どこをみているの
2025/02/06 [PR]
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2015/08/05 はなしておきたいこと
誰かに話したいと思うことほど、ほとんど人に言えないことだったりするからどうしていいのかわからなくなる。話したいと思う。聞いてほしいと思う。相槌を打ってほしい。だけど、話せない。そういう鬱屈から、人は何かに救いを求めるのかなとかいう。どうでもいいことを。口が堅い人って本当に尊敬するよ。すごいよ。
ひょんなきっかけですぐに仲良くなってしまうと、それがいいことなのか分からなくなってしまって、一瞬距離をとりたくなってしまう。それなりの距離感がないと、きっとダメになるんだろうっていう気がどこかにあって、ずっとそうで、だから、自分一人の時間も取りたいし、相手のことを考える時間が欲しい。友達でも、恋人でも、自分の中にできた彼らの居場所を、綺麗に掃除してあげたくて、そうなると、やっぱり一人でせっせときれいにしたい。
だけど、そういう気持ちを相手にはうまく伝えられなくて、相手が急くと、どうしたってうまくいかなくなってしまう。私も、もしかしたら掃除をしているつもりが散らかしているのかもしれないし。ただただ、自分の心の波が、静かになるのを待つしかないのだろうな。
ツイッターでもつぶやいたけど、noteが8月31日で一年を迎えるので、いくつか抜粋して本にしようかなあと思っている所存。さすがに全部を載せることはできないので、随想録みたいにして、私がお気に入りのやつと、スキが多いやつにしようかな。そんでカテゴリ分けとかしてみようかな。書きおろしもちょっとだけいれてみたりする。嬉しいことに、解説をつけてくださる方が見つかったので、随想録の後ろにあるのってちょっと面白いかなと思ってお願いしようと思います。
いつものことながら自己満足ではありますが、やっぱり楽しいよね。なんだって、どうしたって。エッセイ、ではないからちょっと違うなあと思いつつ。随想録ってそもそもどういうものを言うのかも私はよくわからないんだけど。徒然草みたいなもんかな。楽しみ。
ほかにもやりたいと思っていることがあって、そっちもじわじわ進めたい。
それでなんとなくnoteを読みかえしてたんだけど、書き始めの時ってちょっと気取っちゃうのか、とても説明的な文章だなと思って、最近のものの方が感性的で我ながらいいなと思っていた。一年も経つと、やっぱり書き様が変わるのかなあ。
今は、本当につかの間の、自分が無敵だと思っている時期だなと思います。今後、醜く嫉妬に侵されそうになったとして、それでも、今は私は無敵なんだ。
ふとしたきっかけで、私のまわりの人のこと、私はとっても好きなんだな、と思っていてもたってもいられなくなってきて、もしも死ぬならみんなの、好きだと思うところを手紙に書いて渡したいというようなことをツイッターでつぶやいたら、フォロワーさんが、はなえさんは、好かれるために小説を書くんじゃなくて、好きでいるために小説を書くんですね、というようなことを言っていただいて。なんだろう、と、好きってどういうことだろう、って、思っていたんだけど。
私は、確かに、ものごとを、好きになるのが好きだなと思う。これはみんなそうかもしれないけど、好きだと思うものはとても大切にしたいし、好きだと思うものを思う存分愛でたいな、と思ったし、いつも絶望してばかりだけど、私の周りには好きなものばっかりがあふれているな、なんてことも思って。幸せに生きているんだなって。我ながら思いますよね。
だからいつも死にたくなって絶望して、だけど、やっぱりそこには、好きなものがたくさんあるんだなあって。思う。なんだこれ。
自分ではあんまりわからないんだけど、そういうのがちゃんと小説にも表れているよと言ってもらって、別に褒めたつもりもその方はないんでしょうけど、すごく嬉しかったしほっとした。自分が、わけもわからずいつも好き勝手に書いているものが、そうして意味を与えられることはとても嬉しい。遅筆だけど。
ああ、とっても気分がいい。仕事いやだな。そればっかり。
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