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どこをみているの
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2013/05/08  3月25日
昨晩には結構な量を荷詰めしてあったが、やはりこまごましたものはでてくる。
ラックを壊し、段ボールに詰めてゆく。
思い出がしまわれていったのに、これっぽちも思い出せるものがなく、相変わらず脳内は空っぽのような、思考が完全に止まってしまっていた。陽だけが暮れるのである。
友人の誘いをうけ、駅前へ向かった。黙りこくった友人が、手を繋ぎたがっているのはわかっていたが、そんなアホらしいことはしたくなかったので無視する。
他の友人とも合流し、オムライスを食べた。最後になるのであろう、駅ビルの中のスターバックスに立ち寄り、電車の時間まで何ということはなく話した。
二人を改札まで送ったというのに、一人の友人が私を追いかけてきたのには、一瞬にして熱も冷めた。なぜそこまでするのか、と。手を繋ぎたがる気持ちも、やはりわからない。自分がその気持ちを向けられることを理解するのは、長い時間をかけてもほどけないような気がしている。
星の美しい夜だった。
彼女の気持ちは伝わっているが、伝わっていないのも同然だった。
友人をバスにおしこめ、やはり最後になるであろう暗い道を歩いた。鼻歌の一つも歌わず。
相変わらず、星の美しい夜だった。外灯は少なく、怖さもあったものの、静謐さを体現している、その地の夜は、誰にも邪魔されぬ確信を帯びていた。きっと、どれだけ時間が経っても、あの地はあのままやもしれぬ。
眠る前に、昨日受け取った手紙と、今日受け取った手紙を読んで、布団の中で涙があふれた。
やっとタガが外れた。そんな気持ちでいた。
布団は温かく、夜は静かだ。
手紙を書くつもりはなかったという彼女の手紙は、本当に、私の内側を震わせ続けている。自己嫌悪ばかりの自身が、やわらかく包まれた。そう思ったのだった。許された。そうとも思えた。
決して、上手いとは言えない字でつづられた3枚の手紙は、4年間の幸福だったこと、辛かったこと、悲しかったこと、そういったものを私のものにしてくれた。忘れてしまうけれど、決して忘れえないことだった。

涙をためたまま眠り、気付くと朝であった。相変わらず室内は散らかっており、心の中もまだ散らかったままでいた。昨日の涙はなんだったのかと思いつつ、引っ越し業者の仕事ぶりを見つめていた。
あっという間に室内は空っぽになり、あとには薔薇が一輪だけ残るのみとなってしまった。
薔薇が、白い壁に影を作るのが大変むなしい。
4年間生活した場所が、失われるのである。
もちろん思い出に形はないし、私が持っている記憶が思い出なのであって、場所にとらわれるものではない。また、思い出由来のものがあれば、そのものを見れば思い出を思い出すことができるのだろう。
しかし、思い出は、もはや失われてしまったという気持ちの方が大きくもあった。
急に心の中や脳裡に、スライドショーのように色々な記憶が浮かんでは消えて行った。早すぎるし、いつのものかわからぬし、美化もされている。しかし、涙がボロボロと溢れて止まらなかった。
駅へ向かうタクシーの中から眺めた、さまざまな店、うっそうと茂った木々、歩きぶりの悪い道。
広い道路、見え隠れする学内、コンビニ、カラオケ。
そうしたものが、それらにまつわる思い出が、すべて失われてゆくのだ。それが寂しく、また、たまらなく悲しかった。

私たちは余儀なく大人になってゆくのであり、それは免れられない。
そして同時に、思い出も失っていくのだろうか。


****
ていうのを、一年前に書いていました。
久しぶりに思い出して読んでみたら、なんかもうしょうもなく泣けてきて、なにこれ、みたいな。
分かってもらえたりするのかな、と思ってブログに書いてみたりする。
まあ、ただ、残しておきたかったんだけど。

新潮文庫からでてる「マイブック」に、その日の出来事を小説風にまとめる、みたいなのが
その当時自分的にはマイブームだったんですね。今も、たまにやっていますが、
マイブック2013が見つからなくて無印の罫線無の小さなノートに書いています。
(といって、最後が4月1日なのでもう丸一か月は書いていないことになる…)
フィクションを入れながら、ノンフィクションを書く、みたいな、それはもうノンフィクションではないのだけれども
そういうので練習になるんだったら書こうと思って書き始めましたが
結構自分の書き癖みたいなのがわかって面白いというか、憂鬱になってきます。
なんたって暗い。どんなふうに書いたって自意識が軽くなるわけでもないし、自己嫌悪もどんどんひどくなるので
なんかこのノートに書いてる人、病気なんじゃないの?と思ってしまったりする。

結局、こういうノートを書き始めた理由も、
自分の感受性、というか、小説を書こうという気持ちの根本が見えなくなってしまって、焦ったからだと思う。
というか、今もだけれど。
日々に忙殺されるがゆえに、もっと、こう、空の青さに一喜一憂したりとか、
夕暮れの風に殺されそうになったりとか、そういう、一日一日、四季の移り変わり、機微、そんなものに対する
敏感な感性や、そういうものを追えなくなっている自分にちょっとがっかりしていて、もったいない気がしていて、

うー、相変わらず言葉足らずだけど、
つまりはそういうことで、どうにかこうにか、文字をつづるっていうことができなくなりたくないっていうか、
語彙不足とかそういうのじゃなくて、なんだろうか、
寂しさを忘れくないんです、たぶん、そういうことだ、うん、そういうことで(遠い目)

いつも、いつも、寂しいんです、っていう、気持ちというか、その情景というか、
最近は自分のことばかり考えすぎていて、そうなると景色なんてどうでもよくなっちゃうんだけど、
本当はそんなことなくて、そういう、景色の中にも悲しさや寂しさっていうのは含まれていて
自分の生活している中で聞いている物音、人の視線、音楽、景色、空気、匂い、
その中に存在している寂しさを、悲しさを、忘れたくはなくて、そういうものを、誰かと共有したくて、
忘れたくないので、こうしてノートに日記調で書きなぐってみたり、ブログを書いてみたり、
その最終形として小説を書いているわけで、ああ、またよくわからんことになっている。

大体、私が饒舌になるときって心に余裕がないときか寂しいときか、悲しいときで、
つまり、今は心に余裕がなくて寂しくて悲しいので、どうにかこうにか、なんか小説読みたいし書きたいんですけど。
そういう、感じです。
だから、この寂しさを知っている人と、そっと、寄り添っていたい。

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2013/05/07  散らばった文房具
昨日はなんでか寂しさで死にそうになってろくに眠れなかったけれど
一転して今日は何も思わないです。なんででしょう。躁と欝をずっと繰り返している。
でも、みんな人生そんなもんなんだなって思ったりして、なので、
私がこんな風なのも、結局世の中の理、周りがそうであるのも世の中の理。
理由がない、ことも、世の理なのかもしれません。どうでもいいな。それが、真実?

あと、人間案外、強くもないけどさして弱くもないんだなって思って、
なんでそう思ったのか、さっぱり忘れてしまったけれど、なんかそんなことを思った。
なんでそう思ったのか、を、しるせないと、なんかもったいない感じするんだけど、
たしか、自分ではなく、他の人がね、自分ではない他の人が、
言われたことに傷ついてもすぐにあっけらかんとしていたので、なんか、うーんと、
弱い人なのかもしれないけれど、決して崩れ去ったりはしないんだなっていう、なんか
あー、うまく言えない。
結局、自分にかける呪文が一番きくしタチが悪いんじゃないかっていう話で、
もっと、素直に、見えるものだけを見るようにしないとなって、
自分の呪文という醜いかすんだフィルターをとおしてしか、
最近はものを見ていなかったのかもしれなくて、
それは、もう、自分の都合の良いようにねじ曲がって、自分だけに厳しくて、自分だけに冷たくて
私だけが寂しい時間を過ごす、無意味な世界で、でも、それは居心地がよくて、
だけど、本当は、世界は、私の外の世界は誰のものでもないのだから、
フィルターなんてものはなくて、ただ、粛々と続いているものなので、
なんか、そういう、ニュートラルな目を、目をだな、忘れてはいかんのではないかという、
まったくわからん感じですね(完)ま、こんなこと言ってるのも今だけなんだろうなーという、なう。
結局、今、いいと思った結論なんかは、明日にはころっと変わるかもしれないものなので
その日暮らしで十分です。思考なんていうのは。
と思って、考えなくなるのもよくないし、どんなふうに考えたって自分と自分の間の軋轢は消えないだよね。

創作の話をしよう。そうしよう。でも、別に話すことないけど。

友達と話していて、自分は彼女の害悪にしかならないのではないか?と思う。
少し前まで、職場を休んでいた子なのだけど、本当にふつうで(それが怪しいのか?)、
そんなことがあったなんて全く思えないような子だけど。
心が優しいのか、気が弱いのか、なんともいえぬところだけど、もろもろの事情もあってお休みしていて、
その子が休んでいる間、私はその子と仲良くしていたのもあっていろんな人に
「なんで?」「どうして?」と聞かれながらも、まあよくわからんことも多々あったので
「わかりませーん」とかわしているうちに復帰という運びになったわけだけど、
今や、自分のことに精いっぱいだし、年下の彼女にしょうもない愚痴を聞かせるのもなんか馬鹿らしいし、
彼女自身が、私が職場の話をしていたときに、
「職場のこと、どうでもいいんだよねー。なんかもう、興味もなくなっちゃった」と言っていて
なんか、なんともいえない衝撃的な一言だったような、そんなような。
私も、たまに「どうでもいいわ!」と思うことはあるけど、そんなこといいつつも気になるもんは気になるわけで
そんな風に、本当に投げやりには言えないぜ、という衝撃と、
まだ若い、彼女には、苦痛かもしれないけれど、もっと自分で考えて自分で答えを見つけてほしかったというか
まだ投げるには早いだろうという、ちょっとした、すごいお節介的な憤りもありつつ、
こういのが世代格差というのだろうか、と思いながら、だらだらと一緒に過ごしたりしている。
たぶん、自分は、変なところで几帳面だししょうもないところで神経質で、
ある程度自覚もしているし改善もしたいと思っているわけですが、
そういうのと正反対の彼女を見ていると、どうしても、合わないな、と、思うところが多くて、
どうしようもなく、一緒にいたくないときがあって、なので、距離を測りかねていたりするのだけれど。
彼女の復帰後、人事課の人が私を見つけて「彼女、どう?」と聞いてきたけれど、
正直なところ私はそのときに、自分のことで精いっぱいで、彼女とはあんまり話してもいないときだったけれど
そういう、自分のことに精いっぱいなのを責められた気がして、
彼女ともっと対話をしなければいけないのではないか、という気になってきて、
そうしてGWどっか行こうかってなって、職場どうでもいいという話になった。
彼女なりに考えて、納得しての、投げやりな回答だったらいいし、
私のように苦行に耐えるようなことを強要しても、彼女は絶対に折れてしまうだろうし(馬鹿にしてるわけじゃなくて、私が多分異常なんだと思う)
だけど、考えることを放棄することに戸惑いがない(ように見える)のが、ちょっと、嫌だったんだな。
ただ単に、私がのエゴがこんにちは。
こういうの、やめたいんだけどなあ。性格かしらん。
たぶん、彼女に対して嫌悪感を抱く理由はいくつかあって、
彼女が連絡にルーズだったり主体性がなかったり語彙が少なかったり
それでも周りに甘やかされている事実だったり、そういう、私のフィルターにとおされて見える彼女が、
私の羨望を浴びているんだけれど、そういうのが、嫌やねんな。
でも、憎めないんだけど、さ。いい子なんだけど、さ。自分とは、ちょっと、ずれてるんだろうな。許容範囲外で。
結局、自分のことだけなんだよ。自分の。そういう、結論です。

こういうことに嫌悪感を覚えるとき、
例えば私の中の主軸は仕事と、友達、で、しかも大体好きの感情よりも嫌いの感情優先で動いているわけで、
それがまた己の小ささというか、世界の小ささというか、生きて見ているものの小ささというか、
そういうのを考えていくと、馬鹿らしいですのお、という、
ニュートラルな世界って、どういうものなんだろうなあ、と、思うわけでして、
たぶん、感情のない、枠組みだけの世界なんだろうっていうことも、ちゃんとわかってるんだけどさ。

ああ、もう、一日の中で、もう結論かみ合わねーよ。

さて、子どもは寝る時間。大人は泣く時間。

あと、一週間ぐらいもうずーっと左目がけいれんしてて怖い。

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2013/05/06  伝言ゲーム
君に
君に
こんなことを言いたいわけじゃない
こんな顔をしたいわけじゃない

だけど、
君に
会うとすぐに、
左目が痙攣して、暴れだして
どうにもこうにも
醜い諦念だけがたゆたって満ちてって

美しくない言葉
嬉しくない景色

そういうものを
君に
見せるしか
僕は

君に似合わないものばかり
何か伝えたくないことばかり

消えよう
消えてみよう
君を間違いに浸すぐらいなら

さよならしよう
君に
君に

君に

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2013/05/03  ゆうやけのドア
ねえ、こんなふうだったよね、と、私は中学生の頃のように不恰好な三つ編みを編んだ。固く結ばれた二本の毛束は、馬の尻尾のようにも、飾り紐のようにも、見えた。
振り向きざま、すぐそこにアキオがいるのに気づくのと同時にばたんと押し倒される。
いい?と、尋ねながらも、彼には待つ姿勢は一切無く、なんの躊躇も無く、ワンピースの裾からするりと手を忍び入れてきた。私はそんな彼に幻滅し、呆れもし、そして、悲しくなり、何も言わないでじっと寝そべったままでいた。
きつく結んだ三つ編みが、私の視界に入ると憂鬱になる。甘酸っぱく、心に染みるようなあの思い出が、もう、怪我されてしまう。
美しい夕焼けに染まる教室で、アキオを待つ私の、美しい三つ編みを思い出すとき、腰をふるアキオの下敷きになる、パサついた三つ編みも同様に思い出されるに違いない。
夕焼けに染まるドアを、息せき切って開けて飛び込んできたアキオを思い出すとき、夕焼けに照らされてより朱く染まるアキオのだらしなく開いた唇も思い出されるに違いない。

汚れてしまったのか、汚してしまったのか、私には全くわからないまま、アキオだけが私の名前を切なげに呼ぶ。

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2013/04/29  絶望的に晴れ渡った死にたくなる青空
「かなちゃんと私」をアップしました。
ぽろりぽろりと落とされる物語を拾っていくような、
そんな読後感があればうれしいな、と思って、これを書いています。
あと、ぽちぽち、拍手もありがとうございます。うれしいです。

結局、ちょっとくらい過去、とか、少しクセのあるもの、でないと自分の文章には核がない感じがして、
そういう要素(設定)を入れてしまうので、ちゃんと、そういうのなしで、書きたいなあと思いますが、
いかんせん、小説をちゃんと書くようになったのってBLの影響もあってなので
何にもない、日常的な一部分というのを切り抜くのって難しいのかな、と思う。
BLって、そもそも男同士の恋愛っていう、ファンタジー的な設定がまずはある。
だから、男同士の恋愛っていう部分で、非日常なわけで、すごく特異な設定が出来上がっちゃってる。
しかも、恋愛もの。この世にある物語には、絡んでこないものを見たことがないぐらい、
大きな大きな設定(要素?)。こっから解脱はなかなかできません。
でも、書いている方が、それだけじゃねーんだぜ!と思って書けるのなら、いいのか(自己完結)。
うーん。恋愛で人間が一皮むけるってのがよくわかんないんだよなあ。
でもきっと、恋愛っていうものに一番縛られてるのが私だから、そう思うんでしょうなあ。
人間同士の関わり方はいろんな形があって、その一つが恋愛。また、友情、などなど。
そういうの、しっかり考えたこと、なかったな。
嫌だ嫌だって思うばっかりで、そういうの。うー。そもそも、BLってボーイズラブなわけだから
そりゃ恋愛しか絡んでこんでしょうよっていう、まあ、その他もろもろの状況もすべて
障害物になり、それがまた、恋愛を進化させるのか?お?

で、「かなちゃんと私」の話をしよう。よくわからなくなってきた。
ぽろりぽろりと落としていくお話、というのは、なんか、こう、説明臭くなく説明ができるもの。
登場人物たちの間で当たり前となっていることを、いかに文章に紛れ込ませるか、みたいなもので、
ある意味で、読者には優しくないようなものを、書きたいと思っているのですが、
結局説明臭くなってしまうので、たぶんもう、あきらめているけれど。
設定とか、あんま考えてないので、語るとかそういうの、できないけど、
辛いときに、かなちゃんと、私の関わり方を考えると、ちょっとほっとするというか、
そういうときにこそ、書きたい・読みたいと思えるものになればいいなと思っていたりする。
自分にとって。
で、アップした「心音と眠る」を読んでいたら、ちょっとほっとして、ついでに
私っていいもの書くじゃーん!と自画自賛しつつ、しょうもないとわかりながら少し悲しくなってみたりする。
そのうち、かずくんのことも、かなちゃんの遠い親戚のことも、ちゃんと書きたいと思いながら、
別にこれ、長編の部類でよかったんじゃね?というか、長編とかでお部屋わけてますが別に意味ないな、とも思う。
ちなみにかなちゃんは「山階奏」、私は「田安まる」です。どうでもいい!
あと、手前味噌だけど「Living on a Prayer」もすごく好きで、
パブーにあげたものを改めて読んでいたけれど、アメリカンチックなものって好きだなと思った。
セリフ回しとか、地の文章も、あれは書いていてすごく楽しかったな、と思い返して、
こんなブログを書くはめになっている。なんのこっちゃ。

自分のサイトにおいていて好きなのは、「丸屋」と「ハル」と「サナトリウム」と「かなちゃんと私」。
この辺好きって言ってもらえたら、心の友になろう!とさえ言いたくなります。
どれもありきたりだけど、そういうものが好きなので。

あと、どうでもいいですがFall Out Boyのニューアルバム「SAVE ROCK AND ROLL」の
ジャケ写がめちゃくちゃ好きで、相変わらずくそみたいな腐女子の私は
ジャケ写を見るだけで萌えがとまらないので、そのうち勝手にねつ造して話一本書いちゃいそうだ。
でも、歴史や宗教の背景、お国柄などまったくわからんので(たぶんチベットかミャンマーあたり)、
本当に鼻で笑われてしまうようなもんになりそうだけど、でも、書きたいだろうな。しばらく悶々としてるだろうな。
あと一曲目の「THE POENIX」が好きすぎて、そればっか聞いてるので他の曲がわからない。

今日はいやに饒舌な私でした。明日からまた仕事とかの罰ゲームなのかと。

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