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2014/01/15  したかみ
来月、姉が結婚するに当たってプロフィール紹介の文章を書いて欲しいと頼まれました。あと読むんだけど。
うちの家族はさして起伏のあるような歴史があるわけでもなく、のらりくらりと成長してきた感じがあるので、まあ、小さな頃の姉の馬鹿なエピソードふんだんのプロフィールを作ったわけなんですが。
お婿さんのお父様が、昔に亡くなられていることもあって、あっちのプロフィールは少し泣き要素があるらしく、姉はそれが不満らしい……そんなこと言ったって……
で、さっき、少し話してて、つらつらと今までの自分の話なんかを聞かせてくれていたんだけど。
たとえば、大学時代に遅い思春期だったから父と対立しまくってた、とか、大学時代のバイトで世界が変わった、とか、そんななんやなんや。いうなれば(?)感傷的な話だったのかもしれないんですが、私的にはあんまりよくわかんなくって、というか、わかるんだけど、なんだか、当たり前のこと言ってくるな、というか、人の、というか、家族の感傷的な話ってすごく歯がゆいというかむずがゆいというか、聞いてて居た堪れない気持ちになってしまう。
あんまり理由を考えたことはなかったんだけど、私はたぶん、家族が感じる感傷というものを信じていないというか、それがとても見え透いて見えて空っぽに見えたりして、賛同できなくて、なので、つまり、家族のいうことの、その根本にある精神性というか精神的な信仰を信じていないのだと思いました。
私だってこんなことを経験してるんだからね、という、その感じ。
私は、家族は家族であって、人間らしさをアピールするところではないと思うんだな。全くうまく言えない。もちろん、家族だからといってその人を人間として扱わないこと、侮辱することはあってはならないと思う。
だけど、家族なのだからなんだろう、美しく見せようとか心の葛藤を曝そうとかなんかちょっと恥ずかしい、と、いうか、聞いてるこっちが陶酔してるお前を恥ずかしく感じるよ、なんていう。
もしかしたらお式のプロフィール文章に追加してほしいということかもしれないけど、その精神的な部分要らなくね?と言う感じ。わたし的には書ききったのでね。とぼけてますがね。
あと、うちの姉や母は少し、話していることを相手に委ねて、回答を期待する、みたいなとこがある。
だから、姉が、旦那さんのお兄さんと電話で話した後、私にあの人と話すとすごい元気でるわー、と話してくる、とすると、たぶん、お兄さんがすごく励ましてくれてるのに、あんたはバカにしてばかりいる、少しはもちょっとましなプロフィール書け!なのか、お兄さんは私の味方で助けてくれるけど実の家族は全然助けてくれない、助けなさいよ、とか。
そういうの面倒すぎる…

そんなこんなで時間はあっちゅーまですね。
家族のことで感傷的になったり泣いたりするのがこそばゆいにゃくでしま

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2014/01/05  さおりのいうこときいてよ
明日から仕事はじめの方って多いんでしょうかね。私もその一人です。
とはいえ、ちょっと野暮用で本日午前中は仕事してきたんですが、やばい、仕事行く前にめちゃくちゃ腹が痛くなってきて、昨日の夜も眠れず、どんだけ仕事嫌なんだよって自分に呆れながら仕事してきました。
だんだん、これがわがままなのか、精神的に参ってきているのかは定かではありませんが、やっぱり文句言われないためには最低限のことはこなしていかないといけませんよね。
まあ、その最低限とかいうのがなかなかできないから苦労しているわけなんですが、どうしたもんか……
考え方はもちろんそりゃあ色々ありまして、今の職場がよくない、今の課がよくない、今の先輩がよくない、とか、外因的なものを並べ立てることはできるんだけど、そもそも、その根本、私が仕事という、その抽象的なものも具体的なものも好きにならなければいけないということ、つまりもっと、大人にならなければいけないということです。
大人になりたくない…
ならなければならないってなんだ…
基本的に屁理屈野郎だから、どうも、どうもね。頭でまずは考えてしまうので、楽しくないんでしょうね。なんかもう、いつもこの袋小路から抜け出せずにいる。
じゃあ仕事辞めてまでやりたいことあんのかって話で、まあ、ないですけどね(どーん)。
いや、あるけど、それで食っていけないと思うのでそりゃ仕事するしかないですわ、という。感じ。

なんでこんなネガティブなのかというと(普段から、とかいう突っ込みはいらん)、明日から仕事であるということと相まって、久しぶりに大学のときの手帳を開いたからなのです。
手紙の、ウィークリーのところにちょこちょこ、その日にあったことと所感なんかを書いていたのがあって、それをたまに眺めるんですが、もうね、大学三年の、ほんとに就活しはじめの頃から今にいたるまでほんとにぶっ壊れてたなと思いまして、なんかもう、自分という人間に大変な行きづまりを感じました。
最近は、メモすらしてない。日記書きたいと思うまえにツイッターで呟いてるからいかんと思う。ツイッターって、すぐに呟けちゃうから、自分のこの感覚に言葉を与えるならなんだろうって、そういう時間がどんどんなくなっている。それも、言ってみれば私のせいなのかもしれないが(私のせいってなんだ、私のせいって)。

こうやって、感受性は腐っていくんだな、という、何度も何度も知っている結果なのに恐ろしくて何度も確認してしまう。怖いもの見たさとはまたちょっと違うけど、怖い画像を何回も予期せずに見てしまうときの感じとちょっと似ている。怖い、でも、絶対にそこに行きつく。
表現力も、自分の周りの環境を見つめる力も、どんどんなくなっている気がする。どんどん麻痺していく。なんだったんだ。私の今まで。
とかいう怖い思考回路になるのがいやなので、やっぱり見て見ぬ振りが一番、だけど、こうやって逃げ続けていつの間にか一人になってしまうんですよ。怖い怖い(怖いしか言ってない)。
もはや今、何が正解なのか全然わかんない。考えるのをやめるということもできなくて。
人の言葉が全部、否定の言葉に聞こえる。
そのすべてに、耳を貸すことができない。だって否定なんてされたくない。
今まで、変にプライドもって生きてきたから余計に面倒なことになっているのだよ。あーあ。あーあ。なんじゃこりゃ。あーあ。

という感じですが、明日から仕事もあるのでそれを粛々とこなしていきます(たぶん無理)。


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2014/01/01  としのはじめのためしとて
あけましておめでとうございます。
旧年中、お世話になった方、お知り合いになれた方、本当にありがとうございました。
また、本年もどうぞよろしくお願いします。

本当は大晦日に2013年を振り返るとかちょっとやりたかったんだけど、書けずじまいでした。なんとも微妙な〆日だったなあ。
祖母が亡くなるまで、毎年、父の実家でおせち料理をつくっていたんですがそれもなくなってしまって、一年が終わるという感じも、新年が始まるという感じも全然なくって、こうして、だんだん、人生の継ぎ目っていうのは曖昧になっていくのかななんてぼんやり思っている次第です。正月っていうから何か真新しいことがあるのかというわけでもないし、なんかなんともいえない。
今日は、今から、姉の彼氏が家にやってきて新年会です。送迎車を出すのが私の役目。

2013年、振り返ってやろうじゃねーの!と思ったんだけど、なんか全然、〆の日がそういう感じだったからか、こう、こういう一年でした、っていうはっきりした意識が薄れていて、なんとまとめてよいのやら。
というか、今日は元旦なんだからほんとは2014年の目標でも掲げろやというところなんだろうけど。有言実行ってまったくできたことがないので基本的には言えないタイプ。

2013年は、とにかく初めて自分で本を作ったことが大きかったですね。そのおかげで、いろんな人からのレスポンスやつながりもできたりした。一瞬だけの言葉でも、すごくうれしいもので、それだけで、この先、趣味でも本気でも、とにかく書いていたいと思った。
ただ、その反面というか、だからか、仕事がどんどん憂鬱で嫌になっていった年でもありますね。先輩との関係は、ま、一緒にいる時間が長い分、悪化しているわけでもないし、むしろ周りからみたら良好なのかもしれないけど、だから仕事が好きかと言われるとやっぱり嫌いだし、あそこは私の居場所じゃないんだって、いう、わけわかんない拒絶感がいつも付きまとっている。どこでも顔を出す、その感情は、常に私の首を絞めているような気がする。
そういう自分を受け入れることもできたらよいのかもしれないけれど、私は十分に受け入れているつもりだし、もう、これ以上何をしていいのかよくわからないというか、でも、頑張らない自分もなんだか性に合わないし、みたいな、やっぱりカオスな一年でした。
嫌いとか好きとか、そういうのを大声で言えない、けど、やっぱり嫌いだし反感もつし反抗したい。嫌いなことはやりたくないけど、仕事だし、なんか、そういうの、考えなきゃいいけど、だって考えちゃうし。
いつも心がとっちらかってる感じがして、じゃあ、私、何が好きだったんだろうって、思うんですよね。具体的なものじゃなくて、感性のとこね。どういうものを見て心が動いていたんだろうって、そういう感じね。
心を、忘れてしまった一年だったかもしれない。悲しい一年だな。
3月に本を出して、すごく楽しかったのに、だから、楽しかったからこそ、仕事をしていてああ、やっぱり、こういうことをやりたいわけじゃないんだよな、というか、人と何かを分け合うっていうことがすごく苦手なんだなって、思った、気付けた、一年という、か、うん、上手く言えないですね。
あ、そうだ、語彙が少なかった一年でもありますね。本全然読んでないもんね。当然かな。やっぱり語彙の豊富さ、だけじゃなくて、表現しようというその気持ちは、漫画やアニメからじゃ絶対に接種できない(少なくとも自分は)もので、活字を、それもとびきり自分が好きだと思える小説を、読まなきゃなって、思いました。
あとね、ほんとに、ネガティブなことばっかり言ってると自分のことしか考えられなくなってどんどん脳細胞が死んで行って、よけいにネガティブになるんだなっていうことを身を持って体験しました。でも、ネガティブってやめらんないのよね。

うーん、なんか一年の締めくくりになってるのかな?わかんないけど、まあ、読みかえしたときにああ、そういう年あったわー程度でね。
(毎回こういうことを言う奴ですよ私は)

で、2014年は、やっぱり小説書いてたいのでまた本を作ろう、という、そういうことと、自分の好きなことをやりたいので仕事はまったくもって頑張らない、ということです。
もちろん、相手に迷惑かけないのが前提だけど、でも、やっぱりいやなことって頑張れない。
憂鬱じゃなければ仕事じゃない、っていうけど、それは、跳ね返すばねがある人の言葉だと思う。私は絶対に受け入れられないなって思ったし、ならまあ、それでいいと思う。自分には甘くいきます。今までどおりに。
夢や、やりたいことについて頑張ったり、続けたりするのは当然だけど、難しい。だけど、それができていればほかは何もいらない。きっと。

まだまだぶれぶれにぶれるにゃくですが、全然死ぬ予定ありません。


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2013/12/25  愛の先駆者のもとに連れて行って
メリークリスマーーース!(テンション間違えてるわこの人!)

というような、そんな突っ込みが少し前まではやっていたような気がするんですがそんなことはないんですかね。一時期、一言一言のあとに括弧で突っ込み入れる、みたいなのがはやっていたような。というか、まあ、それで面白いのと面白くないのがあるというそれだけです。

クリスマス、ですね、いつもイヴを重要視しがちだけど、意外にも今日がクリスマスなんだよね。
小さい頃、よく、24日がクリスマス・イヴだと思っていて、25日はメリークリスマスなんだと思っていました。
今でもmerryの意味はよくわかっていません。

普段は敬虔な仏教徒(?)のにゃく家ですが、昨日はクリスマスに便乗。
イベントごとにはのっかりたがるので、かこつけてプレゼントなどを交換しました。
来年から姉がお嫁に行ってしまうので、全員そろってのクリスマスは今年が最後なんですが別にそんな感慨もなかったけどね。
ただ、嬉しかったのは私が以前も書いていた「ネコマンジュウ」のキャラクターグッズを家族がたくさんくれました。
しかもしかもさらに嬉しかったのは、仲の良い先輩が私が「ネコマンジュウ」好きだって言ってたの覚えていてくれて、ブランケットをくれました。これが一番うれしかったな。
そんなことんなでネコマンジュウにかこまれています。ほくほく。嬉しい。
ネコマンジュウほんとにかわいいんです。ほんとに。なんか気持ち悪い感じが。
でも、媚びた感じのグッズは嫌いです。手袋とか。
あくまで媚びてない間抜けな顔がかわいいんです。力説。

昨日は「セレンディピティー」の石渡さんと紅子ちゃんを、その前は今度の「さよなら」に入れたいと思っている「受難の子」のサグラダさんのお話を書いてみました。中々難しいなあ。
ちんたら書くことはいくらでもできるんですよね。さて、どこにどうやって重みとか自分が書きたいって思うことを入れていこうかな、というか、私もそれなりに「これが書きたい」っていうのがあって、書きたい!となるわけなので、なんというか、うん、そういうの、ないと、もやもやしたまんま終わってしまうので、そんな感じ(いうことが全部もやもや)

一番書きたかったのが(個人的に)明確だったのは「日付変更線」でした。破たんもたくさんあるんだけど、その破たんよりも自分が書きたかったと思うものかけたと思ってします。
来年はどんなお話をかけるだろう。年末年始、書くぞ。頑張ります。

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2013/12/25  Noël
「石渡さん、あれ」
「はー」
 きらめく町の明かり、というよりも、下卑た妄想が形になったようなイルミネーションは見ていても大して面白くない。生まれつきキリスト教なわけでもないこの国でどれだけ電飾を施そうとも本場の心意気にかなうわけがないんだよ、と、石渡さんは鼻を赤くして言った。私が指差したのはピアノが形度られたモニュメントで、その上にツリーが乗っていた。音楽とクリスマスのコラボレーション、とかいう案内看板がそばにあって、ベルの音でいろんなクリスマスソングが流れていた。ピアノの電飾なのにベルの音なんだね、と、石渡さんは笑う。
「鼻赤いね」
「寒いもん。紅子は」
「私はそんなに」
「そもそも薄着だよね。なんで真冬なのにトレンチコートなのか意味不明なんですが」
「石渡さんは着こみすぎなのになんでそんなに寒がりなの」
「日本は寒い」
「でた、ヨーロッパかぶれ」
「あのなあ」
 石渡さんはスヌードをぐるぐる巻きにして裏起毛のボアが付いたダウンを着て、中にもセーターを着てタイツを二枚履きにしてコーデュロイのスキニーパンツを履いている。もちろんボアの付いたブーツもしっかり履いていて、それなのに寒さゆえに鼻を赤くしているのだ。持っていたスターバックスラテを一口飲んで、冷たい、とこぼす。
「もう冷えた」
「十分も持ち歩いてたらそりゃ冷たくなるよ」
「紅茶が飲みたかった」
「紅茶のテイクアウトもできたんじゃないの」
「コーヒー屋の紅茶なんか飲めたもんじゃないよ」
「そう」
「そう」
 でも、寒空の下、イルミネーションが見たいと言ったのは石渡さんなのだ。芸術劇場すぐ裏手に控えるこの公園で、音楽がテーマになったイルミネーションがやっていると聞きつけたらしい石渡さんは、仕事帰りの私を捕まえて、駅を三つ乗り継いでやってきた。けれども、本場のクリスマスのイルミネーションを知っている石渡さんは、やっぱりねえ、とつまらなそうに言うのだった。
「はー、でも、ちょっと面白い」
「ならいいけど」
「必死さがいいよね。カップルも、なんでこんなの見に来るんだろうね。結構人気なの」
「テレビでもやってたよ。このあたりでは最大規模だって話だし」
「ふうん。じゃあアメリカやヨーロッパの電飾見たらたまげるじゃない」
「そう?」
「うん。うちのアパートもよくやってたよ。そのせいでたまにブレーカー落ちちゃうし」
「迷惑」
「でも、それが当たり前なの。それをみんな、楽しみにしてた。日本はさ、なんか浮いてるよね。恥ずかしさもちょっとある感じがする。そんな感じするでしょ」
「わかんないけど」
「ね、今度さ、きなよ。ドイツ」
「うん」
「あ、これはこないやつだね」
「どうかなあ。ねえ、正直、私、ここに石渡さんがいるっていうのが違和感あるよ」
 昔では言えなかったはずのこと、私はもう、言えるようになった。

***

書きたかったのだけど、もう眠いのでおやすみなさい。

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