どこをみているの
2025/02/07 [PR]
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2012/08/24 夕月
カランコロンと街中には軽快な下駄の音が響いている。普段から聞きなれている草履の音とは違い、夏のこの時期専属の楽隊である。
私をちらと見ては、なにか楽しげに笑い合う少女たちの浴衣の袂が涼しく揺れていた。
格子に千鳥、桔梗や朝顔の柄の小さな浴衣を、母親が裁縫したのだと思うと微笑ましい。経子帯がビロードのようにさえ見えるものである。
「お待たせしまして」
本来なぜ自分が此処にたっていたのかをすっかり忘れていた私を見透かしたように笑い、鮎子が立っていた。
白地に藍色の桔梗の花の入った浴衣である。先ほどの子どもと同じ柄ではあったがやはりそこは大人の風格ともいうべきか、少しくすんだ紅色の帯が、他にはない色香を与えているのであった。
近くのお宮で祭りがあるからと言い出したのは、女中のキヨだったかマサだったかで、いっそのこと皆でいけばよいと言ったのは藤崎であった。我が家の主人は曲がりなりにも私のはずなのだが、女中たちは藤崎の言うことをよく聞くので困ったものである。
「大先生は行かないのかね?」
浴衣を新調したいなどと女中たちが騒ぐそばで、縁側に腰かける私の隣に藤崎がやってきた。膝を組み、その上に肘をついて不適な笑みを浮かべている。
「人の多いところは苦手でね」
「言葉を商売にしているのに、お前さんは言葉の裏が読めないのかね? 姫様がお待ちだよ」
彼が顎をしゃくる。顔を向けると、女中の会話に頷いてみせる鮎子がいた。
彼女自身はいきたいなどとおくびにもださないが、昔、まだ彼女に教えていた時なぞは、勉強の合間に縁日に出たものだった。
数ヶ月前に離縁してから、ことあるごとにここに遊びに来て細々したことをしてくれる彼女だが、こちらに気を遣わせようとしない。
無理をしているのか、まだ心の傷も癒えぬだろうに、もう私や藤崎のことに気を回している。
その彼女のことだ、離縁に踏み切るまでも、踏み切ってからもさぞ辛いこともあったであろう。
気の優しい者ほど誰かを気遣い疲れてまう。
「鮎子」
「はぁい? 明日のお買い物ならマサさんが」
「祭りでもいこうか」
夕刻になり、女中たちが帰るのを見届け、自分も帰ろうとする彼女を呼び止めてそう言った。祭りの話はもう忘却の彼方だったらしく、鮎子は目を丸くして何を言っているかわからない、と言う顔で固まった。女学生時代に、幾何などを教えてやったときと変わらない表情で、ぷと吹き出しそうになる。
「なんだねその顔は」
「いいえ、だって先生が真面目な顔で仰るから。どんな神妙なことかと思いましたわ」
「君にとっての神妙は明日の買い物のことかね」
「あら、馬鹿になさるならいいのよ」
不貞腐れたような顔を見せた彼女だったが、すぐに向きをこちらに戻し、優しく微笑んむ。穏やかな彼女に一体どんな不備があったというのだろうか。
じ、と眺めているとさすがの彼女も恥ずかしさを覚えたらしく、仄かに頬を染めた。
「浴衣でも、着てきたらいいさ。あれは見目に涼しくていい」
「そうですわね、大先生との逢瀬ですもの、着飾らなければね」
「いつの間にそんな口を聞くようになったのだか」
うふふ、と、芙蓉のような静かでけれども満面の笑みを残し、彼女は我が家の玄関を後にした。
当日になり、藤崎が来いと言った時間にお宮の前にいると、待てど暮らせど彼や、今日のために暇をやった女中たちもやってこない。からすの鳴き声が西日に染まる空に吸い込まれる頃には、自分が狐に騙されているような気がし――お宮は稲荷ではなかったが――浴衣姿の子供らが増えたころには藤崎らが示しあわせて笑っているのだろうとばつが悪く、そして、目の前にわずかに汗をかいた鮎子が現れた段になって、彼女以外が示しあわせて、二人で行けと言うことなのだと了解した。
まだ意味がわからないらしい鮎子は、藤崎や女中の姿を探している様子だったが、いい意味で鷹揚な彼のことであると思ったのかさして何かを言うこともなく、私の隣に並んだ。
彼女がこんなに仕立ての良い浴衣なら、私ももう少しまともなものを着ようが、いつもの着ざらした、半ば寝巻きの浴衣にしてしまった。
そっと彼女を盗み見ると、しゃんと背中を伸ばして歩いている。首筋に張り付いた幾本かの髪が、十代にはない女たるものを匂わせた。
彼女とは、幼い時分から関わりもあり、ときには兄妹のように、ときには友人のように接してもいたわけだが、必ず彼女にも、そして私にも、知らない部分はある。それが、彼女の首筋にちらついているのであった。
ヒグラシやツクツクボウシと競うように、下駄の音が響いている。
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