どこをみているの
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2014/08/02 わたしのいばしょ
今日は友達と棚田に行ってきました。カメラを使わないといけない。
なだらかに見えるけど結構な坂道でした。あいにくの曇り空だったけど、綺麗な青田です。たまに風にそよそよ揺れるるのが夏を感じさせました。蛙が何匹もいて、そいつらが動くたびに揺れるさまがまた美しかった。
あと、川があったので足だけつかって遊んだけど、ちょうどいい冷たさでおほほ、と笑えてきた。水遊びをして足を拭いて、靴下を履いた感覚が独特だよね、なんて友達と話しながら。
靴下の下に、薄いヴェールをまとっているような気分でした。ほんのりと温かくなる。それは嫌な暑さではなくて、体の奥から滲む母親の素質。
里山の景色がとても好きで、写真集も何冊かもっているのだけれど、こういう場所に行くと自然は雄大でこの場所に生まれて、この場所に骨を埋める人しか受け入れてくれないというか許してくれないのだろう、という気分になる。なんだか自然は気高い。
目の前の景色に感動しても、空気がいいねえとか喜んでも、決して私はその場所の人間にはなれない。溶け込むことはできない。んだと、思う。
大学四年間、暮らした場所はずいぶんのどかな場所で、通学路にはいつも田んぼが一面に広がっていた。奥には連なる山があり、あれがこの場所をつかさどっているんだと思っていた。人間なんかその麓で細々と暮らしている小さな命なだけで。
その場所も気高くて、私のことなんか歯牙にもかけてくれなさそうだった。個人的には四年間の暮らしの中で少しは空気に馴染めたと思っているけれど。
はたと、あの場所ではヒグラシがよく鳴いていたと思い出した。
就職して地元に帰ってきてよく思うのは、大人になってしまうとそこここにある小さなものへの感動や憤りや不安や喜びや悲しみや怒りやその他もろもろのもの、が、隅へ隅へと追いやられてしまうのだろうということ。
それは私が変わったのかもしれない。心が悪い意味で動かなくなってしまったのだろう。
電線などで切り取られない青々とした空や、工場の明かりなどない真っ暗な夜空に輝く星、隣家に遮られずに見えるけざやかな月。そういうものを、とうの昔にどこかに置いてきてしまった。
この場所はとても貧相だと思う。美しいものがあまりない。それはまあ、私の中の「美しい」基準だけども。
この場所から出る前は、「美しいもの」などに感知することもなかったけれど、出たからこそ知ることができたし、そしてまた、ここには何もないのだということも知った。
夏の夜に蛙の声が聞こえないこと、早朝に雉が鳴かないこと、夕立ちが上がるとヒグラシが泣き出すこと、そういうさまざまなことがここにはないんだなあと思う。
昔のブログを見返していると、そういう美しいものに囲まれた私はひどく不安定で不憫だった。でも、その時の私は私が思う「美しいもの」を紡ごうと必死だった。言葉一つ一つ、誰かを想うこと、自分と向き合うこと、を、一生懸命していた。でももう、その頃の私は、もう、大人になってしまった。
仕事をする上で根拠を探す。相手とは適度な距離を保つ。自分とは向き合えない日々が続く。
環境の所為にするのはばかげているとは思いつつも、あの頃にはもう、やっぱり、戻れないんだよなあ。
目に映るすべてのものが、ただただ美しかった。歪んで見えた。何もかもが新しい発見だったし、懐かしいものだったし、おぞましく、可憐で、大好きだった。
悲しい。
あと、やっぱり話すぎるというのは、よくないと思った。
話さない人が皆、何か含みがあるように思えるから羨ましい。私はもちろん話しすぎるタイプなので、含みとかは何も持てないし、悔しい。
映画の感想につけても、言葉を連ねてどうにかこうにか伝えたいと思うけれど、感想を語らない人の方が、たとえば、映画の奥底まで感じ取っているように思える。私はそこが知りたくて、また言葉を重ねるけど、話さない人は教えてくれない。
でも、寡黙な友人曰く、話さないというか語彙がないから話せないし、あまり深くは考えてない、という。むしろ、自分に合致する言葉をそれだけ話すことができるのは羨ましい、という。
語彙がないから話せない、というのは、詭弁だと思う。
とは言っていないが、それは理由にはならないと思うんだけど、でもこの考え方も私の身勝手なんだろうな。
別に語彙が多いからそれを見せつけたいとかそんなことではないし、話しすぎてしまうのも自分の感じていることを伝えないだけなんだけど、こういうことを言われると肩透かしを食らった気になる。し、やっぱり羨ましいのだった。
話しすぎるとただただ物事に対して否定ばかりしている気になってくるもので。
言葉をつかさどるバランスが難しい。
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2014/07/29 ファンデーションの残り香
なんだかんだでやっとデザイン落ち着きました。もうしばらく触らないだろう。
web拍手も更新したので、よければぽちっとしてみてください。
ずーっと書きたいと思っている日雇い×女子高生のお話。の、切り取りシーン。
シーンが一個一個浮かんでうまくつながるときもあれば、そうではないときもある。
セレンディピティーなんかはその最たるもので、なんか出会う場面、お祭りで初めてキスをする場面、石渡さんが泣きながらピアノを弾く場面、そして最後にカフェで会うシーンができあがり、それを繋げていく。大体書きたいシーンが先にあって、そこにただ辿りつくように書く感じ。
場面、というか、絵なんでしょうかね。なんとなく。
でも、サナトリウムみたいなのはそのシーン、そのシーン、が、たぶん私の中で完結してしまうのかな、つなげても物語にはならないんだよなあっていう。つなげてしまったらまったく別のものになってしまいそうだし、自分が大切にしている「書く」という「興奮」が一気に醒めてしまうような気がする。
「自慰」のためと、「作品」のため、というか「作品」っていう言葉はあんまりしっくりこないんだけど、こう、誰かの生きるシーンを切り取るために書くか、では、大きく違う。でもまあ、正直なところどちらも自慰のためなんだけど。
こういう人がこういうことを言ったら萌えるな~とか、こういう人が言わなさそうなことを言わせたいな~とか、こういう人はこういうこと思ってなさそうだけどな~とかそういうところから物語ができて行ったりする。こともある。
何の話なんだろう。
そういえば先日、分かり合おうとする姿勢を見せない人はすごく面倒だなと思いました。
分かり合おうとする姿勢、というか、うーん、なんというのだろう。
分からなくてもいい、という態度をとってくるというか、なんかずっと平行線な人。当たり前に会話が成り立たない。確固とした自分を持つのはまあ良いとは思うんだけど、会話は相手がいないと成り立たないわけであって、つまり、だから、あなた何がしたいんだろう、というか、うーん、会話がかみ合っていないのはわからないのかな?という気持ちにさせられるというか。
でも、相手も自分と同じようなことを考えているのかもしれないから、やっぱりそういうところもかみ合わないんだろうなあ、と、思う次第なのであります。
仕事でなら「あ~この人と仕事したくねー、でも仕事だし、資料とか持っていけば相手の出方とかわかるしな~」なんてことでこなせるけど(とはいえこなせない場合も多々ある)、私生活の場でそういう人と関わりがあるとむしゃくしゃするというかむかむかするというか、心にしもやけができてしまうような感じですね。
しもやけって、かゆいようで、かいてみると「え、ここじゃない」なんてことがあります。でも、やっぱりそこがかゆいと思う、んだけど、「やっぱりここじゃない」ってなる。
人間関係難しいな~
でも、まあ、攻撃性がなければなんとかいけます。
そんな感じでおやすみなさい。
2014/07/27 君の夢がかなうのは
サイトを少しデザイン変えました。にしても、見にくい…
もういっそのこと、作品だけにしたらええかしら。ホームページって難しい。なんかうまくいかん。
結局、自分のブラウザでしかきれいに見えないんだろうっていう感じするしなあ。
なので本当はフレームとかも使わない、まっさらなのにしたいんだけどねえ。
あと、戻るボタンとかすごい嫌いなので、できればトップページで作品もオフラインも見えるようにしたいけど、結局かさばるんだよなあっていう感想。
スクロールもしたくないので、やっぱりツリーメニューかな、と思うけど、ツリーメニューも結構エラーが多いからそれも面倒だったりするんだよね。
ちなみにオフラインのページが一時凍結なのはえぐいほど文字化けしてしまってるので。
おそろしや。
あと、ウェブ拍手のお礼画面変えないとな。
2014/07/18 つづき
大阪の文学フリマ、先日しっかり振り込んできましたので何事もなければ参加できます。
いえいいえい。
9月14日(日)11時~
第2回文学フリマin大阪
@堺市産業振興センター イベントホール
です。場所は、今回は純文学のジャンルで申し込んでみたので、前よりは番号が早いのですかね。
あんまりそういうのよくわかんないのでいいですけど。
持っていくものは
・ビオトープ(206頁/500円)
・さよなら(250頁/600円)
ですが、あとは無料配布用で、三つぐらいお話を入れたものを30部ぐらい持っていこうかと思います。無料配布なんでもっと持っててもいいかな。
無料配布に関しては、大阪文フリ終了後にサイトでも公開する予定です。ただ、冊子の方がなんかレア感あるのは私だけか…
本当は、「さよなら」お買い上げいただいた方には、収録作「聖家族」の後日譚みたいなものをつけたかったんですが、ちょっと書いてみたらあんまりにも蛇足だしただのセックスしたいサグラダさんみたいになっちゃったのでやめました。性の問題って難しいよ。
それに、東京や通販でお買い上げくださった方には渡せないので、やっぱそれもなんか不公平ですよね。
といいつつ、ちょっと書いてもったいないので、追記に掲載しますので、そういうの嫌いじゃない人はどうぞ。
ちなみに「聖家族」は26歳すぎたのに未だ処女で家族と自分にコンプレックス持っている麻理也ちゃんと、無表情でひょろひょろしてて何考えてるかわかんないサグラダさんという男の人のへんちくりんなお話です。よかったらパブーで試し読みしてみてください。私は結構お気に入りのお話です。
あと、無料配布に入れるお話は、今のところ、家族の事故をきっかけに笑えなくなった女の子と人じゃなくなった従弟のお話と、彼氏の浮気相手の男と真っ向勝負する女の子のお話と、あともう一個何か入れたいんですが、中々浮かびません。
ので、なんかいい案あったらコメントください(基本的に他力本願)
[つづきはこちら]
2014/07/13 GreenShower
現在、こんなものに参加しています。
「言葉でハートを打て!」(
http://necotoco.com/nyanc/bunfreeosaka_ug/kotohato/
)
ジャンル分け(リーグ)して、投稿のあった小説のアクセス数が多い方が勝ち、というイベント(?)。
いつもなら素通りなんですけど、フェティッシュリーグというのにBLなんて文字があったので、じゃあ投稿してみようかな?という気になって投稿してみました。
投稿数も多いと思っていたので、私の書くBLが好きだと言ってくださる人が一人いれば嬉しいな、程度だったんですけどなんと私ともう一方しかいないという現実。恥ずかしい…死にたい…
投稿したのはサイト掲載している「しのぶれど」の少しだけ改訂版です。そのうち掲載しているのも直そうとは思っているのだけど。
本当は純文学リーグというのがあって、そっちに投稿してみたかったんだけど、投稿できそうなものって、文フリなどに出している「ビオトープ」とか「さよなら」に掲載しているお話なんですよね。
本当なら、うん、私はサイトに全文掲載したいと思うし、パブーでもなんでも、無料公開したいと思う、けど、そうすると良く書けていると思うものがネットの海に埋もれてしまうんですよね。人並みには自己顕示欲があるし、それなりに自分が面白いと思うものを書けていると思うから、読んでほしい、となると、イベントでの本を販売するのがいいのかな、と。少なからずとも、私が書くような話を好きだなと思ってくれる人が買って行ってくれるわけじゃないですか。たぶん。
ということで、アクセス数で決まるらしいので、来週の土曜日まで、読んでいただけると嬉しいです。
(でも二作あったらどっちも目をとおすからアクセス数の差ってそんなでないんじゃ…?)
さて、最近やっと本を読もう!という気持ちが出てきまして、文学フリマで買った本をちまちま読んだりしてます。読んだらこれからはちゃんとブログに感想をつけていく所存。
ブクログでもいいけど、あれ画面見ると打ち込む気力が一気に失せる仕様になってると思う(私だけだな)。
で、金曜日に通販をお願いしていた本が届きましたので、この土日はそれを一生懸命読んでいました。
森瀬ユウさん(とぎれない、いつか
http://skyer.soragoto.net/
)の「独りの青」と「BBHHH」
です(どちらもサンプルがサイトから閲覧できます)。
イベントに出てもらえないかな~と淡い期待をいつもしているんですが(笑)、「BBHHH」が6月から通販が始まっているということで、読みたいと思うものを読まずしてどうする、と、珍しくアクティブな方のこんにゃくが叫んだので通販をお願いしました。
まず、最初の感想は「BBHHH」の装丁の綺麗なこと。
クリアカバーがついていて、本体の表紙と重ねるとすごく綺麗です。アーティスティックだな~!と。以下、感想です。
*****
「独りの青」
A6判/フルカラーカバー/168頁/500円
連作小説です。冒頭でもありますが、「高橋」という男の子が死んだことを軸にして「高橋」と関わりのあった男の子二人が「高橋」を通して他者と向き合うお話(だと私は解釈した)。
文庫サイズで、各話もそんなに長いわけではないですが丁寧に書かれているから、一文の密度がすごいです。何回か行ったり来たりしてしまいました。
あと、色がとても象徴的です。黒、赤、青。「独りの青」というので、青に言及される場面が多々ありますが、人物たちの心持を影響してか全体的に薄暗く重々しい色付きをしていました。
「高橋」という男の子が亡くなったビルが「墓標」のようだという表現があるのですが、私はビル自体が「怪物」のような印象を受けました。心の闇を体現してるような感じ。
話全体を見ると少しできすぎているきらいがありますが、とにかくその文章の密度。一秒一秒僅かに変わっていく心境を逃すことなく余すことなく描写してやろうという気配。
人物たちの内側を相当練り込んだのだろうと思いした。
テーマは「暴力」や「受容」でしょうか。私は「独りの青」は、他者を受容するには自身を受容する必要があり、それができるようになった、少年たちが青年に成長したお話なのだと思います。最初と最後の挿話みたいなものが好きです。
「BBHHH」
A5判/フルカラー(カバー付き)/206頁/原案:ヒッカユウ/小説:モリセユウ/1,500円
これは原案が森瀬さんではないようですが、文章は「独りの青」と同様すごい密度です。
ハードカバーと同じ大きさで、密度もあるのでかなり読むのに力がいりました(良い意味で)。
上述したけど、カバーが素敵。綺麗です。
これはちょっと特殊な兄弟のお話ですね。「先天性無眼球症」のため、生まれつき右目が無い兄・神無と、親が遺伝子を操作してデザイナーチャイルドとして天使のような養子を持つ弟・晶馬。その二人の生活が軸となり、二人の関係性が粘りのある文章でつづられます。
しかも後半に個人的には「えっ!?そうなの!?」というシーンもあり、びっくり。
兄と弟の視点で物語が動くのですが、とくに兄の語り口がすごく落ち着いていて深海のよう。物語全体も、すごくすごく深い海の底でじわりじわりと進むような感じ。読みにくい人は読みにくいかもしれませんね。
でも、その後半の「え!?」ていうところからぐんと色づいてすごく艶やかになる。やはり色が印象的でした。水槽の中の兄弟を観察しているような気分になった。
これもやはり「他者の受容」がテーマなのかな、と思う。ただ、「独りの青」と違って、「BBHHH」は受容でき「なかった」方かな、と。あ、個人的所感です。あとは「家族」かな?
冒頭、晶馬が神無の部屋に忍び込むシーンがあるのですが、そこがすごく好きです。してはいけないことへの僅かな高揚がすごく伝わってくる。
しかし、どちらも文章の密度、書いていることの重量というのか、中々にずっしりしています。読みごたえあり。
「BBHHH」のタイトルの意味が私はどうしても知りたい(笑)
どんな意味なのか…最初は遺伝子とかかなと思ったけど、遺伝子ってATCGだしなあ。
と思って今なんとなく検索してみたら「Blessed Be Her Holy Hooves」って出た。
しかしピンクのユニコーンではないでしょうが、Blessed youみたいな感じなのかな。
***
てな感じでした。ネタバレにならんように書くのって難しい…
最近は自分の小説ばっかり読んでいたので、人さまのものを読むのはすごく刺激になってよかったと思います。
森瀬さん、ありがとうございました。
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