どこをみているの
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2014/06/09 取り消せないから好きなこと
昨日の記事がほんとにクソったれな記事だったなと少し反省。
別にね、誰かに見られるためや読んでもらうためというよりも自分の備忘録や言葉のメモなのでそんな羞恥心はいらないんだけど、もうこれはほんとにずっと一生付きまとうかもしれません。
つまり、私が小説に書きたいと思うのは、内輪ネタにならない内輪ネタなんだなって、いつも、そうだなってことで、いつだって、自分のために書いていきたいと思います。
面白いとか、つまりそれはうーん、entertainingやamusingじゃない面白さ、の、ための、ものを書きたい、これはたぶん本当は「面白い」には当てはまらないのはわかるのだけれども。
創作、という言葉は私の中ではファンタジーやSFやそういうもの、絵本だったりとか人を楽しませたり自分を楽しませるために作った、作りこまれたものと言うイメージがあって、それって大体、なんだろう、エンターテイメント性が強い、感じがするんですよね。
名前一つに意味をこめたり、時代考証をしっかりしたり、そういう雰囲気だけでも織り込んだりして、それは創作を楽しむ人たちが固めた土壌に育つ、おいしい実。でも、それを楽しめるのはやっぱり創作畑で育った人だと思う。まあ、出来上がった実は市場に流通するので、それはもちろん人を楽しませることができるけどね。
私は小さな頃から、そういうものが好きじゃなかったのだと思う。
自分が今、その創作畑に近いところで小説を書く、という行いをしていて、創作畑の内情が見えるにしたがって、よけいにその感じは強くなってきた。
創作畑は肥沃な土壌なので、羨ましいことはたくさんある。創作畑を共有する創作をする人らはとても楽しそうで、自分の書くものを愛していて誇りを持っていて仲が良い。
でも、私は、その肥沃な土壌では育たない実を書きたかった。
とあることでそのことを文字にしたらすごくしっくりきて、なんか芯がどっしりと腰を落ち着けてくれたような気がした。
まあ、私がとやかく何かを言ったところで、だれかが私を責めるわけでもないし、創作畑は相変わらず肥沃な土壌であり続けるだろうし、何も変わったりはしない。だから私はこんな風に、時として創作のことをバカにしながらも自分のためだけの小説を書くのだろうと思う。
好きなところで、好きなように発表したらいい。
そういう、根本のところを忘れていた。
わざわざ言葉にする必要はやっぱりないな、と、ここまで書いて思うものの、やっぱり言葉にしておいてよかったと思う日がいずれ、いやほとんど毎日、くるので、この記事はこのまま。
そんで、ここまで書いたうえで本当に書きたいと思っていたのは、小説を書くということが私の中で些末なものになりつつあるということだった。
というのはたぶん、今の自分に余裕がないし自信もないし失望してばかりで、もう何も、心のプリズムが機能しなくなってきたことに所以するのだと思う。思う、というのは、相変わらず明言するのを避けたいからなのだが、しかしまあ、なんかそういう感じ。
あんなに好きだったのに、あんなに欲していたのに、書く人、という、限界をちょっとずつ感じている。プロでもないし、アマもアマでみそっかすみたいなのだけれど、書くということは、書けるということは少なくともつまらない私のつまらなくないアイデンティティーみたいなものだったので、ちょっとは焦っている。
でも、諦めるのも早いし、足掻くことができない自分なのでしぼんでいき枯れていく自分の中身をただ茫然と見ている。悲しいもんだなあと思いつつ、やっぱり、見ている。
最近は、誰かと話すのも楽しくないし、面倒くさいし、勝手にしてほしいとすら思ってしまう。仕事もそう。やらなきゃ終わらないんだけど、やらないんです(これはただのクズ人間)。
いつも、何かにつまずいている気がする。バランス機能がおかしい。たぶん。
そんな感じだけど、意外に元気。
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