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2013/11/30  愛する人の歌を歌いたいと思った
「体調悪いんじゃないですか」
 思わず出た言葉は日本語だった。太見が青ざめた顔をあげ、それでもなお不敵に笑う。
「ドイツ語、話せよ」
 彼の流暢なドイツ語は途切れ、太見がその場に倒れる。というか、正確に言うと倒れかけたところを島内が支えたので、空のバイオリンケースだけが床に転がり、2回、回転して止まった。太見はあんなににくいと言っていたバイオリンを落とすことはなかった。

「目、覚めましたか」
 先程よりはマシになったものの、まだ青白い顔はいかにもな病弱に見えた。太見はゆっくりと瞬きを繰り返して、自分の顔を覗き込んでくる島内の顔を見返す。返事はなく、島内はどうしていいかわからないまま、太見の顔を見続けた。太見の瞳は漆黒で、自分の心――わずかな下心を読み取られているような気がして、居心地が悪くなる。動揺を読み取ったのか、太見はふん、と鼻から息を吹いた。
「鬱陶しい奴だな」
 先ほどとは打って変わってゆっくりと日本語を話す。ドイツ語のときはあんなにも威圧的で早口に話すくせに、太見の日本語は、まるでゆったりと流れる牧歌のようにのびのびと聞こえた。
「……太見さんの日本語はパストラルみたいですね。緩やかだ」
「嫌味か。お前のそういうところが大嫌いなんだ」
 太見は起き上がったが、眉間に寄せたしわはそのままだった。彼は黙ったまま手を伸ばし、島内の座る場所のとなりの椅子においたバイオリンを持つ。島内は止めないで、彼を見つめる。
 構える。太見がこの姿勢になる場面は、何度も見ている筈なのに、いつ何時見ても美しいと思い、緊張感がある。島内はじっと彼の指先に意識を集中させた。
 すと弓が引かれ、か弱い音が耳に流れる。と、思えば力強い旋律が部屋を満たし、一つの音は何重にもなって聞くものの耳を虜にした。太見の音楽は不思議だった。どんなに華やかな曲を奏でても、どんなに簡単な曲を奏でても、瞬時に悲しく深く、複雑な曲に聞こえる。それは、バイオリン本来の美しさと深みを際立たせるようだと、島内は思っていた。個人的に好意を抱いているせいもあるかもしれないが、この世界に足を踏み入れて、数々の名手と言われる人の演奏を聴いてきたが、太見ほど、彼の心の、見て見ぬふりをしてきた、人間の根本にあるような悲しさや憂いをくすぐる音を出すものはいなかった。
 音楽は人を語ってくれる、と、音楽院のトレーナーは島内によく話した。あなたはきっと、良い家庭に育ったから、のびのびとして気持ちの良い音を出すのね、とも。その話を聞く度に、いつも太見を思い出した。バイオリンを持つ佇まいや、奏で始める前の一瞬の呼吸、奏で終わったあとの聞き入った皆の呆然とする姿、そういう孤高の息遣いを、太見はしていた。
「……パルティータ第3番プレリュード」
 曲の佳境に来て、太見はふと弾くのを止めた。音の余韻がいつまでも耳に残るようで、この人の音はどんな人の心も捉えてしまうのだと改めて思う。言葉にできない、ただ体をもって、心を持ってしか知ることのできない悲しさが、美しさ、そして、気高い誇りがバイオリニストには必要なのだと、太見と共にいることでひしひしと感じる。
「この曲はお前向きだ。明るく、跳ねるように、そういう奴が向いてるんだ、バイオリンは」
「そんなことはないと、おれは思いますけど」
「バイオリンは悲しいんだ。だからこそ、能天気な奴が弾くべきだ」
「そういう話を、ジュードや徐さんにもしていけばいいんじゃないですか」
「音楽はみんなでやるもんじゃない」
 太見はバイオリンを下げ、ぼうっと天井を見つめた。築100年はくだらないという赤い花のモザイク模様は、薄いヒビが入っているものの美しくそこにある。いつも目を覚ますと、華やかな気持ちになれるので、島内はこのアパルトマンが気に入っていた。それだけではなく、この町も、この国も好きだった。日本とは違い、色々な色がそこらじゅうに踊っていて、目に入ってくるものすべてが音楽のように騒がしく楽しく、面白かった。こういう街並みを見ながら、作曲の大御所たちは数多くの名曲を生み出したのだと思うと、ロマンを感じた。
 だからこそ、太見のようにただストイックに、自分を追いつめてまで一音一音と向き合い、バイオリンだけがまるで自分の信頼するもののように対話をする、その姿が美しいと思ったのだった。
「お前や、ジュードは楽しいもんが好きだろ。俺は、そういうのには興味がない。徐は美しい音を出そうとする。俺は、そういうのにも興味がない。ただ、こいつをひいてりゃいいんだ」
「……おれ、太見さんが誰よりもレッスンつけてるの、知ってます。誰よりもきれいな音を出すことも知ってます。おれは、太見さんの曲が好きです」
 島内の言葉は、けれども、太見の耳にはあまり届いていないようだった。なおも島内は続ける。
「弾いてるときの太見さんは、誰よりも楽しそうで美しくて、綺麗です。音が、太見さんのものになる。その瞬間、太見さんはコンサートホールを支配してるんですよ」
「täuschen」
吐き捨てるように言い、太見は窓の方を向いた。

***

何が書きたかったのかさっぱりわからなくなったので、放置。
急に寒くなってきましたね。早いなあ。もう12月。
この一か月、何も生産的なことをしていない、と、焦ったけれど、とりあえずお話一つはアップできたのでまあ良しとしておきましょう。なんだかんだで年の瀬になってしまうんですね。あっとゆーまだったなあ。
最近、怖いなって思うのは、怖いなって、思わなくなってきたんじゃないかっていうことで、それは、まあ、半月前にも書いているけれども、何も感じなくなってきたってことじゃないかっていうことで。
冷えることでも、熱くなることでもなく、ただ、何も、感じなくなってきたってことで。
世の中には、いろんな本があって、私がかつて思っていたことを代弁してくれるものがあったり、今、自分が思うことを代弁してくれたりするんだけど、そういうのを読むたびに、ああ、どうして私も同じことを思ったのに書けなかったんだろうって、思ってしまう。
なんか妙なストレス。おこがましいのもほどほどに、と、自分に言い聞かせながら、やっぱりそういうものを書きたいって思うんですよね。日の目を見なくたってね。
どうしたらいいのかな。好きなように生きていきたいのに、数字に追われる日々だわ。しようがないとはいえ。
しかし、こうして寒い部屋でパソコンを打っていると、指さきがじんじんと冷えてきて冷たくてかじかむのに指の動きが絶好調になるのでそれがまた、楽しくて。
私の言葉を代弁してくれるキーボード。喋らなくても、直接気持ちが伝わっていくんですね。伝わる、というか、可視化できるというか、形になる、というところ。が。いいよね。
自分の話すことばがまるで泡みたいで、なんだか頼りなくって全然自信がなくって、だけど、文章にすると自分の言葉に記号が与えられて、それだけで自立してそこにいるということが、少し安心する。
仕事では、自分の文章、とか、自分の言葉、を、形にしていくことが殆どないので、そういう意味ではなんでも、たわいのないことをつづっていかねばいかんと、改めて思うのです。
しょうもないんだけど、やっぱり自分の心で話して、頭で反芻して、指でキーボードをたたく。その一連の動作だけで、私の言葉が文字になっていき始める。不思議な仕組みです。

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2013/11/12  しのぶれど
どうでもいいことなんだけど、
「ラブイーチアザー」は番外編を書くつもりだったので、結局読み切りの方には動かさなかったなあというのを思い出して、自分のサイトなのに誤情報を流してしまったと少し後悔しました。
ほんとにどうでもいい。

そして、昨日上げた「しのぶれど」というお話について、一番書きたかったことがあって、それもまたどうでもよいことなんですけれども、書いておかないと気になるので書いておこう。
いつも、話を書くとタイトルのつけ方が全然わかんなくなっちゃって、よく、作文とかでその文章の要旨となる言葉をタイトルにつける、なんてのを思い出します。
今回、まあなんかよくわかないけど、みんな耐えてるな、と思って、「しのぶれど色に出でにけりわが恋は~」とかいう短歌あったなって思い出して(間違っているかも)、そんで「しのぶれど」にしようと思ったんだけども。
本当は「恋」とか「孤悲」の枕詞あるのかなって思ったんですが、なかったので(ないよねたぶん)、結局「しのぶれど」に。
「しのぶれど」って検索するとやっぱり前述の短歌がだだだって出てくるんですが、その中で、しのぶれどっていう薔薇があるのを発見。
うすい紫色の、それこそ隠している思いが滲んでくるような色の薔薇でした。
なので、パブーの表紙絵を描いているときにそれを書きたくって書いたけど、結果としてだし巻き卵みたいになっちゃって、という話。
うわ、これしなくてもよかったやつですが、なんかテンション高いので書いておきました。

自分を顧みないときって本当に顧みなくて、たとえば大きな流れに身を寄せているだけで時間もすぎていくし、自分の役割も流れていってしまう。だけど、本当にやらねばいけないことを見逃してしまう時間でもある。な、と、そんなこと思いました。
今、周りがなんだかんだと浮ついていて、私もそれに釣られて浮ついているんだけど、いや、私は浮ついていい立場じゃないよな?と、少し冷静になり、でも、やっぱり大きな流れには逆らえないので相変わらず浮つく、という謎のスパイラル。
自分の芯を持つことも大切だし、流れに任せて何も考えないで流れていくことも大切で、じゃあ、何が正しいのかなんていうのはわからなくって。その時その時の正しさがあります。

仕事が嫌で、やりたいことがあるって思っていたのに、いつのまにか嫌な仕事にも慣れてきてこれから何十年とここで働くんだなって考え始めている自分がいて、はっとする。
私、抗うんじゃなかったのかって。
いや、別に反社会組織に与するとかそういうことではなくって、自分自身の無意味な安寧と戦っていくんじゃなかったのかと思うわけですが、私が感じていた孤独や寂しさを今、忘れてしまっている、からこそ、孤独や寂しさを知る私とは戦えない。同じフィールドには立てない。

だんだん、わかんなくなっていく。感じなくなっていくんですよね。
空の青さの違いとか、冬の寒さで泣きそうになること、心の芯がぎゅうとつぶされそうになるぐらい愛しさを感じること、指先が冷たくなる感覚が好きなこと、静かな夜が好きなこと、だだっ広い国道沿いで、一人で歩いているときの気持ち、なんかそういうの、全部。
常々言っていることだけど、そういうことを感じることが、私を救ってくれていたのに、じゃあ、今の私の救いはなんだろうっていうか、そういう感受性のなくなっていく私っていうのはなんなんだろうっていうか。

そんなこともなんとなく考えたりして。
久しぶりにお話を一本書いて、ああ、全然かけないわ、と思って、なんだかもう、筆が進まないってことが、心の底から指に伝わってくるってああいう感じですね。
情景描写だけじゃ駄目なんです。淡々とした心情描写だけじゃダメなんです。
私の思う、私の感覚の、お話を書きたい。んだけど。

っていって、BLでそれをやるのは無理な話ですね。
寝ます(なんだほんとに)。

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2013/11/12  寒い夜には愛を
読み切り一つあっぷしました。
それにともなって、前編後編(?)で分けてた「いつかどこかで」、と、「ラブイーチアザー」も読み切りに移動。
まあ、あの量で二話続きなら許されるよね?という意味のわからない感じ。

さて、新しく書いた「しのぶれど」ですが、リクエスト頂いてた「しっとり美人の出てくるBL」がテーマでした。
もともと、そういうしっとりしたものを書きたかったけど、まー書けない。意味わからない。
傷跡とかが好きなので、よし、顔に傷を持ってるけどすげー綺麗な男の人にしよう、と思い立ったものの、結局、話が煮詰まり、何度も何度も書き直しました。
その結果がこれかよって感じですけども。個人的にはすげー面白かった、というのも、まあ、私の中では全員の心境なんかは全部把握済みというか、細かい部分、表情とか、そういうのが頭にあるので、こんときの幸次はこう思ってんだろな、とか、秋芳郎はこうだろうな、なんてなことを想像してるわけです。
基本的に公子ちゃん目線なので、中々書けないところがヤキモキして、自分の度量がないこともよくわかりました。
ていうか、公子ちゃんに全部言わせようとすると、今でもまあまあストーカー気質なのに今以上にやばいことになってしまうのでやめました。

しっとり美人、が、結局、いまだわからないですけども、書きながら思ったのは、こんなん弁解にしかならないけど、耐え忍び、密やかな恋をしているのは美しいんじゃないかと思いました。よくわからんのだけど。
そして、それが押さえ込まれて溢れだした時に、美しいかなあと。
話の中で、幸次と秋芳郎はいろんな人を踏みにじる結果になっていても、そんなことより我慢ができないほど、相手が好き、という感情が溢れ出してしまった、みたいなことで、それが美しいかはわからないですが(結局)、誰かを思って辛い涙を流す人はやっぱり美しいと思ったのでした。
どーどーめぐり。

ちなみに(?)、本当は秋芳郎はもっとえげつないいじめを幸次から受けるという話だったけど、うまく続かなくていまの形になりました。
そんときに、本当は、「自分が常識だと生きていて、自分が正しいと思って生きている、そんな傲慢を他人にも押し付けるな」というか、「君たちには君たちの正解があるかもしれんが、君たちの正解に当てはまるのは君たちしかいない」とかいうことを、秋芳郎に言わせたかったけど、ものすごく陰険なやつになってしまうのでやめました。
でもいつか書きたいと思うので、また、顔がただれた男の子の話を書くかもしれません。
あまり大声では言えないけど、迫害する側とされる側の精神性やそのことに興味があるし、結構そこが萌のポイントだったりする。

なんだかんだ、オチがどうあれ、またひとつ形になったことがうれしいです。
リクエスト下さった戸田さん、ありがとうございました。

ながくなってしまった。

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2013/11/11  ひとつぶだけの
教えてください
わたしがなくしたもの
わたしがこわしたもの
わたしがゆるせなかったもの

教えてください
いつか見た空が美しかったこと
あなたを愛していたこと
わたしが好きだと思っていたもの

なぜ言葉はなくなり
感情は失われ
景色は溶けてゆくのだろう

雪の白さ
夕日の匂い
冬の日差し
水のやわさ

私が見たものは確かに
幾度となく私をかすめてゆくのに
私の心がなくなっていって
許したものも許せないものも
通り過ぎていって

教えてください
すべての理由を
一粒の涙に込められた意味を

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2013/11/07  Living the Sun
本当は、今書いているお話が着地したら日記を書こうと思っていたのですが、結局それもままならなさそうなので、日記を書いている今です。

先日、二、三個書きたいと思った日常の些末なことがあったのだけれど、それが今やもう全然思い出せない。やっぱり、変な意地を張っていないで素直に書けばよかったわけです。
しかも、書こうと思ったときの瞬発力が大切で、基本的に私の文章を書くときっていかに瞬発力と思いきりの良さかみたいなところがあると自分でも思っているので、そういう意味で、書く瞬間に書かねばいかんのだな、ていう話です。

ふいに、自分が今何歳で、もうそんな年なんだなって、本当に不意に、思ったりすることがあって、つまり今、この文章を書きながらそんなことを考えたんだけど、やっぱ人間、死ぬために生きてるように思えてくる。生きるために死ぬ、とか、生きたから死ぬ、とかいう風には考えられないのが不思議だけど(ていうか意味通じないねこれ)。
年取ってって、どんどん死に近づいていくけど、死に対する思いって今のままで変わらないのかな。
よく、ここから落ちたら死ぬだろうな、とか、これで首切ったら死ぬだろうな、とか、そういう瞬間的なこと考えても、結局死ぬってことは他人事でしかなくって、実感なんて一生できないしろものなんだなっていうか。
三年前に祖母が亡くなって、私にとって死は身近なものになるかと思ったけれど、それもそうでもなかった。その亡くなった祖母が私はとても好きで、なついていたので、そういう祖母がなくなってしまったとき、「死」というのはどうなんだろうって、考えるきっかけになるかな、とか、自分にとって祖母の死というのはどういう位置づけになるんだろうって、色々考えていたけど、まったく心に入ってこなくって。不思議なことに。人が死んでいるのにな。
今でも、まだ、祖母が生きているような気がして、本当に、親族で集まったときになんでお祖母ちゃんいないんだろう?って思ってしまうぐらい、祖母の死が、受け入れられないというよりも信じられないっていうか、わかってないことをわかっているような感じです。
だから、私にとって「死」って「死なないこと」と同義なのかもしれません。うーん哲学めいたこと言ってるようだけど、わかってくれる人は絶対いると思いたい。

たまたま祖母の家に行ったときに、従兄が祖母の部屋を改修して自分の部屋にしていたけど、それを見てもここは祖母の部屋ではなく違う誰かの部屋であって、祖母の部屋はまたべつのところにあるんでは、と、ずっと思っていたし、わかっていても、そういう思考になってしまう。
ここで注目すべきは、私の、祖母への愛情ではなくって、そういう考えにいたる根源、は、やっぱり死を理解してないってことなんかなーとか。

いや、別にこんなことが書きたかったわけじゃないのに、なぜ書いた…

あと数日して、HP触れなかったら変な「~か月以上更新されていないので~」っていう広告でちゃうのかな。それだけは避けたかったのだけれど、もうすぐ三か月たってしまうので怪しいところですね。
土曜日にはアップできるかなあ。
今書いてるの、BLなんだけど、全然うまく書けなくって、もう三回ぐらい書き直していて、でもやっぱりかけない。難しい。
カップル(?)を、片方の妹の視点から書きたい!と無駄に思って書き始めたけど、そういうのってすごく難しいんですよね。二人がどう思ってどうくっついたとか、そういうのわかんないから、やっぱりBLってカップルのどっちかを主体に奥か、三人称が向いてるんだろうなあ。むむむ。
でも頑張って書きます。

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