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どこをみているの
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2013/12/22  受難の子
「サグラダさんの本名、なんていうの」
 騒がしい居酒屋で、私は少し声を張った。お酒がそんなに得意ではないので、生中いっぱいで胸が苦しくなる。咽喉が何かで詰まっているみたいで、心臓もすぐに鼓動が早くなる。私はなんとなく死ぬ思いだった。なんとなく、っていうのは、なんとなくだ。
 私の問いに、サグラダさんはすぐに返事をしなかった。聞こえていないふり、というのはすぐにわかって、でも、聞こえてるっていう顔をしている。サグラダさんは基本的に意地悪だ。私にだけかもしれない。でも、私にだけだとしても意地悪なので、やっぱり意地悪なのだと思う。シルバーフレームの向こうの瞳は醒めていて、口元は何気なく笑っているけど、感情は伝わってこない。
「本名? 苗字ってこと?」
「なんでもいいけど、ほんとの名前」
「サグラダ」
 は? と聞き返したい、が、お酒の所為で心臓がバクバク言う。息がしにくい。しにくいので、死ぬわけじゃないんだよな、と思い直す。そして、やっと、聞き返す。
「うそ」
「は?」
「本名だよ」
「サグラダ」
「苗字は」
「サグラダ」
 日本人じゃないのか、この人。こんな真っ黒な髪の毛にお酒を飲んでも真っ白な肌をして、一重の瞳は切れ長。どこからどう見たって日本人だろう。何度か同じやりとりをしたけれど、彼の口からはサグラダ、しか聞き取れない。そのうちサグラダさんがサグラダと言うのに飽きて怒り出すかもしれない、と、思い始めたころに、幹事からお開きだという号令がかかった。みんなが立ち上がる。私もサグラダさんも立ち上がる。壁際に座っていたサグラダさんが、かけてあった私のダッフルコートを取ってくれた。こんな重いの着て、肩こらないの、と、彼が言う。いいえ、と首をふりながら、少し距離が近づいた瞬間に、サグラダさんの顔がすいと動いて私の耳元で呟いた。
「桜田史彦」
「サクラダさん」
「うん」
 まごまごとコートを着る私を待つことなく、サグラダさんはさっさと外に出て行ってしまった。チェックのシャツに灰色のパーカを羽織っただけのサグラダさんはいかにも寒そうだ。そんな軽装でよく真冬の夜を耐えられますねと言いたいところだったけれど、ダッフルコートを着ると確かに重かったので言うのはやめた。
「んじゃ、二次会行く人?」
 驚くべきことに私とサグラダさん以外が手を挙げた。私だけが抜けると思っていたのである程度の気まずさは覚悟していたのに、斜め上の事態だった。と、思っているのは私だけのようで、幹事の平松くんは女子が一人で帰るはめにならないで済んだのを安心していたようだし、雅子も絵里も、私がサグラダさんを気に入っているように思っていたようで、にやにやしている。当のサグラダさんは明後日の方向を向きながら、自分の口からでる白い息を見つめていた。あれよあれよと別れの言葉が投げ交わされ、私とサグラダさんはそこに残された。
「帰るの?」
「え」
「コーヒー飲もう」
 私の返事を待つことなく、サグラダさんは歩き始めた。私は隣に並ばないで、彼のパーカのフードをじっと見つめて後をついて行った。寒いだろうに、サグラダさんはおかしなほどぴんと背を伸ばして歩いていて、一本の骨のようだった。一定のスピードで、ただただ歩いていく。私もただただ歩いた。なぜかダッフルコートがずしりとした鎧のように感じた。

 サグラダさんが入ったのは薄暗いネオンが控えめに点滅する店だった。ぐにゃぐにゃとデフォルメされた筆記体が読めるわけもなく、とりあえずBarとなってるのだけは把握する。こんなところでコーヒーなんか飲めるのかと思ったがやはりついていくしかないのでついていく。中は暖色のランプが置いてある、静かな夜カフェだった。Barってなんだよ、と思いつつも、黙って骨の後ろをついていく。一階席と二階席があって、サグラダさんは迷わず二階席に上がる。階段には柔らかな絨毯が敷いてあって、一段踏むたびに足がどこまでもめり込んでいきそうだった。一階にはテーブル席が六つほどあって、四つにカップルとか、女性同士が座っていたりした。二階には二席だけで、私たち以外はいない。
「ファミ、久しぶりじゃないの」
 ソファもふかふかで、おしりがめり込んでいくのにあたふたしていると、長い髪の毛を後ろでお団子にした男性が親しげにサグラダさんに話しかける。黒縁メガネをかけ、無精ひげを放っておいたらこうなりました、って感じのひげがいかにもおしゃれなカフェ店長という雰囲気を醸している。カフェという場所も苦手なのに、こんなおしゃれ店長も出てきたらますます緊張する。ソファが破れてひっくり返ったりしないだろうか、と、そわそわする。
「うん。近くで飲んでた」
「へー。彼女?」
「ううん。飲み友達かな。俺の本名さっき知ったんだって」
「はあ? 彼女さん、こいつ変でしょ」
 そういって元気に頷ける奴がいるなら連れてこい。私は薄く微笑んで、彼女じゃないんですよ、と、小さい声で言った。でもおしゃれ店長は聞いちゃいない、というか、聞こえなかったんだと思う。
「コーヒー? 今日はメキシコかキリマンかマンデリンだけど」
「じゃ、マンデリン」
「彼女さんは?」
「あ、えと、同じもので」
「了解。ちょっと待っててね」
 おしゃれ店長はにこにこ去っていく。ふかふかの階段も意に介さないようだった。
 サグラダさんは、天井からぶら下がるランプをじっと見て、あ、そっか、などとぶつぶつ言っていた。そしてゆっくり私に視線を移して、相変わらず覚めた目でじっと見つめてくる。言いたげな目、っていうのはよくわかるけど、その逆で、何も言いたいと思っていない目、を、私は初めて見た。緩やかに流れるジャズの曲がどんどん間延びして聞こえた。こんなにも微妙な空気になるのに、なぜ雅子も絵里も私がサグラダさんを気に入っているなんて思ったんだろう。女子としての観察眼を磨きなおしてこい、と、言いたいけれど、たぶん一か月後でも言えていないんだろう。そういう奴だ、私は。
「あ、サグラダじゃん」
「ども」
 下から声がして、サグラダさんが顔をのぞかせると、一階からこれまたいかにもおしゃれそうな男子が手を振っていた。サグラダさんのことを呼び捨てにしているところを見ると先輩のようだったけれど、黄色のトレンチコートと黒いストールを巻いていて、サグラダさんよりもよっぽど若く見えた。しゃんと背を伸ばしたまま下を向くので、サグラダさんは歪な骨に見えた。向き直り、私に向かってやっと口を開いた。
「高校の先輩。店長は同級生」
「ファミって呼んでた人?」
「そう」
「ファミって……あ、サグラダ・ファミリア」
「うん」

****

これどうなるんだ、と、思って書いてたら、ほんとにどうなるかわからないので放置

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2013/12/14  Dying
風邪を引いてしまった…
ひさしぶりにだるいし眠いし咽喉痛いし最悪ですね。風邪ってなんで引くんだろう。
腹痛とか嘔吐っていうのは、理由がはっきりしているからまあわかるんだけど、
なんで癌だったり心筋梗塞って、もっと小さな風邪もそう、だけど、なんでそんなもんが存在するんだろうってたまに思う。
だって別に、必要ないのにね。人間の体が弱いんですよって、ことを、示してるのかな?そんな必要ねーよって、思うけど、なんのためにあるんでしょう。内臓の弱さ。

昨日は、職場の人たちとニューハーフパブ?に行ってきました。クラブっていうのか?わかんないけど、とにかく”お姉さま”たちがたくさんいるところです。
行ったしょっぱなから下ネタ満載で、なんかもう、意味違うけど異国情緒って感じあふれる場所でした。別世界、というか、現実なのか?という感じで。
ああいう人たちは、どんな人生送ってきてるのか知らないけど、すごいパワフルでかわいい。すごくかわいいなって思った。顔もそうなんだけど、全体的に。トップレスもしてたけど、そういうのはやっぱり、偽物だなって感じもあったんだけど(笑)でもすごくかわいかった。
まあ、圧倒されて全然しゃべれなかったけど。

で、二次会は近くの居酒屋でしゃべってて、その面子の中では一番上の男の先輩、といってももうすぐ管理職にあがるような年齢の人(Aさん)が、私のことを面白いよねーって言ってくれてたんだけど、「なんでにゃくちゃんはこうやって飲んだときは仲良く話してくれるのに、仕事の面だとそっけないの?」って言われて、答えに窮してしまいました。
そんで、さらに、「なんで仕事をしてるの?生活のためとか、夢とか、お金とか、そういうのってあるじゃん。にゃくちゃんはなんのために仕事してるの?」って言われて、さらにそれにもこたえられない。自分の空っぽ感にまた、目を反らせない状況だなって思いました。
「なんでそっけないの?」と言われたときに、私はまっさきに私の先輩(Yさん)を思い出してたた。
これも男なんだけど、最初、AさんはYさんとよく話していたようで、何がきっかけだったか、Aさんが私に話しかけてきたのがきっかけで、少し声をかけてもらうようになり、Aさんは私と仲良くなってみたいな、と興味がわいたらしい。
でも、私としてはYさんの手前なんだかもうしわけないし、Yさんもちょっとやきもちやくと顔や態度に出ちゃうタイプだから、そういうのがいやで、極力Aさんとは話さないようにしていたというか、何話していいのかわかんなくなっちちゃって、大体そっけないというか緊張してしまう。
てなことを正直に話したら、「お前めんどくせえな。俺は、にゃくちゃんと仲良くしたいって思ってんのに、別にYくん関係ないじゃん」と言われて、まあ、そうなんだけど…と窮してしまう。
「そんなの気にしなくていいじゃん。好きか嫌いかでいいじゃん」って言われて、そうなんだけど、なんだろう、仕事の上でも、もちろん年齢もそうだけど、年上なんだからべたべたしてしまうのはどうなんだって思う自分もいて、Aさんにしてみれば、俺がいいっていってんだから何またぐちぐち言うのって感じなんだろうな。
けど、心がついて行かない部分もあるし、もともとAさんは、私が仲良くしているIさんという女性の先輩とすごく仲良くて、だから、二人にたまに誘ってもらうような感じなので、Aさんとサシで話すような状況になるとまた困るし、自分の中で遠慮は絶対に抜けないし、そんな求められても…ってなって。
「なんで仕事してるの?」って問いには絶対にこたえられなくって。
今の私の現状で、結局、ここが私の弱いところなんだけど、こういう答えをした方が相手に良い印象を与えるんじゃないかってすぐに勘繰るというか考えて、それはきっと、私の本当の答えじゃないんだって思うし、Aさんに失礼だと思う。
なんで仕事してるのか、なんて言われたときに、明確な答えなんてすぐに出せないし、そもそも嫌だ嫌だっていって、ただただ嫌うだけで、ちゃんと向き合おうとなんてしてこなくって、私がいかにいろんなものから逃げていて、夢というものに追いすがっているのか。
しっかりと見据えないといけないんだって、なんかふと、思わされました。
でも、見据えるってなんだろう。うーん。自分で言っておきながら…

その後、帰途中でも仕事の話に。IさんとAさんの話を私がふんふんと聞いていたんだけども。やっぱり二人はもとがポジティブで、私はネガティブだなっていう、これは卑屈ではなくて客観的に見てというか、振り分けると、って話ですが、でもきっとそうで、人好きのする性格ってほんとうにまぶしいし、羨ましい。IさんもAさんも、すごく気さくて、人を無碍にしたりしないんですよね。もちろん人間だから、好き嫌いもあるでしょうけど、それでもあからさまに出したりしないし、そういうのが、本当にいいなって思う。
本人たちはただの八方美人だよ、なんていうけど、そういうのが計算でなく自然とできるのだから、それはもう持って生まれたバランス感覚だと思うんだよなあ。

人には人のドラマがあって、いろんな人生を経た結果がその人になる。
わかっているはずでも、まぶしい人たちへの羨望はとまらないな。どういう人生を送ったんだろうって。

ないものねだりですな。またもや!

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2013/12/11  take me to the sky
占い、というのは、私はよく「悪いことばかりを信じてしまう」たちなので、自分の星座が一位だったときよりも、十二位だったときをよく信じてしまいます。
でも、その日、悪いことがあっても自分のせいっていうよりも、「占いでああ言ってたから今日はそういう日なんだよ星のめぐりが悪いの」と言い聞かせるようなことにできるので、最下位というのも、見方によっては自分を守るものになるのかなという勝手な解釈なんですが。

私の好きな人が、「占いで自分の人生を決めるのは怖いけど、迷っているときにそっと背中を押してもらうぐらいには使えるんじゃないか」って言ってて、私もその考え方がとても好きだなって思って、なので、占いは結構見てしまいます。年末年始って多いじゃんね、そういうの。
たまたまなのか、友人が、今日、職場で「蟹座の君へ」という本をくれました。私、蟹座なので。
鏡リュウジさんという、占星術界(?)ではとても有名な方で、ananとかでもよく占い書いてる人なんだけど、その人のちょっと詩集のような、蟹座はこんな人で、こんな風な生き方をするんだよ、ってだけが書いてあるものなんだけども。
まあ、あたってるかな、と思うところもあれば、あたってないかな、と思うところもあって、その割合は6:4ぐらいかな。7:3かも。てことは結構あたってることになるな…
私は、自分のことが好きなので、自分のこと(性質なんか)について書いてあることがとても好きえ、そういうのにあてはめながら読むのが好きです。啓発本は嫌いなんだけど、蟹座、とか、おうし座、とか、わけてあると、自分向けに書いてあるような気がするしね、なんか受け入れやすい。
こういった類の本はもっていて、石井ゆかりさんの「蟹座」という本も持っています。
共通して書かれているのは、蟹座は自分ではない他人のことを、自分のように感じられる人、と、感情が豊か。内弁慶になりがちで、それゆえに臆病。
うーん、あたってるような、あたってないような?
蟹座、っていうのは、感情がすべての王様的なポジションにいるので、結構好き・嫌いがはっきりしている。でも、こまめなところに気が付くので、大人になってくると感情を抑圧しがち、とか。でも、好き・嫌いにまかせてみてもいい、てなことが書いてあって、忘れてたなーとおもいました。
私は、私の好きなものを好きで、いよう、と、思ったのを、忘れていた。
それと、蟹座は心の原風景に立ち返ることがある、みたいなことが書いてあって、だから、十年後の自分が思い返して恥ずかしくない生き方を選べ、て書いてあって、そんな無茶な!と思ったわけですが、今、十年前を振り返ってみたり、もっと幼いころ、自分の原風景に立ち返ったときに、なんだかひどく歪んでいるような気がするので、ほっとするような思い出ってあんまりなくって、だから、これからでも、作っていった方がいいのか?と少し左右されたり。

まあ、そんな鵜呑みにする必要がないのもわかっているので、落ち込んでいるときとかにこういう本を読んで、少し落ち着いて、背中の後押しになったらいいなっていう、そんだけなんだけど、だから、これから十年後の私が、今の私を思い返したときにどう思うだろうっていう、そういうことをふと考えたり、そういうきっかけをくれるだけでも、こういう本って面白いよなって思うわけです。
で、やっぱ恥ずかしいかもとか、そんなことをふと思って、何かを始める方向に動き出すもよし、だし、現状維持だっていいわけだし、なんだってよくって、信じすぎなければ、それに左右されすぎなければいいのかなって、思ったりもして。

鏡リュウジさんにしろ、石井ゆかりさんにしろ、書き口が丁寧なので読みやすいし圧迫感もないし、強迫感もないし、すとんと落ちてくる感じがいいんですよね。
まあ、なんというか、少し無責任な感じというか、感情がないとも言うのかな。
でも、占いってそんなものだから、結局道を選ぶかどうかも私の問題なのだけどね。

明日は早起きして、職場の掃除をしないと。ここ二日、嫌で嫌で寝坊ばかりしてしまったので、明日ばかりはちゃんとやろうと思います。

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2013/12/02  too enough to trust
信じていたんだと思う
この指先の魔法
金色の粉
鱗粉の虹
夕焼けの人
海底の幸せ
そういうもの
そういうものたちの

迷っていたんだと思う
この指先の真実
狂った時計
鳴り響くチャイム
最後の運転
テールライトの群れ
そういうもの
そういうものたちを

真実も
嘘も
本当はそんなもの何にもなくて
私のここ、
ここのところ、
それが、許すか許せないかどうかで
願うか、願わないかどうかで
決まる

世界の色
世界の誘惑
世界の絶望
世界の歌
そういうもの、すべて、
だって私のものなんだよ

あなたのものでもない
私のものなんだよ
だから
あなたの世界の色も誘惑も絶望も歌も、あなたのもので
私のものではないの

いつからすれ違うのだろう
いつから気付かないのだろう
人が生きているということ
人が考えているということ
つまずくこと、もがいていること
ないていること、わめいていること
生まれ、育ち、死に、また芽吹くということ

私にあって、あなたにないもの
僕になくて、君にあるもの

いつから許せるようになるだろう
君が僕から羽ばたくこと
私があなたへ飛び出していくこと

世界は全部知らん顔だ
どうしてこんなに
ひどいのに
美しいのに

一人でいること
二人ですること
三人で知ること
四人で笑うこと
五人で泣いて
六人でさげすんだ
七人では喧嘩して
八人では憤慨する
九人ではもう知らなくて
十人ですべて忘れる

途切れた赤い糸
ちぎれたサムシングブルー
サムシングオールド
サムシングニュー
どうかお幸せに

私をおいて行ったなら
僕を忘れていくのなら
幸せになってよ
なってくれなきゃ

本当は、祈っている
信じるには十分すぎるこの世界の
信じるには十分すぎる私の

ほんとうの
福音

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2013/12/01  あの事どうでもよくて
拍手のコメントの返信、も、とくに必要がないのだろうと思いながら、ブログでお返事しても埋もれてしまうので別ページを作ってみました。が、うちは拍手でコメントいただくことが少ないので無用の長物なのかもしれない。というか、べつに長物というほどではなさそうですが。
コメントも、拍手だけでも、本当にうれしいもんですけれど、やっぱりコメントいただくと嬉しいですな。
「マイ・カズン」を読んでいただいたようで。私は「マイ・カズン」が好きなのであれば、拙作だけど「セレンディピティー」も読んでほしいです。

あと、見切り発車ですが、来年5月の文学フリマ(東京)と、9月の文学フリマ(大阪)に出展したいなあと思います。5月に合わせて新刊を作って、「ビオトープ」の在庫もあるのでそれも携えつつ。なんか目標ないとほんとにかかなくなってしまいそうなので、どうにか踏ん張りたいところです。
タイトルは「さよなら」で、いまのところふんわりぬるぬるBLっぽいものと、母の日のお話を書きたいと思っています。が、母の日なんだけど父の話になりそうだ。

今日はひとつ嫌なことがあって、私が小説を書くことは家族も知っています。そのことは別に良いのですが、私が好きなように書いて好きなように進めるのが小説の良いところで、こんな私にでも続けられている習慣というか趣味というものなのだけども、父が、
「小説家にならんのか?いつになったらなるの?」
と問うてきて、それがもう嫌で嫌でしようがないわけです。小説は私のものであって、夢であって、希望であって、誰かに希求されるものでも縛られるものでもなくって、たぶん、そういうことをせかされることも、今全然かけない現状も相まって、そういうのじゃないんだって、なんか、そういう、なろうと思ってなるものでもなくって、だから、そんな軽々しく言ってほしくなかったというか、上手く言えないんだけど。
自分でも無理だって思っていることを、他人から伺われるってすごく最低で気持ち悪くて、というか、そういうこと言われるとどんどん遠ざかっていく気がする、という、そして、そういう騒音が一番体に良くないってこともよくわかってるから、放っておいてほしい。
これは私の夢や希望や切実な願いであって、あなたのものではないし、あなたがどうこう関与していいもんじゃないんだってことで、上手く言えないだけど、とにかく胸やけしそうなほど気持ち悪くて気分も悪くて。
彼は、応援しているわけでもなくって、なんだろう、興味本位、いや、違う、けど、応援とはまた全く違う意味でそういうことを言ってくるからほんとに嫌だし、いろんな著名な小説家の人生苦労話とかもしてきて、だからなんだって思うし、正直興味なくって、そもそも他人に興味がなくなったのは、彼のせいでもあるんだけど、つまりどうでもよくって、だけどなんか妙に心がえぐられていくなとは思っていて。
本当に小説を書いていきたいと思うなら、この家を出ないと無理だとも思いつつ、ここでふん切れない私はなんだか幼いのだと思います。幼い、というか、やっぱり度胸と、根本的な冷酷さを体現する勇敢な残酷さが足りない、のかも。
それなりなことを言ってればそれなりに聞こえそうなマジック。

私自身、小説や小説家を神聖化しているとこがあって、だからこそ、何もわからない人(おもに私の心情)にそうやって何かを言われることがストレスになるのだと思う。放っておいてくれ。

しかし、もう、年とってきてどんどん、今のポジションから足が抜けなくなりそうだと思う。怖いし、嫌だし、だけど、そういうものが現実で、上手くいかないことばっかりで、腐っていても仕様がないし、あんて非生産的なんだと思う、けど、こうやって生きてる人が大多数なんて知りたくもない。

強要されないで、のびのび、生きて、小説に愛された生き方をしたかった。
圧倒的に中途半端で、何の知識もなくって人生経験もなくって、なんだかへぼっちい大人だこと。
自分をとりあえず責める。何も変わらないけど。

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