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2015/10/02  「文藝誌オートカクテル特集耽美」感想
◆「文藝誌オートカクテル 特集耽美」/白昼社/B6/1,000円◆
文藝誌オートカクテル執筆陣(掲載順)
伊藤なむあひ
にゃんしー
赤木杏
ひのはらみめい(そにっくなーす)
山本清風
牟礼鯨
霜月ミツカ
恣意セシル
ちょまっこりーな
馬場めぐみ
水銀
eb
泉由良

「耽美」という単語をそれぞれが咀嚼し、組み上げ直し、「うつくしいとは」ということを全員が丁寧に求め続けて仕上げたアンソロジーです。どうぞ、ご覧下さい。装丁画はなかの真実氏。巻末に耽美をテーマにした映画コラムのおまけ付きです。――文学フリマウェブカタログより。
今年の大阪文フリ行けなかったのですが、にゃんしーさんのご厚意で送っていただきました。ありがたや~
装丁がとっても幻想的で綺麗です。点描画って苦手なんだけど惹かれるものがあるよなあ。
上記執筆陣がそれぞれの「耽美」や「うつくしい」というものを、想うままに書いているようです。私の中で「耽美」っていうと完全に「谷崎潤一郎」だったから、そういうある意味で歪んだ性嗜好の話ばかりなんだろうなと思ってて(笑)、大変短絡的でしたどうもすみませんでした。
みなさん、それぞれの表現を大切にしているのだろうな、と思う反面、耽美という言葉、その意味するもの、が、よくわかんなくなったりもしました。
文章っていうのは、必ずしもわかりやすくないといけないとか、一から十まで語らなければならないとか、そういうのはないと思いつつも、アホなのでやはり小難しいのは苦手なのでした。それは普段読んでいるものの違いや、当たり前に、思うことの違いとか、そういうさまざまなことなんだろうけれど。色んな人が書いているものを読むと、頭がついていかない自分のキャパシティーを憎めということだろうか…おおう…
私が一番、耽美的でありわかりやすくてエロいなと思ったのは水銀さんの「秘密」かな。よくあるといえばよくあるんだけど、このこそばゆくてエロくて美しい感じっていうのは、同じ言葉を使っても同じ場面を表現しても、その人でなければ醸せない空気みたいなものがあると思うので、好もしかったです。ちなみにジョージ朝倉だったか「水蜜桃の夜」という漫画が、確かとても似てるんだけど、やっぱり違うから、そういう意味で文章は面白いなと思う。
雰囲気で言えば山本清風さんのとかも好きだった。点滴が金魚鉢とか、意味不明な登場人物とか病院の設定とかも。赤木杏さんの「シンデレラ」も好きで、お姉さま二人の描写がよかったな。醜いものを美しく描くことを得意とされているのだろうか。
それぞれが好きだと思うものと美しいと思うもの、それは逆説的に醜いもの、危ういもの、恐ろしいもの、奇妙なもの、ナンセンスなもの、自虐的なもの、グロテスクなものを描いているのだろう。完全に好みだから、そういうわけで、私はわかりやすいのが好きだなと思います。あほだな~文学的になれそうもない。

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2015/09/23  宇木様へ
本当に遅くなりました。
休止中なので、絶対にコメント等ありえないと思っておりました。本当にすみません。
ご覧になっているかわかりませんが、お返事差し上げます。以下反転。

宇木様
拍手にもこちらのブログにもコメントいただいておりましたのに、遅くなりまして本当に申し訳ありません。
宇木様もご覧になるように、現在は休止中という形をとっております。
近く再開はしたいなと思っており、その際に、宇木様がおっしゃってくださっているお話もまた公開したいと思っています。
ただ、物語の中で粗も目立っているため大幅に修正中で、過去作品等の公開はあまり検討していません。HPを再開した際には、より、精密な物語として楽しんでいただけるよう尽力します。今しばらくお待ちください。
こんな辺鄙な場所で、コメントいただきましてありがとうございました。

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2015/09/21  「スクラップ・アンド・ビルド」感想
◆「スクラップ・アンド・ビルド」羽田圭介/文藝春秋◆
「早う死にたか」
毎日のようにぼやく祖父の願いをかなえてあげようと、ともに暮らす孫の健斗は、ある計画を思いつく。日々の筋トレ、転職活動。肉体も生活も再構築中の青年の心は、衰えゆく生の隣で次第に変化して…。閉塞感の中に可笑しみ漂う、新しい家族小説の誕生!第153回芥川賞受賞作。――アマゾンより
又吉直樹の芥川賞受賞が同時だったためなんとなく影に隠れている…と私は思っていたし、結構そう思ってた人もいるんじゃなかろうか。でも、私は読むなら絶対こっちだなと思っていて。これはまあどうでもいいプライドと、ずっと昔、羽田圭介のデビュー作「黒冷水」を読んだのを思い出して、「あ、羽田圭介が芥川賞とってる!!!」っていう驚きと、なんだかんだ、十数年も作家を続けて頂点とも言われる芥川賞をとったんだなこいつ(というなぜか上から目線)という感慨深さに惹かれたのもあり、久しぶりに、芥川賞に選ばれたということはおそらくがっつりの純文学読みたいなと思って手にとってみました。
あらすじは完全に上のとおり。しかしまあ文章、というか、なんだろうか言葉の運びがいいな。男のシンプルなよさをいかした文章、というか、必要最低限のことしか書いていないのに、読むことのできる文章というのかなあ。ストーリーについては、私は大して考察しなかったしめちゃくちゃ面白かったかというと別にそうでもないし、捨て置く人は捨て置くだろうし、っていうもので、だけど、文章の美しさ、飾らないその言葉が私はとても好感が持てたなあというか。まあプロだからだけど。とはいえ、これが芥川賞か、というと、密度が低いような気もしたけども、いいな、と思った。スクラップアンドビルド、は、老いていく祖父ともう一度歩き出そうとする青年のことでもあるのだろうし、アマゾンのレビュー見てたら結構面白く考察してる人もいてなるほど~ともなったんだけど、私は読んでいて、羽田圭介自身の崩壊と再構築なのかなと思っていた。
完全に個人的な妄想でしかないし、羽田圭介の作品はデビュー作の「黒冷水」とこの「スクラップ~」だけなんだけど、この差が歴然としていて、この十数年の間で彼に何が起こったのか、というか、文章を書くこと、壊れること、生きること、もう一度再構築して生きること、なんかが、全部、詰まっているような気がした。主人公の健斗のうだつの上がらないぐらいがすごいリアルで、これはきっと本人なんだなと思って。純文学ってそういうところがいいなと改めて思う。
最後の方で、実はじじいはボケ老人じゃねえんじゃねえか?!と思うところもあったりして、だけど、あんまり健斗はわかってなくて、もう自分のことをじっと考えてしまうんだよね。それぐらい、今まで、自分と向き合ってなかったんだろうなって思った。私は。最後の一節で、
「どちらにも振り切ることのできない辛い状況の中でも、闘い続けるしかないのだ」
っていうのがあって、ああきっとここが書きたかったんだなと、なぜか感動しました。

私もなんか書こうかな~

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2015/09/13  あなたのことだから
最近思った話。

私は精神的な潔癖症のために、一度苦手だと思うと徹底的に嫌おうとする習性があるな、と、秋風に吹かれながら改めて思う。秋は不思議と内省的な声がよく聞こえる。
その一方で、好きにならなければならない、という気持ちも少なからずあって、一度こだわりを持ってしまうと、嫌いだろうが好きだろうが、それに苦しめられる。
しかし本当は、無理に好きにならなくていいし、無理に嫌いにならなくていい、ということも、あかっていはいる。できているかは別の話で(最近これ多い)。

嫌いになろうとする、って、すごい疲れる。まあ、好きになれないから、それをそのまま放っておくということができず、嫌いになろうとしてしまう。好きではない=嫌い、という、単純明快すぎるその計算式にいつも踊らされている。簡単なことほど、大人になってからは難しいし、それが本当の正解だった時期は、当にすぎているんだろう。気持ちの上でのグレーゾーンというものを、もてると、もう少し楽になるんだろう、と、思ってはいる。思ってはいるのだが。
「案ずるより産むがやすし」って言葉を残した奴は、案じたことがないはずだ。本当に心の底から案じる奴は、産むまでが流すぎて、産んだ後すら案じているに違いない。と、思う。思うだけだ。

そういやあ秋ですね。涼しくなってとても嬉しい。
この間はあまりにも嬉しすぎて、ニットを着て行ったら周りに見てくれが熱すぎると非難をうけました。でも、懲りずにニットを着るよ。もう9月だもん。
しかし季節の変わり目についていけなくて見事に風邪を引いています。水みたいな鼻水がとまらない。とまらなさすぎる。どうしてっていうぐらい出てくる。こういうときは、寝るに限る。
秋の夜長を寝て過ごすなんて、なんて贅沢だろう。

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2015/08/05  はなしておきたいこと
誰かに話したいと思うことほど、ほとんど人に言えないことだったりするからどうしていいのかわからなくなる。話したいと思う。聞いてほしいと思う。相槌を打ってほしい。だけど、話せない。そういう鬱屈から、人は何かに救いを求めるのかなとかいう。どうでもいいことを。口が堅い人って本当に尊敬するよ。すごいよ。

ひょんなきっかけですぐに仲良くなってしまうと、それがいいことなのか分からなくなってしまって、一瞬距離をとりたくなってしまう。それなりの距離感がないと、きっとダメになるんだろうっていう気がどこかにあって、ずっとそうで、だから、自分一人の時間も取りたいし、相手のことを考える時間が欲しい。友達でも、恋人でも、自分の中にできた彼らの居場所を、綺麗に掃除してあげたくて、そうなると、やっぱり一人でせっせときれいにしたい。
だけど、そういう気持ちを相手にはうまく伝えられなくて、相手が急くと、どうしたってうまくいかなくなってしまう。私も、もしかしたら掃除をしているつもりが散らかしているのかもしれないし。ただただ、自分の心の波が、静かになるのを待つしかないのだろうな。

ツイッターでもつぶやいたけど、noteが8月31日で一年を迎えるので、いくつか抜粋して本にしようかなあと思っている所存。さすがに全部を載せることはできないので、随想録みたいにして、私がお気に入りのやつと、スキが多いやつにしようかな。そんでカテゴリ分けとかしてみようかな。書きおろしもちょっとだけいれてみたりする。嬉しいことに、解説をつけてくださる方が見つかったので、随想録の後ろにあるのってちょっと面白いかなと思ってお願いしようと思います。
いつものことながら自己満足ではありますが、やっぱり楽しいよね。なんだって、どうしたって。エッセイ、ではないからちょっと違うなあと思いつつ。随想録ってそもそもどういうものを言うのかも私はよくわからないんだけど。徒然草みたいなもんかな。楽しみ。
ほかにもやりたいと思っていることがあって、そっちもじわじわ進めたい。
それでなんとなくnoteを読みかえしてたんだけど、書き始めの時ってちょっと気取っちゃうのか、とても説明的な文章だなと思って、最近のものの方が感性的で我ながらいいなと思っていた。一年も経つと、やっぱり書き様が変わるのかなあ。

今は、本当につかの間の、自分が無敵だと思っている時期だなと思います。今後、醜く嫉妬に侵されそうになったとして、それでも、今は私は無敵なんだ。
ふとしたきっかけで、私のまわりの人のこと、私はとっても好きなんだな、と思っていてもたってもいられなくなってきて、もしも死ぬならみんなの、好きだと思うところを手紙に書いて渡したいというようなことをツイッターでつぶやいたら、フォロワーさんが、はなえさんは、好かれるために小説を書くんじゃなくて、好きでいるために小説を書くんですね、というようなことを言っていただいて。なんだろう、と、好きってどういうことだろう、って、思っていたんだけど。
私は、確かに、ものごとを、好きになるのが好きだなと思う。これはみんなそうかもしれないけど、好きだと思うものはとても大切にしたいし、好きだと思うものを思う存分愛でたいな、と思ったし、いつも絶望してばかりだけど、私の周りには好きなものばっかりがあふれているな、なんてことも思って。幸せに生きているんだなって。我ながら思いますよね。
だからいつも死にたくなって絶望して、だけど、やっぱりそこには、好きなものがたくさんあるんだなあって。思う。なんだこれ。
自分ではあんまりわからないんだけど、そういうのがちゃんと小説にも表れているよと言ってもらって、別に褒めたつもりもその方はないんでしょうけど、すごく嬉しかったしほっとした。自分が、わけもわからずいつも好き勝手に書いているものが、そうして意味を与えられることはとても嬉しい。遅筆だけど。

ああ、とっても気分がいい。仕事いやだな。そればっかり。

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