どこをみているの
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2013/12/01 あの事どうでもよくて
拍手のコメントの返信、も、とくに必要がないのだろうと思いながら、ブログでお返事しても埋もれてしまうので別ページを作ってみました。が、うちは拍手でコメントいただくことが少ないので無用の長物なのかもしれない。というか、べつに長物というほどではなさそうですが。
コメントも、拍手だけでも、本当にうれしいもんですけれど、やっぱりコメントいただくと嬉しいですな。
「マイ・カズン」を読んでいただいたようで。私は「マイ・カズン」が好きなのであれば、拙作だけど「セレンディピティー」も読んでほしいです。
あと、見切り発車ですが、来年5月の文学フリマ(東京)と、9月の文学フリマ(大阪)に出展したいなあと思います。5月に合わせて新刊を作って、「ビオトープ」の在庫もあるのでそれも携えつつ。なんか目標ないとほんとにかかなくなってしまいそうなので、どうにか踏ん張りたいところです。
タイトルは「さよなら」で、いまのところふんわりぬるぬるBLっぽいものと、母の日のお話を書きたいと思っています。が、母の日なんだけど父の話になりそうだ。
今日はひとつ嫌なことがあって、私が小説を書くことは家族も知っています。そのことは別に良いのですが、私が好きなように書いて好きなように進めるのが小説の良いところで、こんな私にでも続けられている習慣というか趣味というものなのだけども、父が、
「小説家にならんのか?いつになったらなるの?」
と問うてきて、それがもう嫌で嫌でしようがないわけです。小説は私のものであって、夢であって、希望であって、誰かに希求されるものでも縛られるものでもなくって、たぶん、そういうことをせかされることも、今全然かけない現状も相まって、そういうのじゃないんだって、なんか、そういう、なろうと思ってなるものでもなくって、だから、そんな軽々しく言ってほしくなかったというか、上手く言えないんだけど。
自分でも無理だって思っていることを、他人から伺われるってすごく最低で気持ち悪くて、というか、そういうこと言われるとどんどん遠ざかっていく気がする、という、そして、そういう騒音が一番体に良くないってこともよくわかってるから、放っておいてほしい。
これは私の夢や希望や切実な願いであって、あなたのものではないし、あなたがどうこう関与していいもんじゃないんだってことで、上手く言えないだけど、とにかく胸やけしそうなほど気持ち悪くて気分も悪くて。
彼は、応援しているわけでもなくって、なんだろう、興味本位、いや、違う、けど、応援とはまた全く違う意味でそういうことを言ってくるからほんとに嫌だし、いろんな著名な小説家の人生苦労話とかもしてきて、だからなんだって思うし、正直興味なくって、そもそも他人に興味がなくなったのは、彼のせいでもあるんだけど、つまりどうでもよくって、だけどなんか妙に心がえぐられていくなとは思っていて。
本当に小説を書いていきたいと思うなら、この家を出ないと無理だとも思いつつ、ここでふん切れない私はなんだか幼いのだと思います。幼い、というか、やっぱり度胸と、根本的な冷酷さを体現する勇敢な残酷さが足りない、のかも。
それなりなことを言ってればそれなりに聞こえそうなマジック。
私自身、小説や小説家を神聖化しているとこがあって、だからこそ、何もわからない人(おもに私の心情)にそうやって何かを言われることがストレスになるのだと思う。放っておいてくれ。
しかし、もう、年とってきてどんどん、今のポジションから足が抜けなくなりそうだと思う。怖いし、嫌だし、だけど、そういうものが現実で、上手くいかないことばっかりで、腐っていても仕様がないし、あんて非生産的なんだと思う、けど、こうやって生きてる人が大多数なんて知りたくもない。
強要されないで、のびのび、生きて、小説に愛された生き方をしたかった。
圧倒的に中途半端で、何の知識もなくって人生経験もなくって、なんだかへぼっちい大人だこと。
自分をとりあえず責める。何も変わらないけど。
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