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2014/11/02  不安の名前を
今日は友人と雑貨屋にいったり買い物をしていた。明日はまた仕事なのでちょっと元気が出たけどでもやっぱり、人といると複雑な気持ちになることも多い。どっと不安が押し寄せてくる瞬間がある。どうしてだか、自分でもよくわからないけれど、とにかく不安でどうしようもない。そうすると、相手の話してることも表情も、私を拒絶しているような気になってくる。うん、これは被害妄想だ。そうはわかっていたとしても、でも、やっぱり、こんな私のことなんか嫌いになるのは当然だよねと思う。そう思っていることは、友達への侮辱だとわかっていても、思わずにはいられないのだった。歪んでいる。止められない。まったくもってストッパーがない。

私はどっちかっていうと喋るタイプだと思う。思いついたことをぽんぽん言ってしまう。
だからか、私の友達は聞き役の子が多い。
私はあんまり聞くのが上手じゃないからちょっと恥ずかしい。
独りよがりいというか、まあ、自分のことが好きなのだ。好きな友人と一緒にいるとそれが余計に顕著になってしまう。でも、聞くのが上手なのでうっかりしゃべり続けている。なんということだろう。はたと冷静になったりして、では相手が話したいこともあるだろうから聞かないと、と思う、のだけど、しかし、それはあんまりうまくいかない。相手が話下手だし、私が聞き下手だからだ。そういうバランスもきっとある。
友達は「にゃくちゃんみたいにいっぱいしゃべってくれる子好きなんだよね」って言ってくれるけど、卑屈な私はそういう言葉をよく疑っている。それに、私はとっても小さなことがぐじぐじ気になるタイプなので、話を聞いてる側からしてみるとどうなんだろうと思ってしまって、もう猜疑心でいっぱいだ。
自分の言葉で埋まってしまう車内や、別にどうってことない沈黙が、気になる。心がざわついてしょうがなくなる。好きな友達といればいるほど、そう思ってしまう。相手が何にも思っていないこともわかっていて、でも、不安になる。いっそこの不安に名前を付けてなんだか飾っておきたいぐらいに、見事に不安になる。自分の情緒不安定具合もここまでくると傑作だ。

なんだか、友達になにを求めているんだろうという気すらしてくる。私の言葉を隅々まで拾ってほしいとか、そんなことだろうか。
自分で自分のことがよくわからないのだった。
自分がもし、私の友達でも、私は自分を満たしてやれる自信がない。
私はいつも、何かを乞うている。なんだかよくわからない、何か。自分でもよくわからないその何かが人から与えられるかなんて思えない。でも、何かを求めようとしてしまう。いつも笑顔でいてほしい。私の話で笑ってほしい。共感してほしい。でも、100%なんて無理だ。無理だ、と、思っていること、とか、相手のことを猜疑の目で見ていること、が、知られたくなくて、私は好きな友人といると不安になるのかもしれない。なんだかよくわからなくなってきた。

どんなに仲が良くても、相手が大して何も考えてないとわかっていても「ごめんね」とか「よかった?」とか言ってしまう。まあご機嫌伺いのようなもんだ。媚を売ってるわけじゃない。
友達への信頼よりも、自分の心の不安に負けてしまう。今も、こんなことを書きながら、今日の友人の一瞬の真顔を思い出して心が不安になってきた。しばらく話せそうもない。なんでだろうか。不安だ。不安でいっぱいだ。
この不安はどういう類のものなのだろう。不安だ。

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