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2014/10/09  絶望の日もまた眠る
すえのぶけいこの「ビタミン」で、いじめられている主人公のモノローグで明けない夜はないと誰かはいったけど、明けない夜がほしい」というのがあったと思う。それを見たときに私は結構な感銘をうけた。そうか、明けない夜はない、っていうのは希望の意味ばっかりじゃないんだなあ。みたいなこと。
そうか、なんでも、そういう前向きなものばっかりじゃないんだなっていう、なんかそんなこと。

自分の感情や精神のバランスがおかしいな、と思うときがある。まあ、つまりはバイオリズムの谷なのだろうと思うが、誰かとずっと話していたかったり、少し冷たい風に当たると泣きそうになるほど悲しかったり、抱かれたかったり、仲の良かった友達に嫌悪感を抱いたりする。そういうのが巡り巡っている。今は、どの谷なのだろう。自分でも皆目見当がつかない。
そんな自分を拒んでも、忌み嫌っても、絶望しても、次の日の朝が滞りなく進むように服を用意し、鞄の中のハンカチを入れ替え、携帯を充電する。絶望したってあったかいほうじ茶を飲むし、こうしてブログを書いているし、このあと寝る寸前までネットサーフィンをする。
隣家の子は、夜の十時ごろに決まってフルートのチューニングをしている。たまに聞いたことのあるような曲も吹いている。上手くはない。ふけてはいるから下手でもない。奇妙な五分ほどの調べが続いて、不意に途切れる。この時期は大体毎日。父はその非常識な時間に楽器を吹くことに憤るが、私は父の憤りの方が聞いていて腹が立ってくるけれど、それを言ったことはない。父が夜中、イスを動かしたり机を動かしたりするときに、家具の脚と床のすれる音の方が気に障ることを、それでも、言ったことはない。絶望していても、そういうこまかなことがどうでもよくなるほど、絶望をしたことはない。そういう日だって、ちゃんと眠る。父の音がうるさいと思っていても、眠る。明けない夜は存在しないのだから、眠る。

自分が今までどれだけの人を切り捨ててきたのかよくわからないけれど、なんだかそんなことを思い出す文章を読んで、ひっそりと悲しくなって泣いてしまう。
でも、それは、もちろん悲しさもあるけれど、私の行き場のない悲しさを表現してくれる人がいるのだなあという、そういう気持ちだ。嬉しかった。悲しかった。でも、嬉しかった。
とみに寂しいな、と思うことがあっても、でも、別にもう、一人で平気だなとも思うようになった。だってどうしたって、一人で耐えて行かなければいけないんだ。私は、友人のように強くもないから恋人を作ることはできない。友人のように弱くもないから恋人を作ることはできない。何にしたって、私はずっと一人なんだと思う。みんな一人、だけど、私ほど一人を確信してる人もそういないと思う。なんて。なんとなく。世界で一人なんて、みんな、一人だけどね。なんかよくわかんなくなってきたけど。

心をまっすぐに射抜く言葉は、やっぱり素直で純粋な言葉だと思う。
大体の、共通認識としての「素直」とか「純粋」の基準、と、その人の心根から出た言葉がマッチするとものすごく力を発揮すると思う。言葉は、やっぱり飾らぬものの方が良いと思うし、もちろん、ひねくれていない方がいい。
「素直な気持ちをいってごらんよ」と言われて、私だって「素直」なことを言ってるのに、大体の「素直」の基準には合致しないことがままあるので「そんな意地張っちゃって」とかいうことを言われて、訂正させられる(と思ってしまう)のはなんだか腑に落ちない。もうそれって「素直」に「素直」のバイアスかかっちゃってますよね、と、言いたい。バイアス。
もうそういう通過儀礼的なものが面倒なので、じゃあ、常識に収まる範囲内の「素直」を言う。そうすると認められる。賛同される。でもそれは、私の「素直」じゃないんだけどね。
だから、心根が純粋な人が純粋な、素直な言葉を言ったらばそれはもうすごい。
私の中で「素直」と「正直」が混じってるところもあるので、そこはすみわけした方がよいのかな。そうするとそもそも「素直」フィルターがあるのだろうから、結局「素直」ってのは「正直」とは違って、「正直」は歪んでてもゆるされるもんね。なんとなくだよ。

そうして無駄に言葉を重ねた絶望を抱えて、やっぱり私は眠る。

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2014/10/07  叱って
運転中になんとはなしに曲を聞いていて、不意のフレーズにはっとすることがある。結構ある。そうすると、はっとした曲をしばらくエンドレスでリピートしてしまう。
最近はモーニング娘。の「memory~青春の光~」を聞いていて(古い)、さびの「新しい彼女のこと私みたいに愛さないで」というところに胸震えるのだった。
最初は、「私の方が特別なんだから、私と同じ様に愛したら許さん」っていう意味だと思ってたんだけど、「私のことを愛した方法で愛したら、新しい彼女ともダメになっちゃうだろうからそれはやめて」ってことかと思うと胸が……というか、99パーセント前者だと思うんだけど、後者だったらめちゃくちゃときめきます。女の子がこっぴどく振られるとか結構好き。
今は、FLiPの「叱って」をリピートしている。これは、おそらく浮気の歌なんだけど、まず歌い出だしからビッチで「誰と何してても愛してるんだから許して」とか言っちゃう。そんで、「あなたの常識をいつもいじめたくなるの」とか言ってる。この言い回し最高。
歌自体は、なんかもう、ほんとにクソ女だなこいつ、と思うけど同時にかわいいな~~ってなっちゃうのでやられます。

ちなみに、どうでもいいけど、サイトでもアップしている「エニバデ」のテーマ曲というかBGMというかイメージソングはこの「叱って」。
全然知らなくて、エニバデ書き終わったぐらいにFLiPのアルバム買って聞いてたら不意に「お?」となり、もう完全にエニバデに出てくる「美紀子」にしかあてはめられなくなってしまいました。
かわいくて貞操がないってどんだけ小悪魔な女の子なのだろう。かわいい。馬鹿だ。

女の子はバカなほどかわいいですよねえ。

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2014/10/02  泣かないでちょうだい
秋はとても好きだけど、秋が一番落ち着かない。
ちょっとひんやりした風を浴びるだけで、もうこの世の終わりのような寂しさでいっぱいになって耐えられなくなってしまう。
色んなものをかみちぎってぼろぼろにして、何もかもが全部無駄になってしまえばいいのにと思う。好きなのに、不安定だ。不安定だから好きになるかもしれない。よくわからない。ただ、悔しいという気持ちばかりが体の隙間とか狭間とかそんなところから漏れ出してくる気がする。
何が悔しいのかはわからないで、ただ、自分という存在に悔しさを感じるのだった。悔しい。悔しい。悔しい。

そういえばfc2がやばいとかいう話をちらほらネットで見かけるのですが、もう今更サイト移行とか面倒で…面倒で…うう…
動画の方が危ないということなので、ホームページスペースの方は大丈夫…だと信じたい…けど…どうなることやら。
ブログと合わせて忍者ツールズにした方が楽なのかなあ。といって、セットアップの服でもないのでブログとサイトが同じサイト使ったからといって楽になるとか云々なんてないよ。うん。
もしくは、もう色々限界もあるので、ブログ一括にしましょうかね。いやでもやっぱりそれは面倒だから却下。
面倒だ…
有料ドメインとかの方がいいのかな。さして高くないよね。ないけどね。でもちょっとそこまで頻繁に更新するかというとしねえ…しねえぞ私。
そういう感じで10月だな。

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2014/09/26  それと同じじゃない?
サイト久しぶりに更新しました。更新っていうかなんていうか。
文フリで頒布した「More in YOU」に収録した二編と、無料配布でおまけにしていた「エニバデ」をアップしました。
個人的には「エニバデ」と「殉教」がお気に入りです。
「銀色の」は、昔から何度も何度も書き直したり眠らせたりしているお話だったから、今回やっと未練なく送り出せたなあという気がする。
「エニバデ」は、今まで文庫を手にしていただいた方には送付させていただきたいと思うので、大して需要はないと思いますがお声かけていただけたら嬉しいです。まあ、サイトにあげてしまいましたが、「さよなら」に収録した「聖家族」のスピンオフとして書きました。
「聖家族」は、サグラダさんという男性と、麻理也ちゃんという26歳処女のお話なんだけど「エニバデ」はサグラダさんの義妹の美紀子ちゃんのお話。まあ、これ読んでもらって、「さよなら」にも興味をもってもらえたらそれがいいなあ、という気持ちでした。貞操観念が低い美紀子ちゃんですが、守るべきところは守ってるぜ、という気持ちがあるんですよ。たぶん。
「殉教」は、私がとっても、大好きな、一人の男を巡ってゲイと女の子が戦うという、まったくもって私にとってはテンプレなお話なんだけど、そもそも、「号外」というてテーマで書いたものでした。「自分の彼氏が、もしかしたらゲイと浮気してるかもしれない」という「号外」を知ったとき、女の子ってどんなふうになっちゃうんだろうなあ、と思ったけど、私だったら何も言わないで別れるかもしれません。

今日はのんびり夜更かしでもしよう。

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2014/08/28  くりかえしても明日は明日今日は今日
この間、リュックの肩紐の留め具が割れてしまった。
プラスチックの素材で、割れたというよりはヒビが入っていて、そのことに気付かなかったので何の気なしに留め具を掴んだらとがった部分が思いきり親指に突き刺さって、ざっくり切ってしまいました。
血は滲む程度で、キズが深いだけで表面はあっさりした切り傷みたいなもんだったので忘れていたのだけれど、今日親指が何かにひっかかったので「ん?」と思ったら、キズが治って張り始めた皮がささくれだっていたのだった。という話。
で、「治った~」と思っていたら今度は違う方の手を思いきり切ってしまった。切り傷が妙にできやすいです。紙とかでしょっちゅう切っている。切り傷って地味に痛いのよね。

今日はどうでもいいことをいくつか書こう。

最近気になるのは自分の指の毛。
私も女子のはしくてなのですが、拳骨?の上の部分、第二関節の下の指の付け根にすごい毛が生えている。今まで一度もそこだけ処理したことがなくて、遠目から見るとあまり気にならないのだけれど、近くで誰かと作業をしていたり、指を指したりするときに目立つ。というか、存在を自分で思い出して、ハラハラする。うぶ毛なので、自分的には愛らしさすら覚えていたりするのだけれど、女子=無毛みたいなイメージがある(若い男の思考に似ているのかも)ので、男子に「キモッ」と思われてないかがちょっと心配。…というほど別に心配していません。
でも、この間通販で除毛クリームを買ったので、届いたら使ってみようと思います。

ここ数日、仕事が立て込んでいて忙しく、あーもうという感じで、7連勤して残業と早朝出勤だったので、上司が「もう君たち今日は帰りなさい」と言ってきたので、今日は定時すぎぐらいに帰ってきました。社畜でないので救われています。
で、7時半ぐらいに会社出たらちょっと寒くて、あ、夏が死んだな、という、か、秋が生まれたな、というか、久しぶりに泣きそうになって、ちょっとほっとした。
泣きそうになるのは、なんか久しぶりで、切なくて嬉しくて寂しくて、どうしようもない。ただただ、自分の中で何かがちゃんと生きていたんだなという気持ちになります。
仕事でミスばっかして、先輩に迷惑かけたと反省していて、最近ずっとその先輩と一緒にいるもんで、なんかほんとにいい加減怒られそうだけど、良い人なので大変親切です。
しかし話が壊滅的に合わないので、なんか世の中ってそういう風にできているのだなあと感慨にふけったりしている。一つバランスが良ければ一つバランスが悪い。
もう少し丁寧に仕事しないとなあと思うのであった。

大体のサイクルとして、普段のこと→創作のこと→精神的な話→落ち込む→普段の話
という感じだなあと自分のブログを見て思う。だからどうってこたあないですが、なんとかの三角形みたいな感じですね。一番上が自己実現のやつ。

あと、久しぶりに「ビオトープ」を読みかえしていましたが、中々面白いじゃん!と思う。思ったりする。恐縮ですが。
初めて作ったのでノドが狭いしフォントも大きいのですが、駄目な子ほどかわいいという感じがします。「さよなら」の方は、ぱっとみよくできてるな~と思うんですが(恐縮ながら)中身が粗だらけなので、見せかけの優等生って感じです。
読んでいて自分では「ビオトープ」は元気になれるな、と思って、「さよなら」はしんみり寂しくなりたいときに読みたくなるな、という感じ。
「ビオトープ」はどっちかっていうと全部前向き話だと思っていて、全部結構ライトな感じというか、個人的には全部飄々としているつもりなんだけど、「さよなら」は「セレンディピティー」は楽しく書いたけど、それ以外は鬱々として書いていたと思うので、それが繁栄されているような気がする。どうでもいいわ。
だので、読み比べとかしてほしい。ぜひ。まあどうでもいい。ほんと。

どうでもいいついでにもう一つ、自分の好みを堂々と公開するのってちょっと恥ずかしい。
これで間違ってないかな、これを好きといってもいいのかな、みたいな気持ちが自分に常にあるので、中々「この人のこと好きなんですよ~」もそうだし「これ好きです~」「これ読んでます~」「これ食べてます~」みたいなのが緊張する。
本とかを読んだっていう感想をつけるのとはまた別の話、で、なんか緊張する。
同人界では人の作品を紹介しりたりおすすめしたりするけれど、すごい失礼な話、おすすめされた話を私が読んでつまんなかったら、レベルが知れるのではないかと思ってしまう。まあこれは自分が常に相手(おすすめしてくれる人)よりも頭が良く、面白いという定義が常識的であるという偏見の上に立った意見なので、全然常識的じゃあないんだけど、私がそういうたぐいの人間なのでいかんです。わかってるけど。
たまに「そんな風に思ってるのって損だよ?」とか「一度でいいから読んでみな」とか「この面白さがわからないなんて!」と言われるが、自分で損か得かは取捨選択してるつもりだし、一度でも読みたくないし、実際読んで面白くないのだからしようがない、という。クソのような考えです。
というか、なんでこんな話したのかっていうと、文学フリマでおすすめの本、とか、気になる本、というタグがツイッターであって、それで呟いている人たちがどうしても内輪でわいわいしているようにしか見えないので残念だなという次第でした。そういうの見るのも歯がゆいけど好きです。
で、全然恥ずかしいことではないので(成人指定とかを堂々を公開しているわけでもないし)よいことだと思うのだけど、私はこういう意識を持っているので、やっぱり見るだけに専念しようと思う次第でした。
こういう偏った人間もきっと必要だもの。

誰だったかの言葉で、小説には「圧倒的偏愛」が必要だ、と言った人がいる。
私は、それを心にもって頑張ります(言い訳)。

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