忍者ブログ
どこをみているの
2025/02/06  [PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2014/07/29  ファンデーションの残り香
なんだかんだでやっとデザイン落ち着きました。もうしばらく触らないだろう。
web拍手も更新したので、よければぽちっとしてみてください。
ずーっと書きたいと思っている日雇い×女子高生のお話。の、切り取りシーン。
シーンが一個一個浮かんでうまくつながるときもあれば、そうではないときもある。
セレンディピティーなんかはその最たるもので、なんか出会う場面、お祭りで初めてキスをする場面、石渡さんが泣きながらピアノを弾く場面、そして最後にカフェで会うシーンができあがり、それを繋げていく。大体書きたいシーンが先にあって、そこにただ辿りつくように書く感じ。
場面、というか、絵なんでしょうかね。なんとなく。
でも、サナトリウムみたいなのはそのシーン、そのシーン、が、たぶん私の中で完結してしまうのかな、つなげても物語にはならないんだよなあっていう。つなげてしまったらまったく別のものになってしまいそうだし、自分が大切にしている「書く」という「興奮」が一気に醒めてしまうような気がする。
「自慰」のためと、「作品」のため、というか「作品」っていう言葉はあんまりしっくりこないんだけど、こう、誰かの生きるシーンを切り取るために書くか、では、大きく違う。でもまあ、正直なところどちらも自慰のためなんだけど。

こういう人がこういうことを言ったら萌えるな~とか、こういう人が言わなさそうなことを言わせたいな~とか、こういう人はこういうこと思ってなさそうだけどな~とかそういうところから物語ができて行ったりする。こともある。
何の話なんだろう。

そういえば先日、分かり合おうとする姿勢を見せない人はすごく面倒だなと思いました。
分かり合おうとする姿勢、というか、うーん、なんというのだろう。
分からなくてもいい、という態度をとってくるというか、なんかずっと平行線な人。当たり前に会話が成り立たない。確固とした自分を持つのはまあ良いとは思うんだけど、会話は相手がいないと成り立たないわけであって、つまり、だから、あなた何がしたいんだろう、というか、うーん、会話がかみ合っていないのはわからないのかな?という気持ちにさせられるというか。
でも、相手も自分と同じようなことを考えているのかもしれないから、やっぱりそういうところもかみ合わないんだろうなあ、と、思う次第なのであります。
仕事でなら「あ~この人と仕事したくねー、でも仕事だし、資料とか持っていけば相手の出方とかわかるしな~」なんてことでこなせるけど(とはいえこなせない場合も多々ある)、私生活の場でそういう人と関わりがあるとむしゃくしゃするというかむかむかするというか、心にしもやけができてしまうような感じですね。
しもやけって、かゆいようで、かいてみると「え、ここじゃない」なんてことがあります。でも、やっぱりそこがかゆいと思う、んだけど、「やっぱりここじゃない」ってなる。
人間関係難しいな~
でも、まあ、攻撃性がなければなんとかいけます。

そんな感じでおやすみなさい。

拍手

PR

<<わたしのいばしょHOME君の夢がかなうのは>>