忍者ブログ
どこをみているの
2025/02/06  [PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2014/10/09  絶望の日もまた眠る
すえのぶけいこの「ビタミン」で、いじめられている主人公のモノローグで明けない夜はないと誰かはいったけど、明けない夜がほしい」というのがあったと思う。それを見たときに私は結構な感銘をうけた。そうか、明けない夜はない、っていうのは希望の意味ばっかりじゃないんだなあ。みたいなこと。
そうか、なんでも、そういう前向きなものばっかりじゃないんだなっていう、なんかそんなこと。

自分の感情や精神のバランスがおかしいな、と思うときがある。まあ、つまりはバイオリズムの谷なのだろうと思うが、誰かとずっと話していたかったり、少し冷たい風に当たると泣きそうになるほど悲しかったり、抱かれたかったり、仲の良かった友達に嫌悪感を抱いたりする。そういうのが巡り巡っている。今は、どの谷なのだろう。自分でも皆目見当がつかない。
そんな自分を拒んでも、忌み嫌っても、絶望しても、次の日の朝が滞りなく進むように服を用意し、鞄の中のハンカチを入れ替え、携帯を充電する。絶望したってあったかいほうじ茶を飲むし、こうしてブログを書いているし、このあと寝る寸前までネットサーフィンをする。
隣家の子は、夜の十時ごろに決まってフルートのチューニングをしている。たまに聞いたことのあるような曲も吹いている。上手くはない。ふけてはいるから下手でもない。奇妙な五分ほどの調べが続いて、不意に途切れる。この時期は大体毎日。父はその非常識な時間に楽器を吹くことに憤るが、私は父の憤りの方が聞いていて腹が立ってくるけれど、それを言ったことはない。父が夜中、イスを動かしたり机を動かしたりするときに、家具の脚と床のすれる音の方が気に障ることを、それでも、言ったことはない。絶望していても、そういうこまかなことがどうでもよくなるほど、絶望をしたことはない。そういう日だって、ちゃんと眠る。父の音がうるさいと思っていても、眠る。明けない夜は存在しないのだから、眠る。

自分が今までどれだけの人を切り捨ててきたのかよくわからないけれど、なんだかそんなことを思い出す文章を読んで、ひっそりと悲しくなって泣いてしまう。
でも、それは、もちろん悲しさもあるけれど、私の行き場のない悲しさを表現してくれる人がいるのだなあという、そういう気持ちだ。嬉しかった。悲しかった。でも、嬉しかった。
とみに寂しいな、と思うことがあっても、でも、別にもう、一人で平気だなとも思うようになった。だってどうしたって、一人で耐えて行かなければいけないんだ。私は、友人のように強くもないから恋人を作ることはできない。友人のように弱くもないから恋人を作ることはできない。何にしたって、私はずっと一人なんだと思う。みんな一人、だけど、私ほど一人を確信してる人もそういないと思う。なんて。なんとなく。世界で一人なんて、みんな、一人だけどね。なんかよくわかんなくなってきたけど。

心をまっすぐに射抜く言葉は、やっぱり素直で純粋な言葉だと思う。
大体の、共通認識としての「素直」とか「純粋」の基準、と、その人の心根から出た言葉がマッチするとものすごく力を発揮すると思う。言葉は、やっぱり飾らぬものの方が良いと思うし、もちろん、ひねくれていない方がいい。
「素直な気持ちをいってごらんよ」と言われて、私だって「素直」なことを言ってるのに、大体の「素直」の基準には合致しないことがままあるので「そんな意地張っちゃって」とかいうことを言われて、訂正させられる(と思ってしまう)のはなんだか腑に落ちない。もうそれって「素直」に「素直」のバイアスかかっちゃってますよね、と、言いたい。バイアス。
もうそういう通過儀礼的なものが面倒なので、じゃあ、常識に収まる範囲内の「素直」を言う。そうすると認められる。賛同される。でもそれは、私の「素直」じゃないんだけどね。
だから、心根が純粋な人が純粋な、素直な言葉を言ったらばそれはもうすごい。
私の中で「素直」と「正直」が混じってるところもあるので、そこはすみわけした方がよいのかな。そうするとそもそも「素直」フィルターがあるのだろうから、結局「素直」ってのは「正直」とは違って、「正直」は歪んでてもゆるされるもんね。なんとなくだよ。

そうして無駄に言葉を重ねた絶望を抱えて、やっぱり私は眠る。

拍手

PR

<<あなたのための滞りHOME叱って>>