どこをみているの
2025/02/06 [PR]
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2013/09/26 きっとそのまま春を越えて
色んなことがばばばばーっと過ぎて行って、そのつどそのつど感じることはたくさんあるのだけど、やっぱりメモしておかないと忘れてしまいますね。
なんだろうなあ。
明後日から鳥取に旅行に行きます。
大学生のころから鳥取砂丘に行きたいとずっと思っていたんだけど、やっと念願かないます。楽しみだなあ。
そんで、話題の出雲大社にも。遷宮とかそんなに興味もないし、似非和風ファンなので神様のどったらこったらとかもあんまり造詣が深いわけではないんですけど、やっぱりわくわくします。
ただけっこう遠くて、移動時間がものすごいんだけど、それもまあ楽しみの一つということで。
あと、仕事をしているうえでちょっとへこむこととか、なんか違う、と思うことは相変わらずあって、もちろん違うことの理由というのか、私が「違う」と思うことを相手が言う根拠もよくわかるし、すごく正しいんだとは思うんだけど、やっぱりそれが私にとっては「違う」んですよね。なんだか。まあ、そういうもんかもしれないけど。
で、その毎回「違う」って思うのは男の先輩なんだけど、毎回これもツイッターで言ってるんだけども、その男の先輩は自分が言うことや自分が憤りをもつことが「正しい」わけですよ、だから、私が疑問に思ったりしてもそれはなんだろう「間違い」までは言わないけど「なんで?」って感じなんでしょうね、そんですごくたたみかけられると心が折れる。私、あんたじゃないからもっと丁寧にゆってよ、とか、もっと考えてることとか噛み砕いてゆってよ、とか、思っちゃって、そうすると私も性格よくないからすぐすねちゃって、話したくなくなるんですよね。
そうすると、先輩が「にゃくちゃん、すぐいじけるから強く言えないよ」なんて言ってくるわけで、まあすねてますけどそれ以上にお前がむかつくんですけど!ってなりつつ、毎日こなしてます。なんだこの日記…
今日もちょっともめごとっていうか、一つの仕事についての考え方が、管理職の人たちと私たち担当者たちの間でずれがあって、それがまた先輩は納得いかなかった模様。
先輩がぷりぷりいらいらするのもわかるし、管理職の人たちがそれで思い悩むのもわかるし、結局なにかを帰るには動かなきゃいけないこともわかってて、でもそれがどうしてもできない場合もあって、なんだかんだ、口だけになっちゃう場面って往々にしてあると思うんですよね。
自分だけのことじゃないから。会社全体のことだから。
こういうの、かんがえるの私ほんと主体性なくって、変えよう!ってなるなら変える方に動くし、現状維持でってなったら現状維持になるし、別に先輩ほど憤り抱えてるわけじゃないんですけど、先輩はすげー憤ってて、なんかもうほんと、すごい憤ってて(それはもう笑えるほどに)
一番近い上司が、その仕事の方針とかをさらに上から指摘されて私たちにこういうことを言われたよ、って説明してたときから先輩ぷりぷりし始めて、
「いやね、ぼくもわかってるんですよ。もちろん。ないものねだりなのもそうですけど、そんなこというんだったらまず○○の戦略的なプランを~~~~」って延々。
指摘されたことについては、前々から指針を文書化したらいいかな、なんて話があったけど遅々として実現しなかったのもあったので、余計に憤慨したのか、自分のいいようにもっていきたかったのか…
「ぼくも主任の言うことはわかるんです。そりゃそうですよ。だけども~~~~」って。
そりゃ主任(仮の役職名ですが)も大変です。上と下からの板挟みなんだもの。先輩が怒るのもわかるし、主任が上に強いこと言えないのもわかる。私と一番上の先輩(女)はふんふん黙って聞いていました。
しょーじき難しいことはわからん!
でも、作ろうとすればいくらでも手立てはあるから作ればいいんじゃないかな?
しかしわたしは作れませんけど。
という脳内ウンコたれ状態でしたけども。
で、主任がちょっと席を外してからも先輩ぷりぷり。女の先輩を呼んで、二人で自販機の方へ行ってしまったのでした。私は一人席で書類のチェックをしたりして少し寂しかったりしつつ、でもまあ、考える気力がない私がその場にいても仕様がないのでもやもやしながら帰ってきましたけど。
そんな今日だった。
そういうのが日常茶飯事なのですごいストレスなんですよね。会社のこと一番に考えて、とか、じゃあそのためによくしていくのか、とか、社会人としては当たり前のことなんだけど、どーも先輩との折り合いが悪いのか、自分が考えてること全部だめって言われてる気がしてすごい自信が持てない。そもそも。まあ、それは、先輩のせいだけじゃないし、私の働き方の問題なのだけども。
はー、ちょっとすっきりした。
そしてもういっこ思ったのは、やっぱり学生時代の友人ってすごく大切だ、ということと、唯一無二だ、ということを、また改めて思ったわけです。
社会人になってできた友人とはよく一緒にいるし、ほぼ毎日顔を合わせてるんだけども、失礼な話すごく「ぴんとこない」。感性がずれているのはよく思うんだけど、それが致命的ってわけじゃなくって、最近ちょっと考えてたんだけど、「同じ場所で笑えない」ってことなのかなと思って。感性がずれてるってことになるんだとは思うんですけど、そこじゃなくって、同じ瞬間にみんなでわわわって笑うことがないんですよね。同期の子と。それがすごく致命的。
大学や高校時代の友達とはもっと、くだらないことでも、不謹慎なことでも、とにかく一緒にみんなで面白いと思うものが一緒で、共有してて、それで一緒に、まるで花咲くみたいに笑えたんだなって思う。
たぶん、自分の美化も往々にしてあるわけですが(個人的にこの「往々にして」がブームらしい)、にしてもあの楽しさと悲しさって異常だったなと思っています。
今日は仕事しながら、大学三年の今頃をふと思い出していました。
意味もなく悲しくなって、本当に悲しくって夜も寝られなくって、友人とお昼ご飯を食べに行ったのだった。私は昼間にお風呂に入って、GAPの朱色のニットとベージュのショートパンツを履いてた。
何を話しても何を食べても味がしなくって、ただ友人が困ったように笑って私を慰めてくれるのを第三者として聞いていたと思う。どうしても、何にも、反応しなかった心があったなあって。そういうときのことを、いつか形にしたいと、考えているんだけど。
なんだかとりとめのない日記でした。
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