どこをみているの
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2014/08/16 無駄な抵抗はよしなさい
どういうわけか、音楽を聞いていると文章が書けなくなってしまう。緊張するし、曲の方に意識がいってしまうので、何を書くのか忘れてしまうのだった。
今、この文章を書いている間も、ずいぶん気がそれて何回も打ち直している。誤字も多くなる。
でも、どういうわけか、卒論をしているときは曲を流しながら書いているのがすごくよかったなあと思う。邦楽よりも洋楽の方が、歌詞の意味がよくわからないので聞き流すのは一番よかった。でも、一番捗ったのはなぜかBLのドラマCDで、ごく小さい声で流しているのが一番集中できた。なぜかよくわからないのだけど、あと、寝つきが悪い時も、ごく小さい、聞き取れるかとれないかの音量で流しておくとすぐに眠れた。不思議だ。
そういえば、先日ツイッターだったかで、寝つきが悪いときは時計の音に集中する、というのがあった。逆効果じゃないのか、と思ったけれど、一つのことにぐっと集中すると眠れるようになるらしい。耳障りだな、とか、思わないで、ただ時計の音に集中する。なるほど。
そこに感情はなく、ただ、何か、物事に集中すると、ふっと眠れるのだそうだよ。だから、ドラマCDも、もちろん声優さんが良い声なのであんまり真剣に聞いているとはわわ、と思うのだけど、ただ、ドラマの内容を追っていると一つのことに集中しているわけなので、眠れるのだろうなあと思った。
で、BGMの話だけど、なので、小説を書いているときも殆ど聞くことがない。聞いているとそっちに持っていかれるので話が支離滅裂になる。たぶん、読んでいて「?」となる場面は結構音楽を聞いているときだなと自分で思う。
あと、曲を聞きながら「あ、この曲でこういう話書きたいな」と思うときが結構あって、インスピレーションというよりも、歌詞を聞いて話が思い浮かぶことがあって、いざその曲を書こうとなった場合に、その曲をリピートしていても全然書けないときがたくさんある。不思議だ。曲という、表現されたものをさらに表現するっていうのがダメなのか。
なので、よくこの曲いいな~小説にしたいな~と思っても、書けないことが多い。
まあ、著作権的にアウトなのかセーフなのかよくわからないのだけれど。
今ずっと思っているのは、NICO touches the wallsの「N極とN極」と「プレイヤ」という曲があって、その曲で何か書きたいと思うのだけれど、全然書けない。一時期NICOがすごく好きで、というのも彼らの曲によって与えられるインスピレーションが大きくって、素敵だなと思っていたのですが、しかし、書けない。
ちなみに「N極とN極」は「追いかけても二人の距離は変わらないためお別れすることにしました」というところが好きです。お互い好きなのに、似ているからこそ合わない二人のお話を書きたいなあ、と思っている。
「プレイヤ」の方はすごく不思議な歌なんだけど歌いだしの「月を数えた帰り道 足りない指に気付く」っていうのがめちゃくちゃ好きです。何の気なしの怖さみたいなものが素敵だと思う。
文庫のカバー下にあとがきを乗せているのですが、そこで載せているBGMは勝手な私のイメージソングです。それを聞きながら書いているわけじゃないんだけど、その話を思い浮かべるとそのBGMというか、そのBGMが発端になって書いてるとかそういう感じだな。
どこまで興味を持っていただけているのかはよくわかりませんが、そういうのを書くのってやっぱり楽しいよなあと思う次第です。
大阪行きの新幹線を買おうと思っているのだけど中々面倒くさくてしてないや。
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