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2013/06/09  思いのほか
思いのほか、毎日やることはそんなにないのだな、ということに絶望しながら生きています。
というと、なんか毎日絶望しているみたいだけれど、
絶望というのは心の隙間の、小さなところにミクロ単位で潜んでいて、
隙間が埋まるときにそこから逃げ出してきてふわーっと滲み出すようなイメージがあって、
だから、日々、小さな絶望はしているのだけれど、毎日絶望っていうのとはまた、違うといいますか
(何が言いたいのか考えないで書きだすとこうなる良い例)

青山七恵の「ひとり日和」を読み終わりました。
勝手なイメージで綿矢りさのような感じかと思っていたら全然違った。
豊島ミホのようでもなく、川上弘美のようでもなく、当然、山田詠美のようでもなく…
(読んだことのある女流作家が乏しすぎる)
当たり前なことのに、青山七恵は青山七恵なので、誰かに似ているということはまずありえないのだけど
ある程度のカテゴライズはあるわけで、
私の中で三浦しをんと辻村深月と豊島ミホは同じグループで、
江國香織と川上弘美は同じグループで、山田詠美は一人もんって感じで、カテゴライズしているのだが
前段階の私のイメージで、綿矢りさと同じグループかと思いきや、ベン図のちょっと重なる部分、って感じだった。
しかも、ほぼ重ならないといっていいほど、重ならないぐらいの、重なってるところ。
起伏がない。まず。悪い意味じゃない。
正確に言うと、毎日わずかながらも起伏はあるんだけど、人がそれを平凡だと見過ごしている毎日の描き方、なのかなー。本人がそこまで意識しているのかはよくわかりませんが。
主人公の知寿ちゃんが、一人暮らしをしている吟子さんというおばあちゃんの家で居候をして、出ていくまでのお話なんだけど、ゆるゆる、スローライフとは違って、とにかくスローな毎日。それはもうスロー。
で、スローなままクライマックス。なので、ああ、これで終わりか、という感じです。
おそらく、日常には数えきれない別れがあって、それは劇的な別れの方が少ないのだろうけれど、そういうものも含めて毎日が過ぎていくんだってことなんだろうと、なんかよくわからんけど。
解説を読みながら、いやいやこんなドラマチックなわけはないやろーと思ったが、もう一度読みかえしたらまた気持ちも変わるかも、しれません。わかりませんが。
そんな休日でした。

そういえば、久しぶりにBLを書いています。ちょう久しぶりだ。といって、前書いていたやつの続きをやっとこ書き始めただけだけど。
最初は純文学風に書きたいと思って丁寧に書いていたはずが、恋愛要素を強く押し出そうとするとやっぱりそこに沿わせるのは難しい気がしてきて、結局陳腐なラブストーリーになる気がする。
しかし、昔(といっていつだろう)ほど持久力がなくて、「よし、ここまでかけたら絶対いいぞ!」と思いつつ、指が動かななくなる。頭の中ではそこに至るイメージも全て、出来上がってるんだけど。
それと、分量が多くなってくるとこっちがうんざりしてきてしまう。うへええ。

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