どこをみているの
2025/02/06 [PR]
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2014/08/05 深夜のカーステレオ
深夜に仕事を終えて帰る途中、信号がよく点滅に変わっている。
朝の、どんな早い時間にそこを通っても点滅ではないのに、夜の十時を過ぎるとそこは点滅になっているので、朝に強いタイプの信号なのだろうと思う。夜遅いとき、そこをとおると見放されている気分になる。朝は早くからしっかり仕事をしている信号が、夜はずいぶん冷たい。門限を破って怒られた気分だった。今日もちなみにそうだった。
腰を据えて日記を書こうとすると、どうも堅苦しい文章になってしまう。
自分では、ホームページで公開している小説と本にして印刷した小説ではちょっと雰囲気が違うなあと思う。それはきっと、印刷した方が時間もかけてかなり本腰を入れているからだと思う。ホームページは、どっちかというとゆるゆると自分が好きな方に逸れて行って、戻りたかったら後戻りができるけど、本はそうはいかない。当たり前だ。
でも、「よっしゃ書くぞ~」っていう気持ちで、作品に向き合う時間が長ければ長いほど、堅苦しい文章になるような気がする。本当はもう少し柔らかい文章が書きたいと、常々思っているんだよ、俺は。
でも、まあ、かちっとした文章は好きだから、なんでもいいけど。
ライトノベルや、フランクな語り口の文章が苦手なのは、そういう根底の好みがあるのだろうと思う。フランクな語り口、というよりも、テンションが高くて書いてる本人が一番興奮しちゃっているタイプの文章。自分がたとえテンションが高くても、読めないと思う。
「さあさあ、そこのお嬢ちゃん、ちょっと俺の話を聞いておくんなましよ。え? そんな余裕はないって? こちとら金をとろうとしてるわけじゃあないんだよ。人間余裕が大事ってね……」
みたいな感じのもので、だから、正直な話、落語も苦手なのであった。どうでも良い情報。文章で読むのも、そのままの調子で語られるのも苦手。どこに自分のテンションを持って行っていいのかよくわからなくなってしまう。そっちがテンション高めに来るんだったらこっちも、と思っても、こちらは聴衆であり読者なので、テンションを高めにしておいても放出する場所がない。文章やストーリーでテンションを上げてくれるものではなく、こちらのことなんかほったらかしで盛り上がられるのが苦手なんだと、今文字にしていて思った。
小説、というのは、やっぱり崇高であってほしいというのが私の想いなので、どうもテンション高いものは受け入れられないのでした。なので、「マイ・カズン」(「ビオトープ」収録時は「Broken Youth」)なんかは私にしてはちょっとテンション高めの文章です。
そりゃあ、そういうのが楽しいときももちろんあります。
そんなこんなで日付が変わってしまった。
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