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2014/07/13  GreenShower
現在、こんなものに参加しています。
「言葉でハートを打て!」(http://necotoco.com/nyanc/bunfreeosaka_ug/kotohato/
ジャンル分け(リーグ)して、投稿のあった小説のアクセス数が多い方が勝ち、というイベント(?)。
いつもなら素通りなんですけど、フェティッシュリーグというのにBLなんて文字があったので、じゃあ投稿してみようかな?という気になって投稿してみました。
投稿数も多いと思っていたので、私の書くBLが好きだと言ってくださる人が一人いれば嬉しいな、程度だったんですけどなんと私ともう一方しかいないという現実。恥ずかしい…死にたい…
投稿したのはサイト掲載している「しのぶれど」の少しだけ改訂版です。そのうち掲載しているのも直そうとは思っているのだけど。
本当は純文学リーグというのがあって、そっちに投稿してみたかったんだけど、投稿できそうなものって、文フリなどに出している「ビオトープ」とか「さよなら」に掲載しているお話なんですよね。
本当なら、うん、私はサイトに全文掲載したいと思うし、パブーでもなんでも、無料公開したいと思う、けど、そうすると良く書けていると思うものがネットの海に埋もれてしまうんですよね。人並みには自己顕示欲があるし、それなりに自分が面白いと思うものを書けていると思うから、読んでほしい、となると、イベントでの本を販売するのがいいのかな、と。少なからずとも、私が書くような話を好きだなと思ってくれる人が買って行ってくれるわけじゃないですか。たぶん。

ということで、アクセス数で決まるらしいので、来週の土曜日まで、読んでいただけると嬉しいです。
(でも二作あったらどっちも目をとおすからアクセス数の差ってそんなでないんじゃ…?)

さて、最近やっと本を読もう!という気持ちが出てきまして、文学フリマで買った本をちまちま読んだりしてます。読んだらこれからはちゃんとブログに感想をつけていく所存。
ブクログでもいいけど、あれ画面見ると打ち込む気力が一気に失せる仕様になってると思う(私だけだな)。
で、金曜日に通販をお願いしていた本が届きましたので、この土日はそれを一生懸命読んでいました。
森瀬ユウさん(とぎれない、いつかhttp://skyer.soragoto.net/)の「独りの青」と「BBHHH」
です(どちらもサンプルがサイトから閲覧できます)。
イベントに出てもらえないかな~と淡い期待をいつもしているんですが(笑)、「BBHHH」が6月から通販が始まっているということで、読みたいと思うものを読まずしてどうする、と、珍しくアクティブな方のこんにゃくが叫んだので通販をお願いしました。
まず、最初の感想は「BBHHH」の装丁の綺麗なこと。
クリアカバーがついていて、本体の表紙と重ねるとすごく綺麗です。アーティスティックだな~!と。以下、感想です。

*****

「独りの青」
A6判/フルカラーカバー/168頁/500円
連作小説です。冒頭でもありますが、「高橋」という男の子が死んだことを軸にして「高橋」と関わりのあった男の子二人が「高橋」を通して他者と向き合うお話(だと私は解釈した)。
文庫サイズで、各話もそんなに長いわけではないですが丁寧に書かれているから、一文の密度がすごいです。何回か行ったり来たりしてしまいました。
あと、色がとても象徴的です。黒、赤、青。「独りの青」というので、青に言及される場面が多々ありますが、人物たちの心持を影響してか全体的に薄暗く重々しい色付きをしていました。
「高橋」という男の子が亡くなったビルが「墓標」のようだという表現があるのですが、私はビル自体が「怪物」のような印象を受けました。心の闇を体現してるような感じ。
話全体を見ると少しできすぎているきらいがありますが、とにかくその文章の密度。一秒一秒僅かに変わっていく心境を逃すことなく余すことなく描写してやろうという気配。
人物たちの内側を相当練り込んだのだろうと思いした。
テーマは「暴力」や「受容」でしょうか。私は「独りの青」は、他者を受容するには自身を受容する必要があり、それができるようになった、少年たちが青年に成長したお話なのだと思います。最初と最後の挿話みたいなものが好きです。

「BBHHH」
A5判/フルカラー(カバー付き)/206頁/原案:ヒッカユウ/小説:モリセユウ/1,500円

これは原案が森瀬さんではないようですが、文章は「独りの青」と同様すごい密度です。
ハードカバーと同じ大きさで、密度もあるのでかなり読むのに力がいりました(良い意味で)。
上述したけど、カバーが素敵。綺麗です。
これはちょっと特殊な兄弟のお話ですね。「先天性無眼球症」のため、生まれつき右目が無い兄・神無と、親が遺伝子を操作してデザイナーチャイルドとして天使のような養子を持つ弟・晶馬。その二人の生活が軸となり、二人の関係性が粘りのある文章でつづられます。
しかも後半に個人的には「えっ!?そうなの!?」というシーンもあり、びっくり。
兄と弟の視点で物語が動くのですが、とくに兄の語り口がすごく落ち着いていて深海のよう。物語全体も、すごくすごく深い海の底でじわりじわりと進むような感じ。読みにくい人は読みにくいかもしれませんね。
でも、その後半の「え!?」ていうところからぐんと色づいてすごく艶やかになる。やはり色が印象的でした。水槽の中の兄弟を観察しているような気分になった。
これもやはり「他者の受容」がテーマなのかな、と思う。ただ、「独りの青」と違って、「BBHHH」は受容でき「なかった」方かな、と。あ、個人的所感です。あとは「家族」かな?
冒頭、晶馬が神無の部屋に忍び込むシーンがあるのですが、そこがすごく好きです。してはいけないことへの僅かな高揚がすごく伝わってくる。

しかし、どちらも文章の密度、書いていることの重量というのか、中々にずっしりしています。読みごたえあり。
「BBHHH」のタイトルの意味が私はどうしても知りたい(笑)
どんな意味なのか…最初は遺伝子とかかなと思ったけど、遺伝子ってATCGだしなあ。
と思って今なんとなく検索してみたら「Blessed Be Her Holy Hooves」って出た。
しかしピンクのユニコーンではないでしょうが、Blessed youみたいな感じなのかな。

***

てな感じでした。ネタバレにならんように書くのって難しい…
最近は自分の小説ばっかり読んでいたので、人さまのものを読むのはすごく刺激になってよかったと思います。
森瀬さん、ありがとうございました。

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2014/07/08  The Thousand Miles
少し前にヴァネッサ・カールトンという女性洋楽歌手の「サウザンド・マイルズ」という曲がはやったそうです。というか、私がこの間借りたヒットソング100みたいなアルバムに(相当ダサいネーミングだな)入ってたのがこの曲。
最初はなんかぴんとこねーなーとおもってたんだけど何回も何回も聞いてるうちにハマってしまいました。どうでもいい話ですが。
噛めば噛むほどじゃないけど、サビらしいサビがなくて、こうちょびっと盛り上がりにかけるとでもいいましょうか、微妙なんですよ。微妙。だからかな、聞いてるうちに「あ~盛り上がるぞ~」ってなるのに盛り上がらないというか。そこが好きだけど(笑)。
サビっぽいところの歌詞で、

If I could fall into the sky,Do you think the time would pass me by?
Cuz you know I'd walk a thousand miles,If I could just see you tonight.
もし空に落ちて行けるなら、時間は私を通り過ぎていくと思う?
だってあなたは知ってるでしょう、私は今夜あなたにただ会うために1000マイルも歩けるのよ

といった感じなんですが、なんかイマイチ意味がわからなくて、色々深読みというか、歌詞の状況ってどういうことなんだろうって私なりに色々考えています。最近よくね。
空に落ちていくって、比喩表現なんだろうけど、それぐらいの絶望なんだろうか。
空に落ちる、って、そういえば金原ひとみの「星に落ちる」ってのにも出てきたけど、あんまりにも夜空を見つめていると落ちて行きそうになる、って話でして、そういうこと?(どういうことだ)
時間が私を通り過ぎていくってなんだろうなあとか。通り過ぎるというか過ぎて行ってしまうというか、自分が取り残されるってことでしょうかね。そこに留まりたいのかな。
ちなみにラブソング?失恋ソング?なのでまあそんなとこなのかなあ。
二行目はとても好きで、あなたは知ってるでしょう、って言い方がすきです。見透かされてるんだよね、っていうのもあるし、でも案外相手は何も考えてなかったりするんですよね。そういうとこね。

なんでこんな話してるんだろう。そういえばもう7月でしたね。こわ…
夏が嫌いっていうのは常々言っていますが、最近一年の中で夏が一番長いんじゃないかって気がしてきますね。怖やこわや。

あと、9月14日に大阪文学フリマ参加します。
持っていくものに関しては「ビオトープ」の残部(10もないぐらい?)と「さよなら」(これも10ぐらい)と無料配布本作れたらいいなあと思っているところです。
「ビオトープ」は一番最初にBoring To MEを持ってきてしまったせいで絶対読みたくないよなこれ、と自分で思ってるぐらいにはなかなか読みづらいよなあと思っておりまして。
一方「さよなら」は最初はセレンディピティーで柔らかい感じだと自分では思ってるんだけど中二つがどぎつめ(だと自分で反省している)なので、詐欺かな、とか思っていてですね…
まあ、買ってもらえなくても、無料配布にしたら誰かしらが持って行ってくれて、あ、これいいなあって思ってもらえればその後、いいなと思ってくれた人が買ってくれるかな、とかいう、浅はかな…
私のふり幅?というか、ポップなのもどぎついのもいいなあ、って思ってくれる人に買ってほしいというか、どっちかに騙されないでほしいというか(大変自意識過剰ではございますが)。
どっちも私、好きなんだけどね。ただまあ、どぎつい方が「書いた!」って感じはするけどね。
そのうち、BLだけ集めて本作りたいんだけど、これはもうほんと売れるかよくわかんないからちゃんとBLのイベントとかでやりたいんですけど。これ出たら結構私、やりたいこと終わるかも(笑)

あと、近況としては先輩(女)の結婚式に招待していただいたことかな。
同じグループではあったんですが、去年までは別の仕事をしていた先輩。
今年から私が直下になって、そんな年も変わらないんだけどすごく真面目で仕事をきちっとこなす先輩すごいと思ってて、でもすごい嫌われれるんじゃないかって思っててですね。
嫌われてるというか呆れられてるというのでしょうか。これまた私のよくない癖なんだけど。
だけど、先輩がにゃくちゃんにぜひ、結婚式に来てほしいんだよねって言われてもうめちゃくちゃうれしくて、なんか久しぶりに言葉を上回る感情というか、しょせん感情は言葉じゃ表現なんてできないんだなって思い知ったといいますか。
感情に追いつく言葉なんて、いっこもねーんだなっておもって、だからこそ、いつも真剣に、やっぱり言葉を選んで間違えて、また選んで、間違えてを繰り返すのかなってちょっと合点がいったというか。うまくいえねーなー(ほらまた!)
ちょうど同時期に、誕生日だったので同期からもらった手紙に「にゃくはいつも言葉を真剣に選んでいるよね。そういうスタンスが好きだよ」って言ってもらえて、そんなに言葉選んでるかなと思ったけど、正直そんなに選んでるつもりはないんだけど、でも、そう言ってもらえて光栄でした。
私は、やっぱり、自分のための言葉しかつかえないけど、私の好きな人たちのためにも言葉を使いたいし、そういう人たちに恥じない言葉選びをしたいなと思いました。全然たりない私の貧弱な語彙で、どうにか振り絞るたった一つの言葉を、私の大切な人たちのために使いたいですな。だから、やっぱり、修練しなきゃなあというのが、なんとなく、25歳の目標です。
あー歳いっちゃった(笑)

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2014/06/17  非常識な不安
やることがないなあと思うと大体パソコンをつけてぼうっとネットサーフィンなんかをしているのだけれど、大体見るサイトっていうのは決まっていて、というのはほとんどが人様のブログなのだが、自分でもサイト巡礼する順番が決まっている。そんで、その順番にのっとってブログをチェックするのだが、更新がされてないとすごくそわそわする。というか、すごく、自分の居場所がない感じがする。で、たまに更新されていたりすると自分の存在が許されるような気がして、大したことの書いてない記事でも(失礼な話だ)何回も読みかえしてしまう。

何度となく言っているのは、私はウェブの小説が全然読むことができない輩なので、読みたいと相当思わないと目が進まない。読みたいな~とか、作者の方に興味があるな~とか、でも、中々読めない。なので、自分でウェブに小説をアップして読んでもらっているのに、私はそういうところでギブアンドテイクができない。ほしがりなのだなと改めて思う。
まあ、それはよいとして。

なので、自分は誰に求められているというわけではないけれど、ブログはできるだけ更新したいなというか、ブログぐらいしか自分は気軽に読めないし気軽に書けないので、やっぱりブログは更新したいと思う所存。小説、全然書いてねえや。
でも、ネットサーフィンも前述のように巡礼の順番が決まっているし、あんまり更新が多いサイトを見るというわけでもないので、大体サーフィンも五分で終わる。超特急。更新があれば十分ぐらい。しかし早い。
となると、やることがなくって、居場所がなくって、結局小説書こうかな~なんてことになって、書けもしないのにぐだぐだと言葉を繋げていくと大体一時間ぐらい経ってしまうのだった。なんという非・生産性を極めているのだろう…まあ仕様がないけど…

自分のためというわけでなくても、誰かが紡ぐ日常の話というのは文字で読みたい派です。
お喋りももちろん好きなのだけど、お喋りの方だと今度はまともに聞いていないという本当にクソのような性格なので、手紙とかブログを読むのが好きなんだろうな。今更ながら。
だから、もっとたくさん、みんなブログ更新したらいいのに。
もしくは文通したらいいのに。

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2014/06/09  取り消せないから好きなこと
昨日の記事がほんとにクソったれな記事だったなと少し反省。
別にね、誰かに見られるためや読んでもらうためというよりも自分の備忘録や言葉のメモなのでそんな羞恥心はいらないんだけど、もうこれはほんとにずっと一生付きまとうかもしれません。

つまり、私が小説に書きたいと思うのは、内輪ネタにならない内輪ネタなんだなって、いつも、そうだなってことで、いつだって、自分のために書いていきたいと思います。
面白いとか、つまりそれはうーん、entertainingやamusingじゃない面白さ、の、ための、ものを書きたい、これはたぶん本当は「面白い」には当てはまらないのはわかるのだけれども。

創作、という言葉は私の中ではファンタジーやSFやそういうもの、絵本だったりとか人を楽しませたり自分を楽しませるために作った、作りこまれたものと言うイメージがあって、それって大体、なんだろう、エンターテイメント性が強い、感じがするんですよね。
名前一つに意味をこめたり、時代考証をしっかりしたり、そういう雰囲気だけでも織り込んだりして、それは創作を楽しむ人たちが固めた土壌に育つ、おいしい実。でも、それを楽しめるのはやっぱり創作畑で育った人だと思う。まあ、出来上がった実は市場に流通するので、それはもちろん人を楽しませることができるけどね。
私は小さな頃から、そういうものが好きじゃなかったのだと思う。
自分が今、その創作畑に近いところで小説を書く、という行いをしていて、創作畑の内情が見えるにしたがって、よけいにその感じは強くなってきた。
創作畑は肥沃な土壌なので、羨ましいことはたくさんある。創作畑を共有する創作をする人らはとても楽しそうで、自分の書くものを愛していて誇りを持っていて仲が良い。
でも、私は、その肥沃な土壌では育たない実を書きたかった。
とあることでそのことを文字にしたらすごくしっくりきて、なんか芯がどっしりと腰を落ち着けてくれたような気がした。

まあ、私がとやかく何かを言ったところで、だれかが私を責めるわけでもないし、創作畑は相変わらず肥沃な土壌であり続けるだろうし、何も変わったりはしない。だから私はこんな風に、時として創作のことをバカにしながらも自分のためだけの小説を書くのだろうと思う。
好きなところで、好きなように発表したらいい。
そういう、根本のところを忘れていた。
わざわざ言葉にする必要はやっぱりないな、と、ここまで書いて思うものの、やっぱり言葉にしておいてよかったと思う日がいずれ、いやほとんど毎日、くるので、この記事はこのまま。

そんで、ここまで書いたうえで本当に書きたいと思っていたのは、小説を書くということが私の中で些末なものになりつつあるということだった。
というのはたぶん、今の自分に余裕がないし自信もないし失望してばかりで、もう何も、心のプリズムが機能しなくなってきたことに所以するのだと思う。思う、というのは、相変わらず明言するのを避けたいからなのだが、しかしまあ、なんかそういう感じ。
あんなに好きだったのに、あんなに欲していたのに、書く人、という、限界をちょっとずつ感じている。プロでもないし、アマもアマでみそっかすみたいなのだけれど、書くということは、書けるということは少なくともつまらない私のつまらなくないアイデンティティーみたいなものだったので、ちょっとは焦っている。
でも、諦めるのも早いし、足掻くことができない自分なのでしぼんでいき枯れていく自分の中身をただ茫然と見ている。悲しいもんだなあと思いつつ、やっぱり、見ている。

最近は、誰かと話すのも楽しくないし、面倒くさいし、勝手にしてほしいとすら思ってしまう。仕事もそう。やらなきゃ終わらないんだけど、やらないんです(これはただのクズ人間)。
いつも、何かにつまずいている気がする。バランス機能がおかしい。たぶん。

そんな感じだけど、意外に元気。

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2014/05/25  そうやって思い込んで
ここ数日、何か書きたいな~という欲はあるものの、書きたいもの(ネタ)がなくて中々満たされません。難しいな。誰か話考えてくれないかな。書くから()。

そういうわけで、何か書きたいと思っていたので書き途中のものを漁って書いてみたりしたんだけど(リクエストでもいただいているので)、中々かけない。まだまだ消化は先になりそうですが、どうにか今年中には終えることができるだろうか…はたまた…
今すごく続きが書きたいというか終らせてしまいたいのは「かなちゃんと私」と「君ありし」。まあこんなのは私のたわごとですね。恥ずかしい。

恥ずかしい、という気持ちは常日頃から持っていて、気を抜くとすぐにそのことに囚われて死にたくなってしまう。太宰治の人間失格じゃないけど、自分には多分に恥ずべき部分があるのだと自覚しないともっと恥ずかしいことになる、と、自分に言い聞かせている節があります。なんかややこしいな。
こういう、創作をしている場で、ここは私のHPでブログでなんでも好きに書けばいいのだけど、なんだかよくわからない人の目を気にして、恥ずかしくなります。
というか、自分の小説を意気揚々と語ることが中々できない。なんか恥ずかしい。
でもふと、ああ、今ちょっと、気付いた。
私は、そもそも、小説は自分のことを書くべきだと思う、というか、ストーリーや主人公の裏側にその人が見えるものが好き、だな、といつも思っていて。
その人の人格、生活、人生、好きなもの、嫌いなもの、そういうものが見え隠れする物語が好きです。私小説まで行くと、それは自分のことを書きすぎているような気がするから、見え隠れ、というのがとてもみそなんだけど(自分としては)。
小説を通して、その人の好みを知ったり、シンパシーを感じたりして、それが誰かの救いになる。自分の救いになる。小説は、私にとってそういうものでした。これからも、きっとそうかもしれない。
私が太宰治や綿矢りさが好きなのはそういう理由がある。まあ太宰治はどっちかというと私小説よりになるのかなあ。あの人の寂しさがとても好きなんだけどね。
私も、自分の想うこと、自分の経験したことを小説に織り交ぜている、ので、そういうのをやっぱり朗々と語るのは恥ずかしい、というか、自分語りをさらに詳細にしてくる、というか、恥ずかしい行為なのだなという、だから私は語れないのかもしれない。まあ語るけど。
あとは、どれだけの人がそのキャラクター語りを楽しんでいるのだろうか、ということも純粋に気になるし、なんか思い上がっているように思うので、やっぱりできません。
失礼かもしれないけれど、オタクってそういうことしたがる、というのも、私もしたがりだから、あまり人のことを気にしないで、自分の小説のここは面白いんだよとかこのキャラクターはこうなんだよ、とか、言っちゃうけど、やっぱりそれってなんだか恥ずかしいよな。茶番劇のようだ。
いやまあ、茶番劇だけど、本人たちは真面目だし自分の作った世界の愛おしい生き物だからそりゃ愛着もわくっちゅー話ですね。うん。否定するのもなんか私恥ずかしいな。
うちうちのコミュニティーないでしてるなら全然いいと思うんだけどね。なんか恥ずかしいね。
ま、私がそれをしなきゃいいし、それを見なければいい話なんだけど。

あと、ファンタジーとかが苦手なのもそういう理由、で、キャラクターとかをそんなに作り上げられても、結局私たち読者には何の影響もないじゃないですか、文章での表現がすべてと言うか、そこで読み取れなかったらいけない、し、ファンタジーなんて、すべてがすべてその世界を作り上げる駒、というか、ファクター、だから、逆に作者なんか見えちゃいけないってこともあるのかな。だから苦手なのかも。

小説は不思議だな、と、いつも思う。
(とりあえず文章を書きたい欲は満たされた)

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