どこをみているの
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2014/10/27 バランス
昨日、職場の先輩の結婚式で出席してきた。とってもかわいかった。
式場が少し手狭だったけど、それでもこぢんまりしていてあたたかなお式で素敵だったと思う。
でも、その日の朝に、訃報の連絡を受けた。昨日は大安で今日は仏滅。なんだか図ったようなタイミングだったと思う。不思議な感じだった。結婚式とお通夜が隣り合わせにある。でも、それがほんとうのことなのだとも思う。
私の知っている歴史上の人物で誕生日が6月28日、命日が6月29日の学者がいる。
知ったはなのころは「一日で成長して、そんなにたくさんの業績を残したのか。すげえな」と思ってた。結構マジで。でも、大人になって、人の時間はみな等しく24時間で(江戸時代が太陽暦だったとしても)、成長の度合もほぼ同じであることを知ったので、年代が違うということをちゃんと理解しました。そういう、あほな子でした。
とても、むしゃくしゃしてイライラして、どうにもならなくて、できるかぎりの悪口を言う。
悪口の神様というのがいて、その神様が許す悪口は、誰にも怒られない。笑ってもらえる悪口だ。でも、悪口の神様が許さない、見向きもしない悪口は、ただただばかげていて醜くて、くだらない。でも、そういう言葉ばっかり言ってしまう。情けないことに。
嫌な言葉を吐きだすとわかっていても、どうしても止まらない。どうしても言いたい。誰かに聞いてほしい。でも、嫌な言葉だから聞かせたくないし聞きたい言葉でもないだろう。でも、言いたい。
もともと、私の書く言葉なんていうのは誰かを呪うための誰かを憎んだときのための言葉なのかもしれない。そうじゃなければこんなにも誰かに言いたくなることなんかない。誰かを傷つけたかったりとにもかくにも悪者にしたいときにしか饒舌にならない。嫌味を言うとき。皮肉を言うとき。私の言葉は鋭利で鋭敏なカタマリになる。誰かを傷つけようと躍起になる。誰かを貶めようと必死になる。
でもね、同時に良い言葉も聞きたい。そんな、嫌な言葉なんかかき消してくれる美しい言葉。無条件で、泣いてしまえるようなそんな言葉。ささやかな水の流れのような言葉。私にはない、言葉。
そりゃあ自分が情けない。そりゃあ、自分が、どうしようもない。
いっそ、言葉を全部吐きだし終えたらしぼんで死ぬような制度があればいいのに。でも、きっと、私は死なない。恨みを全部吐きだすなんてありえないから。心の底にぬるぬるとずっと滞ったままでいるから。素敵な、憎しみたち。それがなければきっと私は生きていけないのに、私はそれを毛嫌いしている。それを、本当は愛しているのに、いっそなくなってしまえばいいと思っている。
ここにあってくれるな。
ここに、いてくれるな。
何も、してくれるな。
こういう波ってなんでくるのか本当に意味不明で、原因としては言葉の浪費と、言葉の便秘と、なんかいろいろその他もろもろ、感受性が鈍っている癖にたまる感情だけがある、っていう感じなんだけど、うまくいかないなあ。こんだけぐだぐだ書いていても全然満足できない。なんだよ。
あとね、やっぱり書く書かないの話とか、そういうのが地味に心にくるなあって思う。すごいぶっ壊れる。人の書く書かないの話なんかどうでもいいのに、そういうの認められなくてどんどんぶすぶすくすぶっていく感じ。心もブスになっていく感じ。全部否定したい。
どうでもいい、本当にどうでもいい私だけの信仰だけど、書ける書けないとか、書く書けたとかの話をしている人は小説がおもしろくないというジンクス、信仰があって(なぜかというとすごく独善的で自分で自分の小説を愛しすぎている)、でもまあナルシストの方が身なりに気を遣っていて清潔感があるというパターンもあるので(あくまでそういう場合もあるという話であって)、それがすべてじゃないこともわかっているしそりゃあ書かない人よりもちょこちょこ書いている人の方がそれなりに上手く書けるわけだし、そういう風に鼻にかけるというか自信を持つことが悪いわけじゃないし、私も現に自分はそれなりに上手く小説書いてるとは思うけど、でも、やっぱりそうじゃないんだよね。
本当の、私が愛する本当の人たちは、そういうところが一切なくて小説を書いていることや書く書かない、書けた書くをおごったり高ぶったりしない。そういう人はとても優しくてよい言葉を書く。控えめで優しくて美しいことば。
たぶん、書く書かないとかいってちょっとこなれた人を演出してくる人っていうのは、やっぱり自分のことを知らない人だと思う。私も含め、勘違い野郎だと思う(ここからお前の小説落ち着いて読んでみろよつまんないから、という自己卑下が盛大に始まる)。
黙ってろよ、ってやっぱり思う。小説の言い訳なんかすんなよ、って思う。
書きたいことがあるなら書けばいいし、言いたいことがあるならやっぱりそれもかけよって思うし、それは、自分もだ。
なんでも簡単に言葉にしてしまうのは楽だけど、小説を書きたいのなら小説で書いた方がいいでしょう、だって、そうして、小説を書いてきたのではないの、と、自分に自問自答だ。難しくない答えがすぐに出る。いつも、結局、正解のときも間違いのときもあるけど、でも、やっぱり出る答えは一つだけなんだ。
特に理由はなくて、ただ、書きたいと思ってるだけなんだ。
大体こういうことを考えているので、やっぱり日常生活というか私の人となりにもこういう思考回路は現れていて、よくやらかすことが多い。困ったもんだ。
あと作られた人が嫌いだ。まるでドラマみたいに落ちのあるように話す人も嫌だし、まるで漫画でよくあるワンシーンみたいな台詞を平然と言ってくる人とか、仕事が良くできるような話方をしてくる人。お前自分のこと何様だと思ってるんだ、と、突っ込みたくなる。それ、正気ですか?っていう人。そういう人を見ると大体死ね、と思う。なんかやばい思想の人みたい。
でも、そういう人を見ると一方でとっても面白い。どこまで本気で言ってて、どこまで演じていってるんだろう。もし本気で演じているのであればそれはもう嘘じゃない。本心で言う嘘ならそれはもう嘘じゃない。男の人とか、オタクこじらせている女性に多いと思うんだけど、どうでしょう。私も若干その気はあるのだけど。
小説を読んでいて「こんなきざな男いるかよ!気持ちわるいな」と思うんだけど、周りを見てみるとそこまでひどくなくてもプチきざ男がいる。というか大体周りの男性がそういう男に見えてきて、私はどんどん男という生き物が苦手になるし、でもやっぱり面白い。あと、女に気持ち悪いと思われている人ほどそういう傾向がある。モテると思ってるんだろうか?
まあ別に、どうでもいいし、私も何様って感じだな。
こうやってつらつら愚痴を書いていて思うのは、自分のことが嫌いなんだなあというのと、そういう自分を面白がっているんだなあということで、ちょっと、やっぱり、笑えるのだった。
さて、寝よう。
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