どこをみているの
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2013/10/05 空っぽの中身
今日は、職場の先輩と世界遺産コンサート、なるものに行ってきました。
京都の上賀茂神社で、高嶋ちさ子さんと12人のヴァイオリニストが名曲を披露するというなんともやんごとないコンサートです。
私達は夕方からの部で、境内の盛り砂が幻想的にライトアップされていたのが印象にのこってます。
すごよかったです。
ふと、横浜の能楽堂に見に行った野村萬斎の朗読を思い出したり。
コンサートやライブなどに行くと、距離は近いけどなんだかあっちとこっち、てな感じで隔絶されてる感じがするんですよね。
透明なフィルターがあって、それを通してみるからこそ芸術、である、というか。
最初のパッヘルベルのカノンから、ずーっと鳥肌立ちっぱなしで。薄寒かったのもあったんだけど(笑)
ラ・カンパネルラ聞いていたら先日アップした「セレンディピティ」の石渡さんと紅子を思い出しました。なんでだろう。でも、神社とか音楽とか、そんなものがそれを連想させたというか、テーマ曲これだわ、というか、よっぽど自分の書いた作品好きなんだなと思ったけど、なんだか不思議に、二人が動いているところを想像して少し泣きそうになりました。なぜだ…
いいヴァイオリンの音をあんなに間近で聞いたのは初めてだったからか、すごく色っぽく聞こえて、悲しい曲が似合う音をしているなあと思いました。
個人的に、ピアノは一番セクシーだと思うんだけど、ヴァイオリンは、艶っぽいというか、美しいおとを無限に美しく出せるのだと錯覚させる力があるというか、演者さんと楽器がひとつになって、それだけが全てで、命のようだな、というか、生きているんだな、というか。
今、ずーっと考えてる話があるけど、たぶんこれ、ヴァイオリンの要素いれますわ…というか石渡さんと紅子みたいになってしまうかもしれないので、それはまずい。ので、もう少し揉むけど、要素は絶対入れます。影響されやすい。
で、先輩と話していて、やっぱり愛される人はそれだけの努力をしていて、そうでない私はやはり愛されないし、私の逡巡などなんの意味もなく、空っぽのままなのだと強く感じました。
どうしたらああして強く、生きていけるのか私にはよくわからないし、きっと、私が感じる何百万倍もの辛さや寂しさを経験して、乗り越えて来たんだとおもう。
私が出した答えや考えていることは、たぶん、何も意味も価値もなくって、悲しいほどに薄っぺらくて。
馬鹿だなって改めて思いました。恥ずかしい限りです。
自分のことしか考えられないから、自分しか、自分を愛してくれないんでしょうね。
悲しいことです。
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