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2014/11/25 「日曜日の娘たちは星々をシャワーヘッドの穴だと信じている」「灰かぶり少女のまま」感想
11月24日の文学フリマで買った本の感想です。とりあえず二冊。というかそれよりも先に読まないといけない本があるのに、目先の快楽だけに囚われる私…
「日曜日の娘たちは星々をシャワーヘッドの穴だと信じている」牟礼鯨著/A6/100P/500円
『母親に棄てられた娘とその娘を引き取った父親の話。世間と上手く折りあうことと自由に生きること、逃げ出したい全ての父に捧げる一冊』―――文学フリマウェブカタログより。
著者さんのお名前の読み方に全く自信がなかったですがむれくじらさんで合っていたのでちょっとほっとしました笑。
さて、この本、というか牟礼さん、は、この創作コミュ障の私でもお名前拝見したことのある方で、なんかすごそう、というイメージがありました。なんかこうすごい文学親父みたいな感じ。すごい文学観もってる、みたいな。で、このご本がとても好評のようだな、というツイートを何度か目にしていたので、大阪のときは怖くて近寄れなかったので今回買ってみた次第です。内容には関係が全くないけど、買ったときに「眠れない夜をどうぞ」と言われてすこしまごまごしました。
あらすじは上に載せた通りです。親子というには歳の近すぎる親子の響太郎と有貨のお話。血が繋がってるのか繋がってないのか判断が最後まで下せなかったんだけど、たぶん繋がってるのだろう。たぶんね。でも、有貨がとある事件によって壊れてしまうんだけど、そこからのドラマチックがよかった。それまで停滞していて物憂げなストーリーが一気に色づいて止まらない。そこからの筆もなんか違う気がしました。さっぱりしているのに、濃密で濃厚。苦手な人は苦手な話かもしれない。最近は女性の著書ばかりだったので、久しぶりに「男性の書いた本」というのを読んだ感じです。男性版「私の男」って感じかな。気になったのはずっと有貨が自分のことを「ぼく」と呼称するんだけど、それは自分の女性性の否定ってことなのかなあ。
響太郎の「現在」に出てくる中年女性の松本さんの描写とかいかにも男性という感じでした。うまく言えないんだけど、女性と男性ってやっぱり特徴あるよね。
最初、ぼさっとしている響太郎が、不登校になった有貨に「学校行かなくていい」って言ってるところとか、自分が仕事をトンズラしている手前負い目があって不登校のことを責めないとかいうのを読んで、響太郎もまだ子どもで子ども同士の話だな、と思っていたんだけど、そのある事件をきっかけにして一気に子どもから無理矢理に大人になっていくんだなというか、子どもを否定されたことによる拒絶と言うか、うん、うまく言えません。
「日曜日~」はメインの舞台が北海道なんだけど、北海道ってこういう歪な物語の舞台になること多いっていうか、親子愛とか逃避行とか、多くないですかね。そんなことないのかな。なんとなく、それこそ「私の男」もそうだし三浦しをんの「光」もそうだった気がする。なんかああいう寂寞とした冬の大地ってこういうドラマチックさを演出するいい舞台になるのかな。
あと、これはただの私の勘(?)だけど、牟礼さん、もっと本気でもっといいもの書いてくださるんじゃないかなと思いました。なんとなくね。
「灰かぶり少女のまま」冬日さつき著/A5/44P(推定)/300円
これはzineっていう類の本だと思う…思います…装丁が、くらげみたいな淡い色で触るのが畏れ多くなります。ふゆふゆしています。柔らかいってことじゃないんだけど、触れたら泣き出してしまいそう。
散文詩、というのか、つぶやきに近い日記、というのか、とにかく悪い言い方になってしまうけれどとりとめのない冬日さんの感性が言葉になって漏れ出した、という感じのものです。一、二行、多いときは五行ぐらいのかたまりが延々と続く。まるで一緒に心を閉ざして眠っている気分になる。うまく言えねえ。
私は、もともと人のブログとか日常のツイートとかを見るのが好きなので、ぱらぱら見た感じで決めて購入しました。というか、二、三行読んでたら、あ、これたぶん好きだし、読んでたら泣くな、とおもえたので。読んで、感動とかでなく、心の隅にすこんと落ちたときに泣けるものっていいなあと思う。このzineはそういうものでした。意味とか、理由とか求めないで、日々の生について感じるもの、日々の光について思うこと、そういうものを詰め込んだ感じ。
ツイッターでも書いたんだけど、心にしみこませたい言葉たちでした。
なんというか、失礼なことだと、エラそうなことだと思うけれど、ずっとその感性のままでいてほしいなあと思ってしまう。私ももうずいぶんおばさんになっちゃったなあ。でも、若いころのそういう心のきしみやゆがみや差し込む光や歌声や雨粒の匂い、そういうものって唯一無二なんだよなあって、もうババアのセリフじゃんこれまじで。
私も、大学生のころはこういう、ぱりっとした言葉を紡げていたような気がしないでもなかった。気、なので、できてなかっただろうがな。純粋に、自分の気持ちを追いかける言葉のなんと美しいことよ。
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