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2011/08/22  あきのぶどう
夕方にやってきた藤崎は、自らの名前とかけたのか藤色の風呂敷を片手にもっていた。
かすかに甘い果物、それも豊潤な香りが病室内に広がり、嗅覚だけが正常なのか、むしろこの状況では異常なのか、とおもねるように言った葵くんも向かいのベッドで顔をあげた。不自由そうに片手しかない腕で身体を支えておきあがる。鴎四郎くんはまだ見えていないようだ。
藤崎はしたり顔で私の枕元で風呂敷を広げる。このところ、藤崎と打ち解け初めている葵もひょこひょこやってきた。
風呂敷の真ん中には四房の巨峰が鎮座していたのだった。
風呂敷よりも濃い色をしたつぶが集まっているのだから、目がいかれているとこぼす葵くんにも見てとれるはずだろう。
風呂敷から放たれた香りは一層強く、脆弱で隙間だらけになってしまった心の中にしみわたっていくようだった。ほう、と葵くんがため息をついたのが、この古ぼけてしまった耳でも十分聞き取れた。
「山梨に住む親戚がな、今年の初物だからと送ってくれたのだが、まったく田舎は量の配分ができないのかね」
藤崎の家には今、巨峰が詰まった箱がまだ五箱も積まれているという。古くからの友人は、女学生を悩ませた吐息を惜し気もなくはき、困ったように眉根を寄せた。
「向こうに年頃の女が一人いてね。私の嫁にどうだと言って、目立ちたいらしいが、これじゃ私は巨峰と結婚するか巨峰になってしまうかよ」
「ならば巨峰になって巨峰と結婚すればよいでしょう?あ、甘い」
軽口を叩きながらも、葵くんは器用に一粒口に放った。果汁がまたあふれたからか、先程より少し酸味が増した瑞々しげな香りが漂う。思わず微笑む。またこの季節を迎えられたことに。
「こら葵、まだ洗ってもないのに」
「藤崎さんはそういうところは細かくていらっしゃる」
「こいつはなんだかんだと小姑みたいなやつだから、よくよく気をつけるといいよ」
「鳴瀬、おまえみたいなだらしない男に言われたくないぞ」
葵はもう一粒もぎとり、口に放った。
「こんにちは」
出入口に顔を向けると、学校帰りだろう鴎四郎くんが立っていた。その手には大きな鞄と、もう一方には新聞紙の包みがのっている。
もしや、と思い藤崎をちらと見ると藤崎も同じことを考えたらしくこちらを見ていた。
「おかえりなさい。鴎四郎、それは?」
葵くんは鴎四郎くんに駆け寄るまではしなかったが、顔をあげて新聞紙の包みを指差した。
鴎四郎くんはにこりと笑みを浮かべ、私の寝台までやってきて藤色の風呂敷の横で包みを広げた。
より一層、巨峰の香りが広がる。二房の巨峰が包みを開いた拍子にわずかに転がる。
「帰りしな、売っていたものですから思わず買ってきてしまいまして…葵が巨峰好きだったろう?」
「ええ、好きだけれど…食べきれるかしらん」
そう言いながらも嬉しそうに言う葵は一粒また一粒と着実に数を減らしている。
「まあ……好きなだけ食べたらいいさ、もしやしたら鮎子さんがみえるやもしれないし」
「あら、みなさんお揃いなの?」鮎子の声に皆が振り返るが、彼女の手に見慣れた大きさ風呂敷があるのを見て、皆が笑った

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