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2015/09/13  あなたのことだから
最近思った話。

私は精神的な潔癖症のために、一度苦手だと思うと徹底的に嫌おうとする習性があるな、と、秋風に吹かれながら改めて思う。秋は不思議と内省的な声がよく聞こえる。
その一方で、好きにならなければならない、という気持ちも少なからずあって、一度こだわりを持ってしまうと、嫌いだろうが好きだろうが、それに苦しめられる。
しかし本当は、無理に好きにならなくていいし、無理に嫌いにならなくていい、ということも、あかっていはいる。できているかは別の話で(最近これ多い)。

嫌いになろうとする、って、すごい疲れる。まあ、好きになれないから、それをそのまま放っておくということができず、嫌いになろうとしてしまう。好きではない=嫌い、という、単純明快すぎるその計算式にいつも踊らされている。簡単なことほど、大人になってからは難しいし、それが本当の正解だった時期は、当にすぎているんだろう。気持ちの上でのグレーゾーンというものを、もてると、もう少し楽になるんだろう、と、思ってはいる。思ってはいるのだが。
「案ずるより産むがやすし」って言葉を残した奴は、案じたことがないはずだ。本当に心の底から案じる奴は、産むまでが流すぎて、産んだ後すら案じているに違いない。と、思う。思うだけだ。

そういやあ秋ですね。涼しくなってとても嬉しい。
この間はあまりにも嬉しすぎて、ニットを着て行ったら周りに見てくれが熱すぎると非難をうけました。でも、懲りずにニットを着るよ。もう9月だもん。
しかし季節の変わり目についていけなくて見事に風邪を引いています。水みたいな鼻水がとまらない。とまらなさすぎる。どうしてっていうぐらい出てくる。こういうときは、寝るに限る。
秋の夜長を寝て過ごすなんて、なんて贅沢だろう。

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2015/08/05  はなしておきたいこと
誰かに話したいと思うことほど、ほとんど人に言えないことだったりするからどうしていいのかわからなくなる。話したいと思う。聞いてほしいと思う。相槌を打ってほしい。だけど、話せない。そういう鬱屈から、人は何かに救いを求めるのかなとかいう。どうでもいいことを。口が堅い人って本当に尊敬するよ。すごいよ。

ひょんなきっかけですぐに仲良くなってしまうと、それがいいことなのか分からなくなってしまって、一瞬距離をとりたくなってしまう。それなりの距離感がないと、きっとダメになるんだろうっていう気がどこかにあって、ずっとそうで、だから、自分一人の時間も取りたいし、相手のことを考える時間が欲しい。友達でも、恋人でも、自分の中にできた彼らの居場所を、綺麗に掃除してあげたくて、そうなると、やっぱり一人でせっせときれいにしたい。
だけど、そういう気持ちを相手にはうまく伝えられなくて、相手が急くと、どうしたってうまくいかなくなってしまう。私も、もしかしたら掃除をしているつもりが散らかしているのかもしれないし。ただただ、自分の心の波が、静かになるのを待つしかないのだろうな。

ツイッターでもつぶやいたけど、noteが8月31日で一年を迎えるので、いくつか抜粋して本にしようかなあと思っている所存。さすがに全部を載せることはできないので、随想録みたいにして、私がお気に入りのやつと、スキが多いやつにしようかな。そんでカテゴリ分けとかしてみようかな。書きおろしもちょっとだけいれてみたりする。嬉しいことに、解説をつけてくださる方が見つかったので、随想録の後ろにあるのってちょっと面白いかなと思ってお願いしようと思います。
いつものことながら自己満足ではありますが、やっぱり楽しいよね。なんだって、どうしたって。エッセイ、ではないからちょっと違うなあと思いつつ。随想録ってそもそもどういうものを言うのかも私はよくわからないんだけど。徒然草みたいなもんかな。楽しみ。
ほかにもやりたいと思っていることがあって、そっちもじわじわ進めたい。
それでなんとなくnoteを読みかえしてたんだけど、書き始めの時ってちょっと気取っちゃうのか、とても説明的な文章だなと思って、最近のものの方が感性的で我ながらいいなと思っていた。一年も経つと、やっぱり書き様が変わるのかなあ。

今は、本当につかの間の、自分が無敵だと思っている時期だなと思います。今後、醜く嫉妬に侵されそうになったとして、それでも、今は私は無敵なんだ。
ふとしたきっかけで、私のまわりの人のこと、私はとっても好きなんだな、と思っていてもたってもいられなくなってきて、もしも死ぬならみんなの、好きだと思うところを手紙に書いて渡したいというようなことをツイッターでつぶやいたら、フォロワーさんが、はなえさんは、好かれるために小説を書くんじゃなくて、好きでいるために小説を書くんですね、というようなことを言っていただいて。なんだろう、と、好きってどういうことだろう、って、思っていたんだけど。
私は、確かに、ものごとを、好きになるのが好きだなと思う。これはみんなそうかもしれないけど、好きだと思うものはとても大切にしたいし、好きだと思うものを思う存分愛でたいな、と思ったし、いつも絶望してばかりだけど、私の周りには好きなものばっかりがあふれているな、なんてことも思って。幸せに生きているんだなって。我ながら思いますよね。
だからいつも死にたくなって絶望して、だけど、やっぱりそこには、好きなものがたくさんあるんだなあって。思う。なんだこれ。
自分ではあんまりわからないんだけど、そういうのがちゃんと小説にも表れているよと言ってもらって、別に褒めたつもりもその方はないんでしょうけど、すごく嬉しかったしほっとした。自分が、わけもわからずいつも好き勝手に書いているものが、そうして意味を与えられることはとても嬉しい。遅筆だけど。

ああ、とっても気分がいい。仕事いやだな。そればっかり。

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2015/07/27  ひとりの夏
眠すぎて仕事を放ってきました。パソコンやっててもよく寝ちゃうんだけどそういうときってどうしたらいいのだろう。

昨日、noteに小説を公開しました。「ひとなつ」という作品です。
https://note.mu/losmrn/n/ne6e4661121d4
かなり前にも、サイトで公開していたことはあったのですが、しばらく封印しており、ふとしたきっかけで公開しようと踏み切りました。

もともとこの小説は、私が大学生のときに書いたもので、大学生が主催していた文芸賞に応募して大賞をいただいたときのものです。今更何をと言われるかもしれないが、なんとなく身バレするのが怖くて中々公開できなかった。
ただ、先日の日記でも書いたように、文学フリマで知り合いになった方とふと大学時代の話をしていたときに、この「ひとなつ」のことを思い出して読みかえしたらなんともいえぬ気持ちになり、成仏(?)させたいなあと思って、noteで公開する流れになりました。

いつも、自分の書いたものに対しては、創作をしている身としてはかなり思い入れの薄い方だと自覚はしているのだけど、この「ひとなつ」という作品は少しだけ思い入れがありまして。
もちろん、賞をいただいたこともそうなんだけど、主人公の男の子が我ながらにとても好きなんですよね。あとは、田舎という舞台がとても好きで、そういう趣味嗜好をぎゅうぎゅうに詰めてしまった。
人が虐げられる、ということにとても魅力というか艶っぽさというか色っぽさを感じていて、虐げられた人がそこでもがいてもどうにもならない、ということがたまらなく好きで。よく、どうにもならない環境に置かれても屈しない、みたいな姿が美しく描かれるのだけど、私そういうのあんまり好きじゃないんですよね。なんでだろう。どん底まで落ちて落ちて落ちて落ちて、落ちぬいて、そこに光を見つけてほしい。すげえ無理なこと言ってる。でも、見つけてほしい。そこにあるものこそきっと本当の光だから。希望でも絶望でもいい。自分が自分でいるための、自分の、光を。あとはただたんにボコり愛みたいなもんですわ(たぶんこれが一番)。
主人公の女の子も、結局男の子のためには何もしてあげないんですよね。口ばっかりで。動こうとすらしなかった、と、私は自分の作品に対して解釈を与えるけれど、それもまた、当時の私が見ていた人の姿なのかもしれないし、動ける人なんていないんだろうと思う。人を大切にすることは、面倒で重い。

あとは田舎への憧れというか、自分が大学生になって初めてそういう場所で暮らしたからかもしれません。大学の周りは確かに少しは栄えていたしごちゃごちゃもしていたんだけど、すぐそばには田んぼがあって山があって用水路があってカエルがひっきりなしに鳴いていた。その時初めてヒグラシの本物の声を聞きました。豊かなのに、美しいのに、冷たい。田舎という場所に目覚めたのかもしれない。そういう場所の、物語を、誰もがきっと胸に思う、抱える、暗さみたいなものが好きだった。かけているのかどうかはわからないけれど、自分が美しいと思うものを、とことん書きたいと思ったのでしょう。当時の私は。
月あかりと、あざだらけの少年と、カーディガンと、浴衣と、じめっとした汗くささと。
好きだったんでしょう。というか今こうして並べただけでも、今でも胸にぐっとくる(笑)。

毎回言っているのは書きたいテーマとかはあんまりなくて、こういうものが書きたい、から始まるので、正直「ひとなつ」なんかもテーマ性なんてないんですけどね、それでも書きたいものをぎゅうぎゅうに詰め込んである程度の形になってくれてよかったなと今更思う。

それに、どうしてこの作品が一番好きかというと、おそらく、私が無邪気に書いていた一番最後の作品だからかもしれない。迷いがない。好きだということに。
そりゃちっぽけな賞であっても、誰かに読んでもらって誰かに選んでもらったということはとても名誉なことで、ゆえに私は鼻高々でもあったししんどくもあった。こんな小さな賞でこんなにしんどいなんて、バカみたいだ、という、その気持ちすら私の枷になった。
あほみたいだなあと、今でもその枷につかまったままなんだけど、あと少しはこの枷をつけたまま踏ん張ってみたいと、落ちた先にある光を私も捕まえたいと。思う。

そんなこんなで、まあどうでもいい能書きでした。

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2015/07/25  With Someone,Without Anyone
そういえば先日の連休はとても楽しくて久しぶりに人間として生きた気がしていた。大袈裟のようだけど大袈裟じゃないんだよ。社会人はときとして生きた屍だからね。

金曜日にお休みをもらって金曜土曜と大学時代のお友達と静岡の大井川鉄道へ。そこまで鉄道とかスキでもないけど、SLってよかったなあ。一昨年は彼女と一緒に名古屋の鉄道博物館へ行って、SLの展示で「風立ちぬ!」とか言って喜んでいたんだけど、本物に乗れる機会があるとは思わなかった。
直立の背もたれにちょっと居心地の悪い硬い座席。こういうものに、昔の人は(先日志賀直哉の「網走まで」を読んでいたのでなんか思い返して胸熱になってた)乗ってたのか~と思うと自分がどこにいても自分の心次第なんだなっていうか、なんかそんなことを思っていた(よくわからない)。
寸又峡という、かなり秘境っぽいところに泊まったのですが、山が近くてとてもよかった。自然が多いところはいいな~と思っていて。
私は地方中堅都市に生まれ育ったため、田舎という場所に並々ならぬあこがれがあるのです。大学時代住んでいた場所は、大学の周辺すらもなんだか辺鄙な場所ばかりで、学生街なのにいつも静かで空が広くて、大好きな場所だったし、同時にめちゃくちゃ他者を拒絶する場所だなとも思っていて。田舎の、そういう、閉鎖的なくせに美しいっていうのがとても好きです。だから、私はどっちかというと田舎を舞台にして物語を書きたがる節があるのだと思う。
(完全に脱線だけど「ひとなつ」「君ありし」「ないおん」「しのぶれど」「かなちゃんとわたし」「さよなら」は完全に田舎への思いが強い)
山から白い煙が出てるじゃないですか。あれはなんだろう。水蒸気なのかな。雲のできそこないなのかな。わかんないけど、ああいうのがとても好き。そしてなんか怖くて。
大学時代のお友達との会話は、いつもいつも楽しくて、なんでこんなに楽しいんだろうっていうぐらい楽しくて、とても幸せになる。大学の子はいつも私の宝でありつづけている。
社会人になっても、もちろん面白い人はたくさんいるし、仲良くしてくれる人はとても尊く思える。思えるけれど、何かが違うのは、みんながちゃんとした大人として接しているからなのかな。私は大人、という、フリをするのはとても大変で、物分かりがいいフリだったりとか、仕事がわかっているフリだったりとか、気が使えるフリだったりとか、なんかそういうものが本当に窮屈で、小さな頃から優等生で生きてこようとした自分が呪わしい。でも、いまさらそのウェットスーツは脱ぐことができない。人に良く見せようとするキグルミは脱ぐことができない。そういうのを、脱がしてくれるのは、大学の子たちだと思う。きっとお互いに、幼い子どものままなんだろうな。

日曜日は文学フリマで知り合ったきりちひろさんと一緒に名古屋を散策。地元とは言えない私も一緒に歩いて、自分一人では見つけられなかったような古本屋に行きました。古本屋ってとてもハードルが高くて、なんていうのか「文学マインドもった奴しかいれねーよ!」っていうイメージがあったんだけど、私以外の誰かと一緒に入るっていう行為に勇気づけられて、入って、なんだ文学マインド持ってないけど怒られない!とほっとしました。
そこで星野道夫の写真集と工藤直子の本を購入してしまった。私はすぐ来れる距離だというのに…でも、星野道夫の写真集はとってもほしくて、ずっと憧れだったので古本だとはいえ安価で購入できたのはとても幸せだったし、ついていってよかった…。あと、工藤直子の「ともだちは海のにおい」も、確か前にアマゾンで買おうとしたら絶版になっていて、すごいショックを受けた覚えがあり、今回であったのは本当に本当に運命だと思ってしまった。この本はめちゃくちゃ大好きで、図書館で毎週借りて読んでいた。貸出期間が一週間なので、毎週借りていた。あわよくば「ともだちは緑のにおい」もないかと探したけど、本屋にはなかったです。ああ、でも「海」の方が私は好きだったから、本当に本当に幸せ。後生大切にしよう。子どもができたら読ませたい。
きりさんとは文学フリマで話したか話してないかも定かではないぐらいショートな接触で、ツイッター上では私が一方的にうざがらみをしており、たぶん、本当に一方的に興味があったので、今回はきっと私得だったな、と勝手に思っている。
言葉の端々に理知さが溢れていて、説明もお上手で、頭が良いんだなと、本当に素直に感じました。頭が良い人の言葉はやっぱり面白いよね。それに、きりさんの言葉選びやイントネーション、なんかが、きりさんっぽくて、「ああ、私、ツイッター上だけじゃなくてきりさんとこうしてお話ができるんだな」って思いました。あほみたいな感想だな。芯が一本とおっておる方でした。小説云々の話は、私が恥ずかしくてあんまりできなかった(笑)

その後は、きりさんに教えてもらった「インターステラ―」を見て、これは全く関係なく個人的に気になっていた「ゲド戦記」を見た。
「インターステラー」はめちゃ長かったけど、それを感じさせない面白さだったしSF映画!って感じで、楽しめました。ところどころ気になる部分はあったし、伏線なんかは「たぶんこうだろうな」っていうのはあったんだけど、それでも最後は大泣きした。
で、これが一番書きたかったんだけど「ゲド戦記」について。これなんだ。この映画。めちゃくちゃ不完全燃焼です。嫌いじゃない、ていうか、テーマ、テーマはいいんだろう。いいんだろうけど。色々突っ込みたい、というか、色々人の感想を聞きたい。と思ってググってみたのに、駄作だっていう感想ばかりで、それもまたもやもやしました。
「メトロポリス」を見たときも思ったんだけど、みんな中途半端だとどこにどう身を寄せていいのかわからなくって。そんなこと考えなくて良い、ただたんに楽しめる娯楽映画ってわけでもなかったし、テーマが重いんだったらもっとどこかにフィーチャーしてくれよって感じで。メインの登場人物みんな中途半端だからこっちは結局悪役の「クモ」が一番はっきりしていてよかったと思う。原作が気になった。
ゲド戦記で有名なのは「命を大切にしない奴は大っっ嫌いだ」っていう台詞だけど、なんかそこで言うの?って感じだったし、主人公・アレンが抱える「死ぬことが怖い」っていうその闇は、結局どこからきたんだろうかっていうこととか。あげればきりがなさそうだ。

あと、そういえば昨日は「バケモノの子」を見てきました。総じてみれば面白かったけど、納得できないところもしばしば。人間の子ども・レン(バケモノ界では九太と呼ばれる)とバケモノの乱暴者・熊徹のハートウォーミングストーリー(?)なんだけど、なんかちょこちょこいらない要素が多い気がして。そこはもっと九太と熊徹の話てよかっただろうが!ってなった。あとジブリ臭がすごかったです。仕様がないのか。まあ面白かったよ。でも、「まあ」が付いちゃう。あれだったらきっと「サマーウォーズ」の方が人気だろうな。

すごい!充実しているように見える!
でも実は昨日は職場で先輩に愚痴っていたら泣くという失態を犯した。恥ずかしくて死にたい。恥ずかしくて、そういう話した後って変に饒舌になるよね。聞いた方も泣いた方も。
話をしていて、先輩は「はなちゃんは1か0しかないから辛いんだろうね」と言われていて。先輩は男で、心に納得しない部分があっても論理的に割り切っていくことができるし、それを自分の糧にもできるようで。私はそこに感情が大きく根深く突き刺さっているからきと何も解決できない。耳をふさいでしまうのは私の方なのかもしれない。
「私はさ、女だから無理なんだと思います。感情的になっちゃうし、嫌いな人とは仕事ができない」「いや、ほら、それがだから1か0かってことでしょ。俺から見たら上手にやれてると思うよ」「外から見て上手でも、中じゃどろどろでもう辛いんですよ。納得できるできないとかじゃなくて、なんかもう、自分自身が頭おかしいように思えてきて」「そうかー」
みたいな会話を延々と三時間ぐらいしてしまった。
1か0かじゃないっていうことを、もちろん私もわかっているつもりだ。白か黒かじゃなくてグレーだって確かに存在する。それを、私も、受け入れられる範囲では受け入れているつもりだけど、でもやっぱり仕事は白か黒かのところが多いと思うし、私が黒を選んでも白を選ぶ人だっている。そういうときに、グレーになりえるのかっていう話、つーか、そもそも白か黒かの問題か?ってことで、私も白を選んで誰かも白を選んだところで、それは自分の目だけで見た色だからね。なんていうのかなあ。黒を白って言い張ることだってできるじゃないですか。そういうのが、しんどい。私には黒く見えるのに、誰かは白だって言い張るんです。言い張るんですよ。で、相手は私が持っているものを黒だと言い張る。私は白だと思うのに。その場合、グレーはどこにも存在しないんだよ。

誰かと一緒にいるということや、誰かと一緒に仕事をするということや、なんだかその他もろもろのことは、私を幸せにしてくれるし、私の首を絞めにかかってくる。どうしろっていうんだ。
みんな好きだけど、みんな嫌いなんだよ。どうしろっていうんだ。

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2015/07/02  明日の服
大体寝る前に明日の服を決めるのだけど、それはちょっと楽しいし、結構無心になれる。服のことだけを見て、服のことだけを決める。そういうのが、好きだ。
でも、やっぱり仕事で疲れてくると全然楽しくないし、億劫だ。そういうときってしかも、あんまり服装のコーディネートがしっくりこないときが多い。生活にでるなあ、と、なんとなくぼんやり思う。

先日、他の方の小説を下読みさせてもらった。初めての体験。未発表のものを読んで、感想をいい、よければ参考にしてもらう、のが下読みだと思う。たぶん。
私は漫画を読むのは遅いのだけど、小説はわりかし早い方。速読レベルではないんですけど、文字を追う速度が速い、し、たまに目がすべってるときもあるから、早いんだと思う(ダメ)。
もちろん下読みは三回読んだけど。
でも、やっぱり第一印象っていうのはなかなかぬぐえないのだなと思って、三回読んだけど感想はやっぱり初見のときのものに引っ張られていたなあと思う。

小説、というのは、本当にいろんなものがあって、自分でも挙げることができないぐらい細分化されていると思う。どこかで見たことのあるモチーフでも、書く人によって雰囲気も内容も変わっていく。モチーフと書き手の数で、いくつもの小説が生まれるのだろう、というのを、今回改めて感じた次第です。
それに、小説というのがすべてがすべて国語の教科書に載っているような、教訓を教えてくれるものばっかりじゃない。あれはいいとかこれがダメとか、そういうもんばっかじゃ、ない。教科書に載っている小説も、教訓めいたものって案外なかったりするのかも。作者の書きたかったことを、教訓めいてとらえることのしやすいものが載っているのかも。なんでもいいけども。
人間性を描いたり、極上のエンターテイメントだったり、悲劇だったり、喜劇だったり、それはもう、いろんなものがある。あるなあ、ということで、げんなりしてる。
私は、「こういう人いるよね」とか「こういうのあるよね」っていうのが書きたい。だから教訓とかはない。教えたいこともない。ただ、共感のみがそこに発生してほしいなと思う。それが、逆に、私にとっての小説というものだったと思う。なんとなく。書き始めた理由なんかはとくにカッコいいものもないし、覚えてもないし、だけど、こうしてちまちま続けている理由は、読んだ人に共感できた、という、その一言をもらうためなんだろう。たぶん。まあそれも数日後にはかわっているのかもしれないけれど。

まあ、でも、書きたいことが何であれ、自分が読むときにそうだからか、第一印象で差をつけろ、じゃないけど、第一印象が決め手にもなると思う。そこで「あ、いいな」とか「お、なんだ」と思われなかったら仕様がない。名作って言うのはそこが違うのかもしれない。第一印象が良くも悪くも残っているなら、その後何度も読まれることになると思う。でも、そこでそれこそ目が滑ってしまうようなものならば、その後は読まれないんだろう。
アマチュアの分際で、どうでもいいようなことですけれど。
私も、読みかえした本なんて今まで数えるほどしかないな。
強烈な印象じゃなくてもいいんだ、「ああ、また読むかもしれない」でもいいから、そういう印象を残せるものがあるといいのかも。わかりません。机上の空論です(言いたかっただけ)。

自分が書けるかどうかなんていうのはこの際どうでもいいのだけども。
そうすると、誇張表現とかなしに、自分の書きたいものを徹底的に書き込むというのは大切なんだろうな、という結論に至りました。自分の中の風景を表出させるには、だって、書き込むしかない。一切の妥協を許さない表現は、誰かをうならせるだろう。
そこに、言葉の使い方の技巧はあまりいらないのかもしれないくて、ただ、丁寧に書き込むということは、私は大切だなと思う。行間を読ませるのもわざだけれど、それは、そこまでの舞台が成立していて、書き手の世界を読み手がある程度共有できた場合にのみ起こりうることで、なかなか難しい。突然ポエムみたいになるようなもんだもの。
なんてエラそうに言っておきながら、自分が反省なのは、突然ポエム小説っていうのが多々あることだ。小説の中のポエムっていうのはある意味逃げで、山場におこりやすい。山場だからこそ明言を避けてドラマチックにいきたいがために、ポエムになってしまう。だけど、山場だからこそ、丁寧に書いて書いて書いて、最後に、行間を使う、ぐらいでないと本当のことは伝わらない。のかもしれない。

なんていうことを、人様の小説を読んで思いました。その人の小説がどうのこうの、というよりも、小説を書く、ということを自分なりに考えるとそういう感じで、なんていう、ただの自分のおしり叩きでもあるんだけどね。あんまりこういうの考えないからな。考えてもよくわかんないし、そもそも日記自体が突然ポエム日記だから、私の場合は。日常から何言ってるかわかんないみたいなことあるよね。こういう話を、いろんな人に話したい。聞いてほしい。聞かせてほしい。

明日の服を選ぶみたいに、明日の言葉を選んでいたい。そのことだけに、真っ向に向き合いながら。

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