どこをみているの
2025/02/07 [PR]
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2013/06/30 風の日には飛ぼうとしてみる
今日はクリエーターズマーケットに行ってきました。すごい人!
文フリぐらいの規模かと思っていたらそんなわけもなく、あの二倍三倍ぐらい?
しかも、冊子ではなく雑貨が多い多い。
職場の先輩と昼ごろから周り始めたんだけど、全然回れませんでした。でもかわいいの買えたし楽しかった。
そう。そしてまた一つ、年を取りました。
なんかこの時期になると、あー、誕生日かーってなんとなく憂鬱だったけど、
最近はいろんな人(というか仲の良い人)に祝ってもらえるのがとても嬉しいと、やっと感じられるように。
大学時代から仲の良い友人のお手紙に、
「私たち、出会って六年ですね。六年の間で、にゃくは何か変わったかな。変わらないところもきっとあると思うけど、私はにゃくの、変わらないところが好きです。人と真摯に向き合うところ、それゆえに不器用なところも」
って書いてあって、なんだか嬉しいの半分情けないの半分で泣きそうになってしまった。
仕事を初めて、人と真摯に向き合ったことなんて一度もないんじゃないかっていう気持ちと、
真摯なのか、自分勝手なのか、よくわからないけれど、そうやって、人に向き合いたいと思ってきたことがこの子にはわかってもらえてたんだって気持ちがないまぜになって、なんだかよくわからない涙。
社会人になって、他人と長時間仕事をして過ごすということを経験してみて、どんどん、飲み込まれていく自分が嫌になったというか、今ももちろん、今の自分は好きかどうかと言われたら好きとは堂々と答えられないけど、なんだろうなあー、始めたころってほんとに嫌でね。なんかね。
学生時代に、思考の形について友人と話したこと、こっそりとタバコを吸ってみたりしたこと、星空を眺めると泣きそうになること、ふっと寂しさにとらわれて部屋に閉じこもってしまったこと、馬鹿笑いして不器用に誰かを想って傷つけて今ここにいること、そういうことが全部、自分の外に出て行ってしまうような気がして、社会人に染まるなんて本当に嫌だった。
けど、その子の手紙を読んでいて、離れていてもこの子は私の本質を見ようとしてくれているのかなと、なんとなく思ってふっと力が抜けた。
もちろん、その子とはもう半年は会ってないし、私の変わった部分を知らないのかもしれない、けれども、その子の言葉が私の心を打った、このことだけでもう何もいらないと思えるほどに、解放された感じがありました。
何に束縛されてたって、結局自分の思考なんだけど。
今度、夏休みをとったら彼女に会う予定なのでとても楽しみだ。
こういうこともあって、「変わる」「変わらない」なんてことをなんとなく考えていたけれど、結局環境も変われば自分も変わって行ってしまうわけで、本当に自分が願う「自分」と離れていくのかもしれない。でもだからって、駄目なわけじゃないのかな、とか。外郭が人に合わせて変わっても、自分の根本でしっかりと願う「自分」を持てばいいのかなあ。変わることへの葛藤はなくならないけど、でもなんだか、それでいいのかなあって、変わっていく自分に嘆く自分が根本だとしたら、嘆くことよりも、どっしり構えて変わることも認めればいいのかなあ。根本は変わらないでいるんだったら。
おー、よくわかんない。
でも、なんだろうなあ、自分は今のままでもいいのかっていう、少しの許しは自分に与えられた感じはする。
またすぐ、変わるかもしれないけど。
そんで、そんな許しを与えてくれる彼女や、そのほかの友人たちのためにも、その人たちだけにでも恥じない人生をって、思って。そんな誕生日でした。
で、まあ、今日は仲良しの先輩とご飯も食べてクリマ行って、色々話してて、やっぱり人と仲良くなっていくのっていいなあって思いました。
いつも近づきすぎてしまって、おかしなことになってしまうこともあるけれど、丁寧に丁寧に育んでいければいいなって。
そんな最近でした。
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