どこをみているの
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2013/05/13 Thnks MM
「母の日、何かする?」
深夜にお兄ちゃんから電話がかかってきた。
正月に帰ってきたり、お父さんの病気が見つかって入院したときにお見舞いにきたり、二年近く家に帰ってこなかったとは思えないほど、頻繁にお兄ちゃんは家に帰ってきていたけれど、最近は仕事が忙しくてめっきり連絡もなく、声を聴くのは久しぶりだった。遅くにごめんね、と謝る優しい声色は少し疲れてもいた。
「今、仕事おわったの?」
「帰り道だよ。弘子は起きてた?」
「うん、テスト近いの。ちょうどいい息抜きになったよ」
「そっか。そう、それで、母の日だけど……次の日が休みだから、何かできたらいいかなと思ったんだけど」
「……お兄ちゃんのごはん、食べたいと思う、お母さん」
「……そうかな」
「そうだよ。私も食べたいし、お父さんもきっと食べたいよ。私、学校だけど、手伝うから」
「そっか。ありがとう。また、連絡する」
「うん」
「おやすみ。あんまり、頑張りすぎないようにね」
「うん」
暫く沈黙して、もう一度おやすみ、とお互いに言ってから電話を切った。手の中にある小さな機械が、少し、熱を帯びていた。
母の日の翌日の月曜日、私が学校から帰ってくると、玄関の外にはとてもいい匂いが漂っていた。甘いような、香ばしいような、とにかくおいしそうな匂いそのもので、私は胸がはずむ。
そういえば、お兄ちゃんが二年ぶりに家に帰ってきたときも、こんな匂いがしてた。お母さんが、いろんな、それはそれはいろんな料理を作って、お兄ちゃんと、お兄ちゃんの恋人と、私たち家族三人ではとてもじゃないけれど食べられない量だった。その日だけは、飼い犬のハルもちょっと豪華なドッグフードだった。
「ただいま」
無遠慮なほどに大きな音をたてるドアにももう慣れたらしく、ハルが我が物顔で走ってくる。飼い始めて半年たつけれど、ハルの肥満を気にしてお父さんもお母さんも餌を控えめにやるせいか、私が見たことのある柴犬よりも一回りほど小さい。かちんかちんと爪が廊下にあたる音が響く。中に上がると鬱陶しいほど足元にまとわりついてきて、そうとう喜んでいる。お兄ちゃんが帰ってきてうれしいのは私だけじゃないみたい。
リビングにはもう帰ってきていたお父さんが新聞を読んでいた。寡黙なお父さんは私を見るとおかえり、と言ったきりで、私の足元でしっぽを振り続けているハルを抱きかかえると、ケージの中に入れた。それでもハルは嬉しそうで、くるくると踊るように回っている。思わず笑えた。
「おかえり」
「ただいま。お兄ちゃん、おかえり」
「うん、ただいま」
キッチンにはエプロン姿のお兄ちゃんと、その手元を見ているお母さんがいた。流しの白いLEDライトに照らされるお兄ちゃんは、顔だけ見ると妹の目から見ても中性的だったけれど、髪の毛をばっさり切って、ベリーショートのような短さになっているので男の人にちゃんと見える。紺色のエプロンは自前のようだった。
「お母さん、お兄ちゃんから教わってるの」
「そうそう。やっぱりコックさんだから手際が良いよ」
「母さんが近くで見るから落ち着かないんだよ。弘子、お茶いれて向こうに連れてって」
「うん。お母さん、あっち」
「はいはい」
お母さんは嬉しそうに笑って、リビングに移動した。私はお父さんとお母さんの分のお茶を入れて出し、急いでセーラー服を着替えて階下に降りた。二階にもいい匂いは巡っていて、それだけで幸せな気分になる。
「弘子はお皿並べてくれる。白いお皿と、紺色の小鉢、あったよね」
「うん」
「あとフォーク。お箸も。僕のカバンにクロス入ってるから、それ敷いてからね」
「うん」
普段テーブルの上に載っているものが全部片づけられていて、お兄ちゃんのトートバッグだけが乗っていた。その中を見ると赤いテーブルクロスが入っている。ばさっと広げると、洗剤のいい匂いがする。お兄ちゃんの、と尋ねると、お店のやつを借りてきた、と、手元を見たまま答える。勝手にいいの、とまた聞くと、大丈夫、僕もそれなりの立ち位置だから、と笑った。
「弘子、白い大皿持ってきて」
言われたとおり、大皿を出すといつのまに出来上がっていたのかお兄ちゃんがフライパンからスパゲッティを載せた。バジルのいい香りがする。突然お腹が空いたようにぎゅう、と鳴った。私が大皿を持ったまま、お兄ちゃんはきれいな山の形にスパゲッティを盛り付けて、プチトマトを回りに飾る。それだけでお店の料理になる。
そのあとも私はお兄ちゃんの言われるままに動いて、冷蔵庫で冷やされていたニンジンの千切りサラダや蕪とツナのわさび和え、オニオングラタンスープをテーブルに並べた。あっという間にいつもの江野家のテーブルが、お店のディナーテーブルに代わっていく。最後にワイングラスを並べて、完成。今まで、何度もご飯を作ってくれてはいたけれど、こんなに本格的に作ってくれたのは初めてだった。
「できたよ」
お父さんとお母さんがテーブルにやってきて、おお、と感性を上げる。お兄ちゃんは、全部家で簡単に作れるものばっかりだけど、と、照れ臭そうに笑った。
食後、デザートまで用意しきれなかったというお兄ちゃんが、コンビニまで買いに行こうといったので、二人で出かけることにした。明日はここから仕事に行くから、と、お兄ちゃんは白いスニーカーを履きながら言った。
「ハル、早いよ」
どうしても行きたそうにケージでくるくる回っていたので、お母さんがしかたなくリードをつけてくれて、私とお兄ちゃんとハルで夜の道を歩く。よく晴れた夜空にはぽっかりと白い月が浮かんでいた。春ももう終ろうとして、少し湿気のある空気が夜を満たしている。4月ほどは冷えないで、気持ちのよい空気の冷たさだった。ハルはどんどん先に進んでいく。
「ハル、って、犬が呼ばれるたびに自分かと思うよ」
お兄ちゃんの声に、ハルが反応して立ち止まる。人間みたいだよね、と笑う。
「弘子は、彼氏とちゃんとうまくいってる?」
「うん、ま、なんかそれなりに」
「それなりにってなんだよ」
お兄ちゃんが笑いながら手を伸ばしたのでリードを渡した。ハルはぐんぐんと夜の中を歩いていく。
二月の終わりにできた彼氏とは、一緒に勉強をしたり映画を見に行ったりしてる。この間は初めて手を繋いでキスをした。相手がメガネをかけているので、どうしたらいいんだろう、って二人で考えているうちに何度か失敗して、四回目でちゃんと口と口が合わさって思わず笑った。お兄ちゃんも、付き合っている人――泉さんと、こんな風に過ごしたりするのかな、とたまに考えたりする。私は女で、相手は男だけれど、お兄ちゃんたちはお互い男どうしだから私とは違うのかもしれないけれど、私が彼氏といて楽しいと思うように、お兄ちゃんにも楽しいと思う時間があるんだったら、それは嬉しいことだと思う。聞いていいのか悪いのか考えているうちにコンビニについてしまって、いろんな種類のプリンを四つ買った。来た道を戻る。
ハルは行きとは違ってちょっと疲れたようで、私とお兄ちゃんの歩くペースより少し遅く隣を歩く。ちっちっちっち、と、規則正しい爪の音がしていた。くしゅん、と、くしゃみが一つ出る。
「寒い?」
「ううん。鼻かゆくなってきた」
「花粉症じゃないの」
「そういえば、彼氏がね、花粉症で四月なんか授業中ひどくって――」
お兄ちゃんは私の話を楽しそうに聞いてくれる。うんうん、と相槌を打って、くすくす笑った。今なら、聞けそうだ。意を決して言葉をつづける。
「――お兄ちゃんは、泉さんと、どう」
その問いにお兄ちゃんは一瞬真顔になり、そして伏し目がちになり、最後にちょっと疲れたように笑った。
「別れちゃった」
「えぇ?」
「ちょっと前に、別れちゃったんだ」
「…………そうなの……」
予想外の言葉に私も言葉が続かなくなる。勝手に頭の中で泉さんの優しげな顔が思い浮かんで、彼氏の顔も思い浮かんで、自分が別れることを想像したら無性に悲しくなった。でも、不思議なことにお兄ちゃんはそこまで悲しんでいないように見える。それは私より年上だからか、お兄ちゃんだからなのか、わからないけれど、寂しそうだけれど悲しそうではない。
「……嫌いあって、とか、喧嘩した、とかじゃないよ。けど……えーっと……イズミにはイズミの人生があって、僕には僕の人生があって……たとえば、弘子は今、彼氏と一緒にいて楽しいだろ。僕は、イズミと一緒にいた時間、そうだったし、彼もたぶんそうだったと思うんだけど、」
「じゃあ、なんで別れちゃうの?私、言ってること子どもっぽい?」
家の前につく。ハルは玄関を通り越して裏庭の方に回っていった。リビングの窓から中に入れてもらうつもりなんだろう。さっきまで力なく歩いていたのに走って消えて行ってしまった。
「子どもっぽくない、全然。でも、タイミングっていうか、別れた方がいいなって思う瞬間があったんだ。きっと、一緒にいたんじゃあ、僕もイズミも立ち止まったままなんじゃないかっていうかさ。イズミには、もっと、幸せになってほしかったから」
「……幸せになってほしいから、手放すってこと?」
「ちょっと違うけど、ちょっと合ってるかな。寒くなってきたから、入ろう」
「うん」
その話はそれで終わって、リビングでみんなでプリンを食べてコーヒーを飲んだ。お父さんもお母さんも、お兄ちゃんが別れたことは知っているのか気になったけれど、私が言うことでもないので黙っていた。幸せになるためなのに、悲しい選択をするっていうのが私にはいまいちわからない。でも、二人で決めたことなんだろうな、とも思う。けど、やっぱり悲しい。
夜、寝る前に彼氏に電話すると、もう寝ていたらしい彼は大丈夫大丈夫、と咳払いを一つした。
母の日にお兄ちゃんが帰ってきたこと、夕飯がジェノベーゼというバジルのスパゲッティだったこと、そして、お兄ちゃんが恋人と別れてしまった、ということを話した。彼は、ふうん、とか、へえ、とか、ちょっと気のない返事をするように聞こえるけれど、存外真面目に聞いてくれている。なんか、納得いかない、と私が少し息巻くと、掠れた声で笑った。
「なんで笑うの?おかしくない?そんなことないのかな」
「まあ、ふつうだったら好きな人と別れるって変だよなあ」
「でしょう?別に、二人が決めたことだし、私が口出すことでもないけど」
「うん。でも、ひろは、ちょっと納得いかないんでしょ」
「うん。そういうの、が、恋愛の機微、とかいうの?」
「俺にもわからんけど」
彼はまた笑い、そして少し真剣に言う。
「けど、相手の幸せを考えてのことだったんなら、その選択は、自分にとっても幸せだったんじゃないのかな。そんだけ、好きあってたって、ことだろ」
「そう、なのかなあ。あえて自分が悲しむことが?」
「お兄さん、悲しそうだったの?」
月明かりの元、お兄ちゃんは少し頼りなげで寂しそうではあったけれど、悲しそうではなかった。何が違うのか、自分でもよくわからないけど、きっと大丈夫なんだろう、と、私は思っていた。
「悲しそうでは、なかったかも。寂しそうではあった」
「そうなんだ。悲しくないのなら、いいんじゃないの」
「そうかな。寂しいのも、悲しくない?」
「うーん……でも、寂しいのは、きっとまた、埋まるんだと思うけど、俺は」
「そんなもんかな」
「たぶん? 俺は、今、寂しいの埋まったけど。ひろの声聞いたら」
「ばーか」
彼はけたけた笑い、お互いにもう少し話してから電話を切った。
テストの日までに出さなければいけない提出物がいくつかあったけれど、もう眠かったのですぐに布団にもぐる。さっきまで使っていたせいで熱を持ったままの携帯電話が、冷たくなった指先に気持ちいい。寂しさが埋まる感覚ってこんな感じなのかもしれない。
お兄ちゃんの寂しさが少しでも紛れたらいいな、なんてことを考えながら目をつぶった。
***
母の日のお話のつもりが、結局ハルの話になってしまった。まさか弘子ちゃんがバカップルだったとは。
そういえば長編「naion-no-hikari」と「君ありし」下げました。
読みかえしていたら恥ずかしすぎて、そういうのを狙っていたはずだったけれどやっぱり直視できず、
もうちょっと生成してからにします。恥ずかしかった…
ちょっと前に書いた文章なのに、もう今のものと違うような感じがして、昔のものを読みかえすのって死にたい。
上のを書いている途中で「ハル」をまた読みかえしたんだけれど、突っ込みどころありすぎてびっくり。
でも、サイトをやるっていうのはそういうことなんですね……おお……
明日も早いのでおやすみなさい。
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