どこをみているの
2025/02/07 [PR]
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2013/09/15 つれづれの
今日は日記らしい日記を書けそうです。
姉の仕事が浜松であったので、私も便乗して一緒にホテルに泊まることに。
私はなんのことはないノープランで、姉が地元を出発するよりはるか数時間後に名鉄とJRを乗り継いで浜松へ。
名古屋近郊に住んでいるので、在来線でも1時間半ぐらいで浜松に着いちゃうもんですね。静岡だともう1時間ぐらいかかるようです。
姉はもっぱら仕事なので、どうにか三時間ぐらいつぶさねばと思って、下調べしていた浜松城へ。一泊二日だし、どうせ浜松駅近郊しかうろうろしないのでレンタカーを借りるつもりもなく、ふらふらバスに乗って行ってきました。運賃140円。大学時代、茨城のバスによく乗っていたのだけどまったくの破格だと思いました。140円て!
そんで、千円しかなかったもんですから両替をしようと両替機に突っ込むものの、どうやっても千円札が戻ってきてしまって。なんだこれ、と悪戦苦闘していると見つけた「入金」ボタン。これ押さないといけないみたいで、運転手さん、教えてくれよ!と心で非難しつつ小さい声で感謝の意を述べ降車。
浜松城、だけじゃなく、きっとお城はみんなそうなんでしょうけど、高いとこにあるんですね。そんなにお城を巡ったことはないけど、二条城以外はみんな高いところにある。そりゃどんなに小さくたって一国城主の持ち物、国を見渡せるところにないといかんですよね。しかし、遠くから見るとやっぱり小さい。お城って意外に全部小さかったりしますね。
浜松城は、城址自体が公園になっていて(これもみんなそうなのか…?)、ゆっくり迂回するように坂を上ってお城へ。改修工事をしていたのもあるし、周りがうっそうとした森っぽくなっていたので見晴らしがいい!ってわけでもなかったです。ついこの間、犬山城に行ったのでよけいにそう思ったのかも。犬山城はおすすめです。すごいですよ。
でも、一人でゆっくり公園を歩くなんていうのは久しぶりだったので、汗だらだらかきながらもだんだん面白くなってきちゃって笑えました。
そんで、近くで見た浜松城はやっぱり小さい気がする…でも、犬山城の方がもっと小さいのでまあそれなりのお城なのでしょうか。
しかし一人でお城なんか登っちゃったので、きっと歴女だと思われたに違いない(にわかなのに)。汗をふきふき天守閣へ。森が邪魔…と思いつつ、遠くにかすむ富士山を発見。風通しもよかったので何度も外のベランダ(名前がわからん)をぐるぐる歩いていました。絶対変人に思われたに違いない。
そして降りてきても時間がそんなにつぶれてない…とふらふらしてたら浜松市美術館を発見。「やなせたかしとアンパンマンのキセキ展」なるものをやっていたのでふらりと入りました。美術館の展示って当たり外れが大きいのでちょっと勇気いるんですけどね。前に愛知県美術館にクリムトを見に行ったときはちょっとしょんぼりしたし、やっぱり美術館は一人で行くものだ!と思って。
そんで、それが、もう、すごくよかった。
アンパンマンだけじゃなくって、初期の作品とかもいっぱいあって(個人的にはビールの王様が好きだった)、そのほか、やなせたかしの詩や童話とか、そういうのもいっぱいありました。94歳の人生が(かけらほどかもしれないけど)いっぱいつまってて、やなせたかしの人生をちらりと追体験できたような気にもなって楽しくもありました。
やなせたかしは多彩というのか、器用な人なのか、はたまた不器用なのか、どんなこともやってるんですよね。ほめる人はあなたは器用ね、けなす人はお前は何でも屋だな、なんて言われながら舞台美術や作詞やその他もろもろ、たくさんのことにかかわっている。
私は、そういうのを見ながら、で本当だったらすこしねたむ気持ちも普段だったら持っちゃうはずなのに(なんという厚顔無恥)、全然そんな感じがしなかった。それは、やなせたかしが終を待つ老人だからというよりも、人生の大きな流れに逆らうことなく、のびのびと生きているのが伝わってきたからかもしれない。なんだか、日向のような人なんだと、勝手な所感を得ました。
人生の流れが逆流だろうと清流だろうと、人生に抗うことはせずにそれでも意志がない人生っていうわけじゃない。人生を受け入れるっていうのは、こういうことなのかなって思ってしまうほど、なんだかすごく壮大なものを目の前にした感じがしました。上手くいえないんだけど。
きっと、まあ、やなせたかしの展示なので、「やなせたかし」自体に嫌な雰囲気を与えるようなものではないことはわかってるんだけど、そう思わずにはいられない感じ。
展示を見ながら、なんとなく「風立ちぬ」の堀越二郎も思い出しました。ちょっと似てるような気がするけど、堀越二郎の方が大分変だけど、やなせたかしも、堀越二郎のように、すごく純粋で、それゆえに残酷で、そしてその愛しさと悲しさを知っている人なんだと思いました。
印象的だったのは、アンパンマンの現がが何枚かあったんだけど、それの色使いが結構悲しいものが多いなっていうこと。ちょっと悲しくなってしまったけど、アンパンマンが戦ってるのはこういう世界なんだなーって思って、それもまた、心にきました。
で、姉と合流して夜は浜松餃子を食べました。夜は、姉が次の日も早いというので一人ナイトランプで三島由紀夫の「金閣寺」を読み始めてみたり。ずっと読みたいと思いながら、全然読めてなかったのでじわじわと。しかし、三島文学はほんとにほんとに三島由紀夫の美学がふんだんに使われているので若干めまいしますね。読めるだろうか…
そして朝になって、寝たのか寝てないのかわからないままホテル出発。姉は相変わらず先に出ていたので私はまた一人で浜松の町をぷらぷら。本当なら、静岡市の友達に会いに行く予定だったんですが、台風がよくわからないのでやめておいたのはいいものの、9時から12時まで時間をつぶさねば…となり、映画を見ることに。
旅先で映画を見るっていう頓珍漢な感じもちょっと面白くって、そして無性に見たかった「キャプテンハーロック」を見てきました。9月15日9時15分からの回。なんかちょっと面白い。でも、内容的にははあ、って感じで、というよりも、小栗旬の声にちょっとがっかり。
話は、原作が松本零士なので古さは否めないし、まあいいんですよ。でも、声が!あと、壮大なくせにハーロックが海賊になった理由それかよ!みたいな感じで、あんまり感情移入できないままでした。なんかみんな、人物像浅くないか?っていう、まあ、映画のアニメなんかそんなもんかな。なんかもう、ハーロックがどじっこに見えてくる不思議。
で、キャストも、三浦春馬を始め俳優さんたちもすごく合ってるのに、なぜか主人公(?)の小栗旬が浮いているという事態。私が気にしすぎたのでしょうか…どっちかっていうと、ハーロックの敵でヤマ(三浦春馬)の兄・イソラの声をやってた森川智之がハーロックの方があっていたんじゃ…という…
ちょうど見終わったら時間になったので、駅をぶらぶらして姉と合流し帰ってきて今に至ります。
三連休っていいですね。たくさん遊んだ気になる。
だからといって、仕事が頑張れるわけではないんですが…
とにかく個人的に、ほんとうにやなせたかしがよくって、もはや何がよかったのかわからないレベルなんだけども。
こういう気持ち、まだ自分でも持つことができるんだなって思って、少し嬉しくなりました。
あと、アンパンマンからも「日常生活に潜むゆがみ」が見て取れるので、それがまたいい。
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2013/09/05 Sunday Morning
最近は、仕事中もプライベートもぼーっとしてしまうことが多くて
いつのまにか業務時間も終わり、そそくさと帰る時間になってることが多いです。
何をするでもなく、仕事したんだかしてないんだかわかんないまま終業になり、
先輩たちの小難しい話は聞くに堪えず、そそくさ帰ってくる毎日。
自分があまり仕事できないんだなって思うのは、
先輩たちの話がなんとなく理解はできるんだけど、細かい、どうでもいいことが気になって
腑に落ちないとそこから先に進めないことだと思う。
進めないっていうか、面倒くさくなってくるんですよね。
その点、男の人ってちゃんと動くよなーっていうか、私が自分の感情に左右されすぎなだけなのかもしれませんが…仕事どんどん嫌いになっていく。
今日、他課の先輩と帰りにちょっと話してたときに、なんかの拍子に先輩が
「でも、この先行くところは絶対今の課と同じぐらい大変か、今よりもっと大変だろうよ」
なんてことを捨て台詞にして去って行ったもんですから、なんかより茫然自失というか投げやりな気分であります。そんなことはどうでもいいんだけど。
高校時代の友人が仕事で悩んでいるらしく、
それは私にも当てはまるような、つまりは人生設計みたいな話だったんだけども、自分のやりたいことがないし、自分は不安定雇用だから親にも申し訳なくって心配だ、なんてことで、
私は正社員で不安定雇用でもないし、親に申し訳ないって気持ちはあんまりないんだけど、人生設計を考えなければいけない点ではその子と一緒で、その子の焦りや不安もよくわかんですよね。
たぶん、働いている人は何度もそういうことで不安になるだろうっていう、
普遍的っていえば普遍的な、そんな悩みで、ああ、この子も苦しいんだろうなとは思ったりもしんたんだけど、結局、どうしたいのかって本人次第なわけなんですよね。
難しいところで。
その子とメールのやりとりしながら、結構私は冷たい人間っていうか、自分のことで精いっぱいな人間だなってちょっと改めて思ったんだけど笑
私は、やりたいこというよりも、好きなことはあって、それはもちろん小説を書くということだけれど、もうそれでどうこう自分の人生ができるのかどうかもよくわかりません。
もちろん、今の仕事はすごく嫌いだし、他の課に移ったとしてもそれはきっと一緒だとも思う。だって本当に、やりたいことなわけではないから。
だけど、この世の中に、例えば自分の身近でも、本当に「この仕事だ!」って思いながら仕事をしている人なんてほとんどいないと思ったりもして。
そりゃ、やりたいことをやってる人もいるだろうけど、それにはそれ相応の努力や実行力が伴っていると思ったりもする。
そういう人が、例えば勝ち組に見えるとしても、別にだからって私たちが負け組かっていうとそうでもないんじゃないかな、とも思うわけです。
だって、やりたいことないことがダメとか、そんなわけないから。
その子がいう「やりたいこと」っていうのは、人生の長い時間なくすことのできない趣味だったり職だったりすると思うけど、別にその時その時の楽しみたいことでも全然いいと思うんだけどな。違うのかなあ。
正直、その子とちゃんと話したわけじゃなくって、抽象的なことだったから、あんまり的を得なかったのかもしれないけど、お互いに。
まー、私はきっとこの先も少しずつでも小説を書くだろうし、かなうならばそれを職にもしたいけど、半分半分ってところです。気持ち的には。
難しいからね。どうなるかわかんないし。
働くって難しいなーっていう。
職場でもちょっとごちゃごちゃしたことがあって、先々週ぐらいはまじでみんな死ねってホントに思ってたけど、そういうのをやり過ごすとまたみんなふつうに戻っていくもんですね。
なんだかな。いいんだけどね。
そういう波が、いつか耐えられなくなるんじゃないかってちょっと怖い。
耐えられなくなったからどうだって話だけど。なんか疲れたなー。
そういう、毎日です。
2013/08/25 友人曰く
ふれてほしくないことや、ふれてほしいとおもうこと
そういうことをないまぜにしながら、人生は日々、ぐるぐると巡っていく。
なんだかもう、いろんなことがばからしくなってきて、
それはおそらく、自分の中の理想と現実があんまりにもかけはなれていて
それでどうして、いったいどうして、なんで、こんなにもつらい目を見なければならないのかって
そればかりを案じて、辛くて、自分が世界で一番の不幸者のような気がして、
そんなことあるわけないこともわかりながらも、それでも、不幸で、泣いてしまう。
今もまだ、完全に立ち直ったわけではないけれども、一度泣いてしまえば、もうしばらくは大丈夫そうだ。
2013/08/19 There is Nothing Sad in This World
ずーっと書いていないような気がしていたのに、別にそんなに経っていませんでした。
先週は夏休みをもらって大学時代の友人と神戸へ。その後、私の実家にやってきて名古屋も散策。
暑い中、ぐだぐだ言いながら、思い出した言葉を真剣に話したり不真面目にごまかしたりして
素敵な四日間を過ごせました。本当に楽しかった。久しぶりに、ああ、私、ちゃんと生きてるって感じして。
正直、何をしたのかすっかり忘れたんだけれども、ただただ、煌びやかな時間だったことは覚えてます。
覚えてるというか、感覚的に思い出す感じがする。昨日までが夢みたいで、それが思い出の証拠というような。
仕事をし始めて、ずっと腐ってて、うかない自分でいて、それでも、彼女と話すとすぐに浮上できる。
それはきっと、彼女が彼女なりに、私のことを認めてくれていて、
私は彼女のことが大好きだから、そのことが本当に糧になっているんだと思う。
不意に、「裏切る」ってどういうことだと思う、なんて聞かれたりもしてどぎまぎしながら答えていたけれども
結局、一つの出来事はそれ単体で存在するのかもしれないけれども、
見方は決して一つではないので、やっぱり複数存在するように見えるんだなっていうのと、
いつどんなときでも、そういう真摯な質問には、相手が納得しなくても理解が得られなくても
自分なりの答えや言葉をもっていられるような人でありたいと思いました。うまく言えないが…
ずーっとたまっていた言葉を、彼女に向けてたくさん放出できたと思う。
今の身近な人には絶対にわかってもらえないんだってあきらめていた言葉も、
彼女にならなんでも言えるのは、きっと彼女もまた、私にいろんな気持ちを向けてくれるからだろうし、
よくわからないところもあるのだけれども、そういうことすら愛おしいと教えてくれたのも彼女だった。
神様みたいな人なんだな、って、改めて思った。
というわけで(?)旅行の写真を、ブログらしく載せてみます。
仕事で云十万のカメラ使ってる割に、自分のカメラは何世代も前のIXYなのですごい粗いけれども…
なんかよくわからない花
六甲山牧場で放し飼いにされていた羊。あやうく踏みそうに。
イケイケすぎるヤギ
友人が餌をあげるとむらがってくる鯉
こんな旅でした。
2013/08/07 セレンディピティ
いつも、小説アップしたら書こうと思うのに、毎回忘れるわ……
小説を書くのが好きだなー、と、思いながら、今回アップした「セレンディピティ」を書いていました。
どうってこともないのだけども、なんか、色々考えあぐねたけど、やっぱ好きだなーってなんとなく。
毎回、そういう気持ちを忘れるけど、私は書くのが好きだから小説を書くし読むし、泣くし笑うし、そういう感じだと思いました。
(大体最後は自信がなくなる)
今回の「セレンディピティ」は、三周年のリクエストで「美しい指」もしくは「枯れた花」というテーマを頂いて、最後までずっと迷ったのですが「美しい指」にしました。テーマに添えたのかは甚だ謎だが。
前に、ピアノを弾く人の指は、その優雅さに反して(というのも失礼か)意外に無骨だよなーと思っていたらこういうことになってしまいました。
指、というのはその人の生きてきた時間や性別、想い、とかが出やすいのかなーと思います。知らんけども。そういうの書きたいなあって。
まあ、私が書くときのお決まりのラストって感じになっちゃって、ホントはもう少し後味悪い終わり方にしたかったけど、まあ、こういうのもいいよねーってなっていつもどおりに。
ただ、久しぶりにこの分量をかけて楽しかったです、ほんとに。
リクエストありがとうございました。
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