どこをみているの
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2015/06/20 なにげなく
最近、よくyoutubeで森山直太朗の曲を聞いているのですが、やっぱりいいですね。
声とか歌詞とかなんか色々のこと。
中島みゆきの「糸」をカバーしている動画があって、うっかり泣きそうになってしまいました。人のことを、こうして震わせることができる、というのは、やっぱり才能ですよね。
そういえばブログで拍手をいただいたりしていたようですね(なんか回りくどいな)。
コメントも、いただいていてなんだろうと思ったらなんのことはない営業のメールでした。
こういうのあるとちょっとげんなりする。自分の文章がどうのこうのってことでは、ないからね。まあ当たり前ですね。
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2015/06/14 とびきり美しいやつ
「とびきり」という俗っぽい感じと「美しい」という正しい形容詞の組み合わせが結構ぐっと来たりする。そういう言葉に触れたときに「あ、なんかいいモノ見つけた」とちょっと嬉しい気持ちになる。そういう風に、生きています。
最近、自分というものに肩透かしを食らうことが多くて困惑しているけれど、思うに、おそらく自分が思っているよりも自分は何もできないんだなっていう、そのことに、気付こうとしている気がする。仕事をするでも、人間関係でも、文章を書くということでも、やっぱり突飛なことはできないし、私は私以上の何かを残すことっていうのはできないのだと思う。
人間関係が狭いのも、上手くいかないのも、相手がどうのよりも、自分自身の跳ね返りというか結局相手は自分の鏡であるということに今更気付くというのか。仕事も、もう数年勤めてわかった気になっていても、それに固執してしまっては意味がないというか、知っていることとできること、教えること、知ること、は全然別物で、だから最近生きているということがとても乖離していてすごくすごくつらかった。
先日あんまりにも自分の中の、友人との差がつらくて、文章を書けないことがつらくて、仕事の人間関係がつらくて、何もできないということを知った瞬間、知ること、が、もうとにかくそういうものが全部押し寄せてきて死にそうなほど悲しくなって、会社一歩出てわんわん泣いてしまって、車に乗りこんでからもわんわん泣いてしまって、全然泣きやめなくて、アクセル踏んでも方向指示器はねても信号でとまっても涙が止まらなくて、ああもう私も終りだと結構本気で思ったんだけど別に終わってなかった。
もうこれ以上、自分のことわけわかんないんだったら病院行こうかとほんとに思った。思ったけどたぶん思うだけで、心のどこかでいやいや大丈夫やろうと思っているので、だから、たぶん行かないんだろうし、なんかそういうのここで書くのもずるいな。ずるいってなんやねん。
自分の弱さやもろさに耐えられなくて、年をとるごとにすぐ泣いてしまうようになった。誰かの支えを必要にしているはずなのに、誰かに支えられている人を見るとすぐに幻滅してしまう。誰かを支える人を見ると絶望してしまう。私はそうじゃないのだと信じている。そうじゃない、の、なにが「そう」でなにが「じゃない」のかわからんけど、たぶん、誰かと番になって生きている人と、私はきっと違うんだろうと思う。
仕事の同期で、たぶん、彼氏がいないとどうにもならない子がいる。いなくても、そりゃ生きているんだけど、いないと安定しないとでもいうのだろうか。それに、たとえば職場の先輩。先輩も結婚して、よく奥さんのことを気遣っている。その話を、さも一大事のように言う様に辟易してしまう。当然のことなのに。当たり前のことなのに、誰かを支える人や支えられる人を見ると胸焼けする。
そりゃ私だって、一人で生きているわけじゃない。一人で生まれたわけでもない。だけど、誰が私を致命的に支えてくれているだろうか。そんなの誰、なんて、私は答えられない。私が誰かを致命的に支えているだろうか。はっきり言う。いない。
そういうことに、いつも押しつぶされそうになっている、けれど、私は私以上のことをなし得ないのだ。私が支えないのなら、必要とされないのなら、私は誰かに支えられないし誰かを必要とはしない。私は、私以上のものでも、以下のものでもない。
文章を読みかえしたり書いたりしていて、やっぱり創作畑の人たちのように楽しむことはできないしその畑に間借りすることもできない。私は、私が書けるものしか書けない。それはたぶん、特別なことではない。恵まれた才能もなければ恵まれた環境があるわけでもなく、枯渇しているわけでもなく、熱望しているわけでもない。私は私でいるだけなのだ。ああ、なんてばかげていて普遍的な答えだろう。解法はいつも自分の中にあるのだね。
だからまあ、一時期の気が狂いそうなほどの虚無感からは少し解放されたようなされていないような気がしています。
とびきり美しいものを見つけたい。そういう言葉みたいに。
2015/05/10 ぶらさがる午後
久しぶりにこっちで日記を。といいつつ、何も書くことがないので、ということを、いつもここで書いている気がする。
気付けば5月に入っていて気付けば半ばもすぎていた。ゴールデンウィークは日中仕事をして夜は友達と遊んだりしていたので、まあそれなりに楽しく過ごせたように思う。
私は実家暮らしなのだけれど、現在とっても反抗期真っ最中で、もう三十路にもなろうという女がこの体たらくでは本当に将来的に大丈夫なのだろうかと心配にでもなるものだが、心は止まらないのでこのまま大暴走である。まあ、三十路には四捨五入でなる程度なので許してほしい。
外に出るとかろうじてまだ、営業スマイル的なものができる、だって社会人だもん、けども家に帰ってきたときそういうものは全部忘れていて、そう、たぶん言葉さえ忘れ去っている私は、親に何を問われても乞われても言葉が出てこない。表情が出てこない。こんな風でいけないと思っていても、どうしたって顔が動かないのである。まったく。
仕事でもいつも感じ続けているむなしさを、家でもずっと感じていて、どうしていいのかわからない、という言葉の意味すら、たまに失いかけるときがある。
自由でいたい。心が、自由でありたい。そう思うのに、心を縛り付けて枷をつけているのは私だ。なんだって私がすべて私をコントロールしている。ああ、もう、こんなわかりきったことを今更わからなくたっていいのに。わからなくたって、いいのに。
最近、小説もかけてない。別に書かなくていいんだけど、書けてないことにげんなりする。感性がどうのこうのというよりも、このままで書くことができなくたって生きていけている自分にげんなりだ。
誰だって自分にとっての絶対的な何かがほしいんだろうと思うし、私はほしい。ほしいと願いつづける。願い続けるだけで、動かない、典型的な人間だから、そんなものはできるわけがない。
友達、恋人、創作、家族、運命、悲劇、喜劇、なんでも、私を動かしてくれる、何かを探している。探さなくたっていいのに。探している。だからなんだって感じなんだけど…
毎日同じことの繰り返しだからな。なんだかこんな風に閉塞的になっていくのだろうな。
根暗たるゆえんでしょうな。
2015/04/01 さくらのもりのまんかいの
日本人はどうして桜が好きなんだろう。
私も、春は嫌いなんだけど、桜のためなら我慢できる程度には桜が好きだ。いやまあ春のことを好きになることはもう今後ないと思うんだけどさ。国粋主義とかに絡められることも多いような桜だけども、実際はやっぱり美しいからなんでしょうね。それだけだろうね。
新年度が始まって、自分の部署に新人さんが入ってきたりして、別に自分の仕事はそんなに変わらないんだけどばたばたしていました。この一年は本当に勝負な気がしている。仕事の方が。と、思っているだけでストレスになってくるのでもうどうにでもなれという気持ちで行きたい。いけるようになりたい。上に立てない人間ですがもうそれでいいよ…。
小説書きたいとかもうそういう問題じゃない。この一年は本当に屍の様なんだろうな。怖いな。そこから生き返れるのかな。人間に。人間でなくても、何か血の通う人間であれるだろうか。わからない。わからないんだなあ。
何もできないので、何もできない。何もしない、とはちょっと違うような、でも、結局そうであるような。よくわかりませんね。ごめんなさい。今はまだ、茫然としている最中なので。
これから自分がどうしたい、とかも、ちょっとわからないんですよね。不安だなあ。
2015/03/22 リピート
noteでも書いたんだけどほんとにたまにいみわからんぐらい不安になってきて、誰かに死ねって言われたくなるときがありますね。ありませんかね。ないですか。
別に、怒られたいとか否定されたいっていうよりかは、自分が思う自分のダメなところを、人にもちゃんとダメって言ってほしい、というか、なんだろうなあ、今言葉にしてみたらそうじゃねえなって思いました(笑)
めたくそに否定されたい気はある。でも、本当にそんなことされたら悲しいな。打たれ弱いから。ただ、それで傷ついて、そう言われても仕方ない人間なんだって自虐をきわめて泣きたいのだと思います。だからどうなんだって感じだけど、たまに怒られてしくしく泣くとすっきりするときもある。ダメ人間はダメ人間だから、ダメらしく生きて行こうかなってなりますよね。そういうときあるよね。これはあるでしょ。
夢に、最近連絡とってない友達が出てきて、その子と見知らぬ町をドライブしていて。小さくてかわいいカフェがいくつもあったから、二人でどこに入ろうかって、私が運転して、左折したり右折したりするんです。
昔、夢に出てきたショッピングセンターとかも出てきて、なんか不思議な夢だった。そういえば、そのショッピングセンターの夢は、心が萎えているときに見た気がして、結構参っているのかもしれないと、なんとなく、そういう尺度になっていたかもな。
何が参ってるって、本当に何ということはないのですが、でも、なんかしんどくていつもすぐに帰るにはどうしたらいいだろうって、そればかりを考えてしまう。仕事が嫌で、どうしても嫌で、だけど、家にいるのも嫌で、閉塞感ばっかりのような気がしている。そんなことはないのかもしれない。でも、それがよく、わからない。誰か教えてほしい。そんなことないんだよ、でも、そんなことあるよ、でも、なんでもいいから、教えてほしいよ。
正解とか、間違いとか、そんなことはどうでもよくて、どうか、教えてほしい。何が、どういう仕組みなのかってこと。幸せってどういうことなのかってこと。生きる上で、大切にしなきゃいけないことを、三つだけ。
何も考えていない時間が多い分、小さなことで躓いたときの衝撃が酷くて泣けてくる。どうやって解決したらよいのだろうって、でも、それは、自分のことだから、自分で考えなければいけないのですよね。でもね、私は、やっぱり誰かに教えてほしいんだよ。
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