忍者ブログ
どこをみているの
2025/02/06  [PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2015/07/25  With Someone,Without Anyone
そういえば先日の連休はとても楽しくて久しぶりに人間として生きた気がしていた。大袈裟のようだけど大袈裟じゃないんだよ。社会人はときとして生きた屍だからね。

金曜日にお休みをもらって金曜土曜と大学時代のお友達と静岡の大井川鉄道へ。そこまで鉄道とかスキでもないけど、SLってよかったなあ。一昨年は彼女と一緒に名古屋の鉄道博物館へ行って、SLの展示で「風立ちぬ!」とか言って喜んでいたんだけど、本物に乗れる機会があるとは思わなかった。
直立の背もたれにちょっと居心地の悪い硬い座席。こういうものに、昔の人は(先日志賀直哉の「網走まで」を読んでいたのでなんか思い返して胸熱になってた)乗ってたのか~と思うと自分がどこにいても自分の心次第なんだなっていうか、なんかそんなことを思っていた(よくわからない)。
寸又峡という、かなり秘境っぽいところに泊まったのですが、山が近くてとてもよかった。自然が多いところはいいな~と思っていて。
私は地方中堅都市に生まれ育ったため、田舎という場所に並々ならぬあこがれがあるのです。大学時代住んでいた場所は、大学の周辺すらもなんだか辺鄙な場所ばかりで、学生街なのにいつも静かで空が広くて、大好きな場所だったし、同時にめちゃくちゃ他者を拒絶する場所だなとも思っていて。田舎の、そういう、閉鎖的なくせに美しいっていうのがとても好きです。だから、私はどっちかというと田舎を舞台にして物語を書きたがる節があるのだと思う。
(完全に脱線だけど「ひとなつ」「君ありし」「ないおん」「しのぶれど」「かなちゃんとわたし」「さよなら」は完全に田舎への思いが強い)
山から白い煙が出てるじゃないですか。あれはなんだろう。水蒸気なのかな。雲のできそこないなのかな。わかんないけど、ああいうのがとても好き。そしてなんか怖くて。
大学時代のお友達との会話は、いつもいつも楽しくて、なんでこんなに楽しいんだろうっていうぐらい楽しくて、とても幸せになる。大学の子はいつも私の宝でありつづけている。
社会人になっても、もちろん面白い人はたくさんいるし、仲良くしてくれる人はとても尊く思える。思えるけれど、何かが違うのは、みんながちゃんとした大人として接しているからなのかな。私は大人、という、フリをするのはとても大変で、物分かりがいいフリだったりとか、仕事がわかっているフリだったりとか、気が使えるフリだったりとか、なんかそういうものが本当に窮屈で、小さな頃から優等生で生きてこようとした自分が呪わしい。でも、いまさらそのウェットスーツは脱ぐことができない。人に良く見せようとするキグルミは脱ぐことができない。そういうのを、脱がしてくれるのは、大学の子たちだと思う。きっとお互いに、幼い子どものままなんだろうな。

日曜日は文学フリマで知り合ったきりちひろさんと一緒に名古屋を散策。地元とは言えない私も一緒に歩いて、自分一人では見つけられなかったような古本屋に行きました。古本屋ってとてもハードルが高くて、なんていうのか「文学マインドもった奴しかいれねーよ!」っていうイメージがあったんだけど、私以外の誰かと一緒に入るっていう行為に勇気づけられて、入って、なんだ文学マインド持ってないけど怒られない!とほっとしました。
そこで星野道夫の写真集と工藤直子の本を購入してしまった。私はすぐ来れる距離だというのに…でも、星野道夫の写真集はとってもほしくて、ずっと憧れだったので古本だとはいえ安価で購入できたのはとても幸せだったし、ついていってよかった…。あと、工藤直子の「ともだちは海のにおい」も、確か前にアマゾンで買おうとしたら絶版になっていて、すごいショックを受けた覚えがあり、今回であったのは本当に本当に運命だと思ってしまった。この本はめちゃくちゃ大好きで、図書館で毎週借りて読んでいた。貸出期間が一週間なので、毎週借りていた。あわよくば「ともだちは緑のにおい」もないかと探したけど、本屋にはなかったです。ああ、でも「海」の方が私は好きだったから、本当に本当に幸せ。後生大切にしよう。子どもができたら読ませたい。
きりさんとは文学フリマで話したか話してないかも定かではないぐらいショートな接触で、ツイッター上では私が一方的にうざがらみをしており、たぶん、本当に一方的に興味があったので、今回はきっと私得だったな、と勝手に思っている。
言葉の端々に理知さが溢れていて、説明もお上手で、頭が良いんだなと、本当に素直に感じました。頭が良い人の言葉はやっぱり面白いよね。それに、きりさんの言葉選びやイントネーション、なんかが、きりさんっぽくて、「ああ、私、ツイッター上だけじゃなくてきりさんとこうしてお話ができるんだな」って思いました。あほみたいな感想だな。芯が一本とおっておる方でした。小説云々の話は、私が恥ずかしくてあんまりできなかった(笑)

その後は、きりさんに教えてもらった「インターステラ―」を見て、これは全く関係なく個人的に気になっていた「ゲド戦記」を見た。
「インターステラー」はめちゃ長かったけど、それを感じさせない面白さだったしSF映画!って感じで、楽しめました。ところどころ気になる部分はあったし、伏線なんかは「たぶんこうだろうな」っていうのはあったんだけど、それでも最後は大泣きした。
で、これが一番書きたかったんだけど「ゲド戦記」について。これなんだ。この映画。めちゃくちゃ不完全燃焼です。嫌いじゃない、ていうか、テーマ、テーマはいいんだろう。いいんだろうけど。色々突っ込みたい、というか、色々人の感想を聞きたい。と思ってググってみたのに、駄作だっていう感想ばかりで、それもまたもやもやしました。
「メトロポリス」を見たときも思ったんだけど、みんな中途半端だとどこにどう身を寄せていいのかわからなくって。そんなこと考えなくて良い、ただたんに楽しめる娯楽映画ってわけでもなかったし、テーマが重いんだったらもっとどこかにフィーチャーしてくれよって感じで。メインの登場人物みんな中途半端だからこっちは結局悪役の「クモ」が一番はっきりしていてよかったと思う。原作が気になった。
ゲド戦記で有名なのは「命を大切にしない奴は大っっ嫌いだ」っていう台詞だけど、なんかそこで言うの?って感じだったし、主人公・アレンが抱える「死ぬことが怖い」っていうその闇は、結局どこからきたんだろうかっていうこととか。あげればきりがなさそうだ。

あと、そういえば昨日は「バケモノの子」を見てきました。総じてみれば面白かったけど、納得できないところもしばしば。人間の子ども・レン(バケモノ界では九太と呼ばれる)とバケモノの乱暴者・熊徹のハートウォーミングストーリー(?)なんだけど、なんかちょこちょこいらない要素が多い気がして。そこはもっと九太と熊徹の話てよかっただろうが!ってなった。あとジブリ臭がすごかったです。仕様がないのか。まあ面白かったよ。でも、「まあ」が付いちゃう。あれだったらきっと「サマーウォーズ」の方が人気だろうな。

すごい!充実しているように見える!
でも実は昨日は職場で先輩に愚痴っていたら泣くという失態を犯した。恥ずかしくて死にたい。恥ずかしくて、そういう話した後って変に饒舌になるよね。聞いた方も泣いた方も。
話をしていて、先輩は「はなちゃんは1か0しかないから辛いんだろうね」と言われていて。先輩は男で、心に納得しない部分があっても論理的に割り切っていくことができるし、それを自分の糧にもできるようで。私はそこに感情が大きく根深く突き刺さっているからきと何も解決できない。耳をふさいでしまうのは私の方なのかもしれない。
「私はさ、女だから無理なんだと思います。感情的になっちゃうし、嫌いな人とは仕事ができない」「いや、ほら、それがだから1か0かってことでしょ。俺から見たら上手にやれてると思うよ」「外から見て上手でも、中じゃどろどろでもう辛いんですよ。納得できるできないとかじゃなくて、なんかもう、自分自身が頭おかしいように思えてきて」「そうかー」
みたいな会話を延々と三時間ぐらいしてしまった。
1か0かじゃないっていうことを、もちろん私もわかっているつもりだ。白か黒かじゃなくてグレーだって確かに存在する。それを、私も、受け入れられる範囲では受け入れているつもりだけど、でもやっぱり仕事は白か黒かのところが多いと思うし、私が黒を選んでも白を選ぶ人だっている。そういうときに、グレーになりえるのかっていう話、つーか、そもそも白か黒かの問題か?ってことで、私も白を選んで誰かも白を選んだところで、それは自分の目だけで見た色だからね。なんていうのかなあ。黒を白って言い張ることだってできるじゃないですか。そういうのが、しんどい。私には黒く見えるのに、誰かは白だって言い張るんです。言い張るんですよ。で、相手は私が持っているものを黒だと言い張る。私は白だと思うのに。その場合、グレーはどこにも存在しないんだよ。

誰かと一緒にいるということや、誰かと一緒に仕事をするということや、なんだかその他もろもろのことは、私を幸せにしてくれるし、私の首を絞めにかかってくる。どうしろっていうんだ。
みんな好きだけど、みんな嫌いなんだよ。どうしろっていうんだ。

拍手

PR

<<やさしいことHOME明日の服>>