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2014/12/02  「おぼえていますか」感想
今日も今日とて読み終わったので感想を書きます。書きづらいものは書かないかもしれないけど、なるたけ書いていくけれど、大変な独りよがりの感想で、あくまで個人的メモです。
少なくとも、ツイッターで晒す以上は作者さんの目に触れ得ることも考えつつも、しかし、個人的メモであることが大前提なので素直なことは書いていきたいが、でも、つまりあの人が言ってたみたいにネガキャンがしたいわけじゃない。今回の小説がどうとかいう話じゃなくて。全体として。

「おぼえていますか」東堂冴著/文庫サイズ/204頁/900円
「才能を与えられるとはなにか。天才である/でないとはなにか。
その問いに答えを探すため、二人のギフテッド(天才)と、一人の凡人を抱えた兄弟それぞれの軌跡を描いた作品。
才能を持たない弟・潮が その苦悩と疎外感を吐露する「ピエロ」、「傾城」と称されるまでにうつくしい音楽を奏で、二十八歳で夭逝した天才クラリネット奏者・坂川洋を追い続けた次兄・渉が、彼の死後に兄を憧憬する表題作「おぼえていますか」他、計七編の短編を収録。」---文学フリマウェブカタログより。
このあらすじはほんとこのまんまです。ほぼ、二人の弟・渉と潮の「才能」についての語りメインという感じでした。あらすじ書くのが上手っていいですね。
次兄・渉は長兄・洋へは「かみさま」と呼称するほどの信仰をもっていて(洋の音楽は「非人称」とすら言う)、一方、末っ子の潮は洋(だけじゃなくて父や次兄の渉に対しても)に憧憬からくる嫌悪みたいなものをもっている。正直、潮の気持ちは私には図りかねる部分があったのでなんともいえない。
本当に嫌悪なのか、本当に憧憬なのか、うーん、と思う。というのも潮はなんだかんだてすごく優秀で、凡人からすれば立派な「天才」なんだけど、「ほんとうの」天才たるや何かというものを潮自身が一番わかっているからこそ自分が何者にもなりきれないと苦悩するっつーか、いや本当は坂川家の三男ってだけで存在は確定するはずなのに、この家では「才能」が人権を与えうる唯一のものっていうか、いや、まあそこまで大仰じゃないんだけど。
「音楽」と「才能」を通した家族のお話、だったかな。失礼な話、率直なことを言うと、音楽が演奏されるシーンにあんまり美麗さや陶酔は感じなかったです。というのは、つまりこのお話の根本がそこではなかったということだと私は解釈してる。バカなので語彙が少ないけど、音楽が聞こえなかったからといって、駄目なわけじゃなくて、作者さんが重きをおいている場所が関係性なのだろうと思った。家族という関係性を描こうとしているんだろうなあ、と、感じました。
といって、よくある「家族モノ」みたいにシンボル的な和解とかがあるわけじゃないんだよなあ。表題作の「おぼえていますか」はある意味、渉の中の認識のほどけみたいなものがあったけど、一口に家族の関係性っていうのもちょっと変かな。
あと、完全に両親が「親」としての関係性を放棄してるように見えた。じゃあ三兄弟の親としての役割って誰にあるのだろう(つってそこまで深く考えてない)。
で、話とか関係なしに作者さん19歳だそうで、ひょえ、と思いました。あとがき読んでびっくりした。相当の文学読んできたんだろうなあ、と、素直に関心。私もほんとにおばちゃんになったもんだよ。おそろしや。

とある方がこの「おぼえていますか」の感想を書いていて、それを見ていたら「才能とは奪うものだ」って書いてて、どうでもいいが、有島武郎の「惜しみなく愛は奪ふ」を思い出しました。純粋すぎるものは、時としてやっぱり残酷ですね。

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