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2016/02/24  おしらせとかなんやら
こちらではご無沙汰です。サイトを復活させようさせようと思ってはいるのだけど、構想がまったくまとまらない。シンプルで使いやすい・難しくない、というのが目標なのだが…

そして一年…いや、二年ぶり?の新刊が出ます。
noteで2014年8月~2015年8月まで書き溜めたエッセイの再録+書き下ろし+解説付き。

「Letter to ME」
みなもとはなえ著
B6判/140頁/500円(予定)
一年間書き溜めたエッセイの再録+書き下ろしです。
解説:いくとも



画像だとなんかショッキングピンクみたいになってしますが、もう少しアプリコットというかコーラル系のピンクです。でもまあピンク一色です。
4月2日の名古屋コミティアで新刊として出した後は、5月1日の文学フリマin東京で頒布予定です。5月の文フリで、もしも間に合えば短編集も出したいところではありますが、難しいかなあ。これから頑張ればどうにかなるかもしれないけれど。自分が頑張る気がしない(笑)

一年間お休みして、それは、仕事のためだったり自分の精神的なことのためだったりしたけれど、それでもちまちまとnoteを書き連ねたりして、思ったのは、やっぱり書くということは楽しいし、それ以上でも以下でもなく、そういうものなのだなっていうことです。上手く言えないけれど。
私は生来の精神的な潔癖症の所為で、色んなものに意味を与えたがっていたし、意味がなければ捨てなければいけないという気持ちもよく持っていたけれど、こうしてnoteで他愛もないことを書くということが、馴染んできて、別に特別な理由なんかいらないっていうことを、改めて、バカみたいに単純なことを、実感したなあと思う。
そりゃあ色んな人に読んでもらうことも楽しいし、読んでもらって褒められれば鼻は高いし、勘違いもするし、それはやっぱり楽しい。楽しいけど、破たんするんだと、自分は感じました。しんどい、と、思う気持ちが出てくると、それはまるで苦行のようになるし、思うようにかけることもなくなってくる。
そういう状態になってしまって、自分を恥じたし、なんだかとっても大きな過ちを犯した気分にもなりましたけれども。
私は、書くということが好きだという、それだけだ。意味はいらない。意味は与えられない。意味は、ない。
いつかのために、書き記しておこう。

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2016/01/09  I need you more than DOPE
いまさらですがあけましておめでとうございます。
新年あけてもう10日も経つなんて私は信じていません。いつもこうやって時間が無駄に過ぎていくと思いながらも、じゃあどんなのだったら無駄じゃないんだろうと考えつつ、そんなのはわからないので私はいくつになっても無駄だと嘆きながら暮らしていくんでしょう。

昨日ぐらいからめっきり寒くなって、とはいえ全然寒くないなと思いつつ、しょんぼり暮らしています。もっと寒くならないかな。
大体一日のうち3/4を職場で過ごしているゆえに、仕事で何かを引きずるとすごくしんどい。これはどうして仕事ってあんなに引きずるんだか。
自分のやっていることがどれだけ意味のあるものかどうかは、あんまり考えない性質、というか意味がないってことを知っているので考えても仕様がないと思っているのだけど、しんどいとそっちに意識が寄っていって、わかりきってるはずなのに「私がやっていることには意味がない」という悲しい結果に打ちのめされます。自分が楽しければいいけどそういう楽しみもないから余計に悲しい結果です。
「仕事は楽しいわけがない。楽しくなくて当然だから」という、以前人事課の課長が言っていたけれど、まあ、仕事は楽しくなくても楽しめるようにあればいいなあとは思う。思うけども。
私はできそこないの社会人なので、会社に勤めている以上はいつもこういう気持ちなんだろう。

考えても仕様がないから考えない、って、嫌だなと思うが、最近はとみにこういう兆候が見られる。自分に。人の所為にするわけじゃないけど、私が苦手とする先輩がこういう感じで影響されてるのかもしれない。先輩の考え方はすごくシンプルで効率の良さを求めるゆえに無駄なことは考えないタイプ、で、ポジティブなんだけども、私の場合はそれが私持前のいびつさからネガティブな方にひっくり返っている。意味がない。
脳みそは使わないとどんどん腐っていくから使わないといけないし、私みたいなのは考えてなんぼだと思うのだけど。言葉にも見放されて自分の思考にも見放されたら、もうどうやって生きていくのかっていう話だ。生きてるけども。別に。

誰かに寄りかかれたら今はどこまでもずぶずぶと寄りかかってしまう。寄りかかってしまうけれど、そのまま通りぬけて地面にたたきつけられる。自分の質量分の衝撃が自分を襲う。のが怖いから必死で寄りかかる寸前まで体を傾けてとどまっている。今が一番、辛いのかもしれない。

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2015/12/28  「nnmliner5」感想&2015年振り返って
◆nnmliner5/斜線著/B5両面1枚/白黒40円◆
ツイッターでよくお話ししていただく斜線さんのフリーペーパーです。ネットプリントってすごくいいなって思います。今までは冊子型のフリーペーパーだったそうですが、最近はかなりシンプルなものにしたそう。前回も「MILK」というフリーぺーパーを入手させていただきましたが、今回のものはそのときよりも読み物感が強く、とてもよかったので感想を(といいつつもそんな大仰なものにならないでしょうが)。
片面は斜線さんの近況やら、ハマりごとについて。私はこういう文章が好きで垂涎。その人が普段どんなことをしていてどんなものが好きなのかっていうこと、どうしてそれが好きなのかを、丁寧に文章に起こされることに目がない。しかも、それが当たり前のこと、たとえば今回は斜線さんの好きな音楽やアニメについてだったけど、そういうことっていうのがいい。なんか変なアクティブな趣味とか変わり種とかだったらつまらない。説明口調ほどつまらないものはない。斜線さんの、物質を物質として表現する言葉がまた、日常を語るのにちょうどいいと言うのでしょうかね。
もう片面は短編「UNICORN」が掲載されています。「彼女」はいつも、自分をさらってくれる何かを夢想している。日常に降り立つ非日常がまた、斜線さんの硬質な文章で描かれることに意味がある。普段の、情景描写だけでなく、少しファンタジーな感じが絶妙でした。何回も読み直してしまった。お話、というのは、描写だけでは成り立たないのではないかと思うときもあるんだけど、やっぱり力量なのかなあ。特に、
「毎晩剃刀を当てなければ清潔を保てない脇や手足、下卑た視線を集めるだけのやや大きめな胸、大人に見咎められない程度に薄い化粧を施した平均値の顔、全て気に入らなくて今すぐ捨て去ってしまいたかった」
の一節がめちゃくちゃぐいぐいきました。こういう文章を一節でも作り出せたのなら勝ちですね。
斜線さんがハマっているという「アドベンチャータイム」も気になったし、「ハッピーツリーフレンズ」とか「サウスパーク」見たくなってきました。

****

はい、そういうことで2015年の読み納めに斜線さんの文章が読めて幸せだなということと、振り返ってみようと思ったけどこの一年は小説書いたりをほとんどしなかったのであんまり振り返ることがないんじゃないかということに今気付きました。やられた。毎年言っているのですが、仕事の関係で年度が終らないと一年経ったという気がしないから道半ばみたいな気もするんだけど。
◆書くことについて◆
1年振り返ってみてそういえば私、2015年に「みなもとはなえ」に改名したのでした。そうだった。今年は仕事の関係でイベントに出るっていうことはしなかったけれど、noteで短編を書いたり名もなき掌編を書いたりして、好きなように書くっていうことができたなと思います。
そして商業でもアマチュアでも、本をちまちま読むこともできて色んな人の文章に触れられたのだと思います。もちろん、たくさん読んでいた時期には劣りますが、それでも、色んな人の文章に触れたことで、自分の文章を書きたいなと思うようにもなれたから、まあよかったのかなと思う。色々な人がやっていたので、書いたものの振り返りをやってみると
・ふるえてなんかない https://note.mu/losmrn/n/nd30358cc51dc?magazine_key=mfffb319e7299
・思い出の思い出 https://note.mu/losmrn/n/n20d59ef8d476?magazine_key=mfffb319e7299
・さくらのよる https://note.mu/losmrn/n/n1bc20168a873?magazine_key=mfffb319e7299
・短歌に寄せる三つの掌編 https://note.mu/losmrn/n/n6d6122f0c051?magazine_key=mfffb319e7299
・マチルダのこと https://note.mu/losmrn/n/n170c97ebbb8f?magazine_key=mfffb319e7299
・untitled https://note.mu/losmrn/n/nc3b8e24eb528?magazine_key=mfffb319e7299
・海の恋人 https://note.mu/losmrn/n/n650816d1fece?magazine_key=mfffb319e7299
・どうでもよくない人たちへ https://note.mu/losmrn/n/ne56654da16d3?magazine_key=mfffb319e7299
・あの夜 https://note.mu/losmrn/n/n83f9da8ba400?magazine_key=mfffb319e7299
以上8作でした。あとはちょこちょこブログで切れ端みたいなのは書いたり書かなかったりしてたかな。全て短編です。あとは、上記で感想を書いている斜線さんと始めた不定期連載の「monstersh」という企画もぼちぼち書いたりできて、なんだかんだ、書くっていうことができてよかったと思います。
そしてお声かけをいただいて拙作「さよなら」より「CHILDREN」をコピー本として委託してもらって読んでいただけたのも大変嬉しかったです。
ある方が、イベント合わせで書くっていうのはしんどくて、書いている自分と、そうでない自分とのかい離が疲労となる(と私は読み取ったけど)、とおっしゃってて、本当にその通りで、私がこの一年休んだのはそういう理由だったから気持ちは痛いほどわかる。わかるが、しかし、やっぱり好きだろうから離れはできないのでしょうし、真摯に向き合っている故に、そういう気持ちになるのだとも思う。
書くことや、趣味で何かをするということについては、人それぞれの考え方があるだろうからなんでもいい。趣味のままでいいという人もいるし、その道を極めたいと思う人もいるでしょうし、本当にさまざま。私はそういう人たちを見て辟易もするし軽蔑もするけど、やっぱり最終的には、その人の納得のいくまでその人ののぞむようにどうにかなればいいなと思うし、楽しんでほしいと思う。結局、あなたはあなたであり、あなたでしかなしえない、あなたのための何かがあるのだろうから。私も、そうだから、そうするし、あなたもそうだから、そうしてほしい。とかいう脈絡もないことを思います。どうでもいいんだけども。
趣味で苦しむってやっぱおかしいと思う。それを快楽的に思うのもおかしいと思う。これは半分、自分への戒めだけど。ただ、やっぱり、愛してほしいし、愛されてほしい。色んなものに。よくわからなくなってまいりました。
2016年は、名古屋コミティアにエッセイを持っていけるようにします。あとはサイトの再開も。これからはオフライン中心にしていきたいなと思ってます。毎日の、当たり前のことを、当たり前のように描けたらいいな。
◆私生活について◆
小説を書くとかいうことについてはかなり落ち着いていたつもりなんだけど、私生活がバタバタで、ほんとうに自分の感情に振り回されっぱなしでどうにかなっちゃうんじゃないかと思っていたらもう12月になっていた。あっという間だったな。あっという間でした。4月から11月ぐらいまで全く記憶がない。6月ぐらいからずっと情緒不安定で泣いてばっかりだったのが嘘のようですが、朝起きるとき夜寝るとき生きてるなあってなんとなく思ったりしていました。とりあえずって感じで。
人を嫌いになって憎んで引き裂きたくなって、同じぐらい自分のことが嫌いで嫌いだって言われたくて死ねって言われたくてどうしようもなくて、もがいてももがいても何も楽にならなかった。ならなかったのに、呼吸は続けて生きていた。不思議な生き物でした。我ながら。
自分は本当に潔癖症だし、変なところで真面目だからそういうことが生きづらいなと思っていて、だけどいい加減にも慣れないもんだから困りました。現在進行形です。
ただ、自分で何かをなそうとしなくなったようにも思います。良いのか悪いのか、バランスを見なきゃというまた呪いのような言葉を感じながら、また呼吸をつづけます。

どういう振り返りやねん、とおもいつつ。
みなさんにとってこの一年はどんな年でしたでしょう。
来年がみなさんにとって実り多き年になりますように、ご祈念いたします。
良いお年を。

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2015/12/15  わたしのはなしをきいてください
11月は一回も立ち寄ることなく終わってしまいました。お元気ですか。誰にあてているのかわからない、私の時候の挨拶です。

11月は屍のようでした。と言って、10月も9月も8月も屍でした。私が生きていたのは4月まででしたというのは嘘ですが、そういうのすらもうよくわからなくなる一年でした。
12月に入り、今年もあと15日ちょっとになっていることに驚いてながらも、驚いているという体なのでなんとも言えません。あんまり驚いていません。どうせだらだらしていたら一年が終わってしまうのです。そういうものなのです。今年は特に。
ストレスで呼吸が浅くなっていて、苦しいので、深呼吸をする癖がつきました。肺の中を空っぽにするまで吐きだして、できるだけ腹式呼吸をするようにします。少しだけ、お腹が筋肉痛です。

10月の終わりに恋人ができました。とっても好きです。愛らしいなと思って、色んな人に彼の話を聞いてほしいと思ってしまいます。素朴な人です。服がとてもダサいです。かわいいです。優しいです。ご飯を驕るのが男の甲斐性だと思っているみたいで、私がお金を出すと怒りますが最後にはありがとうと笑ってくれます。全然かっこよくないけれど、横顔がとっても好きです。
そういうことがあったので、仕事をしててもふわふわして前ほど嫌だと思う気持ちがなくなってきました。
あんなにも誰かを好きになることが怖いとか、できないとか、自分が愛されるわけなんてないと思ってたのに、あんなにも孤独を謳っていたのに。今はもう、恋人のことばかり考えている。
私は都合がいいなといつも思う。彼氏がいれば嫌なことも軽減される。逃げる場所がある。都合よく、自分に合わせてくれる人にいてほしい。寂しいから。悲しいから。幸せで、いたいから。

もっと大事なことを考えないといけないような気がしています。気がしているだけで、目の前のことも大切にできないのならもっと大事なことなんてない気もしています。
私は毎日生きているのです。たぶん、生きているのです。浅い呼吸でも。

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2015/10/25  I shall be released
近況その1
気付いたら10月も終わる。怖い。そんで一気に寒くなった。日中はあついのに。
8月の終わりから怒涛の勢いで残業ばかりしていて、やっと10月でちょっと区切りがつきそうだ。でも、区切りがついてしまったら何をしていいのかわからなくなりそうでそれもまた心配である。
後輩と話していて、決められたことしか上手くできないから困ったという結論に至った。
自分で何かをつくりだすとか、考えるとかいうことのむずかしさを感じる、社会人四年目。
四年目って微妙だな。あんまり胸を張れないし、べつに張るほどのことでもないのだろうし。仕事は中途半端だし。ちぇ。

近況その2
拙作「さよなら」と「CHILDREN」の感想を立て続けにいただいて、とても光栄に思います。人のことを「怖い」とか「おかしい」とか思う瞬間があって、それを書きたいと常々思っていたので、そういうことを面白いと思ってくださる方がいることに救われる。
人のことを好きになるのも早ければ、嫌いになるのも早い。人の嫌いなところを見つけるのが上手いのだろうと思う。これもまた、胸を張れない特技だ。でも、そういう私だからたぶん、書いているのだろうと思う。
書いたものを読んでもらって、こんな風に考えてほしいとかそんなことはないんだけど、ただちょっと嫌な気持ちになってくれたら嬉しい。そういうところ、あなたもあるでしょ、って思ってくれたら嬉しい。私のこと、性格悪いねって、ちょっと見方を変えてくれたら嬉しい。
というか、書いている私もけっこうえぐられています。基本的に私小説だから。

近況その3
誰も、結構、自分のことを正しいのだと思い込みすぎているのだと思う。もちろん私を含めて。これは近況その2にも通じるところがあるけれど、そういう人ばっかりですごいしんどいと思う。思いませんか。思うんですけどね。しかもそれ、みんな結構な頻度で無自覚なんだよ。
無自覚だから、歪んでくる。人との関係に。そんで、怖いとかおかしいとか、私は思う。
とある人と思考の分離が発生してしまって、それはきっと、少なくとも相手が自分が正しいと思いすぎているのだろうというところがあったと思う。
客観的にみて、悪さ的にいれば私が悪いのかもしれない、けども、私が完全に悪いかというとそれはやっぱり言いきれないんじゃないかと思ってて、まあそれは、私には私なりの正しさがあるからなのだけど、それ考えだしたらめんどくさくて、放棄しました。
さかのぼってみれば、私も、昔は厳格に厳密に正しさを追い求めてたのだろうと思う。今もそうなんだけど、でも、昔よりはいいと思う。ああ、でも、最近先輩にも「100%は無理だから」と言われることが多いから、つまりは、少しは緩めろってことなんだろうなって思います。

近況その4
何が書きたいのかめちゃくちゃだけど、心躍ることもあって、楽しい。

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