どこをみているの
2025/02/06 [PR]
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2014/06/05 ソウディメンション
仮面をかぶったまま優しい声を使う
あなたは貯金箱のように見えた
三口の女
眉毛ないですよね、と話しかけたら声を裏返らせて笑った
手が蛙のようだった
山に座った大きな巨体の化け物は
初夏の陽気には目がなくて
呪文を口にしないとすぐに死んでしまう
みんな生きていた
私は死んでいた
いつも収まりの悪いシャンパングラスに
ウェストをどうにかひねりながら
それでもどうしても飛び出る内臓を押さえながら
夏なのですね、と、化け物が言うと
三口の女がそうですねと気もそぞろに言うので
あなたが大きな口で笑うから
夏がもうすぐ、くるのですね
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2014/05/11 ひかりの午後
まだ眠いのに、寝苦しさが私の邪魔をする。
この時期の日差しの威力を甘く見ていて、雨戸を閉め忘れるとこういうことになる。
東向きについた窓から、真っ白な光が差し込んでくる。じわりと部屋を温め、ついぞ汗ばむほどの陽気を生み出していた。私は目に見えないだろうほどの、かすかな汗を鼻の頭にかきながら、じっと寝返りすらうたないで目を閉じたままでいる。たぶん、まだ、朝の八時ぐらいだ。今日は日曜日で、仕事もない。だったらせめて昼までは寝ていたい。でも、日差しは容赦ない。というか、昨日、どうして雨戸を閉め忘れたのかと自分自身にイライラしながら、私は意地で仰向けのまま寝転がっている。意地になればなるほど、汗が浮き上がってくるようで、最後には観念して起き上がった。後ろに手をつくと、自分の熱でマットレスが温まっていた。むへ、と、だらしないあくびが口からこぼれる。
どうやら私の部屋だけが暑かったようで、部屋を出るとどこもかしこもひんやりとしていた。
家中の雨戸をあけて回る。どうして自分の部屋だけ閉め忘れたのかと思うほど、どこもかしこもしっかりと雨戸は閉まっていた。
もう使われていない部屋の方が多い中で、一番使っている自分の部屋の雨戸を閉め忘れたとは、私も中々間抜けだ。
家には誰もいない。私が三十を過ぎたころ、父と母が立て続けに亡くなり、姉も結婚して家を出て行ってしまっているので私一人で暮らしている。姉は心配だから結婚なり同棲なりしてくれと言うが、相手がいないので土台無理な話だった。我ながら見た目は究極な不細工というわけではないと思うのだけれど、どうにも見染めてくれる御仁がいないので、今の今までずっと一人だった。そうすると、一人でそれなりに楽しく生きていける算段が付いてしまう。誰かと一緒に暮らすことは魅力的であり、同時に、絶望的だった。
新聞を取るついでに、玄関脇で飼っている金魚のジャパネスクに餌をやった。なんでジャパネスクという品種名なのかよくわからないが、母はとても大切に育てていたので、とりあえずこいつが死ぬまでは面倒を見てやろうと思っている。メダカも育てていたのだけれど、いつの間にか全部死んでしまっていて、つい先日、空っぽになった水槽替わりのバケツの中の水をやっと捨てた。まだ元気に浮かんでいたホテイアオイはジャパネスクの、やはり水槽替わりの大きな常滑焼の植木鉢に浮かべておいた。
ジャパネスクの体には大きなこぶがあって、私はこれを見ると寄生虫か、おかしな病気かと思うのだけれど、母がジャパネスクを買ってきて数日後にはこれができていたので、死の影が付きまとっているというわけではないらしかった。
なんとなく気が向いて濁った水を替えてやろうと思ったが、ジャパネスクがぴちょんとその大きな尾びれで水をはじいたのでちょっと怖くなってやめた。母はジャパネスクをどこかに移し替えるとかそういうことはせず、ホースで水を注ぎながら汚い水を大きな柄杓で捨てていた。その柄杓は今もあるが、水を捨てるときに一緒にジャパネスクを捨てるかもしれないと考えたら、怖くなった。それに、ホースで直接水道の水を灌ぐことも、金魚には悪いかもしれない。私は金魚とか鯉とかの鱗が苦手だ。コイツが死んだら、私はちゃんと母のように埋めてあげられるか自信がない。少しだけホテイアオイの位置を動かして、私は家に戻った。
洗濯機を回している間、昨夜の残り物を食べた。牛肉とピーマンを甘辛く炒めたやつだ。
昨日の夜は、白いご飯に良く合うと思って食べたけれど、朝、最初の食事にするには少し味が濃すぎた。二、三口食べたら舌がしびれたようになってしまい、箸を流しに放ってコーヒーを飲んだ。
新聞を申し訳程度にペラペラめくるが、文字はただの記号の羅列でしかなく頭に全然入ってこない。カラフルな広告も、パチンコと家電量販店のものばかりで、自分にとって今は何も有益な情報を与えてくれなかった。日曜日、予定も特にない。汚くなった車を洗車しようと思ったけれど、家の前で洗うと向かいの家のババアがいちいち話しかけてくるから面倒だ。話しかけてくるのはまあいいけれど、水の流れる音やブラシでタイヤを洗う音でババアのか弱い声はかき消されるので、話しかけられても無視するつもりはないのに無視しているようになってしまうので、私の小さな心が痛むのだった。馬鹿らしい。
洗濯が終わり、カゴに入れて庭に出た。父がこだわっていた庭には、姉が生まれたときに植えたヤマモモの木と、私が生まれたときに植えたカエデの木がある。ヤマモモは、ここ数年でやっと花を咲かせるようになった。実はつかない。こだわっていたのは父だが、庭の面倒を見ていたのは母だった。どうしてヤマモモとカエデを植えたのかと尋ねると、母は「お父さんの知り合いの庭師さんがくれたんだよ」と言った。特に意味はないらしかった、カエデの花は見たことがない。
この時期、小さな庭も新緑が鮮やかになる。少量の洗濯物を干しながら、私は何度もヤマモモとカエデに目をやった。涼やかな風が葉と葉の間を潜り抜け、枝を揺らした。暑くも寒くもない、絶好のお出かけ日和だったが、私はヤマモモとカエデを眺めて洗濯物を干すのに夢中だった。不思議と、心が満たされたようだった。
思い立って、家中の掃除をした。
姉の部屋も、両親の部屋も、今はすっからかんになっていて、私が思うに任せて集めた小説や漫画置き場になっている。たまに姉夫婦が泊まりに来るが、一階の仏間で充分事足りるので姉の部屋も両親の部屋も殆ど人は出入りしない。もう一部屋、父の書斎になっていた部屋があるが、そこはもう、何もない。三十路の一人暮らしには、この家は大きすぎるしもてあます。けれども、埃だけは一丁前に積もっていくので掃除だけはせねばならない。掃除機を持ってあちこち歩き回ると、まるで自分が、掃除機を飛び道具にしている探偵のような気分になる。あちこちの秘密を吸い込んで、事件を解決へと導いていくのだ。そういう妄想をしても、一人暮らしなら誰にも気づかれない。共有はできないが、さいなまれもしない。私は思う存分、埃という埃を吸い取った。
時計を見るとまだ一時で、心にはゆとりがある。日曜日の午後一時、大抵の人が休日を満喫しているだろうか。
ソファに腰を下ろし、だらりともたれる。楽なので愛用しているマキシ丈のワンピースがぴたりと体に張り付いた。キャミソールの上からすとんと着ているだけなので、お腹が少し冷えている。温かいコーヒーでも飲みたいところだったが、立ち上がるのが面倒だった。
部屋がしんと静まり返っている。裏の家からは、夜でも子どもの嬌声が良く聞こえてくるのに、今日は何も物音がしない。出かけているのだろうか。先週の日曜日は雨で、隣の家からはピアノの練習の音が聞こえた。私も幼いころ弾いていた曲で、名前は忘れたが、薄暗い雨の日には似合わない軽快な音だった。何度もつっかえて、何度も間違えて、それでも最後まで弾いて、また繰り返し、弾いていた。隣の家の子どもを見たことはないけれど、まだ小さいのだろう。でも今日は、ピアノの音も聞こえない。この近辺では、私だけが家でぼうっとしているのかもしれない。
自分の部屋以外は、さして日当たりも良くなく、特にリビングは日中でも薄暗い。網戸からさわさわと午後の光と風が入り込んでくる。レースのカーテンがふわりと揺れた。母が亡くなってから、大きなものを洗うのが面倒でカーテンはしばらく洗っていない。少し汚れている気がする。クリーニングに出したら高いだろうか、などと、じっとカーテンが揺れるのを見ていた。
結局私はぼうっとしていただけで、テレビもつけず、一時間ほどソファに座ったままを過ごした。我ながらなんという休日の無駄遣いなのだろうと思うが、それでも、充電されたような気になる。こういう日が必要だと思うこともあれば、こういう日があると益々月曜日からの仕事が憂うつになる。休日という制度自体を誰かに見直してほしいとすらたまに思う。テレビを見ることもあまりなく、ニュースもさして気にならず、どんどん世捨て人のような気分なのに、月曜になればすべてリセットされて甲斐甲斐しく仕事をするのだから、私は私という人間がイマイチわからないのだった。母も姉もドラマが好きだったので、休日は大抵録画したドラマを二人で見て、ぎゃあぎゃあと騒いでいるのがお決まりだったのに、今やうちのテレビは何にも使われることがない。沈黙の液晶はただただ、部屋の様子を映し出すだけだ。
なんとなく立ち上がり、コーヒーを淹れて、マグカップを持ったまま外のポストまで行った。何通かのダイレクトメールと、通販雑誌、それと見慣れた字の書いてある封筒が入っていた。
私が書いた手紙だった。
三年前に別れた恋人から、一週間前にメールがあって、返信するのは気乗りがせず、手紙なら書けるような気がしたので書いたのだったが、宛先が不明、という、赤いハンコが押されて戻ってきてしまった。メールが来たのだから、彼はどこかにいるはずなのに宛先にはいない。幽霊みたいだなと思い、そもそもどうして手紙なんて書いてしまったのかと即座に後悔した。自分のした所業がとても愚かなものに思えた。
彼からのメールは至極シンプルで、元気、今度会える、とか、そんなような内容だった。彼が何を思ってそんなメールをしてきたのか、考えたら負けだと思ってしまうのに延々と言葉の裏を読み取ろうとして、結局わからなくなった私はメールを返すタイミングを逸してしまった。
彼はとても気さくで親切で優しい男だったが、いかんせん、アクティブすぎた。私がこうして休日にのんびりしたいと思っても、彼はどこかに出かけたがっていたしインドア派の私を怠け者だと言って、怒りはしなかったが笑った。別に私はそれでもよかったし、私なりに彼に合わせて出かけたりしたつもりだったけれど、不意に正気に戻ってしまって、付き合うのが疲れてしまった、ので、別れた。
彼は結婚を考えていてくれたみたいだけれど、私は一度別れると決めるとどうも彼の顔すら見えなくなってきて、最後は逃げるように私が音信不通になって終わった。少なくとも、私側からは、終わった。
三年経っているのだし、もしかしたら結婚の報告をしたいのかもしれない。彼はよくも悪くも正直な男なので、結婚することがどこかから漏れるよりも君に直接言いたかったんだと言いそうだ。でも、私は、私から振ったくせに、その言葉を聞く勇気はたぶんない。聞くことはできるだろうが、素直におめでとうとは言えないだろう。
メールで、どうしたの、と、聞くことはできる。会えないけど、何かあったの、とか、会えるよ、とか、なんでもどうこたえても、彼の結婚報告には行きつくことだろう。
結局、私がとった苦し紛れの答えは手紙を書く、だった。手紙を書けばタイムラグがあって、その間に彼の、私への関心が少しでも薄れていてほしかった。でも、手紙は届かなかった。
彼のことが今でも好きなのかというと、そうでもない。付き合えることも付き合えるが、また同じ様なことにはなるだろうから、付き合いたいとは思わない。でも、彼の結婚報告を聞く気にはやっぱりなれないのだった。
白い、シンプルな便箋になんと書いたのかすら、私は忘れてしまった。そのぐらい、どうでも良いことを書いたのだろう。じゃあわざわざ、手紙なんて出す必要などなかったのだ。
手紙とコーヒーと灰皿とマッチを持って、私は庭に出た。
相変わらず、ヤマモモとカエデは心地よい新緑を揺らしていた。
マッチを擦る。三本目でやっと火がついて、手紙を燃やした。
一度だけ、ドラマでやるように手紙を燃やしてみたかった。お金でもよかったが、小心者だし人並みにお金に対する執着はあるのでさすがにできない。まるで、私が書いた手紙はこのためにあるようだった。白い封筒は見る間に茶色く変色し、黒く焦げていく。
こうして、色んな人とのつながりが消えていくのだと思う。
そのことに、とっくに気付いていた私は、もう、悲しいとは思わない。悲しいと思ってはいけない。
でなければ、きっと、雨戸を閉め忘れた部屋の暑さだけで、昨夜の残り物が塩辛かっただけで、だだっ広い部屋を掃除しているだけで、金魚の鱗を眺めただけで、ヤマモモやカエデの葉が揺れるだけで、ワンピースの触感だけで、彼の顔を思い出しただけで、死ぬほど悲しくなってしまう。死んでしまう。
あっというまに手紙はなくなり、灰になった。そよ風に少し浮かされながら、灰が動く。
ヤマモモの葉の隙間から午後の光が差し込んで、ガラス製の灰皿をきらめかせた。
今日の夜は、自分の部屋の雨戸もちゃんと閉めようと決心して、私は家の中へと戻った。
2014/05/06 新しい海
新しいパンツを買った。
レースのついたぴんくいやつじゃない。綿の、グレーに水色の水玉があるボクサーパンツを買った。
レースのついたやつもピンクのやつも白かったりフリルがついたり、そういうものも好きだけれど、綿の、さらりと手に馴染むようで馴染まない生地が好きだと今日、知った。レースのついたやつはレーヨンだったり、アクリルだったり、つるつるして美しい人の涙目のようで馴染む気がしないのに、媚びてくるから受け入れてしまう。だから、綿が良かった。
風呂上がりに、ボクサーパンツを履く。いつもよりも自分のお尻の形が綺麗に見えた。たぶん、綿が媚びていないからだとおもう。
パジャマをまとうと?ふわふわと自分の肌からわずかに甘い匂いがする。姉のボディソープをこっそり使ったからだろう。ガラス瓶に入った、淡いオレンジ色をしたソープは、ボディタオルに染み込ませたときの匂いが強烈で、まるでトイレの芳香剤だったから使うのを後悔したけれど、洗い流し、温まった体から匂いたつ香りは若い女の匂いだった。そうして、ああ、私は若い女であるのだと自覚する。
決して美しくない。
決して魅力的でもない。
それでも、私は若い女で、自分に媚びない素朴で優しい下着が好きで、誰に見られるわけでもないがお尻の形が綺麗に見えれば嬉しいし、柔らかな肌から芳しい匂いがすれば誰かを欲したくなる。その程度には、私は若い女で、今までも、いくつも過ちを犯してきたのだ。そういう、若い女だった。
2014/04/22 わすれもの
やさしくしてほしいと思っていたこと
おもいだした
目の前のできごとが
フィルムの中のようだから
いつか金魚になって
水槽にでも閉じ込められてしまいたい気分
あんたがいったんだからね
やさしくするって
すきだって
あいしてるって
あたしの勘違いでも、そう、あんたは、いったよ
あたしの勘違いの中のあんたは、いったよ
閉じ込められた方が楽かな
知らなかった方が楽かな
見ない方が楽だったのかな
口をあけないで、
呼吸しないで、
いつか朽ちていく方が
なんども読みかえす物語の終わりも
なんども繰り返す報われない喧嘩も
気付かねばそれは永遠の力になるのかな
わすれものなのか
わすれていっていいのか
わたしには、
すっかり、
わかんないんだ。
2014/03/07 そういうことにしておいて
話が合わない、という人と一緒にいると自分が話している言葉が口元に詰まって、窒息死しそうになる。
あ、話、かみ合っていないな、とか、私の気持ち伝わっていないな、とか、そういう瞬間の迷いが私の脳みそを常に脳梗塞に導いて、つまり私はそういう人と話しているときに三秒に一回は脳の血管が詰まって死んでいるということになる。でも、それは決して大袈裟な話ではなく、そのぐらい話が合わない人と一緒にいるのは決死の覚悟、というか、背水の陣、というか、とにもかくにも清水の舞台から飛び降りる気分なのだった。
といって、私が、話の合わない人を毛嫌いしていて憎んでいるのかというとそうでもない。
もちろん、いくらでもいなせる。場合によっては私が相手にいなされているのかもしれない。だので、よっぽど、話が合わないということによって諍いが起こるということはないのだけれども、なんてたって脳細胞は三秒に一回全部死んでいるので、続いて言葉が出てこないことがしばしばある。
あ、この言葉は間違った。
あ、この言葉は跳ね返ってきた。
あ、この言葉で笑い合えなかった。
あ、この言葉で憤慨しなかった。
そういう、一時停止ボタンをいちいち押してしまい、脳細胞も全滅し、私は人間として何回も何回もやり直さなくてはならないはめになる。さて、そこで問う。何度も死に何度も生き返る私は、本当に人間としてやり直せているのだろうか?と、言いたいところだが、話の合わない御仁とはこの根本的な問いすらままならないし、破壊されてしまうので、私のこの問いは永久に解決されないままだ。
「あ、鈴裏さん」
「彦根ちゃん」
もたもたとレジで温めなぞを待っているうちに、話が合わない代表の鈴裏さんがやってきた。私の口は殊勝なことに彼女に話しかけようとしていたが、どうにか名前を呼ぶにとどまる。脳梗塞を起こしてたまるかってんだ。
「彦根ちゃん、何買ったの?」
「あ、えと、アメリカンドッグ」
「おお。私もそうしようかな」
「おいしいですよ」
「そ、だよね~」
そうだよね、とは言わず、一瞬真顔になって、そ、の後に一拍入ってだよね、とは、どういう了見なのかぜひ伺いたい。私の返しがまずかったのか、じゃあどういう返しを期待していたのか教えてもらっていいですか。
もう話しかけられないと思ったら、空いていたこともあって鈴裏さんはすぐにレジにおにぎりを二つ持って来た。
「あと、アメリカンドッグを」
ピーピーと、私のそぼろご飯を温めていたレンジが鳴る。小さな声で断りをいれ、店員が袋にいれたそぼろご飯を差し出してくる。
「すいません、私のそぼろちゃんが」
「許さないんだから」
鈴裏さんが笑いながら言ったが、そこは真顔で言ってほしかった。じゃないと、私が「ひどい!」とか「無体な!」とか言えたのに、そんな悪気のない顔でそんなこと言われても何も面白くない、と思うのは、私だけ、ですか、そんな女っぽく言われてもじゃあ私の方が許しますよってなもんです、というのは、もちろん言えないので曖昧に笑って見せた。じゃあ、とか、お先に、とか、うんとかすんとかいいながらコンビニを後にする。どうにか横断歩道が赤になりませんようにと早歩きで歩き始めると、後ろから走り寄ってきて、嫌な予感はしたが振り返るともちろん鈴裏さんだった。なんだよほんとに。
「さっきさ、江間くん怒ってたよね」
同じ課の、私の先輩であり鈴裏さんの後輩である江間さんの名前が出てきたので私は興味津々だ。江間さんは、鈴裏さんよりも話が合うし面白い先輩なので嫌いじゃないが、気分で人を左右するし自分のことを絶対に正しいと思っていて誰かと話すときは上から目線だし、職場でも平気で八つ当たりをするし、そういうところが人間として欠陥がありすぎると思うので、総合的な評価は大嫌いだ。さっきも、自分の知らないところで私と鈴裏さんが仕事を進めていたことが気に入らなかったらしく、基本的に私に対してひどい言葉をあびせて(何がたちが悪いというと、本人がそれを八つ当たりだと認識していないところ)、だんまりを決め込んでしまったのだった。
「あー、でも、あれは私が最初から江間さんに確認すればよかったんですけど」
「うーん、そっかあ」
いや、そこは同意じゃなくて、そんなことないよ江間くん最悪だった、ぐらい言えませんか。
「……江間さん、いつもああなんです。人に言うときはまくしたてるし、課長にも口ごたえばっかりするし、自分以外みんな間違ってるみたいなところあるから」
「ん、そっかあ」
言わなきゃよかった。私の脳細胞が全滅した。鈴裏さんは苦笑いをして、私の苦言には賛同できませんということをなんとなく雰囲気で醸してくる。これももしかしたら本人は気付いていないのかもしれないし、むしろ私がやっぱり悪いということなんだろうか。私はこの件に関して私が悪いとは思っていない、けれど、まあ後輩が悪いと思うのが定石だろうということでそう思うようにしているだけであって、気持ちの上では折れる必要はないと思っている。し、この話を振ってきたのは鈴裏さんなんだから、それで引くのはおかしいんじゃないかという気持ちもなくはない。
何でも、ネガティブなことでも、ポジティブなことでも、とにかく何でも、どこか一緒に賛同しあえることや、どこか一緒に否定できるものがなければ、私の脳細胞は維持されない。すくなくとも鈴裏さんと話すことによって、私の脳細胞が毎回死ぬのであれば、私はできるだけ彼女との接触は避けなければならない。私のなけなしの脳細胞が一生懸命答えをだす。生まれ変わって、劣化して、生まれ変わって、劣化して、生まれ変わった末の脳は、もはや人間としてちゃんと機能してるのか怪しいが、そんな脳みそでも一生懸命考えたこたえが、彼女を避ける、ということであれば、私はそれに従う。
話が合わないのであれば、避ける。
わからないこともつらいし、わかってもらえないこともつらい。
まったくわからないことを考えていて、「自分の知らない世界をこの人は知ってるの、素敵!」となる女はほんとに馬鹿だ。自分の人生を生きていないし、人生の価値基準が自分の外側にあるのだと思い込んでいる。と、私は思い込んでいる。
ので、やっぱり、話が合わない人と一緒にいるのは苦痛以外の何物でもない。馬鹿だとも思われたくないし。
「じゃ、私下で食べるから」
地下にある休憩室に去って行った鈴裏さんは、何事もなかったかのように笑顔を振りまいていた。やっぱり何を考えているのかよくわからないし、私の中にもカテゴライズできない人だった。
まあ、アメリカンドッグを買うところは少し評価しておこう。
***
今日思ったことでした。
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