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2012/05/16  おと
大きい音がするたびに、心臓の近くが踏み潰されるような気分になるんだ。
おと、はそう言ってぼけっとしていた。ボクはふうん、と相づちをうって八朔を剥く。
「前にすんでたとこは、もっと静かだった。不思議なもので、静かな場所は清潔なように思えるし、うるさい場所は不潔なように思えるよ」
じゅわわっと音をたてて八朔の皮が剥ける。小さな果汁のつぶがはっきり空気になじむのが見えた。
「じゃ、ここは汚なく思えるの?」
果実をバラして、こんどは薄皮を剥かねばならない。
目だけは果実にやって、おとに尋ねた。
「汚なくはない、けど少し疲れる」
「へえ?」
「おれ以外の人間がいるのはわかってるけど、おれ以外のとこから音がするから」
「わからんな」
「そうかい」
「まあ食べたまえ」
ガラスのボウルにいれた八朔の素肌、よりも奥の肉が、少ししょげた山吹色に照っていた。
さんざん匂いの馴染んだ空気さえ、山吹色に見えそうでもある。
ボクは指をぺろぺろしながら、おとが八朔を食べるのを見つめていた。赤い唇に吸い込まれる山吹色の果実。
「うまいか」
「うまい。音がしゃくしゃく言う」
「言わんよ」
「言うさ」
おとはずっと同じペースで食べ続け、ボウルはあっというまに空になった。
底に、黄色い絵の具を洗ったような色の水がたまっている。
ボクはボウルを掴むと八朔のにおいがむわりとたつその水を飲み干した。
おともぺろりと指を舐めて、眉間にしわを寄せて笑った。
「お前、俺のいってることわかってないだろ?」
「怒ってんの?」
「いや。お前の剥く八朔は誰よりもうまい。もう少しうまくなるといいけど」
そう言っておとはちらと薄皮の残骸を見た。
白いビニールみたいな薄皮に、山吹色の実がぎちぎちとくっついたままのものが大半だった。
「迷いのない人の剥く八朔はうまい。お前はいつも、やさしく心臓を踏む」
おとは笑う。ボクはそうかな、と言って薄皮についた山吹色の子供たちを歯でこそげとっていた。

おとが帰り、ボクの部屋はボク一人になった。
耳を澄ましながら、おとの気持ちを考える。
いつも沈鬱そうに見える彼だが、話してみると存外元気そうにしている。
彼が話す悩みだってボクにとってはさして気にすることでもないことばかりだ。
でも、おとにとって悩むことが人生なら、おとにとって苦しむことが人生なら、ボクは彼の人生を知らなくては、と思う。
ボクは彼の話を聞くだけ。答えは彼が出す。だけど、おとがボクにやさしさを求めるならいつだって八朔を剥いてやる。
ビニル袋に入れて封をしていたのに、夜まで部屋には八朔のかおりが漂っていた。

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