どこをみているの
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2014/06/12 Dear HIM
ねえ、聞いてほしい
あ、でも、聞かなくてもいい
本当はどっちでもいい
しとしと、言葉を選びたいだけなのを、君は知っているよね
お隣の家の黒い屋根が月明かりでかがいて
例えばオニキスのような
てらりとてらったそういう美しさがあって
ねえ、聞いてほしい
初めて神様に祈る私の言葉を、できたら、聞いてくれる?
床の上に散らばる星屑も
掃除機で吸ってしまえばいい
そうしたら君の素肌を傷つけることはないものね
メロスは裸足で走ったらしいけれど、彼、足の皮厚いみたいだから
浮かんでは消える物語の断片も
昨日からこびりついた呪いのような言葉も
結局一緒だのね、全ては君に対する祈りの言葉
パルプの免罪符よりも高級な一万円がいい
変わらぬ愛の証明よりも灼熱の粘膜がいい
そうやってみんな
美しい夜に最愛の人を妬んで最悪の人を愛して死ねばいい
そうやってみんな
君を恨んだり愛したり祈ったり蔑んだり
Dear,HIM
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2014/06/09 取り消せないから好きなこと
昨日の記事がほんとにクソったれな記事だったなと少し反省。
別にね、誰かに見られるためや読んでもらうためというよりも自分の備忘録や言葉のメモなのでそんな羞恥心はいらないんだけど、もうこれはほんとにずっと一生付きまとうかもしれません。
つまり、私が小説に書きたいと思うのは、内輪ネタにならない内輪ネタなんだなって、いつも、そうだなってことで、いつだって、自分のために書いていきたいと思います。
面白いとか、つまりそれはうーん、entertainingやamusingじゃない面白さ、の、ための、ものを書きたい、これはたぶん本当は「面白い」には当てはまらないのはわかるのだけれども。
創作、という言葉は私の中ではファンタジーやSFやそういうもの、絵本だったりとか人を楽しませたり自分を楽しませるために作った、作りこまれたものと言うイメージがあって、それって大体、なんだろう、エンターテイメント性が強い、感じがするんですよね。
名前一つに意味をこめたり、時代考証をしっかりしたり、そういう雰囲気だけでも織り込んだりして、それは創作を楽しむ人たちが固めた土壌に育つ、おいしい実。でも、それを楽しめるのはやっぱり創作畑で育った人だと思う。まあ、出来上がった実は市場に流通するので、それはもちろん人を楽しませることができるけどね。
私は小さな頃から、そういうものが好きじゃなかったのだと思う。
自分が今、その創作畑に近いところで小説を書く、という行いをしていて、創作畑の内情が見えるにしたがって、よけいにその感じは強くなってきた。
創作畑は肥沃な土壌なので、羨ましいことはたくさんある。創作畑を共有する創作をする人らはとても楽しそうで、自分の書くものを愛していて誇りを持っていて仲が良い。
でも、私は、その肥沃な土壌では育たない実を書きたかった。
とあることでそのことを文字にしたらすごくしっくりきて、なんか芯がどっしりと腰を落ち着けてくれたような気がした。
まあ、私がとやかく何かを言ったところで、だれかが私を責めるわけでもないし、創作畑は相変わらず肥沃な土壌であり続けるだろうし、何も変わったりはしない。だから私はこんな風に、時として創作のことをバカにしながらも自分のためだけの小説を書くのだろうと思う。
好きなところで、好きなように発表したらいい。
そういう、根本のところを忘れていた。
わざわざ言葉にする必要はやっぱりないな、と、ここまで書いて思うものの、やっぱり言葉にしておいてよかったと思う日がいずれ、いやほとんど毎日、くるので、この記事はこのまま。
そんで、ここまで書いたうえで本当に書きたいと思っていたのは、小説を書くということが私の中で些末なものになりつつあるということだった。
というのはたぶん、今の自分に余裕がないし自信もないし失望してばかりで、もう何も、心のプリズムが機能しなくなってきたことに所以するのだと思う。思う、というのは、相変わらず明言するのを避けたいからなのだが、しかしまあ、なんかそういう感じ。
あんなに好きだったのに、あんなに欲していたのに、書く人、という、限界をちょっとずつ感じている。プロでもないし、アマもアマでみそっかすみたいなのだけれど、書くということは、書けるということは少なくともつまらない私のつまらなくないアイデンティティーみたいなものだったので、ちょっとは焦っている。
でも、諦めるのも早いし、足掻くことができない自分なのでしぼんでいき枯れていく自分の中身をただ茫然と見ている。悲しいもんだなあと思いつつ、やっぱり、見ている。
最近は、誰かと話すのも楽しくないし、面倒くさいし、勝手にしてほしいとすら思ってしまう。仕事もそう。やらなきゃ終わらないんだけど、やらないんです(これはただのクズ人間)。
いつも、何かにつまずいている気がする。バランス機能がおかしい。たぶん。
そんな感じだけど、意外に元気。
2014/06/05 ソウディメンション
仮面をかぶったまま優しい声を使う
あなたは貯金箱のように見えた
三口の女
眉毛ないですよね、と話しかけたら声を裏返らせて笑った
手が蛙のようだった
山に座った大きな巨体の化け物は
初夏の陽気には目がなくて
呪文を口にしないとすぐに死んでしまう
みんな生きていた
私は死んでいた
いつも収まりの悪いシャンパングラスに
ウェストをどうにかひねりながら
それでもどうしても飛び出る内臓を押さえながら
夏なのですね、と、化け物が言うと
三口の女がそうですねと気もそぞろに言うので
あなたが大きな口で笑うから
夏がもうすぐ、くるのですね
2014/05/25 そうやって思い込んで
ここ数日、何か書きたいな~という欲はあるものの、書きたいもの(ネタ)がなくて中々満たされません。難しいな。誰か話考えてくれないかな。書くから()。
そういうわけで、何か書きたいと思っていたので書き途中のものを漁って書いてみたりしたんだけど(リクエストでもいただいているので)、中々かけない。まだまだ消化は先になりそうですが、どうにか今年中には終えることができるだろうか…はたまた…
今すごく続きが書きたいというか終らせてしまいたいのは「かなちゃんと私」と「君ありし」。まあこんなのは私のたわごとですね。恥ずかしい。
恥ずかしい、という気持ちは常日頃から持っていて、気を抜くとすぐにそのことに囚われて死にたくなってしまう。太宰治の人間失格じゃないけど、自分には多分に恥ずべき部分があるのだと自覚しないともっと恥ずかしいことになる、と、自分に言い聞かせている節があります。なんかややこしいな。
こういう、創作をしている場で、ここは私のHPでブログでなんでも好きに書けばいいのだけど、なんだかよくわからない人の目を気にして、恥ずかしくなります。
というか、自分の小説を意気揚々と語ることが中々できない。なんか恥ずかしい。
でもふと、ああ、今ちょっと、気付いた。
私は、そもそも、小説は自分のことを書くべきだと思う、というか、ストーリーや主人公の裏側にその人が見えるものが好き、だな、といつも思っていて。
その人の人格、生活、人生、好きなもの、嫌いなもの、そういうものが見え隠れする物語が好きです。私小説まで行くと、それは自分のことを書きすぎているような気がするから、見え隠れ、というのがとてもみそなんだけど(自分としては)。
小説を通して、その人の好みを知ったり、シンパシーを感じたりして、それが誰かの救いになる。自分の救いになる。小説は、私にとってそういうものでした。これからも、きっとそうかもしれない。
私が太宰治や綿矢りさが好きなのはそういう理由がある。まあ太宰治はどっちかというと私小説よりになるのかなあ。あの人の寂しさがとても好きなんだけどね。
私も、自分の想うこと、自分の経験したことを小説に織り交ぜている、ので、そういうのをやっぱり朗々と語るのは恥ずかしい、というか、自分語りをさらに詳細にしてくる、というか、恥ずかしい行為なのだなという、だから私は語れないのかもしれない。まあ語るけど。
あとは、どれだけの人がそのキャラクター語りを楽しんでいるのだろうか、ということも純粋に気になるし、なんか思い上がっているように思うので、やっぱりできません。
失礼かもしれないけれど、オタクってそういうことしたがる、というのも、私もしたがりだから、あまり人のことを気にしないで、自分の小説のここは面白いんだよとかこのキャラクターはこうなんだよ、とか、言っちゃうけど、やっぱりそれってなんだか恥ずかしいよな。茶番劇のようだ。
いやまあ、茶番劇だけど、本人たちは真面目だし自分の作った世界の愛おしい生き物だからそりゃ愛着もわくっちゅー話ですね。うん。否定するのもなんか私恥ずかしいな。
うちうちのコミュニティーないでしてるなら全然いいと思うんだけどね。なんか恥ずかしいね。
ま、私がそれをしなきゃいいし、それを見なければいい話なんだけど。
あと、ファンタジーとかが苦手なのもそういう理由、で、キャラクターとかをそんなに作り上げられても、結局私たち読者には何の影響もないじゃないですか、文章での表現がすべてと言うか、そこで読み取れなかったらいけない、し、ファンタジーなんて、すべてがすべてその世界を作り上げる駒、というか、ファクター、だから、逆に作者なんか見えちゃいけないってこともあるのかな。だから苦手なのかも。
小説は不思議だな、と、いつも思う。
(とりあえず文章を書きたい欲は満たされた)
2014/05/18 順番守ってしねばいいのに
明日髪の毛を切りに行きます。
大して長いわけでもないんだけど、なんか落ち着かないので切ろうと思う。
大阪の文学フリマにも出たいと思っているのだけど、無料配布本作ったら需要とかあるのかな。
需要、とか言ってるあたりダメだなと思うんだけど、もらってくれるもんかな。
私はあまり無料だからもらっとこう、とならない人間なので微妙だ。
中身がよかったら、高くてもたぶん買うし、無料でもちらりと見て中がいやだったらもらわない。
何を基準で買う本決めてますか、と言われることもあるけど、そんなのは勘です。
でも、本を選ぶときの勘はとても良いと思っていて、大体いいなあと思う本を買ってる。というか読書はそういうもんだろうと思うんだけどみんなそうじゃないのかな。書き出しでもう駄目だなっていうのあるじゃないですか、だからそういうのは買いません。
私はどっちかっていうと、さらっとしていてわかりやすい言葉なのにくどいな、という文章が好きです。うまく言えないけど、読みやすいことと独特の雰囲気が最初の一ページで感じられること。あとは話し言葉に「!」とか小さい「つ」が多用されていないことが条件です。妙に生き生きした会話とか読むのがすごく苦手。最初の一ページ、って、大切だなと思うんだけどね。
たまたま、ひょんなことで「ビオトープ」の感想を見つけてしまって、読まなきゃよかったのに読んでしまった。私宛に書かれたものではなく、感想とは本人に向けて書かれるものでもないから、それはいいのだけれど、あまり気に入ってもらえなかったのかな、という感じがしました。ま、そういうことあるし、私が書くものは圧倒的につまらないと思う。エンターテイメントなんてない。
でも、面白いなあと思うのは、サイトではすごく「Broken Youth(マイ・カズン)」が人気で、ある人はすごく物語性があってまとまっていた、と言ってくれたんだけど、この間見つけてしまった人のはまとまってない、と書いてあり、やっぱり読む人によるのだなと思う。当たり前か。
よく聞かれるのは、どうして「Boring to ME」を一番最初に持ってきたんですか、ということ。
あの中で一番古いお話がこれ、っていうのもある、んだけど、一ページ目にはどうしてもこれを持って来たかったんだと思う、直感的に。
私が一番、小説を書くスタイルというか書式というか文体がちょっと変わった頃の最初に書いていたお話だったから、これが合わなければたぶん私のどの作品も合わないだろうと思ったし、この作品が合えば、大体の私のものは読んでもらえるんじゃないかと思った。というのは後付けで、あんまり順番は考えてなかった。
一ページ目で相性が決まると言いつつも、自分の作品の順番とかは無頓着だったなと反省。
んでも、後から考えてみたら、あんな重い話(私の中では結構笑い話)を最初に持ってこなくてもよかったかもしれないけど、最初以外に置く場所なかったから、順番をたとえ考えていたとしてもBoringだけはあそこになった気がする。
私の書きたいと思うものの雰囲気が出てると思うので、やっぱりよかったかな。
そんなこんなで、無料配布つくろうと思いますが、こんなの読みたいとかあったらぜひお知恵拝借したい。
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