どこをみているの
2025/02/07 [PR]
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2012/07/28 おと 2
おと、はいつも以上に小難しい顔をして僕の目の前にどっかと腰を下ろしている。
さっきから何を話し掛けても生返事ばかりで、一度だけくしゃみをしたきり、声らしい声もあげない。
僕は剥くのが難しい桃なんぞを持ってきた彼を呪わしく思いながら、ゆっくり皮を剥いていた。
最初に皮を剥いたのはもうずいぶん茶色に染まっていた。でも、僕は変色してしまった桃の方が好きだ。
勘違いだとは思うが、酸化が進んだ桃の方が甘い気がする。
むしむしと暑い部屋で、鼻の頭に汗までかいて桃を剥く。相変わらずおとは黙っていた。
「桃って、剥く前の方が桃の匂いがするよね」
「ああ」
何度目の生返事か、もう数えなかった。彼は今、思考の海に溺れて死にかけなのだ。
僕が助けようとしても、それは救助には使えない石ころや細い紐でを投げ入れているだけ。
彼自身が落ち着いて、そこがほんとは浅瀬であることに気付かなければ意味がない。
もしくは、海なんだから、じっとしていれば浮くのに。口が避けても言わないし、僕の海は浅瀬で浮けるけど彼の海は水深云キロメートルの、浮くのが難しい真水に近い海なのかもしれない。
「桃、食べないかい」
「ああ、食べるよ」
差し出したフォークを受け取り、おとは茶色くなった桃を食べはじめる。僕の指からは桃の甘い芳香が漂っていた。
「何を考えていたの?」
我慢出来ずに尋ねると、おとは手をとめて暫く僕を見つめていた。しくじったかなと思いつつ、訊かれたくないのならここで悩まなければよい。とはいえ、僕はこの質問を口にできただけで大満足で達成感すらえられていたので、おとの返事は特に期待していなかった。でもきっと、彼なら応えるだろうという気もしていた。
「何、というと難しいもんだから、考え込んでみるものの、やがて曖昧になった悩みの後味だけが舌先に残るよ」
おとは一息にそういって、桃にぷすりとフォークを突き立てもそもそ食べた。口の端に果汁がついててらてら光る。僕は指を伸ばしてそれを拭いてやった。彼は小さく、ありがとう、とつぶやいて甘ったるい吐息を吐き出す。
「悪いと思ってる、ただ、」
彼の声は上ずり、言葉が喉につまる。おとが一生懸命に言葉を探す時間が、僕は嫌いじゃない。むしろ好きだ。
「悪いことなんて、なにもない。君が嫌いなら、こんな桃なんぞ剥くもんか」
「そうだな。お前のそういうとこに惚れたよ」
おとは力なく笑い、僕の腕を引く。まだ桃の匂いが強くするだろうその指を咥え、丁寧に舐めると最後に指先に啄むような口付けをした。
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