どこをみているの
2025/07/16 [PR]
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2014/08/16 無駄な抵抗はよしなさい
どういうわけか、音楽を聞いていると文章が書けなくなってしまう。緊張するし、曲の方に意識がいってしまうので、何を書くのか忘れてしまうのだった。
今、この文章を書いている間も、ずいぶん気がそれて何回も打ち直している。誤字も多くなる。
でも、どういうわけか、卒論をしているときは曲を流しながら書いているのがすごくよかったなあと思う。邦楽よりも洋楽の方が、歌詞の意味がよくわからないので聞き流すのは一番よかった。でも、一番捗ったのはなぜかBLのドラマCDで、ごく小さい声で流しているのが一番集中できた。なぜかよくわからないのだけど、あと、寝つきが悪い時も、ごく小さい、聞き取れるかとれないかの音量で流しておくとすぐに眠れた。不思議だ。
そういえば、先日ツイッターだったかで、寝つきが悪いときは時計の音に集中する、というのがあった。逆効果じゃないのか、と思ったけれど、一つのことにぐっと集中すると眠れるようになるらしい。耳障りだな、とか、思わないで、ただ時計の音に集中する。なるほど。
そこに感情はなく、ただ、何か、物事に集中すると、ふっと眠れるのだそうだよ。だから、ドラマCDも、もちろん声優さんが良い声なのであんまり真剣に聞いているとはわわ、と思うのだけど、ただ、ドラマの内容を追っていると一つのことに集中しているわけなので、眠れるのだろうなあと思った。
で、BGMの話だけど、なので、小説を書いているときも殆ど聞くことがない。聞いているとそっちに持っていかれるので話が支離滅裂になる。たぶん、読んでいて「?」となる場面は結構音楽を聞いているときだなと自分で思う。
あと、曲を聞きながら「あ、この曲でこういう話書きたいな」と思うときが結構あって、インスピレーションというよりも、歌詞を聞いて話が思い浮かぶことがあって、いざその曲を書こうとなった場合に、その曲をリピートしていても全然書けないときがたくさんある。不思議だ。曲という、表現されたものをさらに表現するっていうのがダメなのか。
なので、よくこの曲いいな~小説にしたいな~と思っても、書けないことが多い。
まあ、著作権的にアウトなのかセーフなのかよくわからないのだけれど。
今ずっと思っているのは、NICO touches the wallsの「N極とN極」と「プレイヤ」という曲があって、その曲で何か書きたいと思うのだけれど、全然書けない。一時期NICOがすごく好きで、というのも彼らの曲によって与えられるインスピレーションが大きくって、素敵だなと思っていたのですが、しかし、書けない。
ちなみに「N極とN極」は「追いかけても二人の距離は変わらないためお別れすることにしました」というところが好きです。お互い好きなのに、似ているからこそ合わない二人のお話を書きたいなあ、と思っている。
「プレイヤ」の方はすごく不思議な歌なんだけど歌いだしの「月を数えた帰り道 足りない指に気付く」っていうのがめちゃくちゃ好きです。何の気なしの怖さみたいなものが素敵だと思う。
文庫のカバー下にあとがきを乗せているのですが、そこで載せているBGMは勝手な私のイメージソングです。それを聞きながら書いているわけじゃないんだけど、その話を思い浮かべるとそのBGMというか、そのBGMが発端になって書いてるとかそういう感じだな。
どこまで興味を持っていただけているのかはよくわかりませんが、そういうのを書くのってやっぱり楽しいよなあと思う次第です。
大阪行きの新幹線を買おうと思っているのだけど中々面倒くさくてしてないや。
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2014/08/12 registered adress
大阪の文学フリマの詳細決定しましたのでお知らせします。
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◆第2回文学フリマ大阪
9月14日(日)11:00~16:00@堺市産業振興イベントホール
スペース:A-05 サークル名:InU(インユー)
◆頒布物◆
「さよなら」
・短編集/A6サイズ/246ページ/600円/カバー下おまけ付き
・収録作
「セレンディピティー」(サイト掲載作品加筆・修正)
「CHILDREN」(書き下ろし)
「聖家族」(書き下ろし)
「さよなら」(書き下ろし・BL)
・平成26年5月5日発行
「ビオトープ」
・短編集/A6サイズ/206ページ/500円/カバー下おまけ付き
・収録作
「Boring To ME」(書き下ろし)
「おやますわりでまっていて」(書き下ろし)
「モーリー」(書き下ろし)
「Broken Youth」(サイト掲載作「マイ・カズン」加筆・修正)
「日付変更線」(サイト掲載作「To tell the Truth」加筆・修正)
「ビオトープ」(サイト掲載作「やさしい孤独」加筆・修正)
・平成25年3月31日発行
「More InU」
・短編集/B6サイズ/無料配布本
・収録作
「殉教」(書き下ろし・リクエスト「号外」がテーマ)
「エニバデ」(書き下ろし)
「銀色の」(書き下ろし)
※収録数・ページ数は未定
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今回は何を血迷ったのかジャンルを短編から純文学にしたので、こんな早い番号になってしまいました。大変後悔していますがまあ大して変わらないと思うので気にしないことにしよう。
大阪では初頒布となる「さよなら」と、昨年発行の「ビオトープ」を持っていきます。どちらも残数があまりないので、今回の文学フリマで完売したらいいなあと思う。
それと、もっと気軽に、私の書くものに興味をもってほしい(とかエラそうに)思うので、無料配布本を一冊作ります。さて三本お話入れたいけれど果たして上手く行くのでしょうか。
三本、毛色が違うものにしたくって、このお話が好きな人はこの本のこの話もおすすめだよ~的な本にできたらいいな。ま、無料なのでどんちゃん持って行ってほしいです。
今までに通販や、コミティア・文学フリマでお買い上げいただいた方に関しては、無料配布本は差し上げますので連絡もらえると嬉しい。まあ、まだできてないけど。
これはあんまり需要なさそう。
ひとまず宣伝終わり。
2014/08/10 おやすみなさいの
せっかくのお休みが台風でつぶれてしまった。明日からは平常運転で仕事だ。
本当は日曜日、美容室に行く予定だったけれどこんな天気なのでやめた。
毎度思うけれど、いつも電話に出てくれるのが男性の川なんとかさんという人なのだが(いつも名前が聞き取れない)、めちゃくちゃフェミニンな対応をしてくれる。フェミニンというか、物腰がやわらかというか、誤解を恐れないで言えばすごくオカマっぽい。
今日も、台風のためにキャンセルしたいと思って電話をしたら、
「ああ、こんなお天気ですものねえ。日にちの変更でしたらできますよ?」と言うのだが、その全体的に言葉が甘ったるいトーンで統一されていて、話し方もすごくゆっくりだ。私の方あよっぽど男らしい話し方をしているのではないかと思わされる。まあどうでもいい。
大阪の文学フリマに向けて無料配布をつくろうと思い立ち、そうしたらツイッターで「号外」というテーマをいただいたので、突然不意に彼氏が浮気をしている、しかも男らしい、というのを知った女子と、浮気相手の男の話を書いてみたのだけれど、ちょっと久しぶりすぎて書き上げるのにすごく緊張してしまった。
話的にはほんとにこれだけで、相変わらずオチも意味もないのだけれど、ある意味私の普段通りのものという感じにもかけたので、まあ、興味持ってもらうにはいいかな、ぐらいの感じだ。あと二作ぐらいは書きたいと思うのだけれど、まるっとあたらしいものを書き下ろすのは元気がないので、サイトに掲載されているやつを少し書き直そうかなあと思います。
でも、正直、何年もサイトやってるくせに全然品数がないのでくそったれなサイトですね。本当に。
2014/08/09 つめあとのぬくもり
よく、自分のツイートを消してしまう。
というのも、数分してから「ものすごい浮ついたツイートをしてしまった」とよく後悔するからだ。テンションの高いツイートや、小説のことに関するツイートはすごく恥ずかしいと感じる。一人でもくもくと書いているのが普段からの自分のスタンスだからかな。
誰も気にしていないと思いつつ、そういうことを呟くと、誰かが「こいつ小説書いてるっていうの気取ってるぜ」と思うんじゃないかと思う。ので、書けない。というか、自分がそういうことを、人のツイートについて若干思っているからだ。若干、というのは正直少し嘘つきました。結構思っております。アマチュアじゃん、と考えているので、そんなおこがましいことをして、いわゆる「寒い」人と思われたくないというのはある。私が思っているからだな。うん。
自分がしていることは自分に返ってくる、というのは私がよく実感している。だから、人を咎めれば咎めるほど自分もがんじがらめになる。悪いことはできない。
毎回こういうことを話しているけれど、創作のことを楽しく人と分け合えて自分を惜しみなく押し出せる人はとてもうらやましい。
押し出す、と言って、自分の小説を押しうるということではなく、創作を楽しんでいることを惜しみなく、包み隠さずアピールできることだ。
アマチュアだプロだとか関係なく、自分が楽しいと思うことを信じている。そのスタンスは素敵だ。でも、見せかけの部分も多々あるだろうと思っている。というところがまず僻みだ。
そう考えると、じゃあ私は何を書いて何をしたいのか、という根源的な問いになってくる。
今日はとってもはちゃめちゃだな。
本が作りたいというか、やっぱり小説が書きたいのだろうと思う。
でも、きっと本にしないと人には読んでもらえないようなものばかりだし、なんかとっても、つらい。本にしたって読んでもらえるとも限らない。そういうことを、続けられるほど、あんまり強くもない。
新しくて、面白いものを見つけると、同時に、見つけたくなかったとも思う。
だってどうにもならない。
いつか飽きてしまうときがくるんじゃないかと思う。
そういう、つまらない人間だということを、思い知る。なんだか、今日はよくない筆だ。
2014/08/08 ひっくりかえした本の裏
ときどき仕事をしていると、「そんな遠慮していちゃダメだよ」とか「毅然とした態度も大切だよ」と言われる。言われると、なんかどうしようもなくて呆然とする。
毅然とした態度がとれたらこんなとこで働いていないぜ、と思うし、逆になぜあなたはそんな毅然とした態度をとることができるのですかと聞きたい。不安なことがないのだろうか。
そういうときに、論理的というか理路整然とした中身の人がうらやましいなあと憧れる。すごく仕事ができる人は厄介だし、頭が良い。理路整然。
仕事というのはあまり感情を挟んではいけないのだということは、この三年でよく思うし、感情なんかで振り回されていては、進まない仕事が多々ある。だからこそ、論理づけて理由を探して相手に納得してもらわないといけない。
だけど、私はあまり自分に自信がないし、証拠や理由づけがすごく苦手だ。感情で生きているから楽しく小説が書けるんだと思う。だから、逆に、理由をつけるとか根拠とかはない。あんまり。
自分の小説に破たんがよく出てくるのはそのせいだろう。まあこれは余談。
根拠が明確でも、そこで押すことができない、という場面も多々ある。どうも苦手だ。こっちが、間違ったことを言っていなくても、相手が気分を害して怒ってきたら、そこで正義を振りかざすこともできないので、やっぱり毅然とした態度をとるというのは私には一生無理なんじゃないか。今思った。無理だろう。
小説を書く、というスタンスも、よくブレブレだ。
まあでも、感情で生きているので楽しいと思っているからもちろん続けている。でも、感情で動いているからこそあっちにひっぱられたりこっちにひっぱられたりと結構忙しい。
ただ、友人が言っていた「自分の書きたいものは自分にしか書けない」という言葉がシンプルで結構気に入っている。評価がもらえることは嬉しいし、それがありきで書くことも全く間違いではない。でも、自分は、そういうものに、やっぱり囚われるのは嫌だと思う。自分が書きたいと思うものを書く。そういう、シンプルなことなんだ。
週に一回は自分に言い聞かせないと忘れてしまいそう。
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