どこをみているの
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2014/05/11 ひかりの午後
まだ眠いのに、寝苦しさが私の邪魔をする。
この時期の日差しの威力を甘く見ていて、雨戸を閉め忘れるとこういうことになる。
東向きについた窓から、真っ白な光が差し込んでくる。じわりと部屋を温め、ついぞ汗ばむほどの陽気を生み出していた。私は目に見えないだろうほどの、かすかな汗を鼻の頭にかきながら、じっと寝返りすらうたないで目を閉じたままでいる。たぶん、まだ、朝の八時ぐらいだ。今日は日曜日で、仕事もない。だったらせめて昼までは寝ていたい。でも、日差しは容赦ない。というか、昨日、どうして雨戸を閉め忘れたのかと自分自身にイライラしながら、私は意地で仰向けのまま寝転がっている。意地になればなるほど、汗が浮き上がってくるようで、最後には観念して起き上がった。後ろに手をつくと、自分の熱でマットレスが温まっていた。むへ、と、だらしないあくびが口からこぼれる。
どうやら私の部屋だけが暑かったようで、部屋を出るとどこもかしこもひんやりとしていた。
家中の雨戸をあけて回る。どうして自分の部屋だけ閉め忘れたのかと思うほど、どこもかしこもしっかりと雨戸は閉まっていた。
もう使われていない部屋の方が多い中で、一番使っている自分の部屋の雨戸を閉め忘れたとは、私も中々間抜けだ。
家には誰もいない。私が三十を過ぎたころ、父と母が立て続けに亡くなり、姉も結婚して家を出て行ってしまっているので私一人で暮らしている。姉は心配だから結婚なり同棲なりしてくれと言うが、相手がいないので土台無理な話だった。我ながら見た目は究極な不細工というわけではないと思うのだけれど、どうにも見染めてくれる御仁がいないので、今の今までずっと一人だった。そうすると、一人でそれなりに楽しく生きていける算段が付いてしまう。誰かと一緒に暮らすことは魅力的であり、同時に、絶望的だった。
新聞を取るついでに、玄関脇で飼っている金魚のジャパネスクに餌をやった。なんでジャパネスクという品種名なのかよくわからないが、母はとても大切に育てていたので、とりあえずこいつが死ぬまでは面倒を見てやろうと思っている。メダカも育てていたのだけれど、いつの間にか全部死んでしまっていて、つい先日、空っぽになった水槽替わりのバケツの中の水をやっと捨てた。まだ元気に浮かんでいたホテイアオイはジャパネスクの、やはり水槽替わりの大きな常滑焼の植木鉢に浮かべておいた。
ジャパネスクの体には大きなこぶがあって、私はこれを見ると寄生虫か、おかしな病気かと思うのだけれど、母がジャパネスクを買ってきて数日後にはこれができていたので、死の影が付きまとっているというわけではないらしかった。
なんとなく気が向いて濁った水を替えてやろうと思ったが、ジャパネスクがぴちょんとその大きな尾びれで水をはじいたのでちょっと怖くなってやめた。母はジャパネスクをどこかに移し替えるとかそういうことはせず、ホースで水を注ぎながら汚い水を大きな柄杓で捨てていた。その柄杓は今もあるが、水を捨てるときに一緒にジャパネスクを捨てるかもしれないと考えたら、怖くなった。それに、ホースで直接水道の水を灌ぐことも、金魚には悪いかもしれない。私は金魚とか鯉とかの鱗が苦手だ。コイツが死んだら、私はちゃんと母のように埋めてあげられるか自信がない。少しだけホテイアオイの位置を動かして、私は家に戻った。
洗濯機を回している間、昨夜の残り物を食べた。牛肉とピーマンを甘辛く炒めたやつだ。
昨日の夜は、白いご飯に良く合うと思って食べたけれど、朝、最初の食事にするには少し味が濃すぎた。二、三口食べたら舌がしびれたようになってしまい、箸を流しに放ってコーヒーを飲んだ。
新聞を申し訳程度にペラペラめくるが、文字はただの記号の羅列でしかなく頭に全然入ってこない。カラフルな広告も、パチンコと家電量販店のものばかりで、自分にとって今は何も有益な情報を与えてくれなかった。日曜日、予定も特にない。汚くなった車を洗車しようと思ったけれど、家の前で洗うと向かいの家のババアがいちいち話しかけてくるから面倒だ。話しかけてくるのはまあいいけれど、水の流れる音やブラシでタイヤを洗う音でババアのか弱い声はかき消されるので、話しかけられても無視するつもりはないのに無視しているようになってしまうので、私の小さな心が痛むのだった。馬鹿らしい。
洗濯が終わり、カゴに入れて庭に出た。父がこだわっていた庭には、姉が生まれたときに植えたヤマモモの木と、私が生まれたときに植えたカエデの木がある。ヤマモモは、ここ数年でやっと花を咲かせるようになった。実はつかない。こだわっていたのは父だが、庭の面倒を見ていたのは母だった。どうしてヤマモモとカエデを植えたのかと尋ねると、母は「お父さんの知り合いの庭師さんがくれたんだよ」と言った。特に意味はないらしかった、カエデの花は見たことがない。
この時期、小さな庭も新緑が鮮やかになる。少量の洗濯物を干しながら、私は何度もヤマモモとカエデに目をやった。涼やかな風が葉と葉の間を潜り抜け、枝を揺らした。暑くも寒くもない、絶好のお出かけ日和だったが、私はヤマモモとカエデを眺めて洗濯物を干すのに夢中だった。不思議と、心が満たされたようだった。
思い立って、家中の掃除をした。
姉の部屋も、両親の部屋も、今はすっからかんになっていて、私が思うに任せて集めた小説や漫画置き場になっている。たまに姉夫婦が泊まりに来るが、一階の仏間で充分事足りるので姉の部屋も両親の部屋も殆ど人は出入りしない。もう一部屋、父の書斎になっていた部屋があるが、そこはもう、何もない。三十路の一人暮らしには、この家は大きすぎるしもてあます。けれども、埃だけは一丁前に積もっていくので掃除だけはせねばならない。掃除機を持ってあちこち歩き回ると、まるで自分が、掃除機を飛び道具にしている探偵のような気分になる。あちこちの秘密を吸い込んで、事件を解決へと導いていくのだ。そういう妄想をしても、一人暮らしなら誰にも気づかれない。共有はできないが、さいなまれもしない。私は思う存分、埃という埃を吸い取った。
時計を見るとまだ一時で、心にはゆとりがある。日曜日の午後一時、大抵の人が休日を満喫しているだろうか。
ソファに腰を下ろし、だらりともたれる。楽なので愛用しているマキシ丈のワンピースがぴたりと体に張り付いた。キャミソールの上からすとんと着ているだけなので、お腹が少し冷えている。温かいコーヒーでも飲みたいところだったが、立ち上がるのが面倒だった。
部屋がしんと静まり返っている。裏の家からは、夜でも子どもの嬌声が良く聞こえてくるのに、今日は何も物音がしない。出かけているのだろうか。先週の日曜日は雨で、隣の家からはピアノの練習の音が聞こえた。私も幼いころ弾いていた曲で、名前は忘れたが、薄暗い雨の日には似合わない軽快な音だった。何度もつっかえて、何度も間違えて、それでも最後まで弾いて、また繰り返し、弾いていた。隣の家の子どもを見たことはないけれど、まだ小さいのだろう。でも今日は、ピアノの音も聞こえない。この近辺では、私だけが家でぼうっとしているのかもしれない。
自分の部屋以外は、さして日当たりも良くなく、特にリビングは日中でも薄暗い。網戸からさわさわと午後の光と風が入り込んでくる。レースのカーテンがふわりと揺れた。母が亡くなってから、大きなものを洗うのが面倒でカーテンはしばらく洗っていない。少し汚れている気がする。クリーニングに出したら高いだろうか、などと、じっとカーテンが揺れるのを見ていた。
結局私はぼうっとしていただけで、テレビもつけず、一時間ほどソファに座ったままを過ごした。我ながらなんという休日の無駄遣いなのだろうと思うが、それでも、充電されたような気になる。こういう日が必要だと思うこともあれば、こういう日があると益々月曜日からの仕事が憂うつになる。休日という制度自体を誰かに見直してほしいとすらたまに思う。テレビを見ることもあまりなく、ニュースもさして気にならず、どんどん世捨て人のような気分なのに、月曜になればすべてリセットされて甲斐甲斐しく仕事をするのだから、私は私という人間がイマイチわからないのだった。母も姉もドラマが好きだったので、休日は大抵録画したドラマを二人で見て、ぎゃあぎゃあと騒いでいるのがお決まりだったのに、今やうちのテレビは何にも使われることがない。沈黙の液晶はただただ、部屋の様子を映し出すだけだ。
なんとなく立ち上がり、コーヒーを淹れて、マグカップを持ったまま外のポストまで行った。何通かのダイレクトメールと、通販雑誌、それと見慣れた字の書いてある封筒が入っていた。
私が書いた手紙だった。
三年前に別れた恋人から、一週間前にメールがあって、返信するのは気乗りがせず、手紙なら書けるような気がしたので書いたのだったが、宛先が不明、という、赤いハンコが押されて戻ってきてしまった。メールが来たのだから、彼はどこかにいるはずなのに宛先にはいない。幽霊みたいだなと思い、そもそもどうして手紙なんて書いてしまったのかと即座に後悔した。自分のした所業がとても愚かなものに思えた。
彼からのメールは至極シンプルで、元気、今度会える、とか、そんなような内容だった。彼が何を思ってそんなメールをしてきたのか、考えたら負けだと思ってしまうのに延々と言葉の裏を読み取ろうとして、結局わからなくなった私はメールを返すタイミングを逸してしまった。
彼はとても気さくで親切で優しい男だったが、いかんせん、アクティブすぎた。私がこうして休日にのんびりしたいと思っても、彼はどこかに出かけたがっていたしインドア派の私を怠け者だと言って、怒りはしなかったが笑った。別に私はそれでもよかったし、私なりに彼に合わせて出かけたりしたつもりだったけれど、不意に正気に戻ってしまって、付き合うのが疲れてしまった、ので、別れた。
彼は結婚を考えていてくれたみたいだけれど、私は一度別れると決めるとどうも彼の顔すら見えなくなってきて、最後は逃げるように私が音信不通になって終わった。少なくとも、私側からは、終わった。
三年経っているのだし、もしかしたら結婚の報告をしたいのかもしれない。彼はよくも悪くも正直な男なので、結婚することがどこかから漏れるよりも君に直接言いたかったんだと言いそうだ。でも、私は、私から振ったくせに、その言葉を聞く勇気はたぶんない。聞くことはできるだろうが、素直におめでとうとは言えないだろう。
メールで、どうしたの、と、聞くことはできる。会えないけど、何かあったの、とか、会えるよ、とか、なんでもどうこたえても、彼の結婚報告には行きつくことだろう。
結局、私がとった苦し紛れの答えは手紙を書く、だった。手紙を書けばタイムラグがあって、その間に彼の、私への関心が少しでも薄れていてほしかった。でも、手紙は届かなかった。
彼のことが今でも好きなのかというと、そうでもない。付き合えることも付き合えるが、また同じ様なことにはなるだろうから、付き合いたいとは思わない。でも、彼の結婚報告を聞く気にはやっぱりなれないのだった。
白い、シンプルな便箋になんと書いたのかすら、私は忘れてしまった。そのぐらい、どうでも良いことを書いたのだろう。じゃあわざわざ、手紙なんて出す必要などなかったのだ。
手紙とコーヒーと灰皿とマッチを持って、私は庭に出た。
相変わらず、ヤマモモとカエデは心地よい新緑を揺らしていた。
マッチを擦る。三本目でやっと火がついて、手紙を燃やした。
一度だけ、ドラマでやるように手紙を燃やしてみたかった。お金でもよかったが、小心者だし人並みにお金に対する執着はあるのでさすがにできない。まるで、私が書いた手紙はこのためにあるようだった。白い封筒は見る間に茶色く変色し、黒く焦げていく。
こうして、色んな人とのつながりが消えていくのだと思う。
そのことに、とっくに気付いていた私は、もう、悲しいとは思わない。悲しいと思ってはいけない。
でなければ、きっと、雨戸を閉め忘れた部屋の暑さだけで、昨夜の残り物が塩辛かっただけで、だだっ広い部屋を掃除しているだけで、金魚の鱗を眺めただけで、ヤマモモやカエデの葉が揺れるだけで、ワンピースの触感だけで、彼の顔を思い出しただけで、死ぬほど悲しくなってしまう。死んでしまう。
あっというまに手紙はなくなり、灰になった。そよ風に少し浮かされながら、灰が動く。
ヤマモモの葉の隙間から午後の光が差し込んで、ガラス製の灰皿をきらめかせた。
今日の夜は、自分の部屋の雨戸もちゃんと閉めようと決心して、私は家の中へと戻った。
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