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2014/09/17 「ただいまサナトリウム」感想
感想をつけよう!と思っていたので、感想をつけます(そのまま)。
9月14日の文学フリマ大阪で買った本がしばらく続きます。今日は第一弾。
「ただいまサナトリウム」だれにもわかからない。vol.3/A5判/700円
著者:四流色夜空、K坂ひえき、三上春海、まここ、ついえよ、りりぃ、k、尾瀬みさき、浴蘭坂もか、葛西心中、斉藤慶次、希代朔、藤草ゆう(敬称略)
「イラスト陣も豪華に、小説合同誌を発行します!『僕らのすーぱーいんたーねっと』に続く今作は『ただいまサナトリウム』と題しまして、閉塞した毎日に帰り道を見つけられるような風を冊子に綴じて頒布予定です。各分野で活躍するメンバーたちの集結をお見逃しなく!可愛く透き通った表紙でお待ちしてます!」(文学フリマウェブカタログより)
ということで、小説合同誌、でした。文章には十人の方が寄稿してらっしゃいます。
個人的に、大学時代から「ハンセン病文学」が好きだったのでそういうのをちょこっと期待していました。買うときに、売り子さん(どなたかわからずすみません)が「ざっくりサナトリウムって感じです」とお話していて、ちょっと面白かったですが、内容もそのとおり。病院、とか、療養所、という意味合いが強いお話はそんなになく、色んな人にとっての色んな「サナトリウム」が描かれています。つまりどういうことだ、と言われるとむむむ、となってしまう感じで、私にとってはちょっと難しかったです。期待していた分の落差があったので、十二分に私の主観的評価です。
物語に関して難しいな、という感想を抱くときのパターンはいくつかあって、話自体が抽象的すぎてわからないときと、話の全容はなんとなくつかめるんだけど物語の中核がまったくわからないときと、高尚な言葉ばっかりで意味が調べないとわからないとき、で、三つめは全く持って私の勉強不足のせいではあるのでけど、前者二つはもへ~ってなってしまう。「ただいまサナトリウム」は、私にとっては二つ目の「話の全容はなんとなくつかめるんだけど物語の中核がわからないに当てはまりました。文章が下手とか、そういうわけではなくて、逆に考えていることが練られすぎていて、中核を覆い隠してしまっている、というか、ああ、せも、一つ目の抽象的すぎてわからない、というのもありました。こればっかりは相性ですからなんとも言えないけど。
「サナトリウム」という言葉にどんなイメージを抱いているのかはとても興味が沸きました。主人公が死んだはずの彼女と過ごすお話「きみとひとりで暮らす」とか、主人公が記憶喪失になってしまう「アムネジアの夏」は、現実なのか夢なのかわからない狭間の、奇妙なお話だけど、それが意味する「サナトリウム」ってなんだろう、とか、思春期独特の自意識が破裂する(話だと私は思っているけど)「リビング・デッド・マジック」の「サナトリウム」はどこだったんだろう、とか、もろもろ。
面白いなあ、と思ったのは一番最後に掲載していた「物語牛胃文学史―ある地方文学史家の報告―」。最初まるで本当の文学史の論文のようなのに、最後で突然報告が小説に転じるところが不気味だったし、あっけにとられた。そのまま論文の形のものを読みたかったなあ、と。
大変主観的な感想になってしまった。でも、感想ってそういうもんだね。
一つわかったのは、私はあんまりにも文学的手法がとられすぎている小説のことは正当に評価できないということでした。
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