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2014/08/10  おやすみなさいの
せっかくのお休みが台風でつぶれてしまった。明日からは平常運転で仕事だ。
本当は日曜日、美容室に行く予定だったけれどこんな天気なのでやめた。
毎度思うけれど、いつも電話に出てくれるのが男性の川なんとかさんという人なのだが(いつも名前が聞き取れない)、めちゃくちゃフェミニンな対応をしてくれる。フェミニンというか、物腰がやわらかというか、誤解を恐れないで言えばすごくオカマっぽい。
今日も、台風のためにキャンセルしたいと思って電話をしたら、
「ああ、こんなお天気ですものねえ。日にちの変更でしたらできますよ?」と言うのだが、その全体的に言葉が甘ったるいトーンで統一されていて、話し方もすごくゆっくりだ。私の方あよっぽど男らしい話し方をしているのではないかと思わされる。まあどうでもいい。

大阪の文学フリマに向けて無料配布をつくろうと思い立ち、そうしたらツイッターで「号外」というテーマをいただいたので、突然不意に彼氏が浮気をしている、しかも男らしい、というのを知った女子と、浮気相手の男の話を書いてみたのだけれど、ちょっと久しぶりすぎて書き上げるのにすごく緊張してしまった。
話的にはほんとにこれだけで、相変わらずオチも意味もないのだけれど、ある意味私の普段通りのものという感じにもかけたので、まあ、興味持ってもらうにはいいかな、ぐらいの感じだ。あと二作ぐらいは書きたいと思うのだけれど、まるっとあたらしいものを書き下ろすのは元気がないので、サイトに掲載されているやつを少し書き直そうかなあと思います。
でも、正直、何年もサイトやってるくせに全然品数がないのでくそったれなサイトですね。本当に。

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2014/08/09  つめあとのぬくもり
よく、自分のツイートを消してしまう。
というのも、数分してから「ものすごい浮ついたツイートをしてしまった」とよく後悔するからだ。テンションの高いツイートや、小説のことに関するツイートはすごく恥ずかしいと感じる。一人でもくもくと書いているのが普段からの自分のスタンスだからかな。
誰も気にしていないと思いつつ、そういうことを呟くと、誰かが「こいつ小説書いてるっていうの気取ってるぜ」と思うんじゃないかと思う。ので、書けない。というか、自分がそういうことを、人のツイートについて若干思っているからだ。若干、というのは正直少し嘘つきました。結構思っております。アマチュアじゃん、と考えているので、そんなおこがましいことをして、いわゆる「寒い」人と思われたくないというのはある。私が思っているからだな。うん。
自分がしていることは自分に返ってくる、というのは私がよく実感している。だから、人を咎めれば咎めるほど自分もがんじがらめになる。悪いことはできない。

毎回こういうことを話しているけれど、創作のことを楽しく人と分け合えて自分を惜しみなく押し出せる人はとてもうらやましい。
押し出す、と言って、自分の小説を押しうるということではなく、創作を楽しんでいることを惜しみなく、包み隠さずアピールできることだ。
アマチュアだプロだとか関係なく、自分が楽しいと思うことを信じている。そのスタンスは素敵だ。でも、見せかけの部分も多々あるだろうと思っている。というところがまず僻みだ。

そう考えると、じゃあ私は何を書いて何をしたいのか、という根源的な問いになってくる。
今日はとってもはちゃめちゃだな。
本が作りたいというか、やっぱり小説が書きたいのだろうと思う。
でも、きっと本にしないと人には読んでもらえないようなものばかりだし、なんかとっても、つらい。本にしたって読んでもらえるとも限らない。そういうことを、続けられるほど、あんまり強くもない。

新しくて、面白いものを見つけると、同時に、見つけたくなかったとも思う。
だってどうにもならない。
いつか飽きてしまうときがくるんじゃないかと思う。
そういう、つまらない人間だということを、思い知る。なんだか、今日はよくない筆だ。

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2014/08/08  ひっくりかえした本の裏
ときどき仕事をしていると、「そんな遠慮していちゃダメだよ」とか「毅然とした態度も大切だよ」と言われる。言われると、なんかどうしようもなくて呆然とする。
毅然とした態度がとれたらこんなとこで働いていないぜ、と思うし、逆になぜあなたはそんな毅然とした態度をとることができるのですかと聞きたい。不安なことがないのだろうか。
そういうときに、論理的というか理路整然とした中身の人がうらやましいなあと憧れる。すごく仕事ができる人は厄介だし、頭が良い。理路整然。
仕事というのはあまり感情を挟んではいけないのだということは、この三年でよく思うし、感情なんかで振り回されていては、進まない仕事が多々ある。だからこそ、論理づけて理由を探して相手に納得してもらわないといけない。
だけど、私はあまり自分に自信がないし、証拠や理由づけがすごく苦手だ。感情で生きているから楽しく小説が書けるんだと思う。だから、逆に、理由をつけるとか根拠とかはない。あんまり。
自分の小説に破たんがよく出てくるのはそのせいだろう。まあこれは余談。
根拠が明確でも、そこで押すことができない、という場面も多々ある。どうも苦手だ。こっちが、間違ったことを言っていなくても、相手が気分を害して怒ってきたら、そこで正義を振りかざすこともできないので、やっぱり毅然とした態度をとるというのは私には一生無理なんじゃないか。今思った。無理だろう。

小説を書く、というスタンスも、よくブレブレだ。
まあでも、感情で生きているので楽しいと思っているからもちろん続けている。でも、感情で動いているからこそあっちにひっぱられたりこっちにひっぱられたりと結構忙しい。
ただ、友人が言っていた「自分の書きたいものは自分にしか書けない」という言葉がシンプルで結構気に入っている。評価がもらえることは嬉しいし、それがありきで書くことも全く間違いではない。でも、自分は、そういうものに、やっぱり囚われるのは嫌だと思う。自分が書きたいと思うものを書く。そういう、シンプルなことなんだ。

週に一回は自分に言い聞かせないと忘れてしまいそう。

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2014/08/07  恋煩い
髪の毛を切ろうと思って、美容院を予約するととってもおしゃれなことをした気分になる。気分になるだけで、別にお洒落になっているわけではないのだが、しかしおしゃれな感じがする。
どうでもいいが、「おしゃれ」はひらがなの方がおしゃれだと思う。

ここ数日ちゃんと日記が書けているので自分でもえらいと思うけれど、いい加減ネタ切れになってきた。本の一冊や二冊読めていれば感想が書けるけど、最近は日記をつけるということに躍起になっているので読書の時間も割いている。本末転倒だ、と、思ったけとどこに本末があるのかよくわからないので別に転倒もしていないと思う。

よく、男性の先輩が私のことを「姫」と呼ぶのだけれど、そういうことを言ってちょっといい雰囲気を出そうとしているのが見える。
いい雰囲気、というのは決して私のことを好きとか女性として見ているというわけではなく、ふざけてそう呼んでみて、いい雰囲気を醸そうとしている、んだけど、そんな関係じゃないよね、というところを含みつつのいい雰囲気です。うまく言えない。
そういう、「姫」なんて呼ぶと勘違いしちゃう子もいるかもしれないけど、あくまで俺たちの関係はそんなヤワなものじゃないよね、もっと強固な信頼関係があるよね、と、目配せしてくる感じです。お互いに分かり合っているからこそ「姫」と呼んでも勘違いしないよね、という、意思疎通をはかってくる感じ。しゃらくせえ、と思いますが。

私は自分が女性として意識されることはまったくないと自覚しているので、自覚していてさらに自分の「女性」性を売りにする女性は本当に「女性」という性を謳歌しているなあと思います。
もちろん、お洒落をしたりアクセサリーをつけたり化粧をしたり、私は私なりの「女性」を楽しんではいるものの、でもそれはすごく女性の「表面」だけであって、「内面」の「女性」はあまり楽しんでいないというか楽しめないという表現がいいのかな。
男性に媚を売ることが「女性」であるというわけではないのだけれど、そういうことをしてもいいのはやっぱり「女性」だけであって、特権です。別にそれを売りにすることや、「女性」は庇護欲を誘うものだから守られてしかるべきという考え方の女性がいてもそれで良い、とは、思うのだけれども、しかし、そういう女はやはり煙たがられる。必ず敵ができますね。
自分が美人でもないし、スタイルが良いわけでもないから、「女性」としての性をふるうには若干の戸惑いがある。でも、「女性」の性というのは表面の話ではないから、ぞんぶんに「女性」を振りかざせばよいのだろうが、私には内面的な「女性らしさ」みたいなものはないんだなあと思う。
あとはいかに冷静にならないか、もしくはいかに冷静に自分を見極められるか。

そういえば、「どうして恋人作らないの?」という質問に「出会いがないんです~」という奴は自分に自信があって、「出会いがあれば自分でも恋人ができる」と思っているからだという話を聞いた。揚げ足取りみたいだなと思ったけれど、そんな風に思われたらいやだから気を付けようと思ったし、私がもしそんな風なことを聞かれたら「砂利でも食ってろ」と一蹴してやろうと思う。

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2014/08/06  スイカバー
夏だけしか出ないスイカバーが好きです。
あのスイカバーってロッテなんだ。井村屋とかそういう渋いところから出してるものだと思っていた。
果物のスイカが好きというわけではない。もっというと苦手だ。スイカを食べるとカブトムシの気持ちになるんですよね、と、先輩に言うと大体笑われる。
でも、茄子とかキュウリを見ると鈴虫やらコオロギやらを思い浮かべる人もきっといるだろうからそれと変わらないと思う。
私は二人姉妹だったので、姉も私も夏休みにカブトムシに興味はなかったから、虫かごで飼うなんてことはしたことがない。でも、男の子の家に遊びに行ったりすると必ずといっていいほど虫かごがずらりと並んでいて、カブトムシやクワガタを飼っていた。あれってうまく育てられるのだろうか。
今思うと、夏だけ売っているカブトムシやクワガタって、つがいで飼えばまた卵を産んで、幼虫が帰って、夏に成虫になるのだろうか。そうでなければ冬までに死んでしまう。なんというインスタントペットなんだろう。
ハムスターやリスとかの小動物はまだ意思疎通がはかれそうだし「懐く」という概念が通用するように思うけど、カブトムシやクワガタ、そういう昆虫でもとくに季節感の強いものは本当に死ぬまでの様を眺めているだけということなのではないのだろうか。そんなんじゃ到底命の大切さなんてのは学べないと思うけど、よもや親も昆虫でそんなことを目指しているわけじゃあないでしょう。

ということではなくて、スイカの話。
スイカ、果物の、つまり「本物」のスイカは苦手なのだけど、飴やアイスの「偽物」のスイカ味は結構好き。スイカバーもそうですね。あのおいしさは半分はチョコチップのおかげというのもある気がするけど、それも含めてスイカバーは好きだ。それも含めてって言い方ちょっと変だけど、とにかくスイカのアイスはとても好き。
同じ様に、その特徴が誇張された「偽物」の味で好きなものが結構ある。メロンとかレモンとか桃とかそうです。メロンは「本物」の味を食べると咽喉がすごく痛くなる。飲み込むのに勇気がいる。すごく淫猥な感じがするのだけど、そんなことないのでしょうか。とくに熟れまくったメロン。
桃は「本物」も好きだけど同じレベルで「偽物」も良い味を出していると思う。「本物」は上品だし、「偽物」は可愛らしい。どちらも合格点(と個人的に思う)。

ときとして、嘘をつかれた方が楽なように、「偽物」の味の方が特徴を押さえつつも数倍おいしいものがある。
もちろん、生のものを本来のまま口に入れることが一番良いこともわかっていつつも、それでも、やっぱり偽物を選んでしまうときもある。

やっぱり、嘘に似ている。

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