どこをみているの
2025/07/14 [PR]
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2014/11/14 ねこまんま
携帯を開くとラインの緑のアイコンの上に赤い数字が躍っている。未読のメッセージ数を伝えるその赤い吹き出しは、73の数字を示している。うんざりしながら、アイコンをタップするとメッセージを送ってきている人がずらりと並ぶ。高校の同級生の女の子で作ったグループのメッセージが54、正樹くんが4、エイジくんも4、孝則さんが2、今ちゃんが8、そして恵が1。他のどの未読メッセージよりも恵の1が目に着く。しかも未読メッセージの中でも彼のものが一番下ということは、一番古いメッセージということになる。彼の名前をタップしなければ私が読んだことを知らせる既読はつかない。長いメッセージとか複数のメッセージだとタップしないと内容は見れないけど、彼のメッセージはいつも短い。そして大体一通で終わっている。
「今、どこ?」
それだけかよ、と、心の中で悪態をつきながらトイレの個室から出た。地下三階にあるこの女子トイレにも地下一階にあるクラブの爆音が響いてくる。重低音ばかりが壁を揺らす。地響きの中心にいるような気がして足元がふらついた。今日は飲みすぎたかもしれない。といってグラスビール一杯とジントニック一杯だけだ。最近、飲んでなかったから。クラブの雰囲気の所為もあるかもしれない。サイハイブーツとツイードのショートパンツの間から覗く自分の白い太腿が大福みたいに見えた。
「さきちゃん、大丈夫ぅ?」
答える前に小太郎ちゃんが女子トイレに顔をのぞかせた。丸坊主にした頭はとっても綺麗な形だ。耳には大きなイヤーホールのピアスが目立つ。子犬みたいに真ん丸の目を、お酒の所為で少し充血させていた。
「大丈夫だよ、ありがとぉ」
トイレ入ってんだから呼ぶなよこのガキ、と思いながら、でもこういうときはお礼を言うのが当たり前だ。今夜をともにするならなおのこと、彼に最後までお持ち帰りされるためにはかわいくってちょっとわがままな女の子になりきればいい。私を確認した彼は、ごく自然に腰に手を回してきた。ぎゅうと圧迫されると、自分が女なんだっていうことを実感する。男に触れられると、私は自分を自覚する。いつも定まらない重心が、途端に子宮のあたりにすこんと落ち着く。
くそみたいな遺伝子だ。でも、これが、私にとっての真理なのだ。
「ね、この後どうする」
彼の熱い息が耳元を揺らす。階段を一段上がるたびにクラブの音が大きくなる。聞こえているくせに、なあに、と聞き返すと、彼はより私に近づいて問うてくる。どさくさに紛れて頬に僅かに唇が当たった。ふ、と、笑みを持った瞳で見ると、彼も示し合わせたようにふ、と笑った。金曜日の夜ということもあって、クラブのフロアはむせかえる人の熱気と匂いで飽和していた。体全部が揺れるような音楽と、吐きだしそうになる人のうねり。もみくちゃになりながら私も小太郎ちゃんも体をぶつけ合った。二曲踊り、何がおかしいのか大笑いして外に出る。急な寒さに頬がひきつって笑うしかなかった。
「ホテル、行こっか」
小太郎ちゃんが慣れた手つきで私の肩を抱いた。男にしては小さい手だが力はもちろん男のそれだ。ああ、彼に抱かれたい。上手いか下手かはおいておいてとにかく男に抱かれないと女の私は眠れない。どこでもいいから早く行こ、と耳元でささやくと彼は隠すこともなくいやらしい笑みを浮かべて足を早めた。
***
再来年ぐらいに出したいな~と思っている本のお話もちょこっとずつ書き始めていてこれも掲載したいところです。
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2014/11/11 わがままな私のことなので
乱暴的な言葉が書きたいと思っても糸口が見つからないと紡げない。
乱暴的な言葉、というか、ただの愚痴なのだけれど、しかし、上手く言えないときってたくさんある。難しい。
最近仲良くなった人がいて、その人は私よりも十以上も年上なんだけどとてもアグレッシブで少年のような人だ。もちろん妻子があるのでそういう関係なわけでもなく、友達、という感じで仲良くさせてもらってる。
この間二人でご飯を食べにいってしこたま遊んできたのだけれど、その人がまた私をご飯に誘ってくれた。けれど、最近お腹の調子がよくない私としてはあんまり行きたくない。数回断ったけれど、彼はまだ誘ってくるのでちょっと面倒になってきたというのが私の本音だったりする。
強引な人は嫌いじゃないけれど、分別のない強引さはとても苦手なのだった。
私が感じるのは、彼はとても寂しがり屋なのだと思う。にぎやかなのが好きなのは寂しがり屋だからだ、と、勝手に解釈しているし、けっこう当たってるような気がする。言い方は悪いけれど誰か手頃なおもちゃを見つけては寂しさを紛らわそうとしているんだな。
もちろんあからさまに嫌な感じはしない。でも、見え隠れする強引なところにそれを感じる。そういうのがちょっと苦手だなと思う。面白い人なんだけどね。
もちろん彼も私が断っているのもわかっているんだろうけど、でも、引き下がらないところが苦手だ。別に、今後一切食事したくないとかそんなことはないし、もう少し間をあけたいだけなのにな。久しぶりに面倒だと思った。ていうか、面倒だ。
たまに意見が食い違って、私は反論するし彼はそれをそうだねえ、そういう考え方もあるよねえ、と頷いてくれる。でも、私はそうじゃないんだ、とまた余計に息苦しくなる。だって彼がそうだよねえ、と言っている私の意見は、私の意見じゃないんだ。彼が解釈した私の意見は彼の意見なんだ、と思う、上手くいえないけれど、彼が解釈しているのは、きっと、私も彼の意見を飲み込んだ上で私が反論していると思ってる。でも、私は彼の意見を1mmも受けいれられないことがあるから反論してるんだってことをに、気付いてほしいから反論する。でも、大人げないのでそんなにあからさまなことは言わない。もちろん。だからか、伝わらない。
本当は彼もバカではないから私が受け入れられないのもわかった上の対応だとしたら、ああでも、やっぱり伝わってないだろうなあというのが、私の今の気付きであり絶望だ。
彼も相当頑固なので、反論したって伝わらないんだろうなあ。私の、心の、感じ方みたいなもの。とか。きっと、やっぱり、私も彼も、どんなに言葉達者で理論でわかっていたとしても、やっぱり自分中心でしか物は見られないんだな。ああ、なんか、結局そういうことなのかな。
ああ、こんなこと書いたら、気付いたら、今度会うとき気まずいな。私だけか。あの人、色々気付くけど「気付かないこと」も身に着けているから。
人と人の関わり、ってなんだろう。どうしてこんなに、隙間が多いのかな。
今日はなんかわけわからんこと書いてしまった。
でも、ちょっとわかったものがある。よかったのか悪かったのか。
2014/11/02 不安の名前を
今日は友人と雑貨屋にいったり買い物をしていた。明日はまた仕事なのでちょっと元気が出たけどでもやっぱり、人といると複雑な気持ちになることも多い。どっと不安が押し寄せてくる瞬間がある。どうしてだか、自分でもよくわからないけれど、とにかく不安でどうしようもない。そうすると、相手の話してることも表情も、私を拒絶しているような気になってくる。うん、これは被害妄想だ。そうはわかっていたとしても、でも、やっぱり、こんな私のことなんか嫌いになるのは当然だよねと思う。そう思っていることは、友達への侮辱だとわかっていても、思わずにはいられないのだった。歪んでいる。止められない。まったくもってストッパーがない。
私はどっちかっていうと喋るタイプだと思う。思いついたことをぽんぽん言ってしまう。
だからか、私の友達は聞き役の子が多い。
私はあんまり聞くのが上手じゃないからちょっと恥ずかしい。
独りよがりいというか、まあ、自分のことが好きなのだ。好きな友人と一緒にいるとそれが余計に顕著になってしまう。でも、聞くのが上手なのでうっかりしゃべり続けている。なんということだろう。はたと冷静になったりして、では相手が話したいこともあるだろうから聞かないと、と思う、のだけど、しかし、それはあんまりうまくいかない。相手が話下手だし、私が聞き下手だからだ。そういうバランスもきっとある。
友達は「にゃくちゃんみたいにいっぱいしゃべってくれる子好きなんだよね」って言ってくれるけど、卑屈な私はそういう言葉をよく疑っている。それに、私はとっても小さなことがぐじぐじ気になるタイプなので、話を聞いてる側からしてみるとどうなんだろうと思ってしまって、もう猜疑心でいっぱいだ。
自分の言葉で埋まってしまう車内や、別にどうってことない沈黙が、気になる。心がざわついてしょうがなくなる。好きな友達といればいるほど、そう思ってしまう。相手が何にも思っていないこともわかっていて、でも、不安になる。いっそこの不安に名前を付けてなんだか飾っておきたいぐらいに、見事に不安になる。自分の情緒不安定具合もここまでくると傑作だ。
なんだか、友達になにを求めているんだろうという気すらしてくる。私の言葉を隅々まで拾ってほしいとか、そんなことだろうか。
自分で自分のことがよくわからないのだった。
自分がもし、私の友達でも、私は自分を満たしてやれる自信がない。
私はいつも、何かを乞うている。なんだかよくわからない、何か。自分でもよくわからないその何かが人から与えられるかなんて思えない。でも、何かを求めようとしてしまう。いつも笑顔でいてほしい。私の話で笑ってほしい。共感してほしい。でも、100%なんて無理だ。無理だ、と、思っていること、とか、相手のことを猜疑の目で見ていること、が、知られたくなくて、私は好きな友人といると不安になるのかもしれない。なんだかよくわからなくなってきた。
どんなに仲が良くても、相手が大して何も考えてないとわかっていても「ごめんね」とか「よかった?」とか言ってしまう。まあご機嫌伺いのようなもんだ。媚を売ってるわけじゃない。
友達への信頼よりも、自分の心の不安に負けてしまう。今も、こんなことを書きながら、今日の友人の一瞬の真顔を思い出して心が不安になってきた。しばらく話せそうもない。なんでだろうか。不安だ。不安でいっぱいだ。
この不安はどういう類のものなのだろう。不安だ。
2014/10/29 まてない恋ほど
どうでもいいし、とっても不謹慎な話だけど芸能人が亡くなったときに「あの人は本当にいい人で」、と、友人の芸能人が泣いている姿を見るとほっとする。
芸能人なんてテレビの中の人だけど、あの人にもちゃんと、こうして泣いてくれる人がいたのだ、ということになんとなくほっとするのだった。これって不謹慎かな。ごめんなさいよくわからない。
以下、追記でただただクソみたいなホモのエロ話垂れ流す予定です(これから書くからどうなるかわかんないけど)。結構直接的な表現いれると思うので、苦手な人はバック。
[つづきはこちら]
2014/10/27 バランス
昨日、職場の先輩の結婚式で出席してきた。とってもかわいかった。
式場が少し手狭だったけど、それでもこぢんまりしていてあたたかなお式で素敵だったと思う。
でも、その日の朝に、訃報の連絡を受けた。昨日は大安で今日は仏滅。なんだか図ったようなタイミングだったと思う。不思議な感じだった。結婚式とお通夜が隣り合わせにある。でも、それがほんとうのことなのだとも思う。
私の知っている歴史上の人物で誕生日が6月28日、命日が6月29日の学者がいる。
知ったはなのころは「一日で成長して、そんなにたくさんの業績を残したのか。すげえな」と思ってた。結構マジで。でも、大人になって、人の時間はみな等しく24時間で(江戸時代が太陽暦だったとしても)、成長の度合もほぼ同じであることを知ったので、年代が違うということをちゃんと理解しました。そういう、あほな子でした。
とても、むしゃくしゃしてイライラして、どうにもならなくて、できるかぎりの悪口を言う。
悪口の神様というのがいて、その神様が許す悪口は、誰にも怒られない。笑ってもらえる悪口だ。でも、悪口の神様が許さない、見向きもしない悪口は、ただただばかげていて醜くて、くだらない。でも、そういう言葉ばっかり言ってしまう。情けないことに。
嫌な言葉を吐きだすとわかっていても、どうしても止まらない。どうしても言いたい。誰かに聞いてほしい。でも、嫌な言葉だから聞かせたくないし聞きたい言葉でもないだろう。でも、言いたい。
もともと、私の書く言葉なんていうのは誰かを呪うための誰かを憎んだときのための言葉なのかもしれない。そうじゃなければこんなにも誰かに言いたくなることなんかない。誰かを傷つけたかったりとにもかくにも悪者にしたいときにしか饒舌にならない。嫌味を言うとき。皮肉を言うとき。私の言葉は鋭利で鋭敏なカタマリになる。誰かを傷つけようと躍起になる。誰かを貶めようと必死になる。
でもね、同時に良い言葉も聞きたい。そんな、嫌な言葉なんかかき消してくれる美しい言葉。無条件で、泣いてしまえるようなそんな言葉。ささやかな水の流れのような言葉。私にはない、言葉。
そりゃあ自分が情けない。そりゃあ、自分が、どうしようもない。
いっそ、言葉を全部吐きだし終えたらしぼんで死ぬような制度があればいいのに。でも、きっと、私は死なない。恨みを全部吐きだすなんてありえないから。心の底にぬるぬるとずっと滞ったままでいるから。素敵な、憎しみたち。それがなければきっと私は生きていけないのに、私はそれを毛嫌いしている。それを、本当は愛しているのに、いっそなくなってしまえばいいと思っている。
ここにあってくれるな。
ここに、いてくれるな。
何も、してくれるな。
こういう波ってなんでくるのか本当に意味不明で、原因としては言葉の浪費と、言葉の便秘と、なんかいろいろその他もろもろ、感受性が鈍っている癖にたまる感情だけがある、っていう感じなんだけど、うまくいかないなあ。こんだけぐだぐだ書いていても全然満足できない。なんだよ。
あとね、やっぱり書く書かないの話とか、そういうのが地味に心にくるなあって思う。すごいぶっ壊れる。人の書く書かないの話なんかどうでもいいのに、そういうの認められなくてどんどんぶすぶすくすぶっていく感じ。心もブスになっていく感じ。全部否定したい。
どうでもいい、本当にどうでもいい私だけの信仰だけど、書ける書けないとか、書く書けたとかの話をしている人は小説がおもしろくないというジンクス、信仰があって(なぜかというとすごく独善的で自分で自分の小説を愛しすぎている)、でもまあナルシストの方が身なりに気を遣っていて清潔感があるというパターンもあるので(あくまでそういう場合もあるという話であって)、それがすべてじゃないこともわかっているしそりゃあ書かない人よりもちょこちょこ書いている人の方がそれなりに上手く書けるわけだし、そういう風に鼻にかけるというか自信を持つことが悪いわけじゃないし、私も現に自分はそれなりに上手く小説書いてるとは思うけど、でも、やっぱりそうじゃないんだよね。
本当の、私が愛する本当の人たちは、そういうところが一切なくて小説を書いていることや書く書かない、書けた書くをおごったり高ぶったりしない。そういう人はとても優しくてよい言葉を書く。控えめで優しくて美しいことば。
たぶん、書く書かないとかいってちょっとこなれた人を演出してくる人っていうのは、やっぱり自分のことを知らない人だと思う。私も含め、勘違い野郎だと思う(ここからお前の小説落ち着いて読んでみろよつまんないから、という自己卑下が盛大に始まる)。
黙ってろよ、ってやっぱり思う。小説の言い訳なんかすんなよ、って思う。
書きたいことがあるなら書けばいいし、言いたいことがあるならやっぱりそれもかけよって思うし、それは、自分もだ。
なんでも簡単に言葉にしてしまうのは楽だけど、小説を書きたいのなら小説で書いた方がいいでしょう、だって、そうして、小説を書いてきたのではないの、と、自分に自問自答だ。難しくない答えがすぐに出る。いつも、結局、正解のときも間違いのときもあるけど、でも、やっぱり出る答えは一つだけなんだ。
特に理由はなくて、ただ、書きたいと思ってるだけなんだ。
大体こういうことを考えているので、やっぱり日常生活というか私の人となりにもこういう思考回路は現れていて、よくやらかすことが多い。困ったもんだ。
あと作られた人が嫌いだ。まるでドラマみたいに落ちのあるように話す人も嫌だし、まるで漫画でよくあるワンシーンみたいな台詞を平然と言ってくる人とか、仕事が良くできるような話方をしてくる人。お前自分のこと何様だと思ってるんだ、と、突っ込みたくなる。それ、正気ですか?っていう人。そういう人を見ると大体死ね、と思う。なんかやばい思想の人みたい。
でも、そういう人を見ると一方でとっても面白い。どこまで本気で言ってて、どこまで演じていってるんだろう。もし本気で演じているのであればそれはもう嘘じゃない。本心で言う嘘ならそれはもう嘘じゃない。男の人とか、オタクこじらせている女性に多いと思うんだけど、どうでしょう。私も若干その気はあるのだけど。
小説を読んでいて「こんなきざな男いるかよ!気持ちわるいな」と思うんだけど、周りを見てみるとそこまでひどくなくてもプチきざ男がいる。というか大体周りの男性がそういう男に見えてきて、私はどんどん男という生き物が苦手になるし、でもやっぱり面白い。あと、女に気持ち悪いと思われている人ほどそういう傾向がある。モテると思ってるんだろうか?
まあ別に、どうでもいいし、私も何様って感じだな。
こうやってつらつら愚痴を書いていて思うのは、自分のことが嫌いなんだなあというのと、そういう自分を面白がっているんだなあということで、ちょっと、やっぱり、笑えるのだった。
さて、寝よう。
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