どこをみているの
2025/02/07 [PR]
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2013/07/28 愛されたかったのは君の方
ああああああああもう七月が終わってしまうので死にたい(基本的にいつも)
土曜日は髪の毛を切ってきたのだけれども、書店に行ったら角川の夏フェアかなんかで
「人間失格」など有名本のカバーが限定なんちゃらになっていて、
線香花火の写真になっていたので思わず買ってしまいました。
「人間失格」は新潮文庫の特別版みたいなのでショッキングピンクのかわいいやつ持っていて、
でも花火のも素敵やなーとおもっていたら買っていた。安いしいいんです。来年も買ってそう…
そして今日は楽しみにしていた「風立ちぬ」を見てきました。
ジブリはコクリコ坂以来になるのだろうか?実際に宮崎駿が監督するのはポニョ以来なのかな?
ポニョは全然わからーんと思っていて、というのも宮崎駿の脳内というか、哲学がどばばばあっと溢れている感じがして
そういうのを、こっちが読み解く力もないし、うまい具合に隠してある感じがして
ポニョは本当にさっぱりわからんかったので、今回もちょっと心配をしていましたが。
ネタバレをするような話でもないけれど、そもそも自分の中でちゃんとした風に見れなかったのでネタバレも何も書けないわけだけれども、今回のジブリはなんか「違和感」をずーっと感じていました。
主人公・堀越二郎になんか人間味を感じないっていうのか、いや、別に庵野が声やってるからってわけじゃないけど、いやまあ、それも十二分に影響はしてると思うけど…
それは、なんだろう、戦争の時代を描いているのにもかかわらず、二郎はずーーーーーっと飛行機飛行機飛行機飛行機。
今までのジブリの登場人物たちは、全て、美しく葛藤しながら時に醜く崩れ落ちながら、それでも人間味があったと思うのだけれども、どうも、今回の映画に出てくる二郎だけはなーんかひっかかって、ひっかかったまま終わっていきました。
なんかハウルと同じ感じ。私はハウル見たときもハウルにはずっと引っかかってたんだけどさ。
で、たまたま見つけた、風立ちぬの感想を書いているブログを見つけてそれを読んでいたら少し納得しました。という話。
なんで、その感想を書いた人のことも参考にして、もう一回見てみたいなーというのが感想でした。
宮崎駿は、今回の映画をとても正直に作ったのだそう。
人間が苦しみもがきながらも、たくましく生きていく姿も、今まで彼が描いてきた、描きたいものだったのかもしれないけれども、今回も、私が感じた「違和感」が間違いないのであれば、それはそれで、彼が描きたいと思ったというか、思っていることが描かれていたのかもしれないなーとかいう。
評論家気取りなのでした。
とりあえず感想書いておきたい!と思って。
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2013/06/30 風の日には飛ぼうとしてみる
今日はクリエーターズマーケットに行ってきました。すごい人!
文フリぐらいの規模かと思っていたらそんなわけもなく、あの二倍三倍ぐらい?
しかも、冊子ではなく雑貨が多い多い。
職場の先輩と昼ごろから周り始めたんだけど、全然回れませんでした。でもかわいいの買えたし楽しかった。
そう。そしてまた一つ、年を取りました。
なんかこの時期になると、あー、誕生日かーってなんとなく憂鬱だったけど、
最近はいろんな人(というか仲の良い人)に祝ってもらえるのがとても嬉しいと、やっと感じられるように。
大学時代から仲の良い友人のお手紙に、
「私たち、出会って六年ですね。六年の間で、にゃくは何か変わったかな。変わらないところもきっとあると思うけど、私はにゃくの、変わらないところが好きです。人と真摯に向き合うところ、それゆえに不器用なところも」
って書いてあって、なんだか嬉しいの半分情けないの半分で泣きそうになってしまった。
仕事を初めて、人と真摯に向き合ったことなんて一度もないんじゃないかっていう気持ちと、
真摯なのか、自分勝手なのか、よくわからないけれど、そうやって、人に向き合いたいと思ってきたことがこの子にはわかってもらえてたんだって気持ちがないまぜになって、なんだかよくわからない涙。
社会人になって、他人と長時間仕事をして過ごすということを経験してみて、どんどん、飲み込まれていく自分が嫌になったというか、今ももちろん、今の自分は好きかどうかと言われたら好きとは堂々と答えられないけど、なんだろうなあー、始めたころってほんとに嫌でね。なんかね。
学生時代に、思考の形について友人と話したこと、こっそりとタバコを吸ってみたりしたこと、星空を眺めると泣きそうになること、ふっと寂しさにとらわれて部屋に閉じこもってしまったこと、馬鹿笑いして不器用に誰かを想って傷つけて今ここにいること、そういうことが全部、自分の外に出て行ってしまうような気がして、社会人に染まるなんて本当に嫌だった。
けど、その子の手紙を読んでいて、離れていてもこの子は私の本質を見ようとしてくれているのかなと、なんとなく思ってふっと力が抜けた。
もちろん、その子とはもう半年は会ってないし、私の変わった部分を知らないのかもしれない、けれども、その子の言葉が私の心を打った、このことだけでもう何もいらないと思えるほどに、解放された感じがありました。
何に束縛されてたって、結局自分の思考なんだけど。
今度、夏休みをとったら彼女に会う予定なのでとても楽しみだ。
こういうこともあって、「変わる」「変わらない」なんてことをなんとなく考えていたけれど、結局環境も変われば自分も変わって行ってしまうわけで、本当に自分が願う「自分」と離れていくのかもしれない。でもだからって、駄目なわけじゃないのかな、とか。外郭が人に合わせて変わっても、自分の根本でしっかりと願う「自分」を持てばいいのかなあ。変わることへの葛藤はなくならないけど、でもなんだか、それでいいのかなあって、変わっていく自分に嘆く自分が根本だとしたら、嘆くことよりも、どっしり構えて変わることも認めればいいのかなあ。根本は変わらないでいるんだったら。
おー、よくわかんない。
でも、なんだろうなあ、自分は今のままでもいいのかっていう、少しの許しは自分に与えられた感じはする。
またすぐ、変わるかもしれないけど。
そんで、そんな許しを与えてくれる彼女や、そのほかの友人たちのためにも、その人たちだけにでも恥じない人生をって、思って。そんな誕生日でした。
で、まあ、今日は仲良しの先輩とご飯も食べてクリマ行って、色々話してて、やっぱり人と仲良くなっていくのっていいなあって思いました。
いつも近づきすぎてしまって、おかしなことになってしまうこともあるけれど、丁寧に丁寧に育んでいければいいなって。
そんな最近でした。
2013/06/15 きみのための
この間買ったイヤリングを写真にとって加工してみたら
ちょっと好きな感じになったのでツイッターのトップ画にしてみました。
アンティーク調のものは好きなのだけど、それを強調されるととたんと覚めてしまいます。
ちなみにちょこっとだけトップ画になっていたのは
今書いている「ハル」の、現在サイトにアップしている続きの部分をちょろっとだけ。
文字が並んでるトップ画って、なんやかんや、文字書きっぽいかな、という…
毎回そうだけど、
小説にしろ日記にしろ、なんか書きたいなあと思うたびに大体うまいこと言葉が紡げない。
心から、書きたい!ってもんがないからでしょうが、それにしてもひどい。
備忘録にもならない、毎日の日記です。まあ、日記なんてそんなもんか。
よく読んでいるブログがあるのですが、ブログというか、小説のようなものをつづっているからサイトかな、
そこのお話が好きで、つらつら読んでいると不思議な気持ちになってくる。
現実にはありえないような話ばかりなんだけれど、整然と書かれているので
ああ、これは本当にこの世の中の端の方ではこれがセオリーなんじゃないかって思えるぐらい、潔くて
大好きだなあ、と、いつも思って読んでいます。
ああいうの書きたいけど、私のちっぽけな空想脳ではできないし、ものを見る目がないので
あんなすばらしい空想、夢と現実が入り混じった話、は、でてこようもないだろうなって感じです。
いいなあ。ちょっとだけ、分けてほしい。きっと、楽しいだろう。あんなものが書ける人の瞳の色は。
2013/06/09 思いのほか
思いのほか、毎日やることはそんなにないのだな、ということに絶望しながら生きています。
というと、なんか毎日絶望しているみたいだけれど、
絶望というのは心の隙間の、小さなところにミクロ単位で潜んでいて、
隙間が埋まるときにそこから逃げ出してきてふわーっと滲み出すようなイメージがあって、
だから、日々、小さな絶望はしているのだけれど、毎日絶望っていうのとはまた、違うといいますか
(何が言いたいのか考えないで書きだすとこうなる良い例)
青山七恵の「ひとり日和」を読み終わりました。
勝手なイメージで綿矢りさのような感じかと思っていたら全然違った。
豊島ミホのようでもなく、川上弘美のようでもなく、当然、山田詠美のようでもなく…
(読んだことのある女流作家が乏しすぎる)
当たり前なことのに、青山七恵は青山七恵なので、誰かに似ているということはまずありえないのだけど
ある程度のカテゴライズはあるわけで、
私の中で三浦しをんと辻村深月と豊島ミホは同じグループで、
江國香織と川上弘美は同じグループで、山田詠美は一人もんって感じで、カテゴライズしているのだが
前段階の私のイメージで、綿矢りさと同じグループかと思いきや、ベン図のちょっと重なる部分、って感じだった。
しかも、ほぼ重ならないといっていいほど、重ならないぐらいの、重なってるところ。
起伏がない。まず。悪い意味じゃない。
正確に言うと、毎日わずかながらも起伏はあるんだけど、人がそれを平凡だと見過ごしている毎日の描き方、なのかなー。本人がそこまで意識しているのかはよくわかりませんが。
主人公の知寿ちゃんが、一人暮らしをしている吟子さんというおばあちゃんの家で居候をして、出ていくまでのお話なんだけど、ゆるゆる、スローライフとは違って、とにかくスローな毎日。それはもうスロー。
で、スローなままクライマックス。なので、ああ、これで終わりか、という感じです。
おそらく、日常には数えきれない別れがあって、それは劇的な別れの方が少ないのだろうけれど、そういうものも含めて毎日が過ぎていくんだってことなんだろうと、なんかよくわからんけど。
解説を読みながら、いやいやこんなドラマチックなわけはないやろーと思ったが、もう一度読みかえしたらまた気持ちも変わるかも、しれません。わかりませんが。
そんな休日でした。
そういえば、久しぶりにBLを書いています。ちょう久しぶりだ。といって、前書いていたやつの続きをやっとこ書き始めただけだけど。
最初は純文学風に書きたいと思って丁寧に書いていたはずが、恋愛要素を強く押し出そうとするとやっぱりそこに沿わせるのは難しい気がしてきて、結局陳腐なラブストーリーになる気がする。
しかし、昔(といっていつだろう)ほど持久力がなくて、「よし、ここまでかけたら絶対いいぞ!」と思いつつ、指が動かななくなる。頭の中ではそこに至るイメージも全て、出来上がってるんだけど。
それと、分量が多くなってくるとこっちがうんざりしてきてしまう。うへええ。
2013/06/01 MIKAKO
気付いたら三周年たっていました。びっくりする。
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