなあ。性格かしらん。
たぶん、彼女に対して嫌悪感を抱く理由はいくつかあって、
彼女が連絡にルーズだったり主体性がなかったり語彙が少なかったり
それでも周りに甘やかされている事実だったり、そういう、私のフィルターにとおされて見える彼女が、
私の羨望を浴びているんだけれど、そういうのが、嫌やねんな。
でも、憎めないんだけど、さ。いい子なんだけど、さ。自分とは、ちょっと、ずれてるんだろうな。許容範囲外で。
結局、自分のことだけなんだよ。自分の。そういう、結論です。

こういうことに嫌悪感を覚えるとき、
例えば私の中の主軸は仕事と、友達、で、しかも大体好きの感情よりも嫌いの感情優先で動いているわけで、
それがまた己の小ささというか、世界の小ささというか、生きて見ているものの小ささというか、
そういうのを考えていくと、馬鹿らしいですのお、という、
ニュートラルな世界って、どういうものなんだろうなあ、と、思うわけでして、
たぶん、感情のない、枠組みだけの世界なんだろうっていうことも、ちゃんとわかってるんだけどさ。

ああ、もう、一日の中で、もう結論かみ合わねーよ。

さて、子どもは寝る時間。大人は泣く時間。

あと、一週間ぐらいもうずーっと左目がけいれんしてて怖い。

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2013/04/29  絶望的に晴れ渡った死にたくなる青空
「かなちゃんと私」をアップしました。
ぽろりぽろりと落とされる物語を拾っていくような、
そんな読後感があればうれしいな、と思って、これを書いています。
あと、ぽちぽち、拍手もありがとうございます。うれしいです。

結局、ちょっとくらい過去、とか、少しクセのあるもの、でないと自分の文章には核がない感じがして、
そういう要素(設定)を入れてしまうので、ちゃんと、そういうのなしで、書きたいなあと思いますが、
いかんせん、小説をちゃんと書くようになったのってBLの影響もあってなので
何にもない、日常的な一部分というのを切り抜くのって難しいのかな、と思う。
BLって、そもそも男同士の恋愛っていう、ファンタジー的な設定がまずはある。
だから、男同士の恋愛っていう部分で、非日常なわけで、すごく特異な設定が出来上がっちゃってる。
しかも、恋愛もの。この世にある物語には、絡んでこないものを見たことがないぐらい、
大きな大きな設定(要素?)。こっから解脱はなかなかできません。
でも、書いている方が、それだけじゃねーんだぜ!と思って書けるのなら、いいのか(自己完結)。
うーん。恋愛で人間が一皮むけるってのがよくわかんないんだよなあ。
でもきっと、恋愛っていうものに一番縛られてるのが私だから、そう思うんでしょうなあ。
人間同士の関わり方はいろんな形があって、その一つが恋愛。また、友情、などなど。
そういうの、しっかり考えたこと、なかったな。
嫌だ嫌だって思うばっかりで、そういうの。うー。そもそも、BLってボーイズラブなわけだから
そりゃ恋愛しか絡んでこんでしょうよっていう、まあ、その他もろもろの状況もすべて
障害物になり、それがまた、恋愛を進化させるのか?お?

で、「かなちゃんと私」の話をしよう。よくわからなくなってきた。
ぽろりぽろりと落としていくお話、というのは、なんか、こう、説明臭くなく説明ができるもの。
登場人物たちの間で当たり前となっていることを、いかに文章に紛れ込ませるか、みたいなもので、
ある意味で、読者には優しくないようなものを、書きたいと思っているのですが、
結局説明臭くなってしまうので、たぶんもう、あきらめているけれど。
設定とか、あんま考えてないので、語るとかそういうの、できないけど、
辛いときに、かなちゃんと、私の関わり方を考えると、ちょっとほっとするというか、
そういうときにこそ、書きたい・読みたいと思えるものになればいいなと思っていたりする。
自分にとって。
で、アップした「心音と眠る」を読んでいたら、ちょっとほっとして、ついでに
私っていいもの書くじゃーん!と自画自賛しつつ、しょうもないとわかりながら少し悲しくなってみたりする。
そのうち、かずくんのことも、かなちゃんの遠い親戚のことも、ちゃんと書きたいと思いながら、
別にこれ、長編の部類でよかったんじゃね?というか、長編とかでお部屋わけてますが別に意味ないな、とも思う。
ちなみにかなちゃんは「山階奏」、私は「田安まる」です。どうでもいい!
あと、手前味噌だけど「Living on a Prayer」もすごく好きで、
パブーにあげたものを改めて読んでいたけれど、アメリカンチックなものって好きだなと思った。
セリフ回しとか、地の文章も、あれは書いていてすごく楽しかったな、と思い返して、
こんなブログを書くはめになっている。なんのこっちゃ。

自分のサイトにおいていて好きなのは、「丸屋」と「ハル」と「サナトリウム」と「かなちゃんと私」。
この辺好きって言ってもらえたら、心の友になろう!とさえ言いたくなります。
どれもありきたりだけど、そういうものが好きなので。

あと、どうでもいいですがFall Out Boyのニューアルバム「SAVE ROCK AND ROLL」の
ジャケ写がめちゃくちゃ好きで、相変わらずくそみたいな腐女子の私は
ジャケ写を見るだけで萌えがとまらないので、そのうち勝手にねつ造して話一本書いちゃいそうだ。
でも、歴史や宗教の背景、お国柄などまったくわからんので(たぶんチベットかミャンマーあたり)、
本当に鼻で笑われてしまうようなもんになりそうだけど、でも、書きたいだろうな。しばらく悶々としてるだろうな。
あと一曲目の「THE POENIX」が好きすぎて、そればっか聞いてるので他の曲がわからない。

今日はいやに饒舌な私でした。明日からまた仕事とかの罰ゲームなのかと。

拍手


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